並び順

ブックマーク数

期間指定

  • から
  • まで

1 - 40 件 / 73件

新着順 人気順

ⅵ倫理の検索結果1 - 40 件 / 73件

  • 公務の執行を妨害する自由は たいせつだよ - やねごんの日記

    学生だったころ、しりあいから きいた はなし。 そのひとは 哲学科の 学生で、高校の倫理の教員免許をとるために、教育実習に いったのでした。たしか、カントかなにかを つかって、「自由とは なにか?」というようなテーマで、授業をやったんだそうです。 かのじょが いうには、実習さきの教師に「自由」についての授業をやりたいという計画を はなしたら、あらかじめ くぎをさされた、と。そのせいで、どうやって授業をくみたてたら よいものか、こまっちゃったよ、ということでした。 その実習さきの教師の いいぶんとは こうです。「とくに高校生たちのなかには、自由の いみを はきちがえるものが おおい。他人に めいわくを かけるのも自由だ、という あやまったかんがえを もっているものも すくなくない。だから、授業は きほんてきに あなたの やりたいように やっていいけれども、『自由には責任がともなうこと』また『

      公務の執行を妨害する自由は たいせつだよ - やねごんの日記
    • 続・リテラシー考 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

      リテラシーについて考えるとき、ひとつの出来事を思い出します。職場にて。私の席の隣に座っている、年配のクリエイティブ・ディレクター。彼は仕事で調べものがあったらしく、私に、ちょっとこの言葉の意味、ネットで調べてくれないかな、と言いました。私はちょっとめんどうだなと思うものの、Googleを使ってその言葉の意味を調べ、彼に教えました。すると、彼は、私に次から次へと依頼をするようになってしまいました。 何回か、そうしたやりとりが続いたとき、少し先輩のアートディレクターが、かなり思い詰めた口調で、その年配のクリエイティブ・ディレクターに言いました。 「それくらい自分で調べたらどうですか。迷惑なんですよ。」 私はそのとき、確か、いえいえ、こんなの簡単だから別にかまわないです、とか言って、その場を繕ったりした覚えがありますが、今も脳裏に焼き付いているのは、その年配クリエイティブ・ディレクターの寂しそう

        続・リテラシー考 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
      • 僕が募金に違和感を感じるわけ - 猫は勘定にいれません

        「身銭切れ」心臓移植希望の女児支援HP、中傷相次ぐ 最近世間を騒がしているこの話なんですが、最近肉親を亡くしたものとして思うところがあるので書いてみます。 なんであれ「死ぬ死ぬ詐欺」というのはひどい言い方だし、ご両親の娘さんをなんとか助けたいという思いに嘘はないと思う。なのですが…ですが、正直言って募金という行為自体にどうしても拭いきれない違和感を感じてしまう自分がいます。自分がどうしてそんなふうに感じるのかを考えてみると、募金には、ある意味で「裏技」的なところがあるからなんじゃないか。ゲームにたとえれば(不謹慎ですいません)、普通にプレイしても手に入らないような額を、所持金のデータをいじって手にしてしまうような。 僕の話をします。僕は、この夏の父の入院~死にあたって、何の金策もしませんでした。借金も、財産を売ることも、もちろん募金も(64才の癌患者に募金が集まるはずはないけど)しませんで

        • 倫理の教え方 - キリンが逆立ちしたピアス(ブログ版)

          id:toledさん経由で、トリアージをめぐって議論が起きている。 id:fuku33さんは、経営学の授業*1で、トリアージについてこのように述べた。 また、別の回に、資源の有限性がその合目的的な最適配分を促し、戦略性やリーダーシップや組織内の規範意識も意思決定も価値判断もそこから始まる、ということをわかりやすく説明したくって、四川の震災のニュースを挙げてトリアージの概念を説明した。絶対的に医療資源が不足しているところでは、「もう助かりそうにない患者」と「患者自身が処置したら大丈夫な患者」はカテゴライズして分けて、その間の「治療しなければ助からないが治療すれば助かるかも」というところに有限の医療資源を配分する、というシステムがあるんだよ、ということを説明したら、やっぱり女子学生のかなりの部分から「かわいそうだ」という反応があった。 これ、「トリアージの判断をしなければいけないお医者さんたち

            倫理の教え方 - キリンが逆立ちしたピアス(ブログ版)
          • http://d.hatena.ne.jp/kusamisusa/20061125/p3

            • 因果関係は責任関係ではない - 赤の女王とお茶を

              「本当は、できるでしょう?」の原初的風景 ホームレスの人を助けるべきか ある行為がある現象の原因になっている、あるいはなっている可能性がある、なんてことはそれこそ無限に言える話。 ホームレスの人に8000円渡して病院に行かせたために医療ミスで逆に障害を負ってしまうかもしれないし、医師の手が塞がって他の重症患者が手遅れになってしまうかもしれない。その8000円をアフガンに送ればもっと多くの人命が救えたかもしれないし、逆に武器になって人を殺すかもしれません。お腹の子を産めば不幸になるかもしれないし、誰かを不幸にするかもしれない。そうやって考えている内に手を動かせば誰かの命が救えたかもしれないし、救えないかもしれない。 そういうあらゆる因果を「責任」として捉える立場があっても別に構いませんが、その場合「責任」という概念自体が無意味になってしまうでしょう。 「責任」というのは自然における因果を示す

                因果関係は責任関係ではない - 赤の女王とお茶を
              • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

                【自分語り】1推しの卒業によせて . 私の1推し、ゆきりんこと柏木由紀ちゃんが、17年に渡り在籍したAKB48を卒業することになった。 この機会に、ゆきりん推し(48ファン)としての自分自身のことをすべては不可能であるものの振り返ろうと思う。 内容からして世代がわかることも仕方ないし、限りなくゼ…

                  はてなブログ | 無料ブログを作成しよう
                •  あなたしか知らない女 - 花房観音  「歌餓鬼抄」

                  「妻とはしてない」と言う男の人って、ホント多い。 で、妻とはしてない人は、大抵他に恋人がいたり、何らかの形で遊んでいたりする。「だって男だから、したくなるのは当たり前。妻のことは家族として大事だけど、女として見られない。だから外でする。」と言いながら。あと、妻がしたがらないからって人も多いですけど。 私が、じゃあ奥さんの方は、どうしてるの? 外でしてるの? と聞くと、答えをにごす人がいる。女の方に聞くと、子供を生んでからしたくなくなった、子育てで大変で、それどころじゃないと言う人などがいる。じゃあ、そうじゃない人はどうしてるの? Kちゃんは24歳。結婚して2年になる。子供はいない。Kちゃんは夫しか男を知らない。そして結婚して1年にもならないうちからセックスレスになった。結婚前はあんなにしていたのに、今はもう夫がしたがらない。夫の仕事は朝早くて夜遅いハードな仕事なので、毎日帰ってくると疲れた

                     あなたしか知らない女 - 花房観音  「歌餓鬼抄」
                  • 悪ということ、少し - finalventの日記

                    Gの本で、なぜか英語で覚えているのだが、No salt, no sugar という、彼お得意のナスレデッィン風の格言があったか。意味はよくわからないのだが、塩味がないと砂糖の甘さも効かないということかもしれない。Gは直接は悪を語っていない。Gはなにかもっとぞっとするような暗黒のようなものを語っている。彼にとって悪がなんであるかはわからないが、弟子との関わりでは、人が普通に悪と思うものについては寛容であったし、彼は意図的に悪を振る舞った。子どもだったピーターズはGにある女性になぜ不公平に振る舞うのかと問うたとき、Gはそれによって人が哀れみの心を持つと答えていた。たぶん、ある種の社会的な悪というのはGにとってはまったく意味の異なったものであり、存在の高度化はそうした機能的な悪との関わりを持つものでもあったのだろう。 ネットなどでも昔はそうでもなかったように思うのだが、ぞっとするような悪が露出す

                      悪ということ、少し - finalventの日記
                    • 個人主義批判 - Munchener Brucke

                      個人主義批判言説がここ最近よく聞こえるようになった。面白いことに右派は個人主義をサヨクだと言い批判し、これからは共同体主義だと言い、左派は個人主義を新自由主義の所産だと批判しこれからは共同体主義だと言う。 結局日本の古い右派も左派も実は共同体主義、悪く言えば全体主義であって、個人主義は70年以降のアメリカのラディカルカルチャーの影響を受けた穏健左派と80年代以降に入った新自由主義によってもたらされたものである。個人主義を右か左といった二分律で説明するのは不可能である。 また戦後民主主義が個人主義だと言い張る人は、かなりの事実誤認で、日本の戦後は典型的な企業一家的な共同体主義である。ワタミフーズの渡辺美樹氏などがあまりにも堂々と戦後民主主義が個人主義だとか拝金主義だとか誤った事を言うのは閉口である。 日下公人がベタな右からの個人主義批判をしているのを見つけたので、ちょっといじってみたい。 個

                        個人主義批判 - Munchener Brucke
                      • はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました - はてなの告知

                        はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました 以下のエントリの通り、今年末を目処にはてなグループを終了予定である旨をお知らせしておりました。 2019年末を目処に、はてなグループの提供を終了する予定です - はてなグループ日記 このたび、正式に終了日を決定いたしましたので、以下の通りご確認ください。 終了日: 2020年1月31日(金) エクスポート希望申請期限:2020年1月31日(金) 終了日以降は、はてなグループの閲覧および投稿は行えません。日記のエクスポートが必要な方は以下の記事にしたがって手続きをしてください。 はてなグループに投稿された日記データのエクスポートについて - はてなグループ日記 ご利用のみなさまにはご迷惑をおかけいたしますが、どうぞよろしくお願いいたします。 2020-06-25 追記 はてなグループ日記のエクスポートデータは2020年2月28

                          はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました - はてなの告知
                        • 炎上時における傍観者一個人の感情について - Diary Blog of Dary

                          「うわべだけ規則に従って、規則違反はコッソリやるべし」という規律は、「健全な社会」にとって極めて重要である。(炎上と、<他者>のメンツを立てること) - 草日記を見て違和感を感じたので、ちょいと書いておく。 ネットにおける炎上はいくつかのパターンが存在するが、今回はDQN犯罪告白系の炎上についてのみ書く。DQN犯罪告白系の炎上とは、ある人物がブログなどで、「こんなんしたよ〜」と友人に雑談するかのごとく、低モラルな行為を告白している(そして本人は悪いとの認識薄い)のを主に2chの住人が発見して、以下略な炎上の事を指す。タイムリーな話で言えば、「テラ豚丼」とか「テラ豚丼に対抗して、ゴキブリのケン○ッキーゆとり揚げ」とかで、他にもキセルの件から発覚した中学生と淫行の末孕ませた件とかエアロバキバキの件とか当て逃げ動画の件とか、まあ他いろいろ。 こーゆーのを見ているときの自分の感情とは言うと、カタル

                            炎上時における傍観者一個人の感情について - Diary Blog of Dary
                          • クローズアップ現代2月2日放送「私の人工呼吸器を外してください」書き起こし - ただいま村

                            昨日放送されたクローズアップ現代「私の人工呼吸器を外してください〜「生と死」をめぐる議論〜」がとても興味深かった。 医療の発達で、難病(ここではALS)の患者も、当面死なせないことはできるようになった。しかしALSが進行するとすべての運動機能が失われ、患者は意識がはっきりしたまま、自分の意志を外部へ伝えられなくなってしまう。 あるALS患者が、自分がこの先意思の疎通ができなくなったときには、人工呼吸器を外してほしいという要望書を病院に提出した。 この要望をどうとらえたらよいのか、また自分の意見をほかの人に納得してもらう考え方は。 病気や医療を超えてたくさんの示唆を含むと考えて、番組の内容を書き起こしてみた。(長いよ!) いきなり追記(2009/02/05 13:54) ALS 「NHKクローズアップ現代」(09/02/02)の感想から - シャ ノワール カフェ別館 http://d.ha

                              クローズアップ現代2月2日放送「私の人工呼吸器を外してください」書き起こし - ただいま村
                            • コールバーグの道徳性発達理論

                              コールバーグの道徳性発達理論 道徳的価値観というものはどのようにして獲得されるのでしょうか?ローレンス・コールバーグは、人は道徳的価値観を思考や推論を通して学んでゆくものなのだと考えました。そして、道徳性の発達を研究するために、コールバーグは様々な年齢の子どもたちにいろいろなジレンマ状態を提示しました。次のお話は彼が子どもたちに用いた道徳的ジレンマの一つです。 ある女性が癌のために死に瀕していました。もし彼女を助けられるとすれば、それはある薬を使った場合だけです。ある薬剤師がその薬を開発したのですが、彼はその薬に、薬の開発費用の十倍もの値段をつけました。この癌に苦しんでいる女性の夫は1,000ドルしかお金を準備できなかったのですが、薬剤師は2,000ドルを要求しました。夫は薬剤師にもっと薬を安く売ってほしい、あるいは後払いにしてほしいと頼んだのですが、薬剤師の答えはNoでした。失望した

                              • 弁護士であることと人間であること - 地を這う難破船

                                http://www.heiwaboke.com/2007/10/post_1140.html http://hashimotol.exblog.jp/6613152/ http://hashimotol.exblog.jp/6618303/ �����֥����ɤ���Ĩ�������Ԥγ������� - �����۸��ΤΤĤ֤䤭 はてなブックマーク - エコ… - お姉さん(おばちゃん?)達の井戸端会議! - 楽天ブログ(Blog)(元記事削除済) 「懲戒請求」の検索から来訪される方がある。6月より、幾度も記してきた。改めて、乱暴と粗雑を承知で、事情について私なりに説明したく思う、願わくは、懲戒請求の当事者が読まれることを。 先ず。「国民感情」は措きます。僭称、ということではなく、「国民感情」については巷間言われる通りと私は思いますが、然るに、「国民感情」とは、個々人の判断と自由意

                                  弁護士であることと人間であること - 地を這う難破船
                                • 他人の悲惨を「絶好のチャンス」と言ってしまう人 - Arisanのノート

                                  動画も記事自体もすぐにリンク切れになると思うけど、一応。 NHKのお昼のニュースから。 http://www3.nhk.or.jp/news/k10015961631000.html 液晶パネルの需要が減っていることを受けて、大手電機メーカーのシャープは、奈良県天理市と三重県多気町の工場の液晶パネルの一部の生産ラインを廃止し、これに伴っておよそ380人の非正規従業員を削減する考えを明らかにしました。 シャープは、12日午前、大阪で記者会見し、世界的な景気の低迷で需要が減っている液晶パネルについて、生産の効率化を進める必要があるとして、携帯電話やパソコン向けの液晶パネルを生産している、奈良県天理市と三重県多気町の工場のそれぞれ一部の生産ラインを来年度の前半までに廃止し、三重県亀山市にある工場に集約することを発表しました。これに伴う、派遣社員など非正規従業員の扱いについて、シャープの井淵良明副

                                    他人の悲惨を「絶好のチャンス」と言ってしまう人 - Arisanのノート
                                  • 狂気→自己中、というレッテルには容赦したくない - シロクマの屑籠

                                    久しぶりに、読んだ瞬間に怒りで血が沸騰しそうな文章に遭遇しちゃいました。 ヤンデレ萌えは対象愛じゃなくて自己愛じゃないのか - こころ世代のテンノーゲーム(コメント欄で私暴走) いや、すいません。ちょっと熱くなりすぎました。 しかしそれこそ、「娑婆世界のおハナシ」では、多数派であることが「正しさ」の根拠となりえ、少数派が「異常」と見下されることなど常なのではないですか? そして、孤立することが少数派の外的特徴であり、その外的特徴を「正しい」視点から客観記述すれば「自己中心的」だとされるのでは? ならばこそ、「狂気」=「異常」な精神のありようを「自己中心的」と表現しても、それほど強烈な非難を受ける理由にはあたらないように思えますが。 http://d.hatena.ne.jp/umeten/20070324/p2#c なるほど、umetenさんのコメントにおける「自己中心的」という単語のニュ

                                      狂気→自己中、というレッテルには容赦したくない - シロクマの屑籠
                                    • 恵まれない人を見殺しにすると言うけれど - Backlash to 1984

                                      マスメディアも発達していなかった頃には、自分の知らないところで多くの人が死んでいても知りようがない。ではその頃は、そうした恵まれない人たちを見殺しにすることが現代人より少なかったということになるのかな。現代では、テレビや新聞を見て、世界中の悲劇を見る機会が増えた。だけど何もしないで見ているだけだから、見殺しにしていることになるんだ間接的な人殺しなんだと言うけど、そしたらそれは、情報が発達したから間接的な殺人者が増えたということになる。何の話なのだ。こういうことじゃないか、テレビや新聞を見て「何もできない…見殺しにしちゃうしかない…間接的な人殺しなんだ私たちは…」と感傷にひたる人が増えましたよ、みたいな話でしかないだろう。 どうも変な自己満足的感傷が多いな、この話題は。ただの感傷ならまだしもだけど。 http://d.hatena.ne.jp/kmizusawa/20070416/p2 人の

                                        恵まれない人を見殺しにすると言うけれど - Backlash to 1984
                                      • むしろ現代の方が「倫理意識」は高いんじゃないの?(追記あり) - すなふきんの雑感日記

                                        食品偽装から何から最近企業の不祥事が話題になりすぎのような気がするが、これって何も今に始まったことじゃなく今までは問題にならなかったような事柄が問題になるようになっただけなんだろう。つまり基準の網の目が小さくなってより細かいものまで捕捉する様になったということで、何も昔は道徳観・倫理観がしっかりしていたからそういう問題そのものがなかったのではないということだろうと思う(むしろ今より余程いい加減なことは多かったはず)。もちろん、このことが望ましいことかどうかはまた別問題だが、事実としては社会の倫理基準が厳しくなりつつあるということは言えるかと思う。マスコミ(左右とも)などは鬼の首を取ったように騒ぎ立てる傾向があるが、人々の倫理意識の「低下」が各種不祥事をもたらしているというより、むしろ逆ではないだろうか。そうでなければマスコミの「煽り」にも人々は反応しないだろうからだ。むしろ今の人間の方があ

                                        • http://www.sankei-kansai.com/01_syakai/sya052005.htm

                                          • 2007-11-27 「仄めかしメソッドネタ」にまじになっちゃってる人ってなんなの? - とーびーらーんぶしー

                                            媚びからの一連の流れを見ていて、なーんかモヤモヤした違和感があったんだけど。 ツィッターで何人か怒りまくっているみたいなんだけど、まじになっちゃってる人は余程行間が読めないのか、「芸」についての観念があまりにも自分とかけ離れているのか。別に喧嘩を売りたいわけでも嫌味言いたいわけでもなく、純粋に不思議に思った。 なんてね。 ともさんものがみんさんも、ツィッターでプロテクトかけて私から見えないところで愚痴愚痴言ってないで、直接「言いたいことを言」えばいいのに。 「言論の自由」を言うのであれば、こちらも言論のみを利用して話をしているんですから、正面から「言論」で反論してきたらいいのにね。まぁまた「話すだけ無駄だから」というコテコテの手法で自意識を守るのかな? まぁ私はガンガン気にせず言い続けますから、好きなだけ愚痴っててくださいね。自意識は大切ですから。頑張って守ってください。 で、ブックマーク

                                              2007-11-27 「仄めかしメソッドネタ」にまじになっちゃってる人ってなんなの? - とーびーらーんぶしー
                                            • http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2007042790080734.html

                                              • 愚行権とか、啓蒙の暴力とか - モジモジ君のブログ。みたいな。

                                                「問題は疑似科学ですらない」@地下生活者の手遊び 「愚行権」にせよ、「啓蒙の暴力」にせよ、実に粗雑な使われ方をしてるのをよく見かける。あまりに酷いので、当面、自分で使うのは自粛しているくらいなんだけど、またか、という感じではある。 「愚行」を支えるもの とりあえず、愚行権とはどういうものか、tikani_nemuru_M氏の記事もあるわけだが、そのまた元ネタであるところのミル『自由論』に遡って引用してみる。 ……社会が個人として強制と管理という形で干渉するとき、そのために用いる手段が法律による刑罰という物理的な力であっても、世論による社会的な強制であっても、その干渉が正当かどうかを決める絶対的な原則を主張することにあるのだ。その原則はこうだ。人間が個人としてであれ、集団としてであれ、誰かの行動の自由に干渉するのが正当だと言えるのは、自衛を目的とする場合だけである。文明社会で個人に対して力を

                                                  愚行権とか、啓蒙の暴力とか - モジモジ君のブログ。みたいな。
                                                • 規範ベースの議論、人格ベースの議論 - REV's blog

                                                  http://d.hatena.ne.jp/Mr_Rancelot/20070623/p1 文字列の優劣を競うのを、虚飾とかなんとかかんとかアルファブロガーウザイとかいって、人格ベースの議論にすると、否定されるのは文字列じゃなくて人格になるので、人によっては寂しいとおもうんだけど。 あと、厳格な規範の恣意的適用、という問題があるので、特に高潔な倫理を叫ぶ人はその言動が気になる。 例えば、200円募金をしない人間は間接的殺人者、という理論を提唱するなら、特定の人物、集団を「間接的殺人者」とラベル付けすることができる。ついでに、不快感を示した人を自虐力不足と嘲笑できるし。もし、提唱者が、自分だけでなく、家族にも部下にも上司にも、「間接的殺人者」とラベルし、不快感を示した人を自虐力不足と形容できるなら、そういう思想なんだな、と思う。そうでなければ、他人の心を動かすための、アドホックな規範と区別が

                                                    規範ベースの議論、人格ベースの議論 - REV's blog
                                                  • 道徳的詐術とは何か、その2 - モジモジ君のブログ。みたいな。

                                                    先のエントリでは「x0000000000さんの主張が道徳的詐術である、という論証はどこにもなかった」とだけ述べ、uumin3さんの記事そのものは引用さえしないですませた。むしろ、x0000000000さんの議論を上書きする形で、僕自身の立ち位置を書いた。いわば、構築的に議論を進めたということだ。今回は、uumin3さんの批判記事を具体的に引用しつつ検討し、そちら側から見えるものを明らかにしていこうと思う。今回も、「道徳的詐術」@uumin3の日記を取り上げる。 あらゆる責任に先行する応答責任 私がコンビニに持っていった「その200円」がなかったばかりに一家四人が死んだという仮定。これがまずあり得ないことを言っています。もしそこをアクロバティックに結びつけ得たとしても、そこで私が「その200円」をアフガニスタンのその家庭に贈ったために足りなくなった200円で、パキスタンの子供が飢えて死んでし

                                                      道徳的詐術とは何か、その2 - モジモジ君のブログ。みたいな。
                                                    • 暗闇の海底でみる夢~哲学の断想集~ - 働かなくても食っていける社会はやってこない。『働かなくても食っていける社会がもうすぐやってくるよ(アンカテ)』についての言及。

                                                      うまくいかない日に仕込むラペ 「あぁ、今日のわたしダメダメだ…」 そういう日は何かで取り返したくなる。長々と夜更かしして本を読んだり、刺繍をしたり…日中の自分のミスを取り戻すが如く、意味のあることをしたくなるのです。 うまくいかなかった日のわたしの最近のリベンジ方法。美味しいラペを…

                                                        暗闇の海底でみる夢~哲学の断想集~ - 働かなくても食っていける社会はやってこない。『働かなくても食っていける社会がもうすぐやってくるよ(アンカテ)』についての言及。
                                                      • 貧しい人にほどこすことの善と、それを語ること。ベネディクト16世の「自然法」について - あんとに庵◆備忘録

                                                        このところ、締切にぎりぎりと痛めつけられているので、頭を使いたくない。文字で構成していかねばならないぱそなんかもっての他である。ましてやもともとがロジカルよりは直感的人間なのに、仕事となるとその直感力を駆使しなきゃならんので余計にロジカルさからは遠くなる。 かくして、文字上での論争とか、論理的なことは脳に入らなくなるであるよ。 しかし、ネト仲間のuumin3さんを通じて知った色々な議論を読んでいて、うううむ。と色々考えてしまった。倫理の問題が延々と語られている。あ〜。なんつうか、トマス・アクイナスかドゥンス・スコトゥス辺りにおいで願って整理してもらいたくなるぐらい複雑怪奇な様相を数多のブログが組んず解れつやりはじめている。(というか、中世辺りでも前述の神学者達が、ごにょごにょと同じく複雑怪奇にそういう問題を考えていたわけで、その辺りの書物*1を当たると色々出て来そうだけど、やりたくないよね

                                                          貧しい人にほどこすことの善と、それを語ること。ベネディクト16世の「自然法」について - あんとに庵◆備忘録
                                                        • http://www.asahi.com/culture/update/0121/TKY200801210418.html

                                                          • 死刑判決の妥当性ではなく - キリンが逆立ちしたピアス(ブログ版)

                                                            光市母子強姦殺人事件の被告に、死刑判決が下った。上告するようだが、予想通りはてな村では、たくさんの記事が書かれている。私は、前の記事の文脈もあって、この件については、時間をかけて考えようと思っている。 たとえば、素朴に率直にこのような気持ちを持っている人がいる。 私が反対出来ないのは、「もし自分が被害者の立場となった時、犯人が生きる事を許せる」と言い切れないからです。 もし、自分がその立場になったら「社会的な影響?判例?そんなのはどうでもいい、とにかくあいつを裁かせてくれ!」となってしまうであろう事が想像できます。 (略) あちこちで本村氏が批判されているのを見かけるけれども、氏は非常に理性的に、かつ合法的に犯人に対する最大限の報復を成功させています(言い方は悪いですが)。 しかも、本来ならば失う筈も無かった9年もの歳月も掛けて。 m-bird「だから死刑に反対しない」『m-birdの日記

                                                              死刑判決の妥当性ではなく - キリンが逆立ちしたピアス(ブログ版)
                                                            • 「間接的○○」については今後もう書きません。 - 女教師ブログ

                                                              倫理 「すべての人間は、間接的○○」という言葉を聞くと傷つく人間もいるそうだ*1。そのような人に配慮せよ、というのはとても納得がいく。その点は、一応、マジメに考えたつもりだ。だから私は「ピンポイント爆撃」というキーワードを、先日のエントリで示してみた。ただでさえ、謂われのない罪悪感にもがき苦しんでいる人間に、さらに拳を振り上げるような真似はしたくない。彼/彼女たちに「爆撃」しようなどとは思っていない。彼(女)たち(だけ)は守りたい。 しかし、私が守りたい人たちは、私が振り上げた拳で本当に傷つくのだろうか。「すべての人間は、間接的○○」と聞いて、罪悪感を増幅させてしまうのだろうか。 端的に言って、そうは思えない。ここ10日間近く考えてみたが、どうしてもそうだとは思えない。その根拠となるサンプルは私自身である。 自分の不作為が他者の生を閉ざすことを「殺人」とするならば、私は少なくともひとり、理

                                                              • 2006-11-27

                                                                別に厳密な定義があるってわけじゃなく、個人的印象論。 道徳は、共同体のルール。 倫理は、自分のルール。 つまり、共同体が崩壊した時に失われるのが道徳で、それでも残るのが倫理、と。 そういう意味で考えると、日本には「道徳教育」はあっても「倫理教育」がないよなあ。 もともと「倫理」というと一神教的な「神から自分へのルール」だったわけで、そのあたりの文化的な差もあるのかも。 まあp_shirokuma氏やfromdusktildawn氏のように、道徳にしろ倫理にしろ単に環境適応のために必要なミームとして捉えることも可能ではあるでしょう。 ただここでfrom氏がいうように、人間の意志は単なる環境適応の奴隷ではないわけで、その意味で「自分のルール」というのは非常に「人間的」といえるのかもなあ、とか思いました。 関連:コールバーグの道徳性発達理論 道徳的命令に従う訓練ばかりやってると、メリット・デメリ

                                                                  2006-11-27
                                                                • 応答責任、再論 - モジモジ君のブログ。みたいな。

                                                                  応答責任について、再度確認しておこう。 たとえば、ほっておけば自分では何もできないであろう赤子*1がいて、それを見ている人がいるとする。その人は、その赤子の面倒を見るのだ、と決意したとする。ある人は、そこで初めて倫理的責任が生じたのだ、と言う。そして、そうした何らかの手続きを経てその人に引き受けられた責任にしたがって、その赤子の面倒を見る、つまり、責任を果たす。──しかし、こうした記述は、私たちが無力な者を目撃するときに生じている様々なことどもを、きちんと捉えているだろうか。 次のような問いを立ててみよう。赤子の面倒を見ると決意したその人が、決意する前に考えることは一体何であろうか。明らかなことは、その人は決意する前には何ら強いられるような感覚を感じず、自らの意志によって決意したときに初めて何かの強いられる感覚を感じる、というようなものではないということだ。私たちは、決心しようとしまいと、

                                                                    応答責任、再論 - モジモジ君のブログ。みたいな。
                                                                  • http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20070624i101.htm

                                                                    • 承認と分配──介護の政治と経済 - モジモジ君のブログ。みたいな。

                                                                      「障害者は介護者を喜ばせなければならないのか」@世界、障害、ジェンダー、倫理☆ この記事に対する共感を込めて、気になる点を一つ批判しておく。 僕としては、人が生きがいを感じたり求めたりすること、それ自体が批判されるべきことではないと考える。それを殊更に言上げするかは別にして、しかし、やりがいはあっていいし、あった方がいいと考える人もいるだろうし、いてもかまわない。とりあえず、これを確認しておく。 その上で、生じている問題は、次のようなものである。介護保障がなされていない状況では、介護をする側の意思によって介護がなされたりなされなかったりする他はなく、それゆえに介護を(不可欠に)必要とする障害者(=要介護者)の側では、介護者に「感謝しなければならない」「気に入られなければならない」。つまり、介護者が介護を失うこと(やめること)はやりがいを失う以上のことではない、しかし、障害者が介護を失うこと

                                                                        承認と分配──介護の政治と経済 - モジモジ君のブログ。みたいな。
                                                                      • ホームレスの人を助けるべきか - G★RDIAS

                                                                        x000000000さんのエントリー「「本当は、できるでしょう?」の原初的風景」(2007年4月9日 http://d.hatena.ne.jp/gordias/20070409/1176086019)が、hatena村で異様な反響を呼んでいるようである。それらの反響は、どれもたいへん興味深い。 x000000000さんの提起された論点については、私も結論をもっているわけではない。ここではまず、ザックリとした問題提起をしてみたいと思う。 x000000000さんの当初の論点はこれであった。 たとえば、私がコンビニで200円のおやつを買おうとするという状況を想定する。 目の前に、募金箱がある。そこには「アフガニスタンの人達は、4人家族で200円あれば1日暮らしていける」と書かれてある。 それでも、その文字が目に入りながらも、私はおやつを買うとする。 このときに、私が「募金できない」と言うのは

                                                                          ホームレスの人を助けるべきか - G★RDIAS
                                                                        • http://d.hatena.ne.jp/kusamisusa/20070424/p1

                                                                          • NaokiTakahashiの日記 - 別に誰がそうだと言っているわけでもないが。

                                                                            • 泣き言メイン(琴子のセンス・オブ・ワンダーな日々) - 無意識の差別

                                                                              57だか58とかで、駆け込み乗車するのは、人間としてどうなんだろう? 「都内で駆け込みって何処の田舎もんだよ」ってのがニュース聞いたときに思った感想。 1時間に1本しかないような田舎なら、まあ、考えられるかも知れないけど……。 次来る電車が見えてそうな都内で駆け込みって……。 これで、企業側の安全確認に問題が云々ってのは来るんだろうけどねぇ。 安全確認に問題あってもねぇ。なんか、やるせねーなとは思った。 「物を持つ物は、物を持たざる物の真似をしてはいけない」 これは、正しい倫理か? ここには恥も倫理も何もない。そもそもそういう概念がまったく頭から抜け落ちてしまった、実に薄ら寒い姿の人間であるということが、ここにつけられたコメントを読むだけでわかってしまう。 中世ヨーロッパでは階級社会といって、各階級が他の階級を知ろうとしてはいけなかった時代がありました。 労働者はパブで飲み、決してサルーン

                                                                                泣き言メイン(琴子のセンス・オブ・ワンダーな日々) - 無意識の差別
                                                                              • 詐術2 - uumin3の日記

                                                                                (※下に追記あります) 先日の「道徳的詐術」関連です。女教師ブログのterracaoさんのところで「「人殺し」扱いされるのがそんなに嫌ですか。」というエントリーを見かけました。 1. 俺は人殺しじゃない、俺は人殺しじゃない、俺はひt(以下略 http://d.hatena.ne.jp/gordias/20070409/1176086019のx0000000000氏の文章を引いてるエントリ*1をいくつか読んで思ったこと。 みんな、必死の形相で、自分の《人殺し》性を否定してる。。。 必死すぎるよ。 《間接的》であれば、当然誰もが潜在的に「人殺し」だと思うんだけどなー。そりゃ、つらいのはわかるけど、事実として直視しなきゃいかんだろう。もちろん責任の取り方はいろいろ。全部の責任を負うわけじゃない。 というわけで、自虐力が落ちている! (←これ、言いたかっただけ*2) (以下略) どうでしょうか? 

                                                                                  詐術2 - uumin3の日記
                                                                                • みなさん頑張って「美しい国」を作ってください

                                                                                  Yahoo!ニュース - 必修科目の履修漏れ問題 飲酒運転追放キャンペーンの次はこれか! 予想外だ。 このところ庶民の生活にも影響のある不正追放キャンペーンが続いているが、たいへん結構なことだ。政治家やら官僚やら、縁遠い人々ばかり攻撃しているのはおかしい、まず自分たちの生活から改めるべきだ、と私は思ってきた。どうして他人にばかり、息の詰まるような倫理的生活を押し付けられるのか、と。 <履修不足>「前から疑問だった」受験控え不信、憤り(毎日新聞) 「美しい国」を掲げた安倍晋三さんの内閣が、今のところ高支持率を保っている。今回の件は安倍政権のプログラムではなく、たまたまこの時期に話題になったということに過ぎないが、現代の日本は、こうした問題提起が大衆の耳目を集める状態にあるわけだ。さて、日本人はどこまでクリーンな生き方ができるのかな? ま、相変わらず自分以外の誰かさんに責任転嫁する連中ばっかり