抗日戦争に関するpoppen38のブックマーク (28)

  • 『黄土地上来了日本人』 - 黄土高原 紅棗がみのる村から

    こちらもご紹介が遅くなりましたが、私のは、3月30日に「東京大学東洋文化研究所附属東洋学研究情報センター」という長たらしい名前のところから刊行されました。700部作って、そのうちの500部ほどが国内外の図書館、大学、個人等に寄贈されます。私には100冊ほどいただけるようです。 先々週、そのうちの19冊を北京で受け取り、2冊を手元に残して、今は残りの17冊を配っているところです。まずは賀家湾の村長さん(彼の暗黙の了解がなければ、ここには住めなかった)、前に住んでいた部屋の大家さん(2年間タダで住ませてもらったし、お母さんを取材している)、薛老師(これから一緒に暮らすわけだし、お母さんを取材している)、賀登科老人の息子(老人には3回取材し、もっとも多くを語ってもらった)に4冊を配ったのですが、すぐに別の3人がやってきました。いわく「ウチのオヤジは字が読めるからくれ」「前書きを読んで感動して涙

  • 日本人はキャラを変えた? - 黄土高原 紅棗がみのる村から

    ネットの繋がりがよかったせいで、普段なら間違いなく目にすることもなかったであろう一文を読みました。東浩紀という人がニューヨークタイムズに寄稿したものです。私は恥ずかしながら読書という習慣を持たない人間なので、この人がどういう人か知りませんが、なんでも若手の気鋭の論客なんだそうです。 彼は東京で今回の大地震に遭遇して後、次のように書いています。日人は敗戦後、ずっと自分たちの政府や国を誇りに思うことがめったになかった不幸な民族だが、今回の災害以降、自らの国を肯定的に捉え始めている、と。 【日人の間で「公共」についてこれほど取り沙汰されているのを、僕は見たことが無かった。つい最近まで日人と政府は、愚痴と口論にまみれた、優柔不断で自己中心的な存在かのように見えていた。しかし、今彼らは別人になったかのように、一丸となって国を守ろうとしている。若い世代の言葉で言うと、日人は完全に「キャラ」を変

    日本人はキャラを変えた? - 黄土高原 紅棗がみのる村から
    poppen38
    poppen38 2011/04/24
    『この気鋭の論客はいったいどこを見ているのだろうと、私は不思議に思ってしまうのです』『まさしく、日本人が“一丸となって”略奪、強姦、放火、殺戮の限りを尽くしたという過去です』
  • 『北支に於ける奔敵事犯と之が警防対策』 - 八路軍研究メモ

    防衛研究所に資料を漁りに行った際、『北支の治安戦』の巻末参考資料一覧に載っていた憲兵隊内部発行冊子の『北支に於ける奔敵事犯と之が警防対策』(昭和18年発行)が目に留まった。ちょうど捕虜から日人反戦同盟になり日兵たちに反戦を呼びかけた人々のことが気になっていたので、ちょっと読んでみようとしたら、後半部分が袋綴じ状態で閲覧不可になっていた例の史料です。 http://d.hatena.ne.jp/smtz8/20101117/1290269562 今回は、私のブログの題と少しはずれますが、少しだけ反響をいただいたネタでもありますので、この史料の閲覧可能な前半部分についてもう少し詳しく書いてみます。 ただ、確信を持って論じられるほど私はまだこの問題に詳しくはありません。また、来であればさまざまな資料と照らし合わせながら論じるべきことなのですが、それも現行ではあまりできないので、簡単な分析

    『北支に於ける奔敵事犯と之が警防対策』 - 八路軍研究メモ
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    poppen38 2011/04/24
    『日本軍においては、捕虜になった後に敵に協力したか否かを問わず、捕虜になることまたは捕虜であり続けること自体が「犯罪」である、と認識していたと読むことができる』
  • 『狙撃手』総合案内 - 劇的なチャイナ

  • 哀悼 孫引喜老人 - 黄土高原 紅棗がみのる村から

    私が村を留守にしていた先月27日、ひとりの老人が亡くなりました。孫引喜という今年80歳の男性です。彼は、この村の壕で273人が窒息死させられた事件の、いわば最後の生き証人でした。 1943年旧暦12月、壕に逃げ込んだ民兵の姿を見た日軍が、壕の入り口を包囲して「出て来い!」と叫んだのですが、出れば殺されると思っている村人たちは出てくるはずはありません。それでも、年寄りと乳飲み子を抱えた女性と11歳だった孫引喜など7、8人が壕から出たそうです。一緒に隠れたお兄さんが出るなと引きとめたけれど、同じ死ぬのなら外の方がいいと振り切って外に出たそうです。壕に残った24歳の兄と10歳の妹は亡くなりました。 彼を最初に取材したのは2007年の秋でした。その時はあまり多くを語りませんでしたが、ちょっとクセのある感じの人で、「お前たち日人のことなんか、俺は信用しないぞ‥‥」といったオーラが自ずと滲み出てい

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    poppen38 2011/03/20
    ひとりの老人が亡くなりました。孫引喜という/彼は、この村の壕で273人が窒息死させられた事件の、いわば最後の生き証人でした/「お前たち日本人のことなんか、俺は信用しないぞ‥‥」といったオーラが自ずと滲み出て
  • 『証言集』の刊行について - 黄土高原 紅棗がみのる村から

    私がこの5年半の間に老人たちから聞き取った記憶=『証言集』(証言という言葉は使いませんが、とりあえず)の発刊についてですが、けっきょく、来年3月、東京大学東洋文化研究所の叢書の一環として出させていただくことになりました。 私にはおよそ似つかわしくない“象牙の塔”からの刊行となりましたが、一般の出版社から出しても「売れない!」ということがはっきりしているし(2500部刷った『記憶にであう』は、未だに出版社の倉庫に山積みになっているらしい‥‥)、彼らの記憶を一次資料として残すには、こちらの方がより賢明であろうと、この研究所の教授のお勧めに従うことにしました。 ただし、全文中国語になります。というのも、このは東文研から日および世界の大学と図書館に寄贈されるもので、そのためには、日語などというローカルな言語より、原文である中国語の方がより国際的に通用するであろうと思われるからです。いずれ時を

    『証言集』の刊行について - 黄土高原 紅棗がみのる村から
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    poppen38 2010/11/07
    三光作戦の村に住み、老人たちからの証言を集めた本が日本人女性によって刊行。
  • 北京の抗日戦史跡と三光作戦の町

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    poppen38 2010/09/04
    こんなツアーがあるとは・・・行きたいけどこんな大金払えない
  • 地方志に見る抗日戦争(2) - 八路軍研究メモ

    なかなか更新できないが、まあ、マイペースでやっていくつもりです。 さて、「地方志」の視点から抗日戦争の姿を見ていきたく思い、華北四省(山西、山東、河北、河南)から各省二県づつピックアップして資料を収集した。 一つの省には60〜100の県が存在するのだが、その中からどういう基準で2つの県を選んだかについて。 まず重要な点は二点。 抗日闘争がそれなりに行われていたこと(特に八路軍もしくは共産党系の部隊の活動があること) 「地方志」に抗日戦争時代の記述や資料がそれなりに充実していること なので、日軍の支配が徹底していて、実質党組織の地下活動しか行われていないような太原(山西省)や済南(河南省)などの都市は除外。県の上位に位置する「市志」か調査対象から除外することとする。 また、国民党系の部隊しか活動していない地域も私の研究対象から外れるので除外。なお共産党系だが、新四軍系の部隊しかいない地域も

    地方志に見る抗日戦争(2) - 八路軍研究メモ
  • よくある言いがかりについて―その2 - Apeman’s diary

    東京裁判の判決については出典を省略し、秦郁彦氏の『南京事件』(中公新書)、笠原十九司氏の『南京事件』(岩波新書)については書名を省略してページ数のみを示します。 南京事件の全犠牲者数について東京裁判は約20万人と事実認定し、秦郁彦氏は約4万人と推定し(214ページ)、笠原十九司氏は「十数万以上、それも二〇万近いかあるいはそれ以上」(228ページ)としています。一つ前のエントリで明らかにしたのは(1)国際社会も中国も当初から非戦闘員のみならず捕虜などの虐殺も問題としてきたこと、(2)東京裁判の判決も秦説も笠原説も「なにが虐殺か」「期間や空間的範囲はどのようなものか」についてそれぞれ明示的ないし暗黙の定義を示していること、(3)大量殺害は南京陥落前後の比較的短い期間に集中しており、南京事件の時間的な範囲を東京裁判の事実認定より広げたところで犠牲者数推定が顕著に増えたりはしないこと、(4)南京事

    よくある言いがかりについて―その2 - Apeman’s diary
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    poppen38 2010/08/25
    ↓実際の被害者個人が「謝罪と賠償」を請求すること自体は(条約がハードルとはいえ)人として有する権利/ギンギンみたいな日本人こそ感情論を捏造し学術研究など尊重しない当事者なのだが、人ごとみたいな言い草
  • 『地道戦』総合案内 - 劇的なチャイナ

  • 『回民支隊』レビュー - 劇的なチャイナ

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    poppen38 2010/08/12
    『女性が、むしろそのような幾重もの束縛さえも力に変え、自らの意思で敢然と人間の尊厳を蹂躙するものに立ち向かう・・・・・・そこにこそ民族解放の原動力を見出すべきなのかもしれない』
  • (夏なので)抗日戦争モノ特集でもやってみようかと - 劇的なチャイナ

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    poppen38 2010/08/05
    『夏なので』
  • 『回民支隊』総合案内 - 劇的なチャイナ

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    poppen38 2010/07/30
    『しかし、映画は逆接的にもそのような「母」の中にこそ、民族解放の原動力を見たのではないだろうか? 馬本齋の「母」は、英雄の影にいるそのような無数の「母」の象徴なのであろう。』
  • 描かれない暗部--鉄道遊撃隊物語において消えた暴力、性 | CiNii Research

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    poppen38 2010/07/25
    いつか読む。他の論文から察するに(こんなタイトルだが)、反中,反共,反抗日の立場に立った問題意識ではないと思われ。って言うか『鉄道遊撃隊』日本語訳があるのか!?中国語版買っちゃったよー!
  • http://src-h.slav.hokudai.ac.jp/publictn/slavic_eurasia_papers/no1/10nakano.pdf

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    poppen38 2010/07/25
    「英雄の読まれ方―小説『鉄道遊撃隊』の受容―」『社会主義体制下の文学・芸術に関する政策を色濃く反映している作品群を、中国共産党のプロパガンダ小説だと決めつけてしまうのは単純にすぎるのではなかろうか』
  • 『北支の治安戦』に見る三地区(抗日根拠地・遊撃区・占領区) - 八路軍研究メモ

    『北支の治安戦2 戦史叢書18』(防衛庁防衛研修所戦史室/朝雲新聞社/1971年)によれば、北支那方面軍は共産党・八路軍に対抗するため、昭和16年(1941年)に華北の状況を調査・分析した。 方面軍は以上のような検討を経て、新たな観点から、まず北支占拠地域の治安の実態を究明することにし、各兵団に軍事,政治,経済,社会の見地から、その担任地域を「治安地区」「准治安地区」「未治安地区」に分けて、その状態の報告を求めた。(P529) 同書では、当時の北支那方面軍は各地域の「治安状況を明確化」し、「これに適応する施策」*1を行うことの重要性を深く認識していたとし、調査はかなり総合的に行われたようだ。 その調査結果*2も同書P530〜P531に「占領地域の三区分に応ずる治安状況の基準概見表」として載っており、これが三地区の状況を理解する上でかなり有用だと思われる。 そこで以下に、同表の記述を一部割愛

    『北支の治安戦』に見る三地区(抗日根拠地・遊撃区・占領区) - 八路軍研究メモ
  • 中国映画やドラマにおける日本人像、多様化するべき (2008年12月12日) - エキサイトニュース

    中国テレビドラマなどで活躍している日人俳優の矢野浩二氏は、「中国映画テレビドラマに出てくる日人はすべて悪者で、プラスの面を演じる人物は全くいない」と語った。このい言い方はやや言い過ぎだが、中国の視聴者たちが記憶しいる日人が、ほとんど悪者だという事実は否定できないだろう。写真は中国ホームドラマでの撮影に望む矢野浩二氏。<br><br>【関連写真】<br>・<a href="http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2008&d=1212&f=column_1212_002.shtml&pt=large">【今日のブログ】規則を守る日人とそれを失った中国人</a>(2008/12/12)<br>・<a href="http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2008&d=1211&f=national_1211

    中国映画やドラマにおける日本人像、多様化するべき (2008年12月12日) - エキサイトニュース
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    poppen38 2010/05/28
    『このような映画に出てくる愚弄な旧日本軍に勝ったのが本当の歴史ではない。こうした内容は、抗日戦争の価値も低下させた』良い記事。でも日本人が「人間らしい」日本兵像を求める時、そこにどんな欲望があるか注意
  • 「日中歴史共同研究」八路軍(中共)の戦いに関する部分(中国側)2 - 八路軍研究メモ

    時間があいてしまったが、『日中歴史共同研究』の中国側論文の続きを。 まずは『第二部 戦争の時代  第三章 中日戦争と太平洋戦争  一、太平洋戦争中の中国戦場』(報告書P206)より。執筆者は陶文勝l氏。 原文で示された参考文献は、注に示した。 「太平洋战争爆发以后,日实行“以战养战”的方针,要把华北变成其“兵站基 地”,集中了大部侵华日军实行“治安战”。日军将华北划分为“治安区”(即敌占区)、“准治安区”(即游击区)和“非治安区”(即抗日根据地),分别采取不同的侵略手段。对敌占区,加强汉奸伪组织,强化基层保甲制度,扩大警察特务,对一切抗日活动严加镇压。对游击区,着重采取一种较为缓慢的“蚕”手段,通过修筑公路网、碉堡群、封锁沟墙,制造无人区,隔断游击区和根据地的联系,并将敌占区的做法逐渐在这些地区实施。对抗日根据地,则进行反复的、长时间的和残酷的扫荡,实行烧光、杀光和抢光的“三光政策”,

    「日中歴史共同研究」八路軍(中共)の戦いに関する部分(中国側)2 - 八路軍研究メモ
  • 殴った者と殴られた者 - Arisanのノート

    特集:日中歴史共同研究報告書(要旨) http://mainichi.jp/select/seiji/news/20100201ddm010010012000c.html 両国の研究者といっても、色々な意見の人がいるはずだから(中国でも近年、そうした自由な研究の雰囲気が出てきたと高名な研究者から聞いたこともあるし)、この内容の隔たりは、あくまで両国の「公式的な見解や歴史観の相違」ということだろう。 それが日の報道を見ると、中国側の「公式見解」と称するものの政治性(政治的な縛り)ばかりが指摘されている。笑止である。 なるほど、一見すると中国側の見解が政府や党の「公式」の見解に沿って、日の侵略の意図とか被害の大きさを強調する頑なな主張を貫いているように思えるのに比べ、日側の文面は、「さまざまな意見がある」ということを述べたり、事実を特定の視点に縛られることなく、できるだけ「客観的」に把握

    殴った者と殴られた者 - Arisanのノート
    poppen38
    poppen38 2010/05/09
    id:big_song_bird氏。エントリーはまさしくそのような「コピペ」とあなたの認識の傲慢さを批判しようとしていると思うが? って言うか、エントリーを理解しようとしないブクマが多い。
  • 研究メモ 中国の研究状況(追記あり)

    抗日戦争勝利60周年の2005年に『近十年来抗日戦争史研究評選編』(中共党史出版)と『抗日戦争研究述評』(青島出版)いう2冊のが発行された。これらのでは、南京虐殺,盧溝橋事件,抗日戦争期の外交,文化,国共関係,国共双方の軍事史,戦争責任問題など、抗日戦争に関するいくつかのトピックを設定し、それぞれその専門家に全体的な研究状況を数ページ以内で簡潔にまとめてもらっている。 二冊はそれぞれトピックの立て方に違いはあるが、どちらも建国以来の研究状況を整理し(前者は近十年来=最近十年間とあるが、実質ほとんどの項目で建国以来の研究史を紹介している)、この問題を研究する上で必読の史料をあげている。さらに各トピックの基事項を分かりやすく整理し、国内でいくつかの対立する説がある場合は、主要な説の論点を紹介し、簡単な評価を加えている。これから抗日戦争の研究を始めようという史学科の学生には有用なであろう