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ブックマーク / d.hatena.ne.jp/aureliano (31)

  • 『おおかみこどもの雨と雪』をめぐる批評とそれを非難する人の考察と心がベコってへこんだはるかぜちゃんへのアドバイスと『ダークナイト』のぼくの見方は間違っていたということ - ハ

    先日、『おおかみこどもの雨と雪』の批評を書いたら、一部の人々から「またデタラメなこと書きやがって!」とブコメやTwitterで非難された。その人たちにはいくつかの共通項があって、「1.アニメ好き」「2.ハックルが嫌い」「3.20代から30代の男性」「4.『おおかみこどもの雨と雪』を見てとてもとても感動した!」ということなのだけれど、一夜明けて女性のアニメ好きの人たちから『おおかみこどもの雨と雪』はあまり面白くなかったという評価がぽつぽつ聞こえるようになると、とたんに気勢をそがれて元気がなくなっているのが面白かった。それで、その人たちが慌てて自分の周囲を見回して、ハックルを非難している人たちの属性をあらためて確認してみると、そこにもう一つ「非モテ」という属性が加えられていることを知り、さらに意気消沈して非常にがっかりしていた。特にTwitterでは、月曜日にはあれほど元気だったのがみるみる萎

  • ネタバレ『おおかみこどもの雨と雪』評 - ハックルベリーに会いに行く

    このエントリーはほぼネタバレで構成されています。 映画のどこをどう読むか (ジブリLibrary―映画理解学入門)作者: ドナルドリチー,Donald Richie,三木宮彦,司馬叡三出版社/メーカー: スタジオジブリ発売日: 2006/01メディア: 単行クリック: 3回この商品を含むブログ (3件) を見る映画の見方がわかる―『2001年宇宙の旅』から『未知との遭遇』まで (映画秘宝COLLECTION)作者: 町山智浩出版社/メーカー: 洋泉社発売日: 2002/08メディア: 単行購入: 194人 クリック: 6,106回この商品を含むブログ (169件) を見る 見終わって最初に思ったのは、「消化不良の映画だ」ということだ。とらえにくい。もやもやが残る。なぜもやもやが残るかというと、カタルシスがないからだ。映画を見終わった後、なんとも言えない胃のもたれが残る。小骨がいつまで

  • iPhoneのデザインが人を引きつける理由を感覚的にではなく論理的に説明する - ハックルベリーに会いに行く

    清水さんが、自身のブログでiPhoneのデザインの美点について説明しようとしているけど、結局のところ彼は、「これは説明できないもの」という結論ありきで論を進めているので、惜しいかないいところまでは肉薄しているけど(そのための努力を相当払っているというのは初めて知った)、しかし最後の壁が乗り越えられないでいる。最後の壁を乗り越えた人にとっては、iPhoneの良さは自明であり、それは言わずもがなだから思わず「説明するまでもない」とも思っちゃうんだけれども、しかしこれはけっして説明不可能なことではない。理解できる人は、その人の中でも、ちゃんと論理的に価値の解釈や処理が行われているのだ。デザイン、ファーストクラス、クオリア、ゲーテ - UEI/ARC shi3zの日記 そこでここでは、iPhoneのデザインの素晴らしさを論理的に、なるべく端的に説明することにトライしてみる。想定読者は清水さんだ。清

  • ぼくのブログは誰も読まないので割と自由です - ハックルベリーに会いに行く

    ぼくはブログを書いていると時々当に読んでいる身近な方から「なぜブログを書くのですか? ハックルさんは作家だからそれは商品をただで提供することにはならないのですか?」と問われるけど、ぼくのブログは割と気で全然誰も読んでいないので、何を書こうと自由なのです。誤字脱字も自由。それでぼくの作家としての評価が毀損されるということは丸出梨世で、その代わり評価が高まるということもまたないので、当に気が楽なのです。特にぼくのブログは宣伝効果がほぼないということが割とはっきりしてきたので、宣伝を入れるとますます書くことが自由になる。その昔、自殺しようとした時に今生の思い出にと多摩クリスタルに行った話も勇気を振り絞って書いてみたけれど、割とスルーされたのでした。その分、話題になるのは子育ての考え方について疑義を唱えたりネット民の既得権益について何か抵触するようなことを書いた時だけ一瞬夏の夜の花火のように

  • 若い頃先輩が教えてくれた、なんでも譲り渡すというライフハック - ハックルベリーに会いに行く

    ぼくが放送作家に成り立ての頃、聞けばなんでも教えてくれる先輩がいた。仕事のやり方、営業の仕方、業界のしきたり、テレビマンという職業の習性、求められるキャラクター、さらには、女の子との仲良くなり方まで。あるいは、ネタの作り方や企画の出し方なんかも教えてくれた。「若手はとにかく根性を見せないといけないから、ネタ出せと言われたらすぐ出さなきゃいけないんだけど、あまり早すぎてもなめられるんで、翌日の朝4時にファックスしろ。なぜ4時かというと、その時間に仕事を頑張っているというのは印象が良い。てっぺん付近(午前零時頃)は、仕事か遊びで忙しくしているイメージを作るために、あえて連絡の取れない場所にいろ」とか。後は、「遊びの金は惜しむな」とか。企画会議でネタを提案した時、「近頃○○という店が流行っているらしいんですけど——」と言うのと、「近頃○○という店に行ってきたんですけど——」だったら、絶対に後者の

  • 絶対的な「笑いの法則」 - ハックルベリーに会いに行く

    最近、ブロゴスに転載されるかされないかの基準が、ちょっとだけ分かった。それは、記事で宣伝をしているかどうかだ。宣伝をすると転載されないが、宣伝をしないと転載される。なので、転載されたくない記事については、これから積極的に記事中で宣伝をしていこうと思う。この記事については、ブロゴスには転載されたくないので後で広告が出てきます。 ところで、先日「面白さを決めるのは読者ではない」という記事を書いたら、読んだ人の評価が真っ二つに分かれていて面白かった。ぼくの意見に賛同してくれた人もいれば、真っ向から反対であったり、「何を言っているか全く分からない」という人もいたようだ。反対の人の代表的な意見というのは、ブロゴスに書き込まれた以下のコメントに集約されていると思う。 面白さ、というのは主観的な作用なのだから、情報の受け手しか判断できない。逆にいえば、絶対的に面白いもの、なぞ世の中に存在しない。みんなが

  • 子育てがしんどい人は自分の感覚を疑ってみよう - ハックルベリーに会いに行く

    最近、子育てに「しんどさ」を感じる人がいて、いろいろ問題になっているようだ。参考:しんどいよな|くわばたりえオフィシャルブログ「やせる思い」 by Ameba ところで、子育てに「しんどさ」を感じる人に対してぼくが言えることがあるとすれば、それは「自分の感覚を疑ってみよう」ということだ。「しんどく思う自分自身に、何か問題があるのではないか?」という問い立てをしてみよう――ということだ。こう書くと、とたんに「そういう言説が母親を追い込むんだ!」などと口角泡を飛ばして反論する人がいるけれども、ぼくが言いたいのはそういうことではない。つまり、子育てをしんどく思うことを道徳的にとか常識的に云々したいわけではなくて、まず、しんどく思うその心のメカニズムを考えてみましょうよ、ということなのである。 ここで、しんどく思う心のメカニズムを考えてみる。人間がしんどく思う時って、一体どういう時だろう? 結論か

  • 日経新聞を変えた「フィードバック」という化け物 - ハックルベリーに会いに行く

    日経新聞が、電子版の記事で「ソニー、アップルに楽曲配信」と報じているが、これは文を読んでみると、iTunesストアの販売ではなく専用アプリでのダウンロードを開始しただけ、というのが分かる。長い間の懸案となっている「iTunesストアへの無配信」が解消されたわけではないのだ。ソニー、アップルに楽曲配信 販売増へ戦略転換  :日経済新聞日経の釣り記事「ソニー、アップルに楽曲配信 販売増へ戦略転換」まとめ - Togetterつまり、いわゆる一つの釣り記事なのだが、日経新聞はここのところ、こうした釣り記事を連発して評判となっている。特に、任天堂についての記事では、任天堂の社長や広報から何度も名指しでデタラメだと指摘されるなど、問題視されていた。ニュースリリース : 2012年6月5日Twitter / Nintendo: [岩田]ところで、月ところで、なぜ日経新聞がこのような釣り記事を書くよ

  • ネットを捨て、街へ出て分かったこと - ハックルベリーに会いに行く

    ぼくは、作家としてデビューする前にまずネットの世界で有名になった。まだが出る前のこと、たまたま株式会社はてなとは比べものにならないくらい大きくて有名な、某ネット企業の社員の方々と事をする機会があったのだけれど、そこで先方にいたく感激されたことがあった。「あの有名なハックルさんに会えるなんて光栄です」と。それで、「ぼくのことなんて知ってるんですか?」と聞くと、「ネットの会社に勤めてて知らない人はいないんじゃないですかね」と返されて、そういうものかと思った。ところで、当たり前の話だけれど、だからといってぼくが一般的にも有名人だったというわけでは全然ない。ぼくのブログを読んだことのある人は、リアルでは滅多に会う機会がなかった。100人会って1人いればいい方だった。みんな、ぼくのブログを読んだことはもちろんハックルという名前すら聞いたことがなかった。ネット以外のIT企業に勤めている人すらほとん

  • マンガの原稿料を4倍にする方法 - ハックルベリーに会いに行く

    こちらのブログ記事を読みました。佐藤秀峰 日記 | 漫画 on Webマンガ家佐藤秀峰さんの友だちが、原稿料を7千円に減らされて、べていくのもかつかつの状況になり、「このままではもうマンガ家という職業は成り立たないのでは?」という問題に直面しました。そこで佐藤秀峰さんは、マンガ家という職業を存続させるために、7千円の原稿料でもべていけるよう、「制作費のコストカットは如何にすれば実現できるか」ということを考えています。しかし、これは率直に申しあげてあまり良い考え方ではありません。経営者は、利益を確保しようとするとすぐ「コストをいかに減らすか」という方向に議論を展開しがちなのですが、コストカットや価格競争は負のスパイラルに陥ってしまって、最後は必ず衰退の憂き目を見るのでいいことはありません。だから、もしこの先もマンガ家という職業を継続していこうとするのならば、「いかに制作費を減らすか?」で

  • メディアリテラシーとは何か? もしくはメディアリテラシーを身につけるためにはどうするばいいのか? - ハックルベリーに会いに行く

    片岡Kさんという方が、コラージュして作られた女子高生のパンチラ画像をTwitterで多くの人々に流布させた(あるいは閲覧を促した)。そると、それに対して、それはコラージュ画像(コラ)で、当該女子高生を不当に貶め、また辱めているものだから、ネットで流布させてはいけませんよ、とクレームをつける人が現れた。すると片岡Kさんは、これがコラかどうかは見た人が判断するべき問題で、コラだと気づけなかった人は単にリテラシーが低いだけでその人の責任だと言い、またそういうクレームをつけた人に対しては、おれがこの画像をコラージュしたわけじゃないからおれに非はない。非のない人に文句をつけるのはルサンチマンだと言い返して、ちょっとした炎上状態になっている。直近のツイートでは、Twitterで文句を言われるのにちょっと疲れてしまったので、小休止するという旨の宣言されているが、反省や謝罪の弁はまだない。詳細はこちら。「

  • 音楽業界はなぜ縮小したか? - ハックルベリーに会いに行く

    音楽業界はなぜ縮小したか? を文系的に考察する。 「生活必需品としての価値の下落」音楽業界が産業として最も大きくなったのは(最も売上が高かったのは)1990年代半ばから後半にかけてとのことで、その当時ぼくは20代の若者だった。その頃のぼくの気分というものを振り返ると、CDを買って聞いていないと、ちょっと人間関係的にヤバいなぁみたいな雰囲気があった。というのも、一つには「つき合いのカラオケ」というのがあった。ぼくは特段カラオケが好きというわけではなかったが、仕事のつき合いでも、あるいはプライベートの合コンなどでも、カラオケに行く機会はよくあった。だから、そこで歌うための歌を仕込んでおく必要があった。そしてそれは、できれば流行りの歌が良かった。最新ヒットチャートを賑わしている歌を歌えば、周囲の評価が高かったからだ。だから、カラオケで歌うためのヒット曲のCDをよく買った。その頃に買ったのは、猿岩

  • 「なぜ勉強をすべきか?」という問いに対する回答の思考実験 - ハックルベリーに会いに行く

    なぜ勉強をしなければならないか? それは「疑問を解消」するためだ。日人は、子供のうちは誰でも国民の義務として勉強をしなければならない。しかし勉強は、多くの場合苦痛を伴う。「面倒くさい」とか、「分からない」とか。そこで、自然と「なぜこんなことをしなければならないか?」という疑問が湧きあがってくる。ここまでは誰でも一緒。だけど、ここで大きく二手に分かれる。それは、「その疑問を解消したい」という人と、「特に解消しなくてもいい」という人だ。勉強するかしないかは、この一点にかかっている。さらに、ここからが重要なのだが、人間は誰しも「疑問を解消しないことは気持ち悪い」と感じるようにプログラムされている。これは「能」といっていい。例外はない絶対の法則だ。「腹が減ったらご飯をべたくなる」と一緒である。生きるうえでの基礎的な能力である。ところが、この能がうまく機能しない人たちがいる。それは「自分に嘘

  • ハウスインはいかにすれば救われるか? - ハックルベリーに会いに行く

    前のエントリーの続きなんだが、前から思ってたのだが、ぼくのエントリーにしたり顔で突っ込むやつの小者感が半端ない。フジポン氏もそうなのだがノヴ75氏もそうで、文章が下手な人ほどぼくの文章下手に見えるという罠があるが、それは自分の文章がへたくそであるというコンプレックスの投影に過ぎないのでみっともないのでやめた方がいい。そんなだから、消毒氏に口を極めてののしられるのだ。また、ぼくがヲチネタをすることを不自然に感じたり無理やりだと感じる人もちらほらいるようだけど、情弱のそしりを免れなくてみっともない。raf00氏とかashitano244氏とかね。ぼくはもともとヲチネタで弾けた人物であって、それを知ってる人はフエタロ氏みたいにヒットアンドウェイーでけっして近くに寄って殴りかからず、遠くから石を投げるだけにとどめているのだ。近くに寄るとすぐに噛みついてくるのでね。 それはいいとして続きを書くと、今

  • すたでぃぎふとの面白さを素人に伝える - ハックルベリーに会いに行く

    ここ数日すたでぃぎふとの騒動を面白おかしく横目で眺めているんだけど、これが実にWEB的な面白さで、ぶっちゃけ素人には伝わらないんだよね。ぼくのなんかは説明してもなかなか分かってもらえない。だけど、そんなに説明するつもりで、つまりすたでぃぎふとの面白さを説明するつもりでこのエントリーを書いたら面白いかと思ったので、書いてみるよ。まず初めに、ネットの世界にはモヒカン族というとネイティブアメリカンに差別的で申し訳ないけど、WWW警備隊というか、変なやつがいないかパトロールして見張ってるお節介なやつらがいるんだよね。これの代表が仮にカノセ(仮名)という名前にしておこうか。他にもたくさんいるけど、総じてハックルベリーのことが嫌いというのは一致しているがこれは余談である。あとオツネ氏とかライツ(仮名)ってのもいるな。いっぱいいるからいちいち列挙するときりがないんでこれくらいにしておくか。で、このカ

  • フジテレビの深夜番組『OMOJAN』に出て思ったこと - ハックルベリーに会いに行く

    前から不思議だったのだが、『HEY!HEY!HEY!』とか『ダウンタウンDX』に出ている芸能人は、なぜか普段のその人よりも珍妙な発言をする。例えば梅宮辰夫さんなんかは、他の番組に出ている時はおかしなことを言わないのに、ダウンタウンの番組に出ている時だけ、狂気にも似た珍妙な発言をくり出すことがよくある。梅宮さんだけではなく、当に多くの芸能人が、ダウンタウンの番組に出る時だけ、なぜか異様にサービス精神が旺盛になったり、異様に支離滅裂になったり、異様に破天荒になったりする。それは一体なぜそうなっているのか?――番組の演出(編集)が上手いのか、あるいはダウンタウンの前に出るとみんなテンパってしまうのか、これまではよく分からなかった。しかしその理由が、この前フジテレビの深夜番組、おもしろ言葉ゲーム『OMOJAN』という番組に出演した際に、初めて分かった。この番組は、何か告知や宣伝がある人が出演し、

  • 執念も10年持ち続けると信念になる - ハックルベリーに会いに行く

    AKB48の第4回選抜総選挙がフジテレビで生中継されるという。AKB総選挙、3時間生中継!随時速報など国政仕様!! (デイリースポーツ) - Yahoo!ニュースこの記事を読んで、久々に秋元康さんが昔よく言っていた言葉を思い出した。それは、「これからは劇場の時代だ」というものだ。 秋元さんが「これからは劇場の時代だ」と言い出したのは、ぼくの記憶が確かならば、おそらく2000年代の初頭だった。その頃の秋元さんは、今と同じくさまざまな企画を練っていたのだけれど、そのうちの一つに「別の事務所に所属するアイドルの卵同士をリングに上げ、何か特技をやらせ、どちらの特技がより観客への訴求力があるかを競わせて、そのトーナメント大会を定期的に開催することによってリーグ戦化し、上位入賞者にはCDデビューなどのご褒美が贈られる」という、今のAKB48の原型ともいえるようなものがあった。ぼく自身も、この企画の企画

  • 2年間で講演を200回以上やったことによって見えてきた現代に欠如するもの - ハックルベリーに会いに行く

    『もしドラ』を出してから、ぼくは数えると200回近くの講演を行った。去年(2011年)はおおよそ3日に1回講演をしていた計算になり、それまでは一度もしたことがなかったので、これはぼくの生活を激変させるような大きなチャレンジだった。ぼくは講演をすることがそもそもの仕事ではないから、「講演をしない」という選択肢もあった(つまり講演をしなくても生活することはできた)。それでも(生活を激変させてまで)講演にトライしたのは、「そこに何かがある」という予感があったからだ。「そこに何かがある」という予感は、ぼくがロールモデルとしている『ハックルベリー・フィンの冒険』を書いたマーク・トゥエインが好んで講演会を行った、というエピソードを知っていたからだ。マーク・トゥエインがなぜ講演を好んで行ったのかは知らなかったが、しかし好んで行ったのは知っていた。だから、「そこに何かあるのではないか」と思ったのだ。文学史

  • 障害者への理解が進まない理由を考える - ハックルベリーに会いに行く

    「障害者とは何か?」というのはぼくの生来のテーマである。ぼくは幼少の頃より自分と他者との間にいつも大きな差異を感じ、その隔絶に悩んだり苦しんだりしてきた。「他人と違う」ということに大きな優越感とコンプレックスとを抱き、その両者の間を行ったり来たり、あるいは間に立って引き裂かれそうになったりしてきた。しかしやがて、ビートルズの――というよりジョン・レノンの作った『ストロベリー・フィールズ・フォーエバー』という曲を聞くに至って、その歌詞にあったとあるセンテンスに自分と同種の感慨を見出し、これに大いに慰められたのである。その歌詞とは、以下のものである。「No one I think is in my tree, I mean it must be high or low」 直訳すると、以下のようになる。「ぼくの木には何もとまっていないんだと思う。ぼくが言う意味は、きっと高すぎるか低すぎるというこ

  • これからはローカルで勝てる人材こそ求められる - ハックルベリーに会いに行く

    エンジン01で茂木健一郎さんとお話しした時も出た話題なのだけれど、グローバルで勝てる人材というのはどう考えても「いま」のトレンド」なわけであって、いまトレンドだということは、次の世代においてはもはや時代遅れということであり、これから社会人になるという人が目指すには不適切だ思う。これからの時代に必要な人材とは、変化の激しい世の中に柔軟に対応していける人だと思うから、こういう(グーグルで最も出世した日人が吠えた!国籍、人種は無関係。真に戦えるグローバル人材の必要条件はこれだ!  | 知の大国アメリカ?ランド研究所から? | 現代ビジネス [講談社])記事を読んで闇雲に「グロバール企業人」を標榜するようでは、むしろ一等最初に淘汰されてしまうのではないかと考える。 だから、これからの時代に求められる人材は、「これからの時代を読める人物」ということになるのだけれど、それで言うと、まず「ローカルな関