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ブックマーク / d.hatena.ne.jp/terracao (7)

  • 指導要領に書いてあるから、教師は君が代斉唱時に起立しなければいけない? - 女教師ブログ

    教育前半は蛇足。題は一番最後。前回の君が代日の丸炎上エントリの続編。 id:daicnidaicniさんという人が、しつこく「指導要領に書いてあるから、公立校教師は君が代歌うとき起立しなきゃいけないんじゃないですか?」と聞いてきた。daicnidaicni「教師が信じた「思想信条」を教え込む(=押し付ける)のが、教師の仕事」と書いていらっしゃいますが、これって、指導要領に書いてあることを教え込むのが、(公立)教師の仕事ではないですか? つまり、教師には指導要領に沿った教え方をする義務があるのではないですか?個人差はあると思いますけど。そして、指導要領には「入学式や卒業式などにおいては、その意義を踏まえ、国旗を掲揚するとともに、国歌を斉唱するよう指導するものとする」といったような記載がありませんか?一字一句はあってないかもしれませんけど。 そうすると、君が代不起立問題における教師の方にも、

    o_keke_nigel
    o_keke_nigel 2009/07/22
    ※欄で自分が考えたいことが網羅されていた。「国歌・国旗法違反」→起立しないことではなく例えば別の歌・旗を「国旗・国歌」と扱うこと/”(裁量権をゆ越するなど)無効な”「職務命令」には従わなくてよい。
  • 私が「反・英語帝国主義」にコミットしないわけ - 女教師ブログ

    英語, 言語無性に書きたくなったから勝手に書くシリーズ第二弾。id:t-hirosakaさんから「英語帝国主義」関連で質問を受けた関係で日頃の思い(の一部)をまとめてみたくなった。 ★ 私は「英語帝国主義」というコトバ自体が気に入らない、むしろ「言語帝国主義」のほうがいい「英語帝国主義」というコトバは、なんでなのか知らないけれど、独特のコノテーションを持っている。たとえば...「英会話に精をだしてる子女はみっともない」「英米カブレってダサい」「不必要に英語つかいまくって、ルー大柴みたいwww」このあたりは「英語崇拝」に関するウィキペディアの記事を見ればわかるだろう。こうした「英語帝国主義」批判の根底には、結局のところ、「感情的にキモい」という程度の根拠しかない。私は端的に「ほっとけ!」と思う。「お前、他人様のことばづかいに指図できるなんて、どんだけ偉いんだよ!」とも思う。「英語帝国主義」を

  • 「俺は差別主義者じゃない。でも......」という差別レトリック - 女教師ブログ

    メディア, 読書, 言語van Dijk, T. A. (2006). 「談話に見られる人種差別の否認」(山下仁・野呂香代子訳) 植田晃次・山下仁編著『「共生」の内実―批判的社会言語学からの問いかけ』(p.p. 187-232.)(Keyword: クリティカル談話分析、社会言語学、人種差別) 【要旨】人種差別的な言説は、あからさまな形をもって出現するわけではない。むしろ《人種差別主義者というレッテルを貼られるということは損だ》という常識が共有されている現代においては、人種差別的な言説はより巧妙に潜行した形をとって言い表される。そのうちのひとつに「否認」―「私は黒人に対して何の偏見もない。しかし......」というように自身の差別的態度をあらかじめ否定しておくストラテジーがある。 van Dijk は様々な民族問題や人種差別に関する談話(ディスコース)―新聞記事や政治家の発言など―を紹介し

    o_keke_nigel
    o_keke_nigel 2008/09/20
    「気に入らないひととの付き合い」を「在日朝鮮人との付き合い方」とに直結してしまうメンタリティについて。これは「差別」を「構造」ではなく言葉の上での「定義」だけで考えていると気が付かない。
  • 「正論」とは、産経新聞社の月刊誌のことです(広島県知事の「どうかと思う」発言問題) - 女教師ブログ

    表示できません - Yahoo!ニュース2ch*1とはてブ*2(および若干名のはてダ)の「知事の発言は正論だ」とのたまう衆愚へ、この産経新聞の記事を見よ!【正論】藤田知事の「どうかと思う」発言を「正論」だとする意見に思う(22日22:05) 21日、広島県の藤田雄山知事が先日の米軍によるレイプ事件に触れ、「盛り場でうろうろしている未成年もどうかと思う」などと発言したことが波紋を呼んでいる。批判が相次ぐ中、匿名掲示板2ch(にちゃんねる)およびソーシャルブックマークの大手  「はてなブックマーク」には、「正論だ」「言いたいことも言えないのか」「言論封殺だ」などといった衆愚の意見が並んでいて面らってしまった。 今一度、確認しておきたい。「正論」とは、産経新聞社の月刊誌のことである。 フジ=産経グループとしては、たとえ著しく道徳からはみ出しているように見えようとも日人にはちがいない我らが同胞

  • 「正論」とは、「正義」に則った議論のことです - 女教師ブログ

    粘直昨日の拙記事*1に対して、id:tasoiさんから次のようなブックマークコメントを頂きました*2:2007年10月23日 id:tasoi 他の人はともかく、Tezさんにはすごく残念。この手の人たちは、機会さえあれば立場さえ違えば、いつでもえげつないことをする側に回る。そうさせる、ある種の感性を持っているからこういう言い方になるおそらく何かを批判しているとはわかったのですが、実際のところよくわからなかったので、私は次のように尋ねました*3:2007年10月23日 ↓id:tasoiさんへ、誤解で喧嘩売るのも申し訳ないのであらかじめ真意を確認しておきたいんですが、この手の人って誰のことですか?あと「えげつない」とは例えば何ですか?tasoiさんにとっての「気持ち悪い」ことですかこの私の質問に対し、tasoiさんから、同記事のコメント欄(http://d.hatena.ne.jp/terr

    o_keke_nigel
    o_keke_nigel 2007/10/26
    推測だがtasoi氏は「”正しさ”から始まる差別もある」という趣旨なのかな、と思った。一般論としては理解できるが、「思いをぶつける」だけでは伝わらない。というかミサイル撃つ方向と対象が全然違うのではないか?
  • みんな「異文化理解」が大事だと言うが、そもそもある「異文化」を理解した瞬間に、その「異文化」は自文化になってしまうので、「異文化理解」は一向に達成出来ない、問題。 - 女教師

    教育 表題のとおり。「異文化理解」というのは、よく考えると意味がわからない。さらに、「異文化理解教育」というのももっと意味がわからなくなってくる。 ま、こういう形容矛盾が起こるのは、「異文化」および「理解」という語義の曖昧さ(i.e.テキトーな使われ方)を反映しているんだろう。 《異文化にいる人々に対して寛容な態度を育みましょう》ということだったら、「思いやり教育」でいいはずだし。《外国の文化を知って広い視野を持ちましょう》ということだったら、「世界地理(地誌)」でいいはずだ。 《自分は究極的には「異文化」を理解することはできない。(「できる」だなんておこがましい)》という自己省察的な態度を持った上で、《自文化*1の中に、異文化が混在していること;自文化の雑種性・混淆性に気づく》という方が妥当な線じゃないだろうか。

    o_keke_nigel
    o_keke_nigel 2007/05/22
    「異質」だから/に見える、からといって排除しなくていい/してはいけない、は「異文化理解」のステージ的にはどうだろうか。いずれにしても私には耳が痛い。
  • ホームレステント撤去についての言説分析:否定のストラテジー - 女教師ブログ

    メディア 否定のストラテジー「私は○○には何ら偏見を持っていない。しかし...」「私は××に理解がある。しかし...」とまず最初に譲歩の節を入れることで、自身の語りが差別的ではないと訴える(あるいは自分自身がそう思いこむ)ストラテジー。 (「「俺は差別主義者じゃない。でも......」という差別レトリック - 女教師ブログ」参照) ミクシィ・ブログ界隈で目についた日記より抜粋(なお強調はすべて引用者)。 いろんな事情でホームレスになってしまったのだと思いますが、そのままで良いと半分人生を諦めてしまう生き方って間違っている気がします。 ソーシャル・ネットワーキング サービス [mixi(ミクシィ)]ホームレスにも事情はあるだろう。可哀想な理由でホームレスになってしまった人だっているだろう。しかしながら、そもそも彼らの主張は間違っていないか?態度がでかすぎるのではないか?     ・・・確かに

    o_keke_nigel
    o_keke_nigel 2007/03/27
    「前半の譲歩部分と、後半の意見部分には何ら論理的関連性がないにもかかわらず、こういうレトリックを使う…」前半/後半の関連づけをどう考えていくか?無意識的に話者自体も陥る「トリック」。
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