「応答責任」という言葉は、レヴィナスやデリダの名前と結びつけて語られるのがふつうですが、責任という言葉がresponsabiliteの翻訳語であり、その原語にrespons(応答)という言葉が含まれている以上、ヨーロッパ語圏の人々には、哲学的に洗練されていなかったとしても、責任といえば何かしら応答責任のニュアンスをもって理解されていたのだろうと想像されます。レヴイナスやデリダはその曖昧だったかもしれない伝統をラディカルに突きつめた、そう私は理解しています。 さてしかし、現代の日本でこの概念を用いて議論をしている代表的な論者として高橋哲哉が挙げられますので、以後、高橋の応答責任論についてのみ私が理解したところを述べます。なお、高橋自身は「応答責任」という四文字熟語を術語のように使っているわけではなく、「応答可能性としての責任」というような表現を用いていますが、ここでは「応答責任」の語と同じこ