昨日、雑誌「ロスジェネ」に関して書いたところにトラックバックをいただいたのを知って 私が「赤木論文」と今回の秋葉原の事件に関連性を持つと思われているようだったのでコメントを残した。 「赤木氏のように「言葉」だけにとどめる人とそれを現実にしてしまう人との「違い」みたいなものにもっと焦点を当てて欲しいと思います。」に、 その「違い」とは「究極的にはfortuneのようなものだと思っています。」のお答えをいただいているが この「fortune」とは「運」なのか、あるいは「資質」を意味するのか私にはわからない。 何かがおこるのは偶然が重なり合った必然であった、と言うのはわかるのだけれど、「運」に帰してしまうのには違和感がある。 それなら秋葉原で命を失われた方々もそれが「運命だった」になる気がする。私はそれに納得できない。 とはいうものの言葉で語ればなにもかも堂々巡りにしかならないだろうし、 この事