「人権」とは、人類が長きにわたる歴史的努力の果てに獲得した概念だ。しかし、この日本ではふしぎなことに、いともあっさり見捨てられることがある。世界各地の紛争現場で武装解除を指揮してきた伊勢﨑賢治氏には、先の都知事選で見過ごせないことがあった……。 文/伊勢﨑 賢治(紛争屋) 人権の二重基準が生まれる時 人権の二重基準。 そんなものがあっていいわけがない。 でも、それを恣意的につくることがある。非常時、つまり緊急事態だ。 私は長年、紛争国の和平交渉を生業にしてきた。武装解除だ。敵対する武装勢力の間に入って行って、とりあえず銃を置いて将来を考えろと説得する。 ここで人権を停止する。 当たり前だ。こやつらが犯してた戦争犯罪を裁くとここで話題にしたら、銃を置くわけがない。 アフガニスタンでは、アルカイダより、そして今の「イスラム国」より極悪非道な連中の人権侵害を、武装解除と引き換えに、問わないだけじ
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