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2009年1月30日のブックマーク (5件)

  • 村上春樹氏 エルサレム賞受賞−村上春樹という問題 - 無造作な雲

    id:mojimoji氏のエントリに端を発したこの一連の議論を見ていて、最後に、ボクが感じたことを書き留めておこう。 議論の流れに関してはid:y_arim氏の秀逸なまとめはてなダイアリーで確認できる。 id:y_arim氏が的確に要約されたように、id:mojimoji氏とid:fujipon氏の間で繰り広げられているやりとりのすれ違いは、なるほどそれぞれが主題化している問題のレイヤーが違う、ということに起因するのだろう。 そして今回の議論のメインストリームは、きっとそのあたりにあるんだろう。 しかしながら、ボクがhttp://d.hatena.ne.jp/icchan0000/20090126/p1でid:fujipon氏に絡んでいった理由というのは、そこにはない。 id:bassai718 村上春樹, 文学, 政治 興味深いエピソード。文学者が政治的なイシューに巻き込まれるのは悲しい

    o_keke_nigel
    o_keke_nigel 2009/01/30
    村上春樹、から少し離れて「ハルキ的なもの」にもシフトした論考(※欄含む)。私の「村上春樹のコミットメント表明」認識に若干誤りあり。「風…」では「政治的ロマン主義者」としてのハルキを感じたのだが…。
  • 政治的直接性からの逃走 - モジモジ君のブログ。みたいな。

    font-daさんの記事後半で紹介されている、ピンターについての書評記事より。 決して感情的にならず、あくまで劇の対話のように、ユーモアとアイロニーを手放さない。それがために、かえってBBCの愚挙が鮮明になってくるのだ。あくまで「表現」を通しているから、その研ぎ澄まされた言葉は読者のなかに通り一遍でない感情を巻きおこす。 劇作家らしく、ピンターの言葉は直接的でない。必ずユーモアとシニカルな目をたたえて、事態を見据えている。彼は政治的問題を「政治」で解決できないことを知っている。そこで前述した「知性」や「言葉」の問題が出てくるのだ。 一読して違和感を持つのは、ここではピンターの主張に対してではなく、ピンターが「劇作家らしく」「直接的でない」表現を使っていることに対して共感が寄せられている点です。もちろん、ピンターの主張にも賛成なのでしょうけれど、その手つきは、どこかピントがずれている。たとえ

    政治的直接性からの逃走 - モジモジ君のブログ。みたいな。
    o_keke_nigel
    o_keke_nigel 2009/01/30
    ある種の「洗練さ」が認識の「鋭さ」を装いつつ、自らの不快感を正当化するためのリソースとして消費されてしまうトリッキーさについて>例:「シニシズムの中でもふもふしている」一群のブクマカ。
  • 村上春樹を読まずに批判してるって? - モジモジ君のブログ。みたいな。

    なにやら「村上春樹の作品を読まずに批判している」みたいなことを書く人があちこちにいますね。一例をあげれば、「非読検閲官」などとおっしゃってるid:mnemoさんとか。というわけで、言うべきことをハッキリいっておきたいと思います。 わたしは、村上春樹の作品への評価を、一切行っていません。*1 エルサレム賞の受賞のしかたによっては、村上春樹その人がこういう批判/賞賛を受けることになるだろう、ということを述べているだけです。村上春樹その人がこういう批判/賞賛を受けることになるだろう、ということを述べているだけです。村上春樹の作品への評価とはまったく独立のことしか述べられていない、ということは、まったく明瞭なことだと思います。 村上春樹の作品と関連付ける形で、別様にも言っておきましょう。エルサレム賞の受賞の仕方によっては、村上春樹は「村上春樹の作品の立場から批判される」か、「村上春樹の作品とともに

    村上春樹を読まずに批判してるって? - モジモジ君のブログ。みたいな。
    o_keke_nigel
    o_keke_nigel 2009/01/30
    mojimojiさんに、ではなく-fujiponさんの「政治観」に向けて。
  • 私は鈍感さを肯定しない - キリンが逆立ちしたピアス(ブログ版)

    id:mojimojiさんが、私が先に引用した西堂行人のピンター評を批判している。 mojimoji「政治的直接性からの逃走」 http://d.hatena.ne.jp/mojimoji/20090130/p1 西堂さんは、ピンターの直接的でない政治的意見の表明を評価する。 ここでも「何も起こりはしなかった」が繰り返されている。ピンターの対応は絶妙である。決して感情的にならず、あくまで劇の対話のように、ユーモアとアイロニーを手放さない。それがために、かえってBBCの愚挙が鮮明になってくるのだ。あくまで「表現」を通しているから、その研ぎ澄まされた言葉は読者のなかに通り一遍でない感情を巻きおこす。 (http://booklog.kinokuniya.co.jp/nisidou/archives/2007/05/post_22.html) しかし、これは(良く読んでみればわかるが)西堂さんは

    o_keke_nigel
    o_keke_nigel 2009/01/30
    なるほど、でも制度設計を変えていこうとするのであれば、最終的には「政治的な選択」の場に持ち込まれることによってしか果たされないとも思う。「政治とは未分化の何か」の両義性-変革/シニシズムへの起動力。
  • エルサレム賞に関してもう少し - どんな懐かしさをおぼえるとしても

    ところで、僕はエルサレム賞に関して、何を知っているだろう? それがイスラエル最大の文学賞であり、イスラエルの有力新聞とかが噛んでいて、エルサレム市長とかも列席する中で授与されるということだけだ。 言うまでもなくエルサレムはパレスチナとイスラエルが領有をめぐって係争し、それどころか過去半世紀以上にもわたって血腥い戦争を繰り広げてきた土地であり、イスラエルはパレスチナに対して相当疑問のある経済政策や軍事行動を取っている国で、イスラエル国民はその多くがそうした政府の行動を支持している人たちだ。 だから、エルサレム賞というのはまことにいかがわしく、その受賞を辞退して当然のように見える。だけど、果してそうなんだろうか?というか、それで良いんだろうか? たとえば、僕だったら、中国の人に「お前は日人だから南京虐殺を否定しているんだろうけど、あれはな」と言われたりしたら、相当悲しい気分になる。その辺は一

    エルサレム賞に関してもう少し - どんな懐かしさをおぼえるとしても
    o_keke_nigel
    o_keke_nigel 2009/01/30
    「作家は誰かに何かをしろと言われるべき人たちではない」その”誰か”とは?当時市長のオルメルト氏(&イスラエル政府)と解されるのであって、脱文脈的に村上氏の”政治性”を問う側に向けるのはいかがなものか?