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webと*__blog論:selectionに関するo_keke_nigelのブックマーク (3)

  • 日常の大喜利化、或いは、ネタ化という現実の中で|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    これは、はてな村のひとつの傾向としては共感できる。 ・はてなの大喜利化とはてな村ネタ地区 - 手記 そもそもぼく自身、村外のブログを使っていながらはてな界隈への言及をやめられないのも、ここがネタの宝庫だからかもしれない。だから、興味の持てる内容だと思えば村の方言を調べるに吝かではないし、それがたとえ釣りやネタの類だったとしても自分の興味と書き手の意図は無関係だと割り切っている。また、用語の成立というのは、必ずしもタイプミスや誤変換の親戚ばかりとは限らない。特定の文化圏でそれ以外の言葉では表現し難いニュアンスを持つに到るケースもあろう。それはあらゆる学問がテクニカルタームを生み続けているのと同じことである。 もちろん、だからといって「非モテ」を論じることに意味があるのか?…と問われれば、ある人にはあるがない人にはない、としか答えようがない。そして、意味なんてないと思う人が「非モテ」という用語

  • 日々カタログ。 : 「取り巻き」考

    「取り巻き」という言葉がある。日常でも使われるが,最近はブロガーを攻撃したり批判したりするときの言葉としても使われている。「信者」とも呼ばれることがあるが,「信者」はともかくも「取り巻き」はもともとネガティブな意味で用いられている。ブロガー人というよりも,ブロガーを擁護するコメンターなり他ブロガーに対して用いられる言葉で,それによって中心ブロガーも貶める。 「取り巻き」というと,往年の少女マンガか「スワンの涙」系ドラマ(喩えが古いよ)で,ヒロインに辛く当たるお嬢様の周りにいて「そーよそーよ」とか言っているイメージである。あの「そーよそーよ」の人達は,おそらく蔭でいろいろ言われているだろうが,「あからさまにはいじめられない」という小さなメリットは得ている。しかし,日常における取り巻きは何らかのメリットがあるだろうが,ブロガーを取り巻くことになんか意味があるのか? また,中心ブロガーもコメ

  • 理想のブロガーになるために”しない”こと - べにぢょのらぶこーる

    先日、肉欲企画のにくちゃんと、とある沖縄料理屋でゴーヤをつつきながら ブログについて熱く語り合っていたときにふと思ったこと。 にくちゃんは言いました。 「好きなブロガーが 『ブログなんてもんはしょせん自己満足だから』 なんていってるのを見ると がっかりする。」 「僕は思うんです!ブログは自己満足ではなく、自己実現なんじゃないかと・・・!」 おういえぁ! 少年よ、キミ藤原竜也みたいな顔してなかなかいいこと言うじゃない。抱け抱け。もっと抱け。 この”ブログとは自己実現”という考え方はとってもすばらすぃー♪と思うんだけど、 紅の発言ではないのでとりあえず今回はおいといて。 ブロガーにとって、大切な読者にがっかりされることは非常に遺憾。イカン。 とても悲しく、淋しいことです。 チラシの裏ではなく、こうしてWebで文章を書いている以上、 大概のブロガーは読者の存在を多少なりとも意識して書いているはず

    理想のブロガーになるために”しない”こと - べにぢょのらぶこーる
    o_keke_nigel
    o_keke_nigel 2007/03/29
    これをやっちゃあ(言っちゃあ)おしめえよ……ってやつなのかな。
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