歴史を語るということは自分の歴史観を語ることと同義である、と僕は考えています。 ところでその「歴史観」という言葉についてですが、「あの時のAの判断は正しかった/誤りだった」という価値判断のことだと考えられていたり、あるいは「Bはあった/なかった」という事実認定のことだと考えられていたりと、使う人によって意味が変わるため議論にズレが生じる、というのもよくある話。 それに対して僕が「歴史観の定義とは○○だ!お前らはみんな間違っている!」と主張しても、所詮は「自分定義」ですから、何の意味もありません。ただ、仮に「歴史観」という言葉の定義が上に例として挙げたようなものであるならば、歴史観なんて無い方が良いんじゃないの?とも思うわけで。 つまり「Aは正しい。Bは悪い」という価値判断を歴史学に持ち込むのであれば、それは戦前の皇国史観と同じものか、あるいはそれを裏返したものにしかなり得ません。また「あっ