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sfとtranslationに関するoptical_frogのブックマーク (18)

  • ベスター:回想 1 - P.E.S.

    アルフレッド・ベスターの短篇・エッセイ集"redemolished"というのがあるんですが、これにベスターが1975年に書いた自分のSF史の回想"My Affair with Science Fiction"が載っています。結構長文ですが、興味深いので訳してみる事にしました。ただし31ページもあって長いので複数回に分けます。それから、この時期のベスターは雑誌編集者としてSFからほぼ離れていた60年代が過ぎた後、雑誌の廃刊によりSFにまた戻ってきた時期で、ちょっと寂しい感じがあります。今回の分の最後の箇所などは、なんかちょっと悲哀を感じます。 誤訳やタイポなどはないように気をつけていますが、もし何か見つけられましたらいつものようにコメント欄にお願いします。 マイ・アフェア・ウィズ・サイエンスフィクション アルフレッド・ベスター 一部のサイエンスクション読者が、私のプライベートライフについて何

    ベスター:回想 1 - P.E.S.
  • 我はアシモフ:29.シオドア・スタージョン - P.E.S.

    というわけで、今日2目の「我はアシモフ」、スタージョンの巻、です。 29.シオドア・スタージョン 1918年に生まれたシオドア・スタージョンの、もともとの名前はエドワード・ハミルトン・ウォルドー(Edward Hamilton Waldo)だった。しかし彼はその継父の名前を受け継ぐことにしたのだった。フレッド・ポール、ジャック・ウィリアムスン、レスター・デル・レイ、そしてその他と同じように、テッド(Ted)*1は難しい少年時代を過ごし、わずかの教育しか受けなかった。(わずかな教育は、もっと普通の職業に就くことを難しくする事で、執筆に人を向かわせたりでもするのだろうか?) テッドは、最終的にサイエンスフィクションの執筆に取り組むようになるまで職を転々としていた。彼の最初の物語はASFの1939年9月号「高額保険 (Ether Breathers)」だった。これはハインラインの最初の作品の一

    我はアシモフ:29.シオドア・スタージョン - P.E.S.
  • 我はアシモフ:24.ロバート・アンスン・ハインライン - P.E.S.

    こんばんわ。水をかけたらマザーボードが壊れたThinkpad X40のLCDと、安く売られていたX41のマザーを組み合わせて、指紋読み取りセンサーがついているのにLCD下にはX40と刻まれているMy Thinkpad X40.5を最近作ったOkemosです。CPUはどっちもPenMの1.5なんですが、やはりなんとなく元のX40 よりX40.5の方が挙動が早い気がするなぁ。 さて、クラークについてのセクションの翻訳以来4ヶ月もたってますが、久しぶりの「我はアシモフ」の翻訳です。正直な話、経済関係のクルーグマンの翻訳などと比べると、「我はアシモフ」の翻訳はぜんぜん反応がありませんが*1、あれで翻訳がストップするとまるで俺がクラーク好きのように一部の人に捉えられかねない事が気になって夜も寝れませんので、誰も求めてないかもしれませんがハインラインについてのセクションを訳しておきます。実はSF界のビ

    我はアシモフ:24.ロバート・アンスン・ハインライン - P.E.S.
    optical_frog
    optical_frog 2009/11/23
    脚注が語る,語る,語る.
  • 39.NAES - P.E.S.

    1992年に亡くなったアイザック・アシモフの最後の自伝的エッセイ、"I.Asimov: A Memoir" (1994)の第39セクション「NAES」の翻訳です。 このセクションは、アメリカSF史において有名なアシモフ、ハインライン、ディ・キャンプが海軍の研究機関で一緒に働いていた時のエピソードです。といってもこのセクションでは、アシモフな個人的な事についてだけで、3人の間で何があったとか、そういうエピソードは出てきませんが。第38セクションは「義理の家族」で、つまり奥さんとなったガートルードの家族についてなので飛ばしますね。 ところで、昨日、とある女の子を誘って映画に行って、晩飯をってきました。彼女とどこかに行くのはこれは3回目で、何ヶ月か前に彼女が別れたと聞いてましたので、結構期待していたのですが、新しい彼女*1出来たことを聞かされてしまった。ああ、もう、こんなのばっかり!というわけ

    39.NAES - P.E.S.
    optical_frog
    optical_frog 2009/06/27
    毎度おつかれさまでふ.|id:okemosさんのイドは百合を欲しているのですよ,ふふ・・・
  • 30.大学院 - P.E.S.

    1992年に亡くなったアイザック・アシモフの最後の自伝的エッセイ、"I.Asimov: A Memoir" (1994)の第30セクション「大学院」の翻訳です。 22から飛んで、30です。この間のセクションは、ジョン・キャンベル Jr、ハインライン、スプレイグ・ディ・キャンプ、クリフォード・シマック、ジャック・ウィリアムソン、レスター・デル・レイ、セオドア・スタージョンについてという贅沢なアシモフの思い出話のセクションなんですが、飛ばします*1。なんといいましてもこの翻訳は、非モテ・非コミュのロールモデルとしてのアシモフがメインなので。 このセクション、全体としては、「ダメ院生ども、あつまれ!」とかねねねさんに(雪野五月さんボイスで)怒鳴ってもらいたい感じで、いいですねぇ。ダメ院生だった自分としては泣けます。でも、そんな中でもアシモフは負けないんだなぁ。見習おう。 30.大学院 しかし、1

    30.大学院 - P.E.S.
    optical_frog
    optical_frog 2009/05/18
    最後のパラグラフあたり,「これはアシモフせんせい一流の(わかりにくい)ジョークなのかしら,それとも…」と思いつつ読みました.|了解です > id:okemosさん
  • 18.フューチャリアン - P.E.S.

    1992年に亡くなったアイザック・アシモフの最後の自伝的エッセイ、"I.Asimov: A Memoir" (1994)の第18セクション「フューチャリアン」の翻訳です。 フューチャリン、というは1930年代に出来た有名なSFファンクラブの名前です。このセクションはそのフューチャリアンへのアシモフの入会のエピソードでり、そしてアシモフによる友情についてです。あるいは、魂の出会い!、とでもいうか。このセクションを読んでアシモフに、お前ははてな非モテブロガーか!と感じられる方もいるかと思います(え、いない?俺はちょっと思いましたよ)。なんかアシモフの友情観のわざわざの表明も、そしてそのバックにある彼の対人関係もちょっと歪んでるなぁと、俺は感じました。そのアシモフによる歪みの表明への感謝がこの翻訳の理由の一つです。そしてこのセクションは、アシモフの対人関係についての大きな変化の始まりについてで

    18.フューチャリアン - P.E.S.
  • 17.失敗 - P.E.S.

    1992年に亡くなったアイザック・アシモフの最後の自伝的エッセイ、"I.Asimov: A Memoir" (1994)の第17セクション「失敗」の翻訳です。 大学時代です。アシモフの神童はさらにしぼんで行きます。暗いです。暗黒面がちょっとのぞきます。でもそれよりさらに、アシモフの非コミュで、世渡りがダメなところが出てきます。読んでるとアシモフは現代日に生まれなくて、ほんとよかったなぁと思います。もし生まれてたら、まじ引きこもりになってたのではないでしょうか。 でも、同時にこういうセクションは好きです。アシモフは自慢屋だとか、思い上がってるとか言われるらしいですが(セクション1参照)、なんでなのかわからないなぁ。アシモフは自分のダメなところについても非常に正直な人だと思うのですが。 17.失敗 私はコロンビア・カレッジに進学するつもりでいた。コロンビア大学(コロンビア・ユニバーシティ)の

    17.失敗 - P.E.S.
  • 16.屈辱 - P.E.S.

    1992年に亡くなったアイザック・アシモフの最後の自伝的エッセイ、"I.Asimov: A Memoir" (1994)の第16セクション「屈辱」の翻訳です。 アシモフの高校時代、そして神童時代の終わりの始まりです。そのせいでアシモフ、暗黒面に落ちていってます笑。とはいえ、アシモフは12歳で高校に入ってますから、十分すごいんですけどね。 それから後一言、このセクションは経済学徒としましては、意外な発見でした。クルーグマンもこのI.Asimovは読んでいたと思いますが、まさか心理歴史学の創造主が、ねぇ、ということで。 追記:「文学的」の間違いのところ、一部変更しました。 16.屈辱 私が自分の事を子供の頃からずっと、すごい人間だとずっと考えてきたこと、そしてその見解を変えたことは一度もないという事はすでに説明した。誰もがそう考えたわけではない、という事は述べておく必要があるかな? 私の欠点、

    16.屈辱 - P.E.S.
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    optical_frog 2009/05/09
    ああああ,アシモフせんせい…ッ
  • 15. 書き始める - P.E.S.

    1992年に亡くなったアイザック・アシモフの最後の自伝的エッセイ、"I.Asimov: A Memoir" (1994)の第15セクション「書き始める」の翻訳です。 ついにアシモフが書き始めました。生涯500冊を目指して好ダッシュ!と思いきやという、まだまだ発展途上なアシモフ君11歳でした。しかし、俺も昔作家を目指したことはあったのだけど...全然書かなかったなぁ。やっぱりほんとになる人は、ずっと書いているのだね。 15:書き始める 1931年、11歳の時に私は文章を書き始めた。サイエンス・フィクションを書こうとしたわけではなくて、もっとずっと素朴なものに取り組んだのだ。 パルプフィクションの時代の前に、「ダイム・ノベル」の時代があった*1。私はその時代のまさに終わりの頃を目撃している。私の父が最初のキャンディーストアーを買った時、父はニック・カーター、フランク・メリウェル、そしてディック

    15. 書き始める - P.E.S.
    optical_frog
    optical_frog 2009/05/08
    "Know your ending, I say, or the river of your story may finally sink into the desert sands and never reach the sea."|love interest は「思いを寄せる人物/恋愛対象/恋愛のテーマ」ですね(新英和大辞典).
  • 14.サイエンス・フィクション - P.E.S.

    1992年に亡くなったアイザック・アシモフの最後の自伝的エッセイ、"I.Asimov: A Memoir" (1994)の第14セクション「サイエンス・フィクション」の翻訳です。 この前の「パルプフィクション」の続き、「サイエンス・フィクション」です。が、あんまりSFの話をせずに、パルプフィクションから脱線して現代社会(1990年ごろ)の問題へと。気持ちはわかるけど、ちょっと残念。まあとにかく、ここのところアシモフ自身の話から少しばかり離れてますが、また次のセクションからもうちょっとプライベートな話へと、そしてアシモフの not so 神童時代へと... 14. サイエンス・フィクション パルプフィクションのジャンルの一つが、「サイエンス・フィクション」であった--もっとも小さくて、一番下に見られていたジャンルだ。これはアメージング・ストーリーズという形でパルプフィクションの世界に登場した

    14.サイエンス・フィクション - P.E.S.
    optical_frog
    optical_frog 2009/05/06
    中学時代に読んだ玉石石石石石混交のラノベのなかに尻Pがいた(ただの思い出)|ところで原書が届いてびっくり.すごい分厚いんですね.てっきり小冊子みたいなのかと思ってた.
  • 13. パルプフィクション - P.E.S.

    1992年に亡くなったアイザック・アシモフの最後の自伝的エッセイ、"I.Asimov: A Memoir" (1994)の第13セクション「パルプフィクション」の翻訳です。 ここと次のセクションはアシモフのフィクションについての読書傾向のお話で、第二次世界大戦前のアメリカのジャンクフィクションについての事です。海外SFファンとしては、この辺りの事はなじみのある楽しい話なんですが、正直SFに興味のない人が面白いと感じてくれるのかどうかはちょっと不安です。でも、もしよかったら読んでみてください。 13.パルプフィクション 1920年代と1930年代には、テレビはなかった。コミックブックすらほとんど存在しなかったのだ。(確かに、ラジオはあった。そしてAmos'n'Andyといったプログラムは、一時は国民的な番組であった。)しかし全体的に、頭のジャンクフードのための環境的ニッチは、「パルプ雑誌」に

    13. パルプフィクション - P.E.S.
  • 12. 長時間労働 - P.E.S.

    1992年に亡くなったアイザック・アシモフの最後の自伝的エッセイ、"I.Asimov: A Memoir" (1994)の第12セクション「長時間労働」の翻訳です。 いかにも仕事中毒のアシモフらしいセクションですね。英語版Wikiのアシモフの項によると、アシモフは1992年までの72年の人生*1で500冊以上のを執筆・編集し、9000以上の手紙とはがきを書いていて、書籍についてのデューイ十進分類の10項目で彼のがないのは哲学・心理学の一項目だけだそうです。(追記:付け加えると、ボストン大学で化学の准教授もやってました。この翻訳を行うことにした理由の一つは、院を出た後の就職問題への共感でもありましたので(アシモフも苦労したのですよ)、翻訳は大体その頃のセクションまで続けるつもりです。) ところでこのセクションを読んでいると、俺もがんばってもっと働こう!と思うのですが、同時に、でも日で長

    12. 長時間労働 - P.E.S.
  • 我はアシモフ:10.学校 - P.E.S.

    1992年に亡くなったアイザック・アシモフの最後の自伝的エッセイ、"I.Asimov: A Memoir" (1994)の第10セクション「学校」の翻訳です。 アシモフがまだ神童だった頃の、いかにもアシモフ的エピソードです笑。 我はアシモフ:10.学校 学校は好きだった。教えてもらったことで難しい事は何もなかった。少なくとも小学校と中学校ではそうだった。全部が簡単で、私は優秀だった--そして私は優秀である事をひけらかすのが大好きだったのだ。 勿論、問題もあった。いつだって問題はある。クラスメートには全然人気がなかったことは置いておいても、ほとんどの教師からも気に入られてはいなかったのだ。クラスの中で私こそがもっとも頭のよい子供であるという避けがたい事実(そしてまたもっとも若くもあった)にもかかわらず、私はまたもっとも行いの悪い生徒でもあったのだ。注意しておくが、「行いの悪い」の基準が60年

    我はアシモフ:10.学校 - P.E.S.
    optical_frog
    optical_frog 2009/05/01
    (少し萌えた:「彼女は私を飛び級させたのだが、私はクラスを出る時、私は先生がいいと泣いてしまった。」)|フヒヒッ(豚)
  • 我はアシモフ:9. 本の虫 - P.E.S.

    1992年に亡くなったアイザック・アシモフの最後の自伝的エッセイ、"I.Asimov: A Memoir" (1994)の第9セクション「の虫」の翻訳です。翻訳してみて改めて思いましたが、俺はこのセクションに共感できる人向けに翻訳しています。 9.の虫 すべての状況が私を若者としては普通ではない人生へと向かわせていた--「普通ではない」というのは、勿論、近所にいた平均的な若者達の平均的な生活と比べた場合だけのことだが。私にとっては、それは「普通ではない」ということではなかった。それはまさに望みどおりのものだった。と一緒にいた私は、他の子供達を哀れに思っていた。 注意しておくが、私は完全に孤独に隔絶していたわけではない。私は人嫌いではないし、スーパーシャイな「孤独な人間」でもない。私は実際、非常に外向的な人間なのだ(と人から言われている)。声は大きいし、騒がしいし、おしゃべりだし、よく

    我はアシモフ:9. 本の虫 - P.E.S.
  • 我はアシモフ:8.図書館 - P.E.S.

    1992年に亡くなったアイザック・アシモフの最後の自伝的エッセイ、"I.Asimov: A Memoir" (1994)の第8セクション「図書館」の翻訳です。 いきなりセクション8です。まあ、大体このセクション辺りを読んでいた時に、訳そうという気になりましたので。こことあとセクション9の「の虫」とか、俺はえらい共感してしましました。(それからダメ大学院生だった話と、院を出てからの就職活動の話とか笑)。 我はアシモフ:8.図書館 一旦読めるようになると私の読書力はどんどん向上していったので、深刻な問題が起こってしまった。読むものがなくなったのだ。学校の教科書は数日しか持たなかった。学期の最初の週にはすべてを読んでしまって、その後の学期の半年間ぶんの教育が済んでしまった。教師には私に教えるものは特になにもなかった。 私が6歳の時、私の父がキャンディーストアーを購入した。そのキャンディーストア

    我はアシモフ:8.図書館 - P.E.S.
  • 我はアシモフ:1.神童だった? - P.E.S.

    我はアシモフ:1. 神童だった? 私は1920年1月2日にロシアにて生まれた。しかし私の両親は移民し、1923年2月23日に合衆国にたどり着いた。つまり、私は3歳の時以来、環境的にアメリカ人であったということだ(そして、5年後の1928年9月、法的にも市民権を得てそうなった)。 私はロシアでの幼児時代の事を事実上なにも覚えていない。ロシア語は話せないし、ロシア文化についても(知的なアメリカ人なら知っているだろう事以上には)馴染みがない。私は、育ちとそして感覚的に、完全にまったくもってアメリカ人なのだ。 しかしもし私が3歳の時、そしてそれからすぐの時の私の事について語ろうとすると、なにしろ私はその頃の事をちゃんと覚えているのだが、いつだって私は人様から「うぬぼれている」とか、「自慢したがり」だとか、「思い上がっている」だとかの非難を受けてしまう。もうすこしドラマチックな表現をする人だと、私は

    我はアシモフ:1.神童だった? - P.E.S.
    optical_frog
    optical_frog 2009/04/28
    早川は翻訳権をとって okemosさんに全部訳してもらうべき.
  • 我はアシモフ:イントロダクション - P.E.S.

    えー、だれかこれを読んでくれる人がいるのかどうかもよく分かりませんが、こんにちはです。なんか仕事が忙しくなると、ブログを書いている時間も精神的余裕も無くなってしまいますね。正直、このまま止めちゃおうかと思ってたんですが、ようやく仕事がひと段落ついた時に行ってみた丸善にてアイザク・アシモフの自伝、あるいは自伝的エッセイのI.Asimov(アマゾンリンク)が売られていまして、買って読んでみたら気が変わりました。これは、訳さなあかんと!とか思っていたら、さらにSFマガジン6月号に石和義之さんによるアシモフ論が載ってるし。これは天が俺に訳せと命じているのだあぁ!とかなんとか。 この、ずっと以前にも買っていて、部分的に読んでアシモフの事が好きになったんですが、今回改めて読み直してみて、これは非モテ・非コミュにとってのロールモデルのではないか!と感じてしまいました。このは全166の各トピックごと

    我はアシモフ:イントロダクション - P.E.S.
    optical_frog
    optical_frog 2009/04/28
    Σうおぅ!|紹介されてた原書買いましたです.|id:okemosさん,お久しぶりです-.まだ届いてませんが,アマゾンでぽちっとやりました.まあこの,アレではありますが翻訳のつづき待ってます(^^
  • クルーグマン:恒星系間貿易の理論 - P.E.S.

    このブログのタイトルは、政治(Politics)、経済学(Economics)、そしてSF(Science Fiction)という、おれの興味のある分野のそれぞれの頭文字から取ってるのですが、残念ながらプロフィールにも書いたように、これまでSFについて書くことはあまりありませんでした。それなのに、ついに経済学SFタグを同時に使える日が来ようとは!クルーグマン、ありがとう! というわけで、またまたクルーグマンの論文、それも彼の専門の貿易分野についてのものです。かなり前から訳そう訳そうと思っていながらぐずぐずしていたのですが、もうそろそろ忙しくなりそうなのでその前に訳してすっきりしておくことにしました。そもそもこれを訳そうと思ったのはこれが国際貿易ではなくて恒星系間、つまり異なる太陽系間での貿易についての論文だからです。この手のものではアシモフのチオチモリンが有名ですが、論文の形式についてだ

    クルーグマン:恒星系間貿易の理論 - P.E.S.
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