なぜこの状況が「わらい」というものに変換されて絵に表現されるのか。 ただただ、不思議だったのだ。 鎌倉時代から江戸時代の多くの性に関する文献を見ていると、様々な表現はある時突如として登場したというよりも、歴史や生物的な事柄の積み重ねであることはよくわかる。 性の営み(つまり”生きること”)を描いた春画は「わらい」と密接であり、即物的な興奮を促すだけではなく、教訓めいたものやその当時の流行までも描く。 その表現の中のひとつに「女性の果てることのない性欲と、それに懲りる男性」というパターンがある。 男性が女性の果てのないセックスの相手になり、途中からそれが男性にとっての苦しみとなり、男性はすっとんで逃げたり、「もう許してくれ」と懇願するのだ。 この表現が当時の春画の読者に受け入れられていたのは何故だろうか。 そしてこの関係において性別が逆転したときの表現方法はどうだろうか。 鎌倉時代に描かれた