1980年に富山県に戻ってきた。すぐに、当時進行中だった能登原発の構想を知り、能登原発の予定地の一坪株主運動に参加したり、その後北陸電力の株を購入しての意見株主運動にも関わったりしてきた。高岡は能登原発から30キロなので、「風下の会(原発はいらない風下住民の会)」というのにも参加していた。今回の福島原発の震災(人災という意味で「震災」と言いたいです)によって、皮肉なことに、原発から30キロが避難区域であることをまざまざと見せつけられた。志賀原発から30キロの高岡は、そして北西の風が吹くと特に、風下ドンピシャになるエリアであることを多くの人が強く認識したことだろう。 メディアが電力会社に頭が上がらないことについては、上杉隆さんはじめいろんな人が語っており、また日々、戦時中の大本営報道かと思うような、真実に迫らない報道に接して正直、途方にくれる日々である。 ところが、今日たまたまみた北日本放送