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_shirokumaに関するo_keke_nigelのブックマーク (4)

  • 議論・運動を囲んでオクラホマミキサーを踊り続けたい人達 - シロクマの屑籠

    それにつけても、人間というのは当に複雑だ。 同じ動機に衝き動かされるとしても、十人いれば十通りの行動があり得るし、逆に、同じひとつの行動のバックに潜む動機もまた、十人十色のバリエーションがあり得る。だから、自分自身や他人の心を観察して、動機と言動とを結びつけようと思っても簡単ではない。ひどい時には、動機と行動とがまるで正反対のような見かけを呈することさえあり得るのだから。 さて、インターネット上をみていると、社会を糾弾するシュプレヒコールを繰り返している人達や、いわゆる“運動”を呼びかけている人の姿が散見される。彼らもまた、十人十色の様々な動機に基づいて、あれこれやっているのだろうとは思う。心から社会に変わって欲しいと思っている人や、自分自身の問題を少しでも解決に近づけたいと思っている人などは、動機と言動とを結びつけやすいかもしれない。彼らはきっと、議論や運動がソリューションへと繋がっ

    議論・運動を囲んでオクラホマミキサーを踊り続けたい人達 - シロクマの屑籠
    o_keke_nigel
    o_keke_nigel 2008/10/02
    「オクラホマミキサーを踊りたいだけの人達がいる」のはそうだろうけれど、でもそれって「イデオロギー暴露」ではあっても「イデオロギー批判」じゃないよね。じゃああなたはどう思うの、という問い自体は残る。
  • 「上から目線」という名の劣等感ゲーム - シロクマの屑籠

    「興味深い」と「上から目線」 - novtan別館(コメント欄も必見) 或る人が、 何か文章をネットで書いた ↓ 言及された ↓ 言及に対して「それは上からの目線ですね」と言及し返した。 というパターンはネット上のコミュニケーションでは結構みかける。「上から目線」という批判的なフレーズは、一時期の非モテ界隈あたりではよくみかけたものである。コメント欄でid:otsuneさんが書いている通り、「上から目線」というフレーズは、ほぼあらゆるタイプの言及に対して発生し得ることが既に観測されており、言及者の心的傾向や態度よりも、むしろ被言及者の心的傾向や態度いかんによって出現するか否かが決定づけられることはほぼ間違いない。 ある人が、「上から目線である」「対等な議論ではない」「メタの高みから見下ろしている」etcと表現をする時、その人は自分にコメントをつけた人と自分自身との間で落差なり傾斜なりを(少

    「上から目線」という名の劣等感ゲーム - シロクマの屑籠
    o_keke_nigel
    o_keke_nigel 2007/03/28
    「しかる後、「上からの目線ですね」と言わしめた言及者の心的傾向の検討に移るのが筋ではないだろうか。」…メタ言及(≒俯瞰)自体「上からの目線」といったところか。
  • ユキ合戦の果てに - シロクマの屑籠

    春のお彼岸だというのに、はてな村のどこかでは季節はずれの雪合戦が催されていたようです。めいめいが情念をギュッギュッと硬く圧し固めて、顔面狙って雪玉の投擲合戦。澄ました顔で雪玉の核に石をつめたり、汚物をふりかけている人もいるようですが、なぁにかえって免疫力がつく。 それにしても、ホーミングミサイルも真っ青の命中性能。みんな、ひとの顔を狙うのだけは上手なんだから。でも、雪玉をスルーするのは下手らしく、80%を越える確率でクリティカルヒットという有様です。ああ、そこのひとに派手な音をたてて雪玉が命中した!鼻骨が折れてドクドク鼻血を流しながらもさらに反撃。いつの間にか、「はてブ観覧席」のギャラリー達も一緒になって雪玉握りしめ、キャッキャウフフの大乱闘。歯をむき出しにしている御仁も多いようです。 もともと、今回のはてなロシアムの演目は僕の好みじゃなかったので観戦しないでおこうと思っていたわけですが

    ユキ合戦の果てに - シロクマの屑籠
    o_keke_nigel
    o_keke_nigel 2007/03/26
    「明日になれば皆ケロッと忘れて…」そうかこの話題は消費されるべきネタの一つでしかなかったのか。自分的には「異文化理解」の一環として「差別」の問題を考えていたから感じる違和感なのかもしれないが。
  • 狂気→自己中、というレッテルには容赦したくない - シロクマの屑籠

    久しぶりに、読んだ瞬間に怒りで血が沸騰しそうな文章に遭遇しちゃいました。 ヤンデレ萌えは対象愛じゃなくて自己愛じゃないのか - こころ世代のテンノーゲーム(コメント欄で私暴走) いや、すいません。ちょっと熱くなりすぎました。 しかしそれこそ、「娑婆世界のおハナシ」では、多数派であることが「正しさ」の根拠となりえ、少数派が「異常」と見下されることなど常なのではないですか? そして、孤立することが少数派の外的特徴であり、その外的特徴を「正しい」視点から客観記述すれば「自己中心的」だとされるのでは? ならばこそ、「狂気」=「異常」な精神のありようを「自己中心的」と表現しても、それほど強烈な非難を受ける理由にはあたらないように思えますが。 http://d.hatena.ne.jp/umeten/20070324/p2#c なるほど、umetenさんのコメントにおける「自己中心的」という単語のニュ

    狂気→自己中、というレッテルには容赦したくない - シロクマの屑籠
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