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<作家性>に関するprisoner022のブックマーク (33)

  • ケロロをライバルにするような作品とは? (富野由悠季インタビュー 1/2)

    2007年初の『機動戦士ガンダム連邦SIDE』に収録されているインタビューです。先日紹介した萌えアニメに関する発言もこのから出たものです。今読むとちょっとタイムラグ的な話題もありますけど、そこはぜひご了承。 また、このインタビューの内容もボリュームもたっぷりほか、声優へのインタビューやエピソード紹介もなかなかのものですから、普段こういった類のはあまり買わないけれど、このだけ買うのをお勧めですよ~。 ガンダム超越論 ファーストのTVアニメ放送開始から約30年。 変容し続ける世の中において、 ガンダムファン世代の立場は社会的にも大きく変化した。 今なお愛されるファーストを生み出した総監督・富野由悠季氏は、 そんな現在の社会をどう見ているのか。 ガンダムの過去、現在、未来を繋ぐロングインタビューの中、 次回作の基盤となる発想が、ふと顔を覗かせた…… ┃のめり込むファンは ┃アニメに限らない

    ケロロをライバルにするような作品とは? (富野由悠季インタビュー 1/2)
    prisoner022
    prisoner022 2010/03/07
    自分で自分を「作家かもしれない」と誤解していた時期もありました。/でも、その頃手がけた仕事は、結局すべてが「ガンダムに似たようなもの」という地点で惨敗している
  • アニメ版『リーンの翼』で俺が嬉しかったこと | ガンダム30周年でなんか書こうと思ったらもう師走だよ

    アニメ版『リーンの翼』は、ブルーレイ一枚にしてくれよ、という気持ちでいっぱいだ。DVDコンプリートボックスはリアル店舗まで足を運んでから買うかどうか決めようと思っている。 アニメ版『リーンの翼』をはじめて観たとき、嬉しかったのは、そこに「作家」富野由悠季が「いた」からである。 俺のみるところ、「作家」富野由悠季は、『ブレンパワード』後半から失踪してしてしまった。『ブレンパワード』後半からの富野は「純血の映画監督」になろうとしている、というのが俺の見立てだった。 だから、アニメ版『リーンの翼』を観たとき、驚いたし、嬉しかった。 またその流れで、「小説家」富野由悠季も復活するというのは、俺的には、おいこの企画組んだやつ誰だよー、キスさせろよー、という感じなのだ。 バイストンウェルはもともとは小説用の設定ではなかったか、と俺は睨んでいる。 ロボットアニメ用の世界設定なら、ロボット付きの世界にすれ

    prisoner022
    prisoner022 2010/02/19
    なるほどと思う慧眼もあるが、全面同意はできない。富野監督が作家気取りを振りかざし始めたら、少なくともアニメ監督としては駄目だと思う。
  • WebNewtype - アニメ情報誌「月刊ニュータイプ」公式サイト

    prisoner022
    prisoner022 2009/08/29
    「ヒットして世間との広がりが見えてきた時に、どう自分を見せて作品を作っていくかという縛りは、好きに作品を作るレベルとははっきり違う。公共に向けて自分の思いを伝えるだけではプロとして失格だと自覚した」
  • ガンダムが30年ヒットした秘密1(富野由悠季監督) | 富裕層の最上級を刺激する 「ゆかしメディア」 - Part 3

    prisoner022
    prisoner022 2009/08/27
    「作家」性というのを文芸性のような意味で語っているんじゃなく、アニメという映像媒体に仕上げるところまで含めて言ってるんだろうな。
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    ハリイカの焼売と中華炒め ハリイカをよく、見かけるようになりましたよ。生け簀で、泳いでいたものを一杯購入しました 立派な大きな墨袋や肝は冷凍保存して 柔らかな身は季節のお豆、お野菜と合わせて中華の炒めものに。新鮮なにんにくの茎は刻み、香り高く欲そそられますね 下足はミンチにし…

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    prisoner022
    prisoner022 2009/08/17
    プロダクト・アウトするだけの、独自の世界観、既存市場の読者や観客から憎まれるほどの独創的な世界観を持っているだろうか。世間を敵に回しても、市場から見放されても、どうしてもこのことだけは書いておきたいと
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    来年も作りたい!ふきのとう料理を満喫した 2024年春の記録 春は自炊が楽しい季節 1年の中で最も自炊が楽しい季節は春だと思う。スーパーの棚にやわらかな色合いの野菜が並ぶと自然とこころが弾む。 中でもときめくのは山菜だ。早いと2月下旬ごろから並び始めるそれは、タラの芽、ふきのとうと続き、桜の頃にはうるい、ウド、こ…

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    prisoner022
    prisoner022 2009/08/17
    興味深いのは、マーケット・インで作った作品は、まず残らない、ということだ。逆に、プロダクト・アウトの作品は、ロング・レッグを持っていて、十年近くかかってカルト的傑作に化ける。
  • WEBアニメスタイル | アニメ様365日 第181回 『風の谷のナウシカ』続きの続きの続き

    僕が『風の谷のナウシカ』を再見したのは、ロードショーの数年後だった。『となりのトトロ』公開時に、「アニメージュ」で『ひみつのアッコちゃん』等のアニメーター時代の仕事を含めた、過去の宮崎駿の作品をまとめて紹介する記事を担当する事になり、ビデオで『風の谷のナウシカ』を観返したのだ。久しぶりに観た『風の谷のナウシカ』は、記憶よりもずっと緊張感があり、殺伐とした作品だった。何かに似ているな、と感じて、しばらく考えて思い当たった。『宇宙戦艦ヤマト』に似ていたのだ。特に緊張感が『ヤマト』に近い。そう言えばラストの復活劇も、公開時に『ヤマト』みたいだと思った。もっと言えば、終末的な世界観も『ヤマト』とリンクする。 この映画について、「『ヤマト』のようだ」という感想は、今まで目にした事がない。ひょっとしたら、日でそんな事を思ったのは自分だけかもしれない。勿論、宮崎駿が『ヤマト』を意識して、『風の谷のナウ

    prisoner022
    prisoner022 2009/08/05
    アニメの製作現場にいる人をメディアが「作家」と持ち上げ始めたのはガンダムの富野さんからのような気がするんだけど、宮崎さんや押井さんにシフトしてったのは“TVアニメ”に飽きたせいもあるんだろうか?ふむ?
  • 「無敵超人ザンボット3」(1977年) - 南極怪獣通信

    76年は五武先生にとってつらい年になった。ひたすら生活のために他人の作品の下請けをせざるを得ない状況になってしまったのだ。ライディーンの絡みで長浜監督の次回作「超電磁ロボコン・バトラーV」、富野喜幸と共に参加した「ロボっ子ビートン」、何故かタツノコ系の作品である「ブローカー軍団マシーンブラスター」、手塚先生の絡みか「ジェッターマルス」などなど。それでも全て、オリジナルのロボットアニメ(第二法則)であるのは流石だが(笑)。 そうした中、77年に虫プロ系のアニメ製作会社「日サンライズ」が初の自主制作作品を作ることになり、富野監督が指名された。シリーズ構成は・・・五武先生をおいて他になし!!。ついに歯止めが一切かからない状況で、二人は遣りたい放題の物が作れる状況が与えられたのだ!。とはいえ作品を成功させるため、富野監督は周到な計算も同時に行っている。五武先生が萌えキャラを描けない(第六法則)の

    「無敵超人ザンボット3」(1977年) - 南極怪獣通信
    prisoner022
    prisoner022 2009/07/30
    脚本家ごとに持ち味がバラけてるのがテレビアニメの魅力だった時代は確かにあったと思う。
  • 作家性について | Drupal.cre.jp

    http://bizmakoto.jp/makoto/articles/0907/08/news010.html この記事を見ての感想 宮崎に何があって富野に何がなかったのだろう。宮崎というのは偉大なロリコンでありミリオタであり保守主義者であり左翼である。それに比べると、富野の政治姿勢はずっと不明瞭に見える。いってしまえば政治的に未成熟だ。迷いがある。 やはりジブリ作品とガンダムを比べると富野の仕事は職人であるように思う。宮崎は職人以上の何かがある。 私が通っているIRCチャットに#もの書きというもの書きが集まっているチャンネルがある。あと、私は今PBWで仕事もしていて、そこでも多くのライターがいる。 彼らは当に知識が豊富で自分などはチョモランマに比べて富士山だと思う。文章のエンターテイメント性に関しても実に周到に考えている。職人技とはこういうものを言うんだろうなと思う。 しかし作

    prisoner022
    prisoner022 2009/07/16
    「富野に足りない作家性とは、自分の欲望への忠実さ、だと思う。」迷わず欲望の赴くままに作れば押井守にはなれるかもしれないが、宮崎駿にはなれないのが富野由悠季でしょう。しかし、そこがいいんだってば。(笑)
  • 富野小説搾り出し(仮題)を読む その8

    富野小説搾り出し(仮題) 『富野小説』即ち『血と精液100%!』 新年の疲れる帰省から、ただ今戻りました。4日間、何故か何度も親父とお袋の実家の間に往復した。親戚が何十人もいるからしょうがないけど、一々顔合わせしなくちゃ大変だった。いつの間にか出てきた名前も覚えてない姪や甥が一杯いるしな。まあお年玉を与えなくて済むだけでもマシかな。それにしても、ネットができない環境なので、ここ数日まったくパソコンを使わなかった。ネット中毒なIT奴隷なので最初は気にもしましたが、いざ慣れてみると意外に快適だったな。ニュースはテレビで済むし、富野関連情報などは別に逃げたりしないし、ちょっとした転換でした。 …と、そんなのどうでもいいとして、今日は上原マリ男さんの文章を語る記事の最後です。この一連の記事を追い続けてくださってる方ならご存知でしょうけど、上原さんの文章が一番特徴なのは、長かろうと短かろうと、必ずど

    富野小説搾り出し(仮題)を読む その8
    prisoner022
    prisoner022 2009/01/30
    作家性を、作家としての富野由悠季を一番否定するのが、富野由悠季本人
  • 富野喜幸VS安彦良和(下)

    前回。今回はもちろんその続き。 安彦 日人ってのは、ホンネに対する信仰が強すぎるのかもしれませんね。ホンネは、大変崇高で、哲学的なもので、シリアスだという考え方があるけど、向こうでいうホンネは、一番自分の好きな事とか、興味のある事とか、もっとフラットな事なんじゃないですか。 話の成り行きで言わざるを得ないんだけど、そろそろ富野さんもゲリラの親分じゃいけないんじゃないかと(笑)。もう少し正直に作っていいよって客観情勢が出て来たわけだから、もうからめ手じゃなくて、割と真正面から応えるものづくりを、スタンバイして欲しいな、と思うんですが……。 富野 だけど、それは仕事に村する基的な考え方の違いがあって、僕の場合はむしろ永遠にマイナーで、永遠にゲリラ屋の方が性に合っている部分があるし、そう簡単にはふっ切れないですよ。それと僕は、身体を動かしてないと何も出て来ないんです。まずキチンと出せるものが

    富野喜幸VS安彦良和(下)
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    prisoner022 2008/09/29
    『作家性』によって『お客さんが観たいと思っているもの』+『潜在的に観たいと思っているものの正解』を作れる谷口監督/谷口監督の作家性は『悲劇とは登場人物の認識能力の不足』であるという極めてドライな視線
  • パンダとポニョ(1): たけくまメモ

    日はまず『カンフー・パンダ』について書きたいと思います。先日、俺はこの作品について「見る気が起きない」ということをうっかり書いてしまいましたが(→★)、その後いろいろな人から「結構面白いですよ」とのご指摘があり、思い切って見ることにしました。 結論から言えば、見てよかったです。映画として面白かったことはもちろんですけど、それ以上に、『ポニョ』という作品を考えるうえでも『カンフー・パンダ』は見ておいてよかったと思いました。どういうことかといいますと、あらゆる側面から考えて、『パンダ』と『ポニョ』は正反対の場所に位置する作品だと思うからであります。 かつてレオナルド・ディカプリオが記者会見の席上、自分が出演した映画の話そっちのけで『千と千尋の神隠し』を絶賛したことがあります(横にいたスピルバーグ監督まで『千尋』を絶賛)。このときのレオ様の言いぐさが 「まるで別の惑星で作られた映画を見ているか

    prisoner022
    prisoner022 2008/08/09
    近年の宮崎アニメのように「作家」を貫いてなおかつ商業的にも成功してしてしまう(しかもそれが持続している)例は、洋の東西を問わず、歴史的にもほとんどないと言っていいのでは
  • 漫画や小説における、「思想」のあり方。: 不倒城

    一言でいってしまうと、田中芳樹せんせーの作品の推移は色々とどうなんだ、って話なのだが。 創作における思想の種類は二つある。手段としての思想と、目的としての思想である。 手段としての思想とは、よーするに演出である。作品中のキャラクター同士の関係、あるいはキャラクターそれ自体を深める為に、キャラクターに思想を語らせる。あるいは作品全体を通したBGMとして、作品に「テーマ」という名の思想を帯磁させる。 この場合の思想は、多くの場合前面に出ることはない。つまり、作品自体の展開にはあまり思想が影響しない。どんな思想を語るヤツであれ、作品の展開次第で死ぬ時は死ぬし、退場する時は退場する。 目的としての思想とは、よーするに作者の主張である。まず最初に作者の「言いたいこと」があり、それを語る手段として創作が存在する。「キャラクターが語る」という形であれ、展開という形であれ、世界観であれ、そこには割と明確な

    prisoner022
    prisoner022 2008/07/05
    手段としての思想とは、よーするに演出/目的としての思想とは、よーするに作者の主張
  • 身辺雑感/脳をとろ火で煮詰める日記: 「作者の思想」と「キャラクターの思想」と「作品の思想」は必ずしも一致しない

    いわく「このキャラクターがこんな思想を表明した。作者はそういう考えの持ち主なのだ」 しかし作家は批判されるべきものとしてキャラクターに特定の思想をもたせることができるし、作者の信条から外れていてもより大きな何事かを描き出すためにあえて己とズレのある思想をシミュレーションすることもできるし、あるいはただ単純にそういう思想をもっているという設定自体を目的として思想をもたせることもできるのであって、なるほど作者が演出に介在する以上キャラクターのメンタリティが作者と無関係ではないにせよ、いつもまったく相似的に作者=キャラクターを同一視してそのアタマの中をのぞきこんだつもりになっていいわけではないのである。 区別をつけた上で関連づける、それならまだいいが、区別の手間を惜しんで短絡的にまるまる重ね合わせることは避けておいたほうが、整理がついて、かつ幅のある見方ができて望ましい。 また、いわく「このキャ

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    prisoner022 2008/07/05
    小説でもマンガでもアニメでもそうだけど、そういうものだけで思想のようなものを語ったような気になるのは微妙ですよね。思想は思想書で読め、とか。
  • テレビアニメを支える裏方主義の倫理も知っていただきたい。 - 新・アニメ・批評

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    prisoner022
    prisoner022 2008/05/22
    なかなか辛口の記事。人気者は作られる。そのことを意識しつつ、・・・。/しかしインターネット時代のアニメ誌の役割って言うのはどうなんでしょうかね。(出版業界も難しかろうと要らぬ心配。)
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    prisoner022
    prisoner022 2008/02/29
    どんなに製作陣がアニメに重要なメッセージを込めたところで、現実は《アニメという娯楽的に消費される枠組みの中でやっている限り、ぐるぐる回りを続けるしかない》ものなのだ、この現実を認識せよ
  • おおー、なんか警告書とか送ってきたぞ?ww - NaokiTakahashiの日記

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    prisoner022
    prisoner022 2008/02/10
    アニメはマンガのような個人作業ではなく共同作業で、歯車のひとつにならなければならない/アニメ監督・プロデューサーにカリスマ性を求める理由はアニメが集団制作だから
  • WEBアニメスタイル_COLUMN

    「平安魔都からくり綺譚」のような疑似歴史物を書く小説家の方は数多くいるし、僕の作品よりもずっと面白い小説が、いっぱいあると思う。 それらの作品以上の面白さを持つものを、僕が書ける自信は正直いってなかったし、現実にありもしない事を、あたかも現実にあったように並べ立てて面白がる事に、さほど楽しみを感じなくなっていた。 疑似とまではいかないが、自分の思い込みで物事の歴史を語っていた……それが決して歴史上の事実とは結果的に間違いでなかったにしても……『まんがはじめて物語』シリーズの僕の語り口に、自分自身、いい加減、飽きてしまったのだ。 『まんがはじめて物語』シリーズの13年間は、僕にとって長すぎたのかもしれない。 おまけに、TBS系のアニメ『まんが世界昔ばなし』という番組も3年間以上、メインライターをやっていた。 この作品も、誰もが知っている「シンデレラ」や「あかずきん」のような昔話はいまさら話を

    prisoner022
    prisoner022 2008/01/30
    結局、近代や現代の道徳観や倫理観が、もとは決して明るいとは言えない昔話や民話を、子供が聞かされても読んでも心地よい話に、変貌させていった