血液型性格判断は差別、そこに異はない http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20090420-00000301-president-bus_all において、血液型性格判断は疑似科学というだけでなく差別でもあるという指摘がなされ、それを受けていろいろと考察があげられましたにゃ。 血液型性格判断の差別性については、この問題に批判的なスタンスの人においては常識といってよいことだと思われますにゃ。 血液型性格判断を差別問題として考察した最近のブログエントリとしては 「血液型性格判断」批判 後編:血液型性格判断は差別 - みつどん曇天日記 血液型性格判断・ニセ科学・差別、あるいは「科学」と「価値」 | ほたるいかの書きつけ などがありましたにゃ。 このあたりの記事で書かれているとおり、「差別は人道にもとる」「差別はやってはいけない」「血液型で人を判断して
「経済屋」であるCount_Basie_Bandさんのブログに、医学界に対する鋭い指摘があったので紹介します。 ■Let's smoke!(墓の中からコンニチワ) タバコを吸うと肺ガンになるという怪説が登場して随分長い年月が流れました。しかし、納得できる統計は未だに示されていません。精々、肺ガン患者には喫煙者の方が多いという程度です。 つまり「日本のガン患者の99%は水道水を飲んでいるから水道水を飲むとガンになる」という珍説と同レベルなのです。日本人の99%は水道水を飲んでいるのですからガン患者にも同じ数字が出るのは当たり前でしょう。(Commentsの5番目に臨床医学者の見解を紹介してあります。要するに「商業主義」の「擬似科学」) 私のような経済屋から見れば、先ず全人口に占める喫煙者と非喫煙者の数を把握し、その数で喫煙者の患者数と非喫煙者の患者数をそれぞれ除して比率を比較しなければ統計に
「自然科学が自然の近似」と言いたくなるキモチはボクもよく知っている。研究をすることで「自然」についての知識が少しだけ増えて、研究成果を発表することでそれが共有財となり、自然に対するビジョンがちょっとだけ広がる。それはきっと自然の「本当の姿」にちょっとだけ近づいているに違いない。 元を辿れば、多分(明示的に書いてないけど)、apjさんのエントリhttp://www.cml-office.org/archive/1226948122175.htmlに対して、哲学的な議論が好きな(多分ね)quine10 さんがエントリ科学について(あるいは真理について) - quine10の日記を上げて、そのブコメはてなブックマーク - 科学について(あるいは真理について) - quine10の日記に ublftbo さん(TAKESANさんと書く方が通りがいいかも)が書いたコメントにボクが噛み付いたことを受け
http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1240968090 「偽科学pseudoscience」って言う言葉を使いたいだけなんろうけどね。断言してもいいが、偽科学は病に効きます。ここ重要。これは信念とか、願いとかではなくて、単なる統計的事実ですからね。 以下改変いくよー。 すでに一部の偽科学批判の偽科学系サイトに豚インフルエンザ「便乗」記事が出ているようなので、取り急ぎ、書いておきます。 万が一、本当に偽科学に対する偽科学的な批判に発展したら、ホメオパシーなんてものが効かないなどと期待してはいけません。それは「何もしない」のと同じであることを理解しておくべきです。 いつまで経っても偽科学に対する偽科学的批判が亡くなることはないでしょうが、現時点ではシカトするしかありません。「何もしない」という選択をするか
2月13 合理的な性差による差別の危険性 流行物が好きなのでこんなのを読んでいます。 人は意外に合理的 新しい経済学で日常生活を読み解く クチコミを見る さて、この本で一章を裂いて「合理的な人種差別の危険性」というテーマが書かれています。基本、アメリカ黒人についての話なんだけど。 要するに、生得的な能力に人種間に差がなく、「黒人嫌い」というような不合理な差別意識が雇用側になかったとしても、黒人労働者は教育を受けることをやめ、雇用者は黒人をなるべく傭わないよう、負のスパイラルが起きてしまう可能性とそのメカニズムの話がありまして。 さらに、「白人の真似」をするやつは嫌われるというシステム、「勉強好きな黒人の子供は仲間から徹底的にいじめられる」という背景にも残酷だけどある種の合理性がある、どんよりする話が載っている。 一応念のため、この章の最後には(とてもアメリカらしい)希望の種も乗っています。
仮に妻子を惨殺された夫が、葬式で涙の一つも見せず、その翌日に女と遊びに行ってしまうような男だったとしよう。さらにもう一つ、彼の殺された妻もしばしば育児をほったらかしにしながら男と浮気をし、家庭内不和が表面化していたと仮定を置いてみよう。つまり彼らの家庭は世間的に見て眉をひそめられるようなものだったのである。 さてその被害者遺族=夫がいかにも美味そうにタバコの煙をくゆらせながら記者会見でこのように主張するのである。 「犯人を決して許すことが出来ない。彼は許されないことをした。命をもって償わなければならない。」 光市母子殺人事件の被害者遺族である本村氏はもちろん上記のような人間であるどころか、それとは正反対にあるような人である(ように少なくとも僕には「見える」)。彼は生真面目なサラリーマンであり、そして大恋愛の末結ばれた妻と待望の一人娘を一途に愛す良き家庭人でもあった。彼の家庭は現代の社会に
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