3月11日は朝から大事な打ち合わせが入っていたが、昼過ぎに問題がおおかた片付いた。ほっとしてやや脱力気味で、遅い昼食を摂っていると、東北で震度7の地震があったらしいと同僚が教えてくれた。 マグニチュード7の間違いだろうと思ってネットをのぞくと、確かに震度7と報じられていた。だがその段階で今伝えられているような規模での被害を想像することはなかった。まったく不合理ではあるのだが、阪神大震災のような規模の被害が自分が生きている間に再び起きるはずがないと決め込んでいた。 ほどなくして伝えられたいくつもの映像を目にしても、それがリアルな感覚をもたらすまでには相当な時間がかかった。浸水する仙台空港、防波堤を越える津波、炎上したまま流される家屋。どれを見ても現実に起きたことだとはなかなか思えなかった。 この剥き出しの不条理にどのように立ち向かえばよいのか? 不条理を天罰として回収しようとする動きもある。
こんばんはkobeniです。from Tokyoです。 私は、きょうも自宅待機をしていました。 家の近所の桜のつぼみが、かなりパンパンというか、 もうすぐ咲くぞ…!というような、気合いに満ちた感じになっていたので、 開花宣言もうすぐか?とか思っています。 さて。 昨今、「広告」のお仕事というのは、非常に地味な存在になっていて、 成長めざましいITベンチャーのお仕事なんかに比べると、 なんていうか「ちょっとダサい」みたいな(笑)存在になっていますよね。 そんなんなのですが、私は、いちおう広告業界の端っこで、広告の仕事を10年以上やってきました。ブログの記事を書くときも、そこで教わってきたことに、かなり助けられつつ、やっています。 広告業界の人間が、新人の頃から、繰り返し、ひたすら叩き込まれることがあります。 それは、広告をつくる、つまり、誰かに情報を伝える(主には、「これを買ってください」と
科学NINJA connects the co-repressor TOPLESS to jasmonate signalling : Article : Natureまあ遺伝子名っていろいろあるけど、どうしてニンジャとトップレスがくっつかなければならなかったのか調べてみます。 植物は発芽するときに上に向かって伸びるわけだから、発生初期に上下という分かれ方がないといけない。そこで尖端と基底という軸ができるそうだけれども、この運命決定に関わるのがtopless遺伝子。これを失うと尖端ができなくなるからそう名付けられた。 ジャスミンの花から取れるジャスミン油の香気成分としてジャスモン酸メチルが単離された。ジャスモン酸エステルは植物ホルモンで、いろんな植物で防御や発生を制御することが分かってきた。ジャスモン酸がアミノ酸のイソロイシンと結合すると活性型ホルモンのジャスモノイルイソロイシン(JA-I
今私の手元に一冊の絵本がある。『100万回生きたねこ』と題されたその絵本は1977年に出版 され、作者は佐野洋子(谷川俊太郎氏夫人)である。最初にこの絵本を手に取る人は、その奇妙な タイトルに興味を持つだろうし、私もたぶんその一人であったと思う。学生時代、北海道を旅行して いて、偶然泊まったユースホステルのミーティングは一冊の絵本の朗読だった。その時にペアレント さんの息子の朗読で読まれたのがこの絵本である。その不思議な読後感は旅の後半の私をしばし ば放心状態にした。京都の下宿に帰ってから、書店めぐりをしてその絵本を買い求めたのはいうま でもない。 その絵本の書き出しはこうである。 「100万年もしなないねこがいました。100万回もしんで、100万回も生きたのです。りっぱなと らねこでした。100万人のひとが、そのねこをかわいがり、100万人のひとが、そのねこがしんだ ときなきました
ダスマンというのはドイツ人哲学者ハイデガーが使った言葉です。 das man。 定冠詞の das に人間の man。で、ダスマン。 訳語はおいら「凡人」と覚え違えていましたが、正しくは「世人」でした。 せじん。 世間の人。で、せじん。 意味はこんな感じです↓ キルケゴール、ニーチェ、ハイデガーには、人間の共同的な生活世界が、基本的に人間の本来的な自覚、本来的な生の発露を妨げるような“構造"を持っているという感覚があった。とくにニーチェやハイデガーには、都市の市民社会における大衆文化に対する批判の観点がある。ニーチェは「畜群」という言葉を使い、ハイデガーは「世人」という言葉を使った。彼はこの「世人」=「頽落」の“構造”を、「空談」、「好奇心」、「あいまい性」という3つの言葉で説明している。 「空談」とは、さして切実なことでなくても人々は互いにいつもおしゃべりし合うこと。「好奇心」とはつぎつぎ
あなたは、晴れた日の草原にみっしり生えてるクローバー、のうちの一輪。もちろん、あの人もクローバー。 同じ根っこから生えている。風に揺れてる。 自分達がいるビルを、神様みたく上から見てみる。ちょっと汚いオフィス、最寄りの駅、都市、 流れている大きな川、海、日本、地球。グーグルmapみたいに。世界は広くて美しい。 そのなかで、粉砂糖のようなつぶつぶである我々。 彼/彼女には家族がいる。たとえば弟。弟はとある就職試験に落ちて凹んでいる。 その人は言う(お味噌汁をすすりながら)「ふーん。……………たまたまだよ」弟「うん」 町で赤ちゃんや子供を見かけたら、じっと見てみよう。 あの人もこんな小さかったことがある。 親御さんは、かわいいねかわいいね〜って育てただろう。 ある休日の彼/彼女。蛍を見て、(キレイだな…)なんて思う。 あなたもこの夏、蛍を見て、(キレイだな…)なんて思う。海でも可。 キライにな
七つの女の子と話をしていたら、作文が終わらなくて困っているという。彼女は小さい子にしては要領よくしゃべるんだけれども、なにしろ七歳は七歳なので、話がくどい。しかもしょっちゅう脱線する。最後まで聞いて推測するに、どうやら何を書いて何を省くかがわからないので作文が長くなっている、ということらしかった。 学校の授業の作文で七五三の話を書くことにして、けれども原稿用紙六枚書いてもまだ、当日の朝ごはんが終わらない。メニューとその匂い、湯気のようす、パンの焼き加減の好みに関する主張で六枚目が終わってしまった。今までのぶんを捨てて書き直すべきか、という意味のことを、彼女は言う。読ませて頂戴と言うと、ずいぶんとはずかしがってから、結局読ませてくれた。 八枚切りのパンを焦げるぎりぎりのところまで熱してからバターを塗り、しみこませて食べる、ジャムはパンに塗るべきではない、ヨーグルトにいっぱい入れたほうがいい、
入学式。 私にとっては、「最後の入学式」である。 讃美歌412番を歌うのも、学長院長の「お祝いのことば」を聴くのも、これが最後である。 4月5日。あと360日。 朝起きるたびにカウントダウンの針が進んでゆく。 今年経験することはすべて「大学最後の経験」である。 そうやって見まわすと、目に映るすべてのものが儚く、移ろいやすく、いとおしいものに思えてくる。 本邦の古人はこの感懐を好んだようである。 「美的生活」というのは別に書画骨董を愛玩したり、歌仙を巻いたり、文人墨客と賺した話をすることではない。 そうではなくて、「目の前にあるこれは、いずれ消え去って、あとをとどめない」という人事万象の「無常」を、その「先取された死」を「込み」で、ご飯を食べたり、働いたり、遊んだり、つくったり、こわしたり、愛したり、憎んだり、欲望したり、諦めたりすることではないかと私は思う。 なぜ、「生け花」と「プラスチッ
知人の便りを風に聞いた。 ● あるひとは、東欧のひととおつきあいをしている。彼女をよく知る友人が聞いた話によると、お相手の故郷の小さな村を訪れた時、村の人たちが総出で彼女を見に来たのだそうだ。皆さんニホンジンを見るのは初めてだったらしい。彼と結婚するなら、彼女はムスリムに改宗しなければならない。彼女は、どうしようかなあ、と笑って話していたという。 ● あるひとは、東南アジアで暮らしていて、現地のひととおつきあいをしている。結婚を前向きに考え、まずお試しとしてあちらの実家で短期間暮らした。彼のご家庭もムスリムだけれど、彼女の立場を理解して、宗教的なことは強制しないと言ってくれるという。「でもね、」と彼女は笑う。「ラマダンは宗教行事だと思っていないのよう。私もしなきゃいけないって言うのよう」 だから彼女はラマダンの時期、職場でこっそりご飯を食べる。日系企業で働いているから、同僚もみんな似たり寄
Q. 現代仮名遣ひを歴史的仮名遣ひに直すときの原則はありますか。 A. はい。簡単な「大原則」があります。 Q. その大原則から外れる例外の語はどれぐらゐありますか。 A. 少なからずあります。「歴史的仮名遣ひの手引き」に挙げてあります。 Q. それらを暗記しなければなりませんか? A. 「法則」や「語の由来」を知れば丸暗記しなくても覚えられます。 Q. ではどこから勉強を始めたら良いですか。 A. はい。「手引き」から始めると良いでせう。 分量の多さにうんざりする人はまづ「法則のまとめ」からどうぞ。 それから「手引き」や「法則の解説」に進んでください。 ある程度自信がある人は「弱点診断」を利用して当座必要な学習を済ませ、 それからじっくりと取り組むこともできます。 Q. 単語の仮名遣ひを手っ取り早く知るには? A. 総合辞書(歴史的仮名遣ひ辞典)をごらんください。細かい動植物名な
目次 はじめに 文章を書きたいけれど、何からどうはじめればいいの? わたし、文章がへたで、だめなんです。 わたしには、時間がなくて、きちんとした文章が書けません。 小説を読んでいると、すごい文章ばかりで、自分には書けないと思ってしまいます。 読み返してみると、つまらない文章でがっかりします。 だめ、だめ、書けない、自分には何も書けない。 どんな勉強をしたら、文章を書けるようになるのでしょうか。 わたしは、いつだって、書けたためしがない。いつだって、中途半端。 何を書けばいいのだろう。 更新履歴 書籍案内 はじめに 文章を書きたい。 なぜか、わからないけれど。 ボールペンをつかみ、レシートの裏に。 思い付くことを、そのままに。 どんどん、どんどん書いていく。 あふれてくる言葉を、どうしようもなく。 泣きながら、笑いながら。 痛む手をさすりつつ。 私は文章を書いていく。 何でも書いていいのだ。
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