まとまった話じゃないが、とりあえず最近考えてることの一つ。 別に富野作品に限らないことですが、富野作品は何故かときどきこの「卑しい小物ほど生き残る」という演出が見られます。それも、70年代の富野作品から00年代の富野作品にはすべて見られるものです。 生き残り放題の『キングゲイナー』はおいといて、『ガンダム』にはたとえば「時よ、止まれ」のジオン兵士みたいのがありますし、『ZZ』のゲゼ乗りことヤザン&ゲモンというのがあります。あと、『Vガン』の時のサントージュも最後まで撃沈されなかったりして、富野作品のなかでは、何故かそういう小物を「活かしてもいい連中」とされているらしい。 これは小説においても同じです。『破嵐万丈シリーズ』のレズコンビのシオン&マートモアも二つのケースに出てるし(「ヒットカップル」では万丈たちより目立ったりする)、『シーマ・シーマ』の敵の追い手である地上民(フローロウリィ)シ
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