今や至るところで高度な殺傷能力を持つ兵器が使われている現実に心は沈む。 テレビやネットに次々と流れ出す国際ニュースは、ロシア、ウクライナ双方が自らの正当性を語る。 しかし、その「証拠」たるものが示されても、公正な目で見られるはずの非当事国民たる我々日本人は、「権威あるはずの人」のあまりにも多くのウソ、捏造にさらされ続けている今、疑念を抱きがちだ。 戦いへと向かう者は、何かしら「正当な」理由を掲げる。自由のため、正義のため、自国民のため、第1次世界大戦途中参戦の米国ウッドロウ・ウィルソン大統領は「War to end all wars(すべての戦争を終わらせるための戦争)」とさえ言った。 しかし、そんな大義や契機となった事件は口実(Pretext)に過ぎず、戦いの理由が全く別のところにあることも少なくないことを、我々は歴史のコンテクスト(Context)で知っている。 18世紀末のロシア・ス
![歴史が示すまやかしだらけの「戦争の始め方」 戦争の現実を考えさせる「人生が戦争とともにあった」マクナマラ元国防長官の言葉 | JBpress (ジェイビープレス)](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/b18624e771c960a1cf9b61041328133f94d48f07/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fjbpress.ismcdn.jp%2Fmwimgs%2Fc%2Fa%2F1200mw%2Fimg_caca7bd495253acea01850f7a593265033995.jpg)