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educationとuniversityに関するoptical_frogのブックマーク (36)

  • もどきの部屋 education, sociology, history

    一般にイメージしがちな「社会学入門」書とは毛色が異なるけれども,広く人文社会科学の布置のなかに社会学という「発想」が生まれきたった由縁を示し,具体的な社会学の課題に接する入口にまで招待する,というこのの構成は正しく「社会学入門」の書だといえるでしょう.これ,いいと思う.他の分野との位置関係で特定の学問分野の発想の独自性を理解させるほうが,学部一年生とかとっつきやすいと思う.方法論的個人主義/合理的主体モデルの社会科学(経済学とか)と対置される社会学の発想(第1部),社会学を胚胎した時代精神としてのモダニズムといった議論(第2部)を経由して「社会的に共有される意味・形式の可変性・多様性についての学問」としての社会学にいたる道筋(第3部).うまいですね.で,その「変容可能性」を予測し介入しようとする「工学的アプローチ」は社会学は苦手だと.将来の変化を予測するためには「同一不変と想定するしかな

  • sociologbook | 2010/08 部分的教育

    どうも社会学に何か人生の師匠的な期待をしている人がまだいるようだけど、まあ読者としてなら適当に過激なこと書いてくれてる方が面白いんだと思いますが、子どもたちを預かっているとそうも言えんのだこれが……昔からそうだと思うけど学生たちがどれくらい呪術的世界に住んでるか知ったらびっくりしまっせ。そういう世界で何かモノを教えるときに何がいちばん破壊力があるかって、それは普通に合理的な話がいちばんである。もう何度も書いてるけど少年犯罪は減ってるよって言っただけで教室がどよめくのだ(笑)。 いやしかし疑似科学やカルト集団に対する学生たちの免疫のなさ、あるいは悪い意味での寛容さを知ったらほんま驚くでしかし。 まあ呪術的っていうのは大袈裟だけど、ちょっと話変わるかもしれませんが、なんか学生たちと教員との間には「親密性の壁」みたいなものが分厚く存在しているような気がする。親密性というか「人間関係への縮減」

  • ハーバード白熱教室は日本で可能か?(後編) - Cerebral secreta: 某科学史家の冒言録

    先々週のエントリーで、NHKで放映されたマイケル・サンデルのハーバードにおける授業について、それがハーバードの一般教養の授業として実際にどのように実施されているのかについて、放映された部分だけでは分からない、大学院生らのTAによるディスカッション・セクションや、きめ細かい指導があることについて書いた。*1先週のエントリーでは、そのような一般教養の授業のやり方をそのままハーバードから日の大学に持ち込むことが極めて困難であろうということについて書いた。*2 このエントリーで考えたいのは、次の点だ。たとえ、ハーバードでの教育システムをそのまま日に持ち込むことができないとしても、ハーバードで達成されている成果をある程度上げるような、日における一般教養教育の仕組みを考えることは可能ではないか。そこで、もし可能であるとすれば、そのためには一体どのようなことができるだろうかについて考えてみたい。

  • ハーバード白熱教室は日本で可能か?(前編) - Cerebral secreta: 某科学史家の冒言録

    先週書いたエントリー、「『ハーバード白熱教室』の裏側』*1で、テレビで放映されたマイケル・サンデルの授業は、実際のハーバードの授業のうわべにすぎず、あの授業を含むハーバードの一般教養の授業には、多くのリーディング・アサインメントが課され、多数のTF(日でいうところのTA、ティーチング・アシスタント)が配置されて、少人数性のディスカッション・セクションが並行して行われ、ディスカッションや、ペ―パー、筆記試験によるきめ細かい指導と、成績評価がなされていることについて書いた。これに対する反響で多かったのは、日の大学ではあのような授業は可能かどうか、という事に関するものだった。とくに、日ではとても無理、という悲観的な反応が多かった。*2これに対して何らかのの形で答える必要があると思うので、日曜日の午後を利用して、一つエントリーを書いてみる。 『ハーバード白熱教室』は日で可能か?結論から書く

  • 『ハーバード白熱教室』の裏側:ハーバードの一般教養の授業をサンデルの講義を例にして説明してみる - Cerebral secreta: 某科学史家の冒言録

    ハーバード大学におけるマイケル・サンデル(Michael Sandel)の授業が、『ハーバード白熱教室』としてNHKで放映され*1、かなりの人気を集めて話題になっているようだ。これはすべて再放送を待つまでもなく、ウェブ上で観ることができる(ただし英語だが)。*2 ちょうどいいので、これを使って、ハーバードの学部向け一般教養の授業の作りを説明してみようと思う。色々誤解もあるようであるし、あの映像だけでは分からないこともある。 私自身は、サンデルの授業を履修したことはないのだが、大学院生のときに、一般教養の授業のTAやHead TAをかなりやったので(といってもサンデルの授業ではもちろんなく、私の専門の科学史やSTS関係の授業である)、ハーバードの一般教養の授業の仕組みはかなり分かっているほうだと思う。とくに、日人のハーバードの学部生というのがほとんどいないわけであるし、私が説明するのもまっ

    optical_frog
    optical_frog 2010/07/25
    もちろんそれだけの人件費もかけてるわけですよね――
  • Société - Actualités, vidéos et infos en direct

    Piratage de la campagne de Donald Trump : trois Iraniens inculpés aux Etats-Unis Comment les accusations de trafic sexuel contre P. Diddy sont instrumentalisées dans l’élection présidentielle américaine

    Société - Actualités, vidéos et infos en direct
  • 人文系大学院での教育について - Cerebral secreta: 某科学史家の冒言録

    この点についてこのところ考えているのだが、次の2点が基的な考え。 第一に、人文系大学院では、もはや自由放任型教育ではだめで、よく考えられたカリキュラムのもとにシステマティックなハード・トレーニングを行わなければならない。それは、教員のカリスマ性によるものではなく、グループとしてのカルチャーと同時に、明示的なノウハウを継承、発展させていくものでなければならない。 それによって、抜群に優れた教師が、抜群に優れた弟子を育てるのではなく、両者ともそこそこであっても、伝統の力によって、それなりに有意義な研究と教育を続けられる仕組みをつくることが必要だと思うのである。その前提は、人文系の学問にはもうあまり良い人材はこないかもしれない、ということが一方にあるが、たとえ優れた人が来るとしても、システマティックに伝統を継承していくことが長期的には大きな差になるのはないかとも思われるからである。 明示的なノ

  • PHD Comics: Contes de la route: Equal Opportunity

  • 社会政策・労働問題研究の歴史分析、メモ帳 松井慎一郎『河合栄治郎』に思うこと(2):学生自治の崩壊について

    社会政策・労働問題研究について歴史的なアプローチで研究しています。ここではそのアイディアやご迷惑にならない範囲で身近な方をご紹介したいと考えています。 学生自治が衰退したとしても、自分達の不勉強を糊塗するために試験を中止させるがごとき不逞の輩がいなくなるのは結構なことである。実際、その政治的立場を問わず、学生運動における政治活動はそれ自体がフーコー的な意味で真に権力的であった。この場合、私が使うフーコー的意味での権力とはすなわち暴力である。看板に大学当局やときの政権、あるいはアメリカ帝国などを名指しして権力打倒を掲げていても、所詮、自分達の言説が一部にでも受け入れられるのは、社会が大学に対して自治原則を容認しているという事実を担保にしたからに過ぎない。それでも自分達が気で使命感に燃えて運動をしている限りは、たとえ権力的であろうと、まだ救いようがあると思うが、人間の営みというのはおそらく必

  • 東京工芸大学で講師がボイコット!「このクラスではもう授業出来ない」|ガジェット通信 GetNews

    ゲームクリエイターであり、東京工芸大学の講師でもある飯田和敏氏。代表作として『アクアノートの休日』(プレイステーション)、『太陽のしっぽ』(プレイステーション)、『巨人のドシン』(64DD)、『ディシプリン』(Wiiウェア)などを世に出してきた飯田氏は、知る人ぞ知る天才ゲームクリエイターなのだ。 飯田氏は温厚な性格をしていつつも、内に秘める情熱はマグマのように熱いことで知られている。そんな飯田氏が、東京工芸大学の授業中にブチギレしたという。東京工芸大学には授業を無期限で中止すると伝えたようだ。 飯田氏がブチギレした経緯の詳細は不明だが、「眠いのは生理だ。ある程度は仕方がないと容認してきた。ただ昨日の件があり僕はもう厚木(東京工芸大学)には行くことが出来なくなった。意欲がある学生には申し訳ないが僕にも生理がある。僕はもう挫けた。どうするべきか自分で考え行動してくれ。それを最後の課題とする」と

    東京工芸大学で講師がボイコット!「このクラスではもう授業出来ない」|ガジェット通信 GetNews
    optical_frog
    optical_frog 2009/11/15
    中学校で1度あったっけ.「わしはもうしらん!」→教師,叱って職員室に帰る→生徒,謝罪の代表団を送る→教師(さくせんどおり…!)
  • Twitterによる大学授業ノートプロジェクト sfcnoteと敬和で使うハッシュタグ - ICHINOHE Blog

    ICHINOHE Blog 独自ドメインのWPブログに移転しましたので、最新記事は移転先をご覧ください。。 ICHINOHE Blog 新潟県新発田市の敬和学園大学から。サイバー法、アジア文化、ネットワーク社会、その他個人的思い入れまで。 授業でハッシュタグを使う試みは、前期から@taromatsumura さんや僕が、いくつかの実験をしてみていたのだが、慶応SFCでは学生プロジェクトとして、Twitterによる大学授業ノートプロジェクトが始まったようだ。こういうプロジェクトを学生たちが起こしてしまうというのが、SFCという磁場の強さということなのだろう。 リンク: Geekなぺーじ : Twitterで大学授業ノートプロジェクト sfcnote が斬新過ぎる. sfcnoteは、SFC(慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス)の教室を舞台としつつ、Twitter上で議論を活発化させ、さらには授業

    Twitterによる大学授業ノートプロジェクト sfcnoteと敬和で使うハッシュタグ - ICHINOHE Blog
  • 米大学生の間で「頭の良くなる薬」が流行、将来は試験前にドーピング検査?

    大学修学能力試験を受ける韓国の学生たち(2008年11月13日撮影、文とは関係ありません)。(c)AFP/JUNG YEON-JE 【10月3日 AFP】徹夜で勉強しやすくなり、記憶力が高まり、覚えたことを試験の番で思い出しやすくなるといった、いわゆる「頭の良くなる薬」が米国の大学生の間で人気だ。この種の薬を服用する学生が急増していることから、将来、大学側は試験前に「ドーピング検査」を実施せざるを得なくなるかもしれない――1日発行の医学倫理問題をテーマにした専門誌「Journal of Medical Ethics」に、こうした「アカデミック・ドーピング」の可能性を指摘する研究論文が掲載された。 論文を執筆したのはシドニー大学(University of Sydney)の心理学者ビンス・カキック(Vince Cakic)氏。同氏によると、全米の大学を対象に調査したところ、全学生の4分の

    米大学生の間で「頭の良くなる薬」が流行、将来は試験前にドーピング検査?
  • 竹内洋『大学・インテリ・教養』:第4回「ジャパニーズ・ドリームとその帰趨:教養難民の系譜(4)」

    アメリカン・ドリーム ジャパニーズ・ドリームは、アメリカン・ドリームという用語を借用してのネーミングである。アメリカン・ドリームは、誰でも、自らの人生をどのようにでも作る自由を、生まれながらに持っていることを前提にしている。これは、明治以後の日社会において、努力と能力によって誰でも立身出世できるというフォークロアと同じである。そこで、このフォークロアを、アメリカン・ドリームとならべてジャパニーズ・ドリームと呼んだのである。 アメリカン・ドリームとジャパニーズ・ドリームがちがってくるのは、アメリカにおける「サクセス」(成功)のゴールは何であったか、日における「立身出世」のゴールは何であったかのちがいにかかわってくる。アメリカン・ドリームは「ぼろ着物から富豪まで」(rags to riches)といわれたように、端的に金銭的成功(monetary success)が目指された。アイル

  • 大学 ・ インテリ ・ 教養 NTT出版Webマガジン -Web nttpub-

    知識階級就職難 『中央公論』昭和4年(1929)3月号に、「就職難と知識階級の高速度的没落」という刺激的な題名の論文があらわれた。評論家大宅壮一(1900 〜 70)が執筆者である。 論文は、昭和3年の調査結果からはじまっている。所深川近辺で働いている自由労務者約4,000人を東京市社会局が調査したところ、そのなかに中等学校中退以上の学歴の者が516人、つまり13%もいた事実から論文ははじまっている。自由労務者は従来であれば、ほとんどが「無学者の群」だったのが、自由労務者に「これだけの知識階級が最近流れ込んで来た」ことはきわめて重要な事実であるとして、知識階級就職難と知識階級の没落が論じられている。 前回にふれたように高学歴ワーキングプア問題は、明治のおわりから高等遊民問題として論じられたが、昭和になると、知識階級就職難や知識階級没落論として論じられるようになった。知識階級とい

  • 竹内洋『大学・インテリ・教養』:第2回「高等遊民と危険思想:教養難民の系譜(2)」

    前回、現代の教養難民問題である近年の高学歴ワーキングプア問題についてふれた。わたしの大学院生時代には教養難民はそれほど目立ってはいなかったが、いまからみれば、近代日における高学歴者問題の小春日和の時期だったからである。歴史的にみると、高学歴ワーキングプア問題は、いまにはじまったことではない。すでに何回も経験しているのである。そのはじまりが、明治40年代の高等遊民問題である。 漱石と高等遊民 高等遊民という言葉は、夏目漱石によるものとおもう人がいる。おそらく芥川龍之介の『侏儒の言葉』に「露悪家」「月並み」などとならべて、「高等遊民」も「夏目先生から始まってゐる」とあることによっているだろう。 たしかに高等遊民という言葉に独自の意味を充填したのは夏目漱石である。漱石の造形した高等遊民像は『それから』の長井代助に体現されるような人間像である。「パンに関係した経験は、切実かも知れないが

  • エラー|【早稲田塾】大学受験予備校・人財育成

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  • 第一回 教養難民の系譜(1) - 大学 ・ インテリ ・ 教養 NTT出版Webマガジン -Web nttpub-

    大学院生が急増して、行き場がなくなっている。大学院(博士)ワーキングプアについて最近はよく知られるようになった。京都大学では、判明分のオーバードクター(博士の学位をもつか博士課程の単位取得者で定職のない者)だけで1,000人を超えている。だから最近の大学教員の公募では、1名採用のポストに50人の応募者はざら。100人を超えるのも珍しくない。大概の応募者は不採用になるから、非常勤講師をたくさんやって、生活するしかない。ところが非常勤講師手当は週1コマの授業で2万5,000円前後(月収)といったところが相場。7コマ以上やってやっといつないでいるという話もよくきく。その非常勤ポストも1年契約だから不安定極まりない。かりに運よくアカデミックポストを得ても数年の任期制で、任期が終わればまた元の木阿弥になってしまう。派遣切りの大学教員版である。 それもこれも1990年にはじまった大学院重点化のつけで

    optical_frog
    optical_frog 2009/05/30
    (竹内洋)
  • 大「脳」洋航海記 » Blog Archive » 議論は果てしなく:大学は学問の府なのか、それとも学歴ブランディング機関なのか

    http://www.mumumu.org/~viking/blog-wp/?feed=rss2p=2621 http://www.mumumu.org/~viking/blog-wp/?p=2620 http://www.mumumu.org/~viking/blog-wp/?p=2620#comments Thu, 26 Mar 2009 23:56:50 +0900 viking headlines http://www.mumumu.org/~viking/blog-wp/?p=2620 http://www.mumumu.org/~viking/blog-wp/?feed=rss2p=2620 http://www.mumumu.org/~viking/blog-wp/?p=2619 http://www.mumumu.org/~viking/blog-wp/?p=2619#co

  • やる気のない生徒に教えるということは真面目に考える必要はないんじゃない? - 発声練習

    「分かりやすい教え方」の技術のコメント欄でakatori777さんから頂いたお題。議論は大好きですのでakatori777さんがよろしければ議論を続けて見たいと思います。レスポンスは遅くなるかもしれませんが、よろしければお付き合いください。 議論のスタートとしましては、私とakatori777さんの二人が何について議論するのかをまず明確にし、その上で、二人の認識や意見の違いが明らかにすることが、とりあえずの議論のゴールとして良いのではないかと思います。 経緯は以下のとおり。まず、akatori777さん曰く はじめまして。 そもそもやる気のない生徒に教えるということ自体が途方も無いリソースの無駄遣いという考え方はありませんか? 私のコメント ですので、このエントリーでは > このの定義する「先生」ならば、このを必ず読んで、このに書かれてあることを心がけたほうが良い。 > 一方で、「生

    やる気のない生徒に教えるということは真面目に考える必要はないんじゃない? - 発声練習