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_double-lineと*_R:倫理に関するo_keke_nigelのブックマーク (2)

  • 論点整理 - Double Line

    これまでの論点を私なりに整理しようと思います。 「間接的」な関与が殺人にあたるかどうか、という問いを問われて答えましたが、来、議論の骨子は「当事者の問われたときの感情と、その問いは果たして問うてもよいものかどうか」であったと思います。 私が追った順から述べさせていただくと、姨捨山問題を最初に拝見したのはsugitasyunsukeさんの記事でした。この時点では「当事者の感覚と感情」を論点にし、多くの方もその論点をもってエントリをあげたのだ、と私は感じています。私もその点に関連して、いくつか問題点を列記し、改善ポイントがどこにあるのか、ということを提案したことで結びとしました。 福祉倫理の論理的論考 欺瞞のCANと、DOの承認 そして、もうひとつ議題があがったのが「200円募金」との関連性を示唆すること、またその関連性によって、間接的関与の可能性が発生する、ということでした。そこからは「間

    論点整理 - Double Line
  • 思考と行為 - Double Line

    ホームレスの人を助けなかった私 - G★RDIAS その答えは、自分の中で考えたい。 いじめ問題にしてもそうですが、周囲にいた、見ていただけで「加担」になるのだと思い責めている人もいるのかもしれません。 「何もしなかった」「何も出来なかった」ということに罪悪感を覚える人は、多分、多く居ると思います。それにずっと囚われて自責している人もいれば、何か自分を保つ為に、生きる為に重要な事柄ではない、と思い込もうとして棘が刺さったままのように生活をしている人もいる。「欺瞞」といわれればそうなのでしょうが、「しなかった」といわれれば「生きる資格が無い」と言われてしまうように感じるのは、私がまだ過去に囚われているからなのかもしれません。 私は、家族がいるし、兄弟もいます。多分、昔からその人達の悲しむ顔を想像して、きっと「行為しなかった」こと自体を忘れてしまうでしょう。できたのに、しなかった――通り過ぎた

    思考と行為 - Double Line
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