【赤田康和】出版取次会社で業界3位の大阪屋(本社・大阪市)に対し、ネット通販大手の楽天と、大手出版社の講談社、小学館、集英社と、大日本印刷が出資を検討していることが4日、わかった。 大阪屋の実施する第三者割当増資を、楽天を中心に引き受ける方向で調整している。出版不況が続くなか、大阪屋は東京支社の自社ビルを売却するなど経営の立て直しを急いでいる。楽天の物流システムを活用することで、注文品の書店への配送をより速くするなどの狙いがある。 楽天は、全国の書店約2千軒と取引がある大阪屋と組むことで読書好きの顧客との接点を増やし、ネット書店大手の米アマゾンに対抗するのが狙いだ。自社の専用端末コボを書店で販売することなどを検討する見通しだ。出版界の中枢でもある出版取次業にIT企業が本格参入するのは過去に例がないという。
古書店街として知られる東京・千代田区神田神保町に28日、SFや音楽など専門分野を持つ全国の40店舗が出店した古書店モールがオープンした。 運営会社の社長、河野真さん(57)は「読みたい人が、読みたい本に出会える場所になれば」と話している。 この店は「スーパー源氏神保町店」。河野さんは約360の古書店が加盟する古書のネット通販サイトを運営しており、今回、実際の店舗として開店した。 河野さんによると、古書についてもインターネット上で様々な情報が簡単に入手できるようになっており、近年、古書店数は減少傾向にあるという。ただ、専門分野を持つ店の人気は根強く、希少な本を分野別にそろえた専門店を開くことで、本好きのニーズに応えることにした。 店内には絶版本も含め、国内外のSF、ミステリー小説や音楽、演劇、精神世界など、出店した各店が得意とする分野の古書のほか、作家・井上ひさしさんの草稿など、直筆の原稿用
学校の図書室の蔵書を3年半で約3000冊(550万円相当)を、中古書店に転売していたとして、新潟市教育委員会は30日、市立小須戸中学校に勤務していた元図書室司書の40歳代の女性を、窃盗の疑いで秋葉署に告訴した。 市教委によると、女性は2008年4月から13年3月まで臨時職員の司書として同校に勤めていたが、09年9月頃から、新たに購入した図書を10~30冊ためては、市内3か所の中古書店に新品のまま転売していた。転売は徐々にエスカレートし、12年度に購入した約500冊のうち、残っていたのは6冊だけだったという。 後任の司書が、購入したはずの図書が見当たらないことに気づき、発覚した。 女性は、市教委の調査に対し「生活が苦しくほとんど食費に充てた」などと話しているが、弁償のめどは立っていないという。市教委の管理マニュアルでは、購入図書の検品は担当教諭と司書が2人ですることになっているが、守られてい
来店客のない間、垣松さんはメールでの問い合わせに丁寧に返信したり、本の汚れを拭き取ったり=北九州市門司区老松町の中央市場内 福岡県北九州市の門司港地区の中心部から外れた商店街「中央市場」にこの夏、小さな古書店がオープンした。「古書肆(こしょし)らるしびすと」。フランス語で「古文書の管理人」の意味だ。中古本の市場でも量販店が幅をきかせるご時世。人通りもさほどない市場に出店した店主は、小口の商いならではのきめ細かいサービスを模索している。 店主の垣松三千人(みちと)さん(50)は、午前10時に店を開けると、水を軽く絞った布で新書のカバーを丁寧にぬぐい始めた。鮮魚店、精肉店、乾物屋など食品関係の店が軒を連ねる市場にあって異色の古書店は、10平方メートルほど。天井からつるした裸電球が、書棚にぎっしり並んだ1300冊を照らしている。 「ローマ帝国衰亡史」や大学時代に学んだ仏語にちなんだフランス関連の
ブック・アサヒ・コムで年間多く読まれた記事から、2012年を振り返ります(12月19日までに掲載された本のニュースとインタビューが対象)。1年のトレンドがわかります。 ブック・アサヒ・コムに掲載されている記事は、朝日新聞の本に関する記事を転載したものと、ブック・アサヒ・コムのオリジナル記事があります。電子書籍リーダーが相次いで発表された今年は、一般的な電子書籍元年。6月あたりから新端末のニュースが出始め、下半期は電子書籍のオリジナル記事を集中して投入した結果、特によく読まれました。下の順位表でブック・アサヒ・コムのオリジナル記事には、★がついています。 1月には「もらって当然」で芥川賞を受賞した田中慎弥さんの会見が話題をさらいました。4月にはブック・アサヒ・コムが「絵本・地獄 千葉県安房郡三芳村延命寺所蔵」にいち早く目をつけ、その後各紙が紹介するようになりました。3月に閉店した大型書店の異
動物学を中心とした自然科学の本で存在感を示してきた「どうぶつ社」が今年で廃業する。東京のジュンク堂池袋本店7階で「どうぶつ社の36年」と題したフェアが12月10日まで開かれている。 久木(ひさき)亮一さん(70)が創業した。初期は上野動物園長などを務めた故・増井光子著『動物の親は子をどう育てるか』(1978年)や、「サルの群れにはボスはいない」ことを示した伊沢紘生著『ニホンザルの生態』(82年)が注目された。その後心理学や進化生物学にも領域を広げる。のちに「結婚4年で破綻(はたん)説」で有名になるヘレン・フィッシャー著『結婚の起源』も評判になった。装丁の多くは戸田ツトムさんが手がけ、書店の店頭でも目を引いていた。 多いときは社員が久木さん含め6人いたが、最近は妻と2人で切り盛りしていた。久木さんの年齢もあって、会社をたたむことにした。会社を買いたいという申し入れもあったが断った。「自分で作
鳥取県米子市新開2丁目の「本の学校今井ブックセンター」(加藤幸典店長)の増床工事が完成し、10月5日リニューアルオープンした。店舗面積はこれまでの2倍となり、在庫冊数は山陰最大級の約40万冊。直営の喫茶コーナーを設けたほか、図書検索端末も増設するなど、利用者のニーズにこたえていきたいとしている。 店舗の拡充は今井書店の創業140周年記念事業。1階の店舗面積は990平方メートルから倍の約2000平方メートルに広げ、書籍は専門書を中心にこれまでの25万冊から40万冊に増やした。 1階正面入り口脇には、読書スペースとして利用できるように、直営の軽食喫茶コーナー(86席)を新設。図書検索の端末を4台から10台に増やしたほか、電子情報端末「ためほんくん」で、絵本も試し読みができるようになった。 4日は関係者らの内覧会があり、田江(たごう)泰彦社長は「出版界は転換期にあり、先を見通せるわけではないが、
出版状況クロニクル55(2012年11月1日〜11月30日) 出版社・取次・書店という近代出版流通システムがスタートしたのは明治20年代、すなわち1890年前後であり、その歴史はすでに120年余に及んでいることになる。しかもそれが未曾有の危機に追いやられていることは周知の事実だといっていい。さらにまたその出版危機が日本だけで起きている特異な現象だということも。 日本の近代出版業界の流れは教科書、雑誌、書籍、戦後はコミックが加わり、形成されたと見なせるだろう。それらのインフラの中心は出版業界の三者ではあったとしても、とりわけ書籍に関しては、大正期の1910年代から古書業界が、流通販売だけでなく、生産に関しても大きな役割を果たし、リバリュー、リサイクルも含め、出版業界のバックヤードとして機能してきた。 それらの中でも赤本、特価本業界は出版に関して独特の位置を占め、貸本、大衆小説、コミックの揺籃
たった1人で出版社を営む。元フリーター、36歳。自らが惚(ほ)れこんだ、埋もれた作品の復刊が主だ。夏葉社の島田潤一郎さんは、営業だって自分の足で全国を飛び回る。吉祥寺(武蔵野市)で起業して丸3年。一歩ずつ、そしてしっかりと愛好家の心をつかんでいる。 島田さんが読書にのめり込んだのは、大学生のころ。卒業後は小説家を志し、アルバイトを転々としたほどだ。ただ、一読者として、新刊は洪水のように出版されるのに、読み継ぐべき本がどんどん絶版になっていく現状を憂えていた。 32歳のときに職を探すも、50社受けて全滅。親友だったいとこが急死したことも重なり、何かが吹っ切れた。「自分でいい本をつくって、多くの人に届ければいい」。自らの貯金をもとに2009年9月、夏葉社を立ち上げた。 出版や編集の経験はもちろんゼロ。吉祥寺を選んだのは、書店が多く、よく遊びにきていた街だったから。駅前に借りた6畳のワンルームマ
1日1軒のペースで本屋は消えている。3月末に閉店した東京・ジュンク堂書店新宿店には、今でも再開を望む声が届くそうだ。 その最後の日までのフェアを追った『書店員が本当に売りたかった本』(飛鳥新社)は、店員がメッセージを手書きで書き込むPOPのカードだらけ。「心の支え」「トリハダたちます」とシンプルな言葉から熱い思いがまっすぐに伝わる。選んだ本がないことも多く、「おススメなのですが……残念ながら品切れでした!」とPOPだけが並ぶ棚は切ない。 このフェアの魂を引き継ぎ、ジュンク堂書店は全国42店で、「もしも明日、自分の店が閉まるとしたら、どうしても今日中に売っておきたい1冊フェア」を夏休みの間、開催している。 東京駅前の、丸善丸の内本店4階にある松丸本舗も、9月末の閉店が決まった。独創的な棚作りでファンは多かったが、「3年間という時限つきで、一つの区切りをつける」という丸善側の判断で、役割を終え
沖縄本島から東に約360キロ、太平洋に浮かぶ南大東島。周囲約20キロ、人口約1300人。本屋のない島に年に2回、移動本屋がやって来る。島民が心待ちにしている「図書フェア」だ。 小学校の体育館ほどの広さの大集会室に、船便で届けられた段ボール箱は122個。約7千冊の書籍がジャンルごとに長机の上に並んでゆく。 「本屋」は2日間だけ。初日の午前9時、開店を待ちわびた約20人の子どもたちは、店員の「いらっしゃいませ」のあいさつを合図に、漫画や雑誌のコーナーに駆け寄る。冨里穂都美(ふさとほとみ)さん(10)は「何を買おうか、わくわくする」。 インターネットでも本が買えるようになったが、仲里悟君(10)は「どんな本があるか楽しみ。見て選べるからいい」と話す。4人の子どもと訪れた吉里英利子さん(40)は「大きさや手にしっくりくるか、といった質感がわかる」のが魅力だという。 移動販売は1990年、那覇市にあ
留萌市の三省堂書店留萌ブックセンターが今月、開店1周年を迎えた。市で唯一の書店の閉店後、地元の熱心な誘致に応えたかたちでの異例の出店。コンビニやネット販売に押されて各地で「まちの本屋」が消える中、留萌市民たちが異色の書店を支えている。 午前8時、開店前の三省堂書店留萌ブックセンター。エプロン姿の女性3人が、慣れた手つきで雑誌やコミックに付録を挟み、ひもをかける。月に4、5回行われている市民による「三省堂書店を応援し隊」のボランティア活動だ。 「隊員」は20人弱。店長1人、パート7人の店にとっては大きな戦力だ。「隊員」の主婦、長尾佳子さん(63)は「本は大好き。本屋を続けてもらうため手伝いがしたくて」。 2010年12月、留萌市で長年営業していた地元書店が販売不振で閉店した。市に書店がなくなり、市民がまず直面したのは、新学年を迎える子供たちの参考書をどうするかだった。 留萌振興局などが、道内
社長、会長として40年以上にわたって「宮脇書店」(本社・高松市)の経営に携わった宮脇富子さんが、88歳で亡くなった。高松市丸亀町にあった小さな書店を、47都道府県に400店舗を数える日本一のチェーンに成長させた原動力は「本と読者の出会いを支えたい」との信念だった。 宮脇さんは1970年代以降、郊外型店舗を全国に先駆けて出店。ロイヤリティー(経営指導料)を取らないフランチャイズ(FC)方式も導入し、全国の書店主の支持を集めて加盟店を増やした。 11年5月にインタビューする機会を得て、なぜ拡大路線を取ったのかと問うた。答えは戦争体験にあった。45年7月の高松空襲で、店を失った。だが、書籍は疎開させており、戦後間もなく店を再建して営業を始めると、店頭に長い行列ができたという。「空腹に耐えてでも、本が読みたいという人がたくさんいた。本を手にする喜び、活字の力を実感した」という。 21世紀を迎える頃
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