范蠡は、奇策を用いて呉の大軍を撃破。越にその名を轟かせた。 そして以後、越王句践(こうせん)の軍師として、その辣腕を揮うこととなる……。 (詳しくは前回参照↓) www.chijoji.com 敗北……そして忍従の日々へ…… 檇李(すいり)の戦いで敗北した呉は、新国王・夫差(ふさ)の下、国力の充実と兵力の増強に専念していた……。 それを知った越王句践は、機先を制すべく呉に攻撃を仕掛けようとした。 だが、それに対し范蠡は異を唱えた。 「兵は凶器、戦は悪逆、争いは事の末といいます。好んで凶器を使い、身を事の末に用いるのは、天帝の禁じるところであって、先に犯したほうが不利です」 だが、檇李での勝利で意気揚がる句践は、この諫言を退け出兵。結果、大敗を喫してしまう……。句践は会稽山(かいけいざん、浙江省紹興市)において屈辱的な和議を結ばされるものの、命だけは許され越へと帰国する……。(詳しい顛末は、
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