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アルバム ビル・ラズウェルの検索結果1 - 40 件 / 68件

  • 菊地成孔 1万字インタビュー | CINRA

    本インタビューは、「菊地成孔とペペ・トルメント・アスカラール」の新作を発端に、「わかりたいあなたのためのCINRA的・菊地成孔入門」として構想された。博覧強記の音楽家・菊地成孔の正体を見極めよう、という目論見である。しかし、その狙いは見事に外れてしまった。鋭敏な感性と精緻な知性に裏打ちされた、音楽・ダンス・映画等々に関する膨大な固有名詞を台風の様に巻き込んでいく彼の言葉は、吐き出されるとともに地平線の向こうへと消えていった。あっという間に。彼に追いつくことは生半可ではなかったのだ。それでいて、親しみやすいアニキのような雰囲気をたたえた彼。なぜか「一緒に飲みながら話を聞いてる」錯覚にも襲われてくる本稿、ぜひ「右手に哲学書、左手にビール」をご用意いただきお読みください。 (インタビュー・テキスト:木村覚 写真:柏井万作) ダンスとダンスミュージックの「特殊域」を模索しています ―菊地成孔とペペ

      菊地成孔 1万字インタビュー | CINRA
    • 細野晴臣 ソロ活動40周年インタビュー - 音楽ナタリー 特集・インタビュー

      細野晴臣が、最新アルバム「Heavenly Music」を発売した。ボブ・ディランやフランク&ナンシー・シナトラ、CARPENTERSらが生み出してきたスタンダードの数々のカバーを収めたこの作品は、アレンジ、ボーカル、ミックスに至るまで自身が手がけ、その独自の視座で名曲群に新たな魅力を与えている。そして細野は今年、ソロ活動40周年を迎えた。これを記念してナタリーでは細野のロングインタビューを公開。ロック、フォーク、ワールドミュージック、アンビエント、スタンダード……と縦横無尽に音楽を作り続けてきた氏に、“ソロワーク”をテーマに40年を振り返ってもらった。 取材・文 / 加藤一陽 インタビュー撮影 / 八島崇 1969年9月10日 「エイプリル・フール」 / エイプリル・フール 1970年8月5日 「はっぴいえんど」 / はっぴいえんど 1971年11月1日 「風街ろまん」 / はっぴいえん

        細野晴臣 ソロ活動40周年インタビュー - 音楽ナタリー 特集・インタビュー
      • サラーム海上のゼロ年代音楽ベスト10

        雑誌「ミュージックマガジン」2010年6月号は「ゼロ年代アルバム ベスト100 洋楽編」特集だ。 「ミュージックマガジン」は僕が高校生だった頃1984年くらいから、海外にいた期間を除いて、ほとんど毎号読んできたので、もう三十年近い付き合いがある。学生だった80年代、音楽業界で働き出した90年代を通じて、僕の音楽指向の基礎部分の多くを培ってくれたのはまぎれもなく「ミュージックマガジン」誌だった。そして、文章を書く側としても、僕がフリーの音楽ライターになった2000年10月の頃から約10年にわたってお世話になっている。 「ゼロ年代アルバム ベスト100 洋楽編」特集。最近は何かと「ゼロ年代」の総括が話題になっているので、なかなかのタイミングだ。僕は参加していないが、僕の尊敬するワールド音楽の先輩達、原田尊志さん、石田昌隆さん、松山晋也さん、北中正和さん、そして大石始君らも参加しているので、

        • 80年代最高のビデオ作家ゴドレイ&クレームの作品を回顧する - YAMDAS現更新履歴

          先日調べものをしていて、The Works Of Godley & Creme(以下 TWGC と略記)というゴドレイ&クレームのファンサイトを知った。 ゴドレイ&クレームことケヴィン・ゴドレイとロル・クレームの二人は元々イギリスのポップロックバンド 10cc のメンバーで……と書いてみたが、今では 10cc のことも知らない人が多いだろうな。そういう人でも "I'm Not in Love"(YouTube)を聴いたことがあるだろう。この曲もゴドレイ&クレームが在籍した時代の 10cc の曲である。 1976年にバンドを脱退した二人はコンビとして音楽活動を行う傍ら、80年代に入るとプロモーションビデオも数多く手がけるようになり、高い評価を得る。 80年代に少年時代を過ごしたワタシにとってプロモーションビデオはとても大事な媒体だった。かつて「スパイク・ジョーンズからゴドレー&クレームに」と

          • アフリカ・バンバータ - Wikipedia

            アフリカ・バンバータ(Afrika Bambaataa、本名:ランス・テイラー(Lance Taylor) 1957年4月17日 - )はアメリカ合衆国ニューヨーク州ブロンクス区リバーサイド出身のミュージシャン、DJ。 ヒップホップの黎明期である70年代から活動しているベテランである。1982年の曲『プラネット・ロック』(Planet Rock)でも知られている[1]。 ヒップホップにおいて、クール・ハーク、グランドマスター・フラッシュと並ぶ、ヒップホップの黎明期に関わった3人のDJの1人とされている[2]。 1973年にブロンクスで、アフロアメリカンの若者による組織「ズール・ネイション」を設立した。ラップ、DJ、ダンス(ブレイクダンス)、グラフィティなどの黒人の創造性文化を統合したのがヒップホップである。 ライターのスティーヴン・ハガーは、ヒップホップが活字媒体に最初に記載されたのは、ヴ

              アフリカ・バンバータ - Wikipedia
            • ダブ - Wikipedia

              ダブ(dub)は、レゲエから派生した音楽制作手法、及び音楽ジャンルである。ダブ制作に携わる音楽エンジニアのことを特にダブ・エンジニアという。語源はダビング(dubbing)であるとされている[1]。 ダブはジャマイカで始まった音楽手法とされている[1]。同国のレゲエ盤ではB面にA面の曲からボーカルやホーンのトラックを削除したカラオケ音源(ヴァージョンという)を収録することが多かった[1]。しかし、1968年頃にジャマイカのレコーディングエンジニアであるキング・タビーがサウンド・システム用のボーカル抜きのトラック(ヴァージョン)を製作する過程で強いエフェクターをかけたものを偶然発明したとされる[1][2]。しかし、リー・ペリーまたは、エロール・トンプソン(英語版)がダブの発明者であるという説もある。1970年代には世界中にダブの手法が広まった[1]。 ダブは本来ボーカル入りの楽曲を加工したも

              • ジャズ・トゥナイト 2021年8月7日(アルカナ、リタ・パイエス & エリサベト・ローマ、ベルモンド・クインテット) - ラジオと音楽

                ホットピックス Arcana『Arc of the Testimony』 ドラムのトニー・ウィリアムスとベースのビル・ラズウェルのユニット:アルカナが1997年にリリースしたセカンド・アルバムの再発。 Arc of the Testimony M.O.D. Reloaded Amazon Black Money この曲は今回追加された未発表曲。1996年に録音されトニー・ウィリアムスのラスト録音の一つだそうです。 Rita Payes & Elisabeth Roma『Como La Piel』 スペインのカタルーニャから母と娘によるユニット。リタ・パイエスは現在21歳のトロンボーン奏者、シンガー。ジャズバンド、ビッグバンドで研鑽を積み、既に自己名義を含め様々なプロジェクトで多くの録音を発表しています。母親であるエリサベト・ローマはクラシックギターをバックグラウンドとして持つ音楽の先生でも

                  ジャズ・トゥナイト 2021年8月7日(アルカナ、リタ・パイエス & エリサベト・ローマ、ベルモンド・クインテット) - ラジオと音楽
                • 「パゾリーニの『テオレマ』に出てくる荒れ地が私のなかにある」─ 新作『FIVE FINGER DISCOUNT~万引き』でPhewが屹立する場所 - webDICE

                  傑作アルバムである。様々なアーティストがカヴァー・アルバムをリリースしている、それらは好きな音楽を唄ったもの、売るために企画されたもの、オリジナルより容易く制作できるからといった理由が大半だろうが、このPhewのアルバムは違う。彼女がライブで歌っていた「Love Me Tender」を除き、今の時代にリリースすべきアルバムとしてオリジナルアルバムを創るように、歌詞を選んで構成したという。まず言葉があり、アルバム1枚がまるで絵のない映画のようにカヴァーされた歌により物語られていく。その物語は寄り添う人も、寄り添うものも何もない荒野に立ち尽くし、歩き始める主人公の物語だ。骨格のはっきりした他人の楽曲をブレンダーにかけ、そのエッセンスを濾過して、今の時代に黄泉がえさせるためにはテクニックを超えたシャーマニックなパワーが必要とされる。Phewとそのセッションメンバーによる、テクニックと呪術力により

                    「パゾリーニの『テオレマ』に出てくる荒れ地が私のなかにある」─ 新作『FIVE FINGER DISCOUNT~万引き』でPhewが屹立する場所 - webDICE
                  • ASIAN MUSIC NETWORK

                    HOME ARVHICE 来たるべき「非在の音」に向けて――特殊音楽考、アジアン・ミーティング・フェスティバルでの体験から 細田成嗣 来たるべき「非在の音」に向けて――特殊音楽考、アジアン・ミーティング・フェスティバルでの体験から 細田成嗣 「民俗」(folk)や「未開」(primitive)という用語と同様に知識階級の自民族優越思想の跡をとどめている「民族的なもの」(ethnicity)について語るのではなく ――ホセ・マセダ(1) 東洋とか西洋とかいうことばは、漠然たる位置と内容をあらわすには、たいへん便利なことばだけれど、すこし精密な議論をたてようとすると、もう役にたたない。 ――梅棹忠夫(2) 考えてみれば、「アジア論」とは、ヨーロッパが思いつきで与えたオリの中でのからさわぎのことではないだろうか ――田中克彦(3) (1) ホセ・マセダ『ドローンとメロディー 東南アジアの音楽思想

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                    • ROVO - Wikipedia

                      ROVO(ロヴォ)は、日本のバンド。 1995年、勝井祐二、山本精一らが中心になって「宇宙っぽいことをやろう」ということで結成された。芳垣安洋、岡部洋一らの出す圧倒的な高速ダブルドラミングから「人力トランス」とも言われ、Strobo、Soft、NATSUMENなどの後続のグループを生み出すことになった。 メンバー[編集] 現在のメンバー[編集] 山本精一(エレクトリック・ギター) 勝井祐二(エレクトリック・ヴァイオリン) 芳垣安洋(ドラムス、パーカッション)1996年加入。 岡部洋一(ドラムス、パーカッション)1997年加入。 原田仁(ベース) 益子樹(シンセサイザー) 元メンバー[編集] 岡野太(ドラムス)太陽の塔時代のメンバー 広瀬淳二(サックス)太陽の塔時代のメンバー 宗修司(ドラムス)Robo時代のメンバー 中西宏司(シンセサイザー)2001年加入。2004年11月19日脱退。 略

                        ROVO - Wikipedia
                      • #156 灰野敬二:デビュー・アルバム『わたしだけ?』を語る

                        Interview by 剛田武 Takashi Goda Photos by 佐藤ジン Gin Satoh PROFILE 灰野敬二(はいの・けいじ) 1952年5月3日千葉県生まれ。アントナン・アルトーに触発され演劇を志すが、ザ・ドアーズに遭遇し音楽に転向。ブラインド・レモン・ジェファーソンをはじめとする初期ブルースのほか、ヨーロッパ中世音楽から内外の歌謡曲まで幅広い音楽を検証し吸収。1970年、エドガー・アラン・ポーの詩から名を取ったグループ「ロスト・アラーフ」にヴォーカリストとして加入。また、ソロで自宅録音による音源制作を開始、ギター、パーカッションを独習する。1978年にロックバンド「不失者」を結成。1983年から87年にかけて療養のため活動休止。1988年に復帰して以来、ソロのほか不失者、滲有無、哀秘謡、Vajra、サンヘドリン、静寂、なぞらない、The Hardy Rocks

                          #156 灰野敬二:デビュー・アルバム『わたしだけ?』を語る
                        • 家政婦は見たPart3「細野晴臣氏の黒歴史? FOEを検証する」 - POP2*5

                          Making of NON-STANDARD MUSIC アーティスト: 細野晴臣出版社/メーカー: インペリアルレコード発売日: 2001/11/21メディア: CD クリック: 26回この商品を含むブログ (4件) を見る 今年の初め、スペースシャワーTVのほうから依頼を受けて、日本のテクノポップ史をクロニクル形式で構成した2時間のテレビ番組の選曲を担当させていただいた。以前、『史上最大のテクノポップDJパーティー』というイベントを主宰していた時、ビデオが流せるようにプロジェクターを置いてお客が車座になってそれを囲み、懐かしいフィルムコンサートみたいに、80年代当時の様々なグループのビデオを延々2時間半も観るという“番外編”的な試みを一回だけやったことがある。クラブ文化の隆盛前夜で、そういう試みが珍しかったのもあって、各レコード会社から「建前はPRということでね」ということで許可をもら

                            家政婦は見たPart3「細野晴臣氏の黒歴史? FOEを検証する」 - POP2*5
                          • The Stalin | ele-king

                            70年代にJamやHEAVENといった雑誌をサポートしていた群雄社という出版社があり(84年に倒産。ニューアカで有名な冬樹社が表なら、こちらが仮に裏とでも思って下さい)、そこで出版部長を務めていたYさんから「ミチロウがテクノに興味を持っていて、彼のスタッフから連絡が行くと思う。電話があったら相談にのってあげてくれ」と言われたことがある。ラフィン・ノーズのYOSU-KOとPONがCOW COWというハウス・ユニットを始めた頃で、パンクからハウスへの変化は必然だったと彼らから聞いていたこともあり、ミチロウがテクノというのもありえない話でもないのかなとは思ったものの、結局、スタッフから電話がかかってくることはなく、次の年にはテクノどころか「遠藤ミチロウがギター一本で全国ツアー」みたいな告知文を目にすることとなった。ザがつかないスターリン解散直後のことで、ミチロウが次に何をやろうか迷っていたなかに

                              The Stalin | ele-king
                            • 板倉文(チャクラ、キリング・タイム)録り下ろしインタビュー - POP2*5

                              拙者と同郷で、もっとも敬愛するミュージシャンの一人、板倉文氏のインタビューは、拙著の公式ホームページ用の独立した読み物として98年に取材されたもの。本来なら、P-model、ヒカシュー、プラスチックスに続く“第二次テクノポップ・ブーム"の当事者として、あるいは神谷重徳氏の関連事項として、2001年の改訂版『電子音楽 in JAPAN』に採録することも考えたが、電子音楽との関わりとして構成するのが難しく、掲載は見送った。が、当時から現在まで、板倉文氏の雑誌媒体でのクロニクルなインタビューはほとんど存在しない。初掲載時には入手困難だった一連の仕事がAMJより一気に再発されて聴きやすくなったこともあり、彼の作品群をぜひ耳にしていただきたいという思いから、今回、当ブログに記事を再録することにした。チャクラ〜キリング・タイムという、日本のオリタナティヴ・ロックの変遷を歩いてきたキー・パーソンであり、

                                板倉文(チャクラ、キリング・タイム)録り下ろしインタビュー - POP2*5
                              • Public Image Ltd@六本木EX THATERのライブのこと - WASTE OF POPS 80s-90s

                                チャットモンチーの話は先にしたんですけど、前日の7月3日は六本木EX THATERにPublic Image Ltd観に行ってたんですよ。仕事を相当にやっつけて駆け付けたりかなり必死だったんですけど。何か2階には電気グルーヴが2人ともとか、その筋の人もたくさん来ていたみたいですが。 何かJohn Lydon先生は気が付くたびに容積が増えているような気がするのですが、今回知りうる限りのMAXサイズ。それでもめちゃめちゃ声は出ているので問題ない。 で、アンコール含めて1時間半に収まるコンパクトなライブ、セットリストは以下の通り。 01.Warrior>From「9」(1989) 02.Memories>From「Metal Box」(1979) 03.The Body>From「Happy?」(1987) 04.The One>From「What the World Needs Now」(20

                                  Public Image Ltd@六本木EX THATERのライブのこと - WASTE OF POPS 80s-90s
                                • ファラオ・サンダース - Wikipedia

                                  ファラオ・サンダース(Pharoah Sanders、1940年10月13日 - 2022年9月24日[1])は、アメリカ合衆国のジャズ・サクソフォーン奏者。アーカンソー州リトル・ロック出身。晩年のジョン・コルトレーンと活動を共にしており、彼の後継者として知られている。 クラリネットを始めた後に、テナー・サックスへと転向した。当初はブルースを演奏し、ボビー・ブランドがリトル・ロックを訪れた際、バックを務めた経験もある[2]。1959年、大学進学のためにカリフォルニア州オークランドへ移り、デューイ・レッドマンやフィリー・ジョー・ジョーンズらと共演後、1962年、拠点をニューヨークへと移す[3]。 サン・ラとの共演を経て、1964年、自身初のリーダー・アルバム『ファラオ』をESP-Diskレーベルから発表した。1965年にはジョン・コルトレーンのグループに加入する。コルトレーンにとって唯一の日

                                    ファラオ・サンダース - Wikipedia
                                  • 藤原ヒロシさんの音楽遍歴 マイノリティが協力すると面白いカルチャーが生まれる|好書好日

                                    文:宮崎敬太、写真:有村蓮 藤原ヒロシ(ふじわら・ひろし) 音楽プロデューサー、fragment主宰 1964年三重県伊勢市出身。82年にロンドンへ遊学し、翌83年にはニューヨークでヒップホップのDJを体験。日本に帰国後、スクラッチを駆使したクラブDJとしての活動をスタートさせた。ヒップホップ、ハウスなどのDJを経て、95年に1stアルバム「NOTHING MUCH BETTER TO DO」を発表。また小泉今日子、UAのプロデューサーとしても高い評価を得た。最新作は2017年リリースの「slumbers」。さらに音楽と並行してさまざまなストリートブランドのクリエイティブワークにも携わる。近年はルイ・ヴィトンやモンクレール、ナイキといった企業のクリエイティブ・ディレクションも手がけている。 パンクはスノッブなマイノリティが結束して生まれた ――ヒロシさんは1982年に渡英してから、独自のコ

                                      藤原ヒロシさんの音楽遍歴 マイノリティが協力すると面白いカルチャーが生まれる|好書好日
                                    • ジョン・ゾーン - Wikipedia

                                      ジョン・ゾーン(John Zorn、1953年9月2日-)は、アメリカ合衆国ニューヨーク州出身のサクソフォーン奏者、作曲家、編曲家、インプロヴァイザー、音楽プロデューサー、バンドマスター。 フリー・ジャズ、前衛音楽、グラインドコアなどの様々な音楽を吸収しており、ジャンルを特定することは難しい。親日家であり、歌謡曲のコレクターである。1990年代にはニューヨークと東京とを行き来し、高円寺にアパートを借りていたこともあった[1]。 来歴[編集] 1970年代中期から本格的に音楽活動を始め、1980年代に入ると、インディーズ・レーベルから何枚かのアルバムを発表。 1985年、エレクトラ・レコード傘下のノンサッチ・レコードと契約し、1986年にエンニオ・モリコーネ作品のカヴァー集『復讐のガンマン〜エンニオ・モリコーネ作品集』発表。 1989年、ネイキッド・シティ(Naked City)を結成。 1

                                        ジョン・ゾーン - Wikipedia
                                      • ディス・ヒート - Wikipedia

                                        グループが結成された1976年からファースト・アルバムが発表された1979年にかけてのイギリスのミュージック・シーンは、アート・ロックやグラム・ロック等から、パンク・ロックやニュー・ウェイヴへの大きな転換期にあたる。そのような時代にバンドはダブ、フリーミュージック、ノイズミュージックなどの要素を持ちつつそれらを肉感的なバンドサウンドと合わせて表現し、当時の既成ジャンルにカテゴライズし難い独自の音楽を展開していた。メンバーはプログレッシブ・ロックや民族音楽に関わりを持っていたこともあるが、バンドの音楽性自体はカンやスロッビング・グリッスル、リー・ペリーなどから影響を受けている[1]。 1977年初頭にラジオDJジョン・ピールによってデモ・テープが流され、これがバンド初のラジオ出演となった。デモ・テープはキャンバーウェルにあるチャールズ・ヘイワードの実家で録音された。制作にはガーナ人パーカッシ

                                        • 【2020年・メタル周辺ベストアルバム】前編 Metal The New Chapter - Closed Eye Visuals

                                          【2020年・メタル周辺ベストアルバム】前編 Metal The New Chapter 2020年に発表されたメタル周辺作品(音的にはメタル要素の乏しいものも含む)を36枚選び、各々の作品についてだけでなく関連するトピックについてもまとめたものです。 前編となる本稿は17作品で Roadburn Festival ビートミュージック、メインストリーム ニューヨーク周辺の越境シーン/人脈(特にジャズ方面) について書いています。 メタル関係のメディアでは残念ながら現時点ではあまり言及されていない領域ですが、このジャンルの未来を考えるにあたっては特に重要なものばかりだと思います。ディグや議論の素材になることができれば幸いです。 closedeyevisuals.hatenablog.com closedeyevisuals.hatenablog.com 【一覧】 Emma Ruth Rund

                                            【2020年・メタル周辺ベストアルバム】前編 Metal The New Chapter - Closed Eye Visuals
                                          • EDM×ブラジル×アラビック!イスラエル最狂音楽家、BEMETがヤバすぎる!

                                            EDM×ブラジル×アラビック!イスラエル最狂音楽家、BEMETがヤバすぎる! 2020-07-10 2021-01-11 Arabic, Electronic, Israeli Jazz, Music 2015, EDM, アラブ音楽, イスラエル, インド音楽, エレクトロニック, キーボード, ダンス音楽, ブラジル音楽, ヴォーカル, 中東音楽 Love1クセになりそうな最狂音楽、BEMETイスラエルのプロデューサー/作曲家/鍵盤奏者ホッド・モショノヴ(Hod Moshonov)の別名ユニット、BEMETは相当にクレイジーだ。 EDM、エレクトロポップ、バイレファンキ、レゲトン、インド音楽、アラビア音楽、ドラムンベース、ジャズ、ロックなどの影響がごちゃ混ぜになったジャンル特定不能なサウンドは聴く者を瞬く間に未知の世界に引き摺り込む。 いくつかのMVがYouTubeに公開されているが、

                                              EDM×ブラジル×アラビック!イスラエル最狂音楽家、BEMETがヤバすぎる!
                                            • キップ・ハンラハン『Coup De Tête』 - 猟奇カニ人間地下道に出現

                                              キップ・ハンラハンは充実期のピアソラの一連のスタジオ録音をプロデュースしたひと、として有名だろうか。 キップ・ハンラハンは、アイルランド人の父と、サマルカンド出身のユダヤ人の母との間に生まれ、ニューヨークのブロンクスで育った。自身が創設したアメリカン・クラーヴェから出されているキップ・ハンラハン名義のアルバムは、リズムを意識して聴くリスナーならば、目眩に近い陶酔を齎してくれるだろう。錯綜するリズムは、知的に制御されているけれど、頭だけで作られたものではない。 『THIS NIGHT COMES OUT OF BOTH OF US』 多彩な顔ぶれが名を連ねるこのアルバムだが、コンガのジェリー・ゴンザレス、エレクトリックギターのアート・リンゼイ、エレクトリックベースのビル・ラズウェルはほぼ全ての曲で参加している。彼らこそがこのアルバムの重要なメンバーであると、キップ・ハンラハンは考えたのであろ

                                                キップ・ハンラハン『Coup De Tête』 - 猟奇カニ人間地下道に出現
                                              • 特集:マイルス・デイヴィス&ロバート・グラスパー『エヴリシングス・ビューティフル』 村井康司×柳樂光隆がマイルス&グラスパー新作を語る | Special | Billboard JAPAN

                                                特集:マイルス・デイヴィス&ロバート・グラスパー『エヴリシングス・ビューティフル』 村井康司×柳樂光隆がマイルス&グラスパー新作を語る いよいよ7月に来日公演を行うロバート・グラスパー・エクスペリメント。ビルボードライブでの公演に加えて、今回は【FUJI ROCK FESTIVAL 2016】への出演も決まっており、現代音楽シーンの最先端とも言えるそのライブ・パフォーマンスに一層の注目が集まっている。 その中心人物でピアニスト、ロバート・グラスパーが5月にリリースしたアルバム『エヴリシングス・ビューティフル』は、あのマイルス・デイヴィスの生誕90周年に合わせて、マイルスが残した音源を元にグラスパーが再構築/再クリエイトした1枚。エリカ・バドゥやハイエイタス・カイヨーテら、一枚を通して豪華なゲストも参加し、全く新しいマイルス解釈の作品として大きな反響を呼んでいる。今回は、そんな『エヴリシング

                                                  特集:マイルス・デイヴィス&ロバート・グラスパー『エヴリシングス・ビューティフル』 村井康司×柳樂光隆がマイルス&グラスパー新作を語る | Special | Billboard JAPAN
                                                • あれも聴きたいこれも聴きたい

                                                  あれも聴きたいこれも聴きたい音楽雑記です。うちにあるCDを全部紹介しようと思います。最近、サブスクも始めました。 * ウィッシュボーン・アッシュ ~ 百眼の巨人アーガス 「百眼の巨人アーガス」というウルトラマン世代には何だかしっくりくる題名がつけられ、こんなにそのまんまなジャケットに包まれているというだけで、昔はやたらと興奮したものです。しかも表と連動している裏ジャケ写真にはUFOまで写っています。 アーガスそのものはギリシャ神話に登場しますが、このジャケット写真は、イングランドの中世、アーサー王あたりを想起させます。しかし、面白いことにこの写真は英国ではなく、南仏のプロヴァンスで撮影されています。ジャンヌダルクの時代でしょうか。 本作品でウィッシュボーン・アッシュが聴かせるサウンドはどうかと言えば、もうこれは英国そのものです。歌詞の世界も中世英国を思わせる世界観ですし、トラッドを感じさせ

                                                  • 失われし化石メディア、カセットテープの残した教訓 - POP2*5

                                                    過日、当時のスタッフが90年代初頭のフリッパーズ・ギターと彼らを取り巻く時代について記した、某ブログのことを紹介させていただいた。ひっそりと始まったと思っていたのは小生だけのようで、現在、某ジャンル別ランキングでは第2位という驚異のアクセス数を記録しているという(ちなみに第1位はオレンジレンジ関連)。8月25日の発売日を目前に、カウントダウンを迎えており、現在怒濤の更新が続いていて目が離せない。実は私、このブログを始めたのが縁で、先日、そのスタッフの方とお会いすることができたのだ。ええい、おわかりの方も多いだろうから書いちゃうけれど、当時のプロデューサーだったM氏である。山下達郎から、加藤和彦ヨーロッパ3部作、「い・け・な・いルージュマジック」にノンスタンダードレーベル、フリッパーズと、私の音楽遍歴は常にM氏の後ろ姿を追っかけてきたと言っても過言ではない。勝手ながら私だけ、氏を質問攻めにし

                                                      失われし化石メディア、カセットテープの残した教訓 - POP2*5
                                                    • ミック・ジャガー - Wikipedia

                                                      サー・マイケル・フィリップ・ジャガー(Sir Michael Philip Jagger、1943年7月26日 - )は、イギリスのロック・ミュージシャン、俳優、作曲家である。「ミック(Mick)」の愛称で知られる。イギリスのロックバンド、ローリング・ストーンズのボーカルとして各国で知られる。ストーンズのギタリストであるキース・リチャーズと「ジャガー/リチャーズ」の名義で数々のヒット曲を生み出した。1974年からキースと「グリマー・ツインズ」[1]というプロデュース・ユニットを組みセルフ・プロデュースを行っている。 「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」で第16位である。 人物[編集] 体育教師ジョー・ジャガー(1913 - 2006)とエヴァ・ジャガー(1913 - 2000)の息子として、ケント州ダートフォードで生まれる。母のエヴァは、イギリス保守党の活動的な

                                                        ミック・ジャガー - Wikipedia
                                                      • 【インタビュー】ILL-BOSSTINOが語るライブの魅力 | 最小の単位で最大を目指す

                                                        THA BLUE HERBが、2023年10月18日に2本のDVDをリリースした。 最初の一本は、2022年末9月から10月にかけて行われたTHA BLUE HERB結成25周年ツアーの各地の模様を選りすぐり、セットリストに沿って編集した『YOU MAKE US FEEL WE ARE REAL』だ。こちらは、ほぼ全編にわたって1MC1DJ編成。 もう一本は、2023年5月31日に行われたILL-BOSSTINOがソロ名義:tha BOSSで発表した2ndソロアルバム「IN THE NAME OF HIPHOP II」のリリースライブを収録した『続・ラッパーの一分』。アルバムにゲストとして招いたJEVA、SHINGO★西成、YOU THE ROCK★、ZORN、そしてMummy-D(from RHYMESTER)との感動的な共演も含め、一夜の熱狂を余すところなく封じ込めている。 一足先に両

                                                          【インタビュー】ILL-BOSSTINOが語るライブの魅力 | 最小の単位で最大を目指す
                                                        • haruomi hosono: 細野晴臣全音盤列記目録 1969〜2000

                                                          編纂:青野裕慈 細野晴臣が関係した初出オリジナル音源を含むレコードを掲載 (既出音源のみのコンピレーションは対象外です) [A=スターリング B=プロデュース C=作曲 D=編曲 E=演奏・歌唱 F=その他] 69.09.『エイプリル・フール』エイプリル・フール[A.B.C.D.E] 70.04.『NIYAGO』遠藤賢司[D.E] 70.05.『愛する人へ』岡林信康 -Single-[D.E] 70.06.『見るまえに跳べ』岡林信康[D.E] 70.08.『はっぴいえんど』はっぴいえんど[A.B.C.E] 70.10.『だからここに来た』 岡林信康-Single-[D.E] 70.11.『溶けだしたガラス箱』木田高介、他[D.E] 70.12.『蓄音盤』あがた森魚(自主制作)[D.E] 71.02.『家は出たけれど』岡林信康[D.E] 71.04.『12月の雨の日』 はっぴいえんど-Sin

                                                          • 未来派野郎 - Wikipedia

                                                            純粋なオリジナル・アルバムとしては『音楽図鑑』以来1年半ぶりの作品。タイトルの「未来派」は20世紀初頭イタリアを中心に起こった芸術運動に由来。 サウンドは主にフェアライトCMIやEmulatorⅡ(en:E-mu Emulator)による機械音・金属音のサンプリングとヤマハDX7が使われていて、プログラミングは、主に藤井丈司が担当。DX7のROMカートリッジで、このアルバムをベースにした音源が発売された。 『音楽図鑑』よりトラック数が減っているものの、アルバム制作に7ヶ月を要しており、1トラックごとの密度は濃いと坂本はコメントしている[要出典]。 本作レコーディングに入る前、坂本はロックのドライブ感の参照として、レッド・ツェッペリンの全アルバムを聴き直している。直前に参加したパブリック・イメージ・リミテッドのアルバム『ALBUM』でのセッションにおいて、ビル・ラズウェルがレコーディングの合

                                                            • ENA | ele-king

                                                              2012年のとある木曜日の深夜、初めて行ったバック・トゥ・チルでのこと。ダブトロ、100mado、そして中心人物ゴス・トラッドによる硬派なダブステップに続いたENAのステージは、まさに異色そのものだった。音が溶け出しているかのような抽象的なリズムと、緩やかに跳ね上げるベースライン。期待していた「いわゆる」ダブステップは流れなかったものの、素晴らしいミュージシャンを発見した喜びで僕は包まれていた。 2006年にログ・エージェント名義で参加した〈FenomENA〉から出された日本のドラムンベース・コンピレーション『Tokyo Rockers: The Best of Japanese Drum & Bass Vol.1』がENAの公式なデビューになる。翌年には自身のレーベル〈イアイ・レコーディングス〉を立ち上げ、7インチ・シングル「アダウチ/ カントリー・ダブ」をリリースした。現在のENAのス

                                                                ENA | ele-king
                                                              • 次々と新しい歴史を作り続けてきたブライアン・イーノ | BARKS

                                                                ブライアン・イーノは、音楽界の象徴として君臨する中で次々と新しい歴史を作り続けてきた。熱心な音楽ファンにとって、イーノは数多くの顔を持つ伝説的人物だ。ロキシー・ミュージックの初代メンバーであり、デヴィッド・ボウイの往年の仕事仲間、トーキング・ヘッズ、ディーヴォ、U2、コールドプレイのプロデューサーでもある彼は、ロバート・フリップ、ジャー・ウォブル、バーバ・マール、ジョン・ケイル、デヴィド・バーン、ジョン・ハッセル、ダニエル・ラノワ、グレイス・ジョーンズ、ロバート・ワイアットらと素晴らしい音楽を作り、“アンビエント・ミュージック”のコンセプトを確立した。数々の優れたサントラを生み出してきたイーノは、ジェネレーティヴ・ミュージックのパイオニアで、魅力溢れる未来思想家でもある。 ごく普通のリスナーでは、彼の名前を耳にしたことはあるが、という人が大半だろう。他のアーティストの何百万枚というアルバム

                                                                • R.I.O. 1993 ――アヴァンギャルド・ロックの現在

                                                                  R.I.O. 1993 ――アヴァンギャルド・ロックの現在 ●R.I.O.とは何か  1978年、ロンドン。イギリスのメタ・プログレッシヴ・ロック・バンド(本人たちは“ダダ・ブルース・バンド”などと名乗っていたが)ヘンリー・カウが、彼らとともに複数のグループが出演する合同コンサートを行った。題して“ROCK IN OPPOSITION”。これはバンド自身によって企画、運営された、完全な自主イヴェントであり、カウの呼び掛けに応じて、フランス、イタリア、スウェーデン、ベルギーの4カ国から、意識的なロック・グループが結集した。R.I.O.はこの催しを直接的なきっかけとして発足した、一種のユニオンである。彼らはこの後、更に別の国からの参加バンドも加えて、スイスで最初のミーティングを開き、ヨーロッパにおけるインディペンデントな音楽活動をさまざまな面でサポートするための組織としてR.I.O.を位置づ

                                                                  • ビル・ラズウェル - Wikipedia

                                                                    ビル・ラズウェル(Bill Laswell、1955年2月12日 - )は、アメリカ合衆国イリノイ州出身のベーシスト、音楽プロデューサーである。電子音楽、エレクトロニカ、実験音楽、ダブ、テクノ、アンビエント、アヴァンギャルド、ワールドミュージックなどさまざまなジャンルの音楽を制作し、関わったアーティスト、作品は膨大な数に上る。エレクトロ、ハイテク録音機器をフィーチャーした作風でも知られている。 マテリアル、ゴールデン・パロミノス[1]、デッドライン、プラクシスなど、結成したユニットも数多い。 ラズウェルは、1960年代後半の、ファンカデリックのようなサイケデリック・ロックとファンクを融合したバンドや、イギー・アンド・ストゥージズ、MC5らのデトロイト・ガレージロック・シーンに影響を受けた。1970年代にニュー・ヨークの実験音楽シーンに触発されてジョルジオ・ゴメルスキーのロフトに参入。ヘンリ

                                                                      ビル・ラズウェル - Wikipedia
                                                                    • ハービー・ハンコック、新アルバム/マイルス・デイヴィス・バンド時代/「Rockit」/ジャズは死んだのか?について語る - amass

                                                                      ハービー・ハンコック、新アルバム/マイルス・デイヴィス・バンド時代/「Rockit」/ジャズは死んだのか?について語る ハービー・ハンコック(Herbie Hancock)は、長年制作している新アルバムについて、マイルス・デイヴィス・バンド時代について、「Rockit」について、そしてジャズは死んだのか?ジャズの未来はどこにあるか?について、英ガーディアン紙のインタビューの中で語っています。 新しいアルバムについてはこう話しています。 「新しいアルバムは長い時間がかかっていて、まだ完成していないんだけど、テラス・マーティンがプロデュースしていてサンダーキャット、ロバート・グラスパー、カマシ・ワシントンも参加しているし、ケンドリック・ラマーも参加する予定だよ。今は彼らの世紀で、僕は前の世紀の人間だから、彼らにアイデアを求めているんだ。彼らの中には、父親や母親がジャズミュージシャンだった人もい

                                                                        ハービー・ハンコック、新アルバム/マイルス・デイヴィス・バンド時代/「Rockit」/ジャズは死んだのか?について語る - amass
                                                                      • R.I.P. 近藤等則 | ele-king

                                                                        Home > News > RIP > R.I.P. 近藤等則 - 月に吠えたラッパ極道 ──トランペッター近藤等則の格闘半世紀 近藤等則にインタヴューする機会はたった1度しかなかったが、その時の印象は今なお鮮烈に残っている。とにかく、目力の強い人なのだ。そして語気も荒い。会った瞬間に「極道」という文字が頭をよぎった。本人は普通にしゃべっているのだろうが、あの鋭い眼光と話し方は、傍から見ればケンカをふっかけているように思われるはずだ。私のひとつ前のインタヴュワーだった知人と後日会った時、彼は「ビビッちゃって何を話したのか全然記憶にない」と笑っていた。もちろん私も緊張マックスだった。この時の取材(2015年2月)は、“枯葉” や “サマータイム” といったお馴染みのスタンダード・ナンバーばかりを近藤のエレクトリック・トランペットとイタリア人トラックメイカーのエレクトロニク・サウンドでカヴァし

                                                                          R.I.P. 近藤等則 | ele-king
                                                                        • 坂本龍一が演奏していたフリー・ジャズ【ジャズを聴く技術 ~ジャズ「プロ・リスナー」への道】(サライ.jp) - Yahoo!ニュース

                                                                          文/池上信次 2023年3月28日に亡くなった音楽家、坂本龍一。作曲家、編曲家、演奏家、プロデューサーであり、手がけたジャンルはクラシックから現代音楽、ポップス、映画音楽まで、その活動の幅は「全音楽」といってもいいくらいに広いものでした。もちろんジャズもそこに含まれています。坂本龍一のジャズでの活動でもっとも知られるのは、渡辺香津美(ギター)のフュージョン・グループ「KYLYN(キリン)」への参加でしょう。坂本はYMOでも活動中の1979年春にスタジオ録音盤『KYLYN』を渡辺と共同プロデュースし、録音直後にはツアーにも参加。その演奏はライヴ盤『KYLYN LIVE』として発表されました(いずれも日本コロムビア)。矢野顕子(キーボード、ヴォーカル)、清水靖晃(テナー・サックス)、村上ポンタ秀一(ドラムス)らが参加した「若手」オールスターズであるKYLYNは、当時のフュージョン・シーンの台風

                                                                            坂本龍一が演奏していたフリー・ジャズ【ジャズを聴く技術 ~ジャズ「プロ・リスナー」への道】(サライ.jp) - Yahoo!ニュース
                                                                          • DJ KRUSHソロ活動30周年 たどってきた道と記憶 中編 - TOKION

                                                                            投稿日 2022-06-27 更新日 2022-07-11 Author Kana Yoshioka MUSIC 冒険する 2022年、ソロ活動30周年を迎えたDJ KRUSH。東京・日本から世界へ羽ばたいたDJ/サウンドクリエイターがたどってきた道のり。中編は、メジャーレーベルで活動をしていた時期のエピソード。 DJ KRUSHがソロ活動30周年を2022年に迎えた。ジャパニーズヒップホップの夜明けから東京アンダーグラウンドで活躍し、そこから世界へ。DJ界の日本代表で、世界から見たらDJ界の東洋の魔術師。今やコアなDJ KRUSHヘッズは世界中に存在する。 そのDJ KRUSHの今を記録しておきたい。中編では、1990年代半ばから2000年半ばにかけて、メジャーレーベルで活動をしていた時期について。 前編はこちら 型にはまることなく、独自の世界を創り上げる ――2001年にリリースされた

                                                                              DJ KRUSHソロ活動30周年 たどってきた道と記憶 中編 - TOKION
                                                                            • Exercises de Style

                                                                              サミュエル・ベケットのテレビのための作品『ねえジョウ』には、声が登場する。身体を持たない声だけの存在であるその女性は、現前する男性を脅かす。男性はただ怯えるだけでひと言も発さない。それは幻聴かもしれない。しかし、その男性にしか聴こえていないはずの亡霊の声がわたしたちをも戦慄させる。なによりも「声」こそが、そこでは現前している。 「音」の持つリアリティがある。それは音楽であったり、ダンスであったり、演劇であったり、あるいは名付けようのないものであったり。それぞれに、音が、そのほかの要素と関係し、それに附随しながらも、それが強調され、重要な役割を果たしているような作品がある。それは、音楽や美術といったジャンルから音や響きを抽出することで、音そのものへと還元していったサウンド・アートが指向するものとも異なる。 ジョン・ケージは《4分33秒》において、時間の枠だけを提示することで、そこに体内からの

                                                                                Exercises de Style
                                                                              • interview with COM.A | ele-king

                                                                                いまの日本の音楽に決定的に欠けているのは、ようするに、パンクのマインドである。といってもそれは、たんに反抗的なポーズをとればいいということではなくて、多くのひとがスルーするだろう些細な矛盾や欺瞞に気づいたり、疑問を抱いたりできるかどうかということだ。コロナ騒ぎを筆頭に、2020年もこの半年だけでじつにさまざまな問題が発生しているわけだが、13年ぶりにリリースされたコーマのアルバムを聴いていると、そう強く思わざるをえない。 80年代にメタルの洗礼を受け、90年代に〈Warp〉や〈Rephlex〉などのエレクトロニック・ミュージックを怒濤のごとく浴びて育ったコーマは、(ROM=PARI を経由しつつ)00年にUKの〈FatCat〉からデビューを飾っている。エイフェックス・ツインやオウテカの撒いた種が極東の地で見事に花開いた、その幸福な一例と言えるだろう。 00年代のエレクトロニカは、一方で音響

                                                                                  interview with COM.A | ele-king
                                                                                • TOKIE - Wikipedia

                                                                                  ポップ・ミュージックからラウドロックまで幅広いジャンルの楽曲をエレクトリックベースとエレクトリック・アップライト・ベースで自在に弾きこなす確かなテクニックと華のあるパフォーマンスで数々のアーティストのライブやレコーディングに参加するベーシスト[1][2]。 近年は、大友良英,芳垣安洋とのトリオでライブを行ったり、ビル・ラズウェル、中村達也、山下洋輔らのギグにゲスト出演など、フリー・ミュージック、ジャズ奏者との交流も持つようになった[1]。趣味は料理[1]。 中学時代、ブラスバンド部でコントラバスと出会い、ベースの魅力を知る[2]。高校でエレクトリックベースに持ち替えてバンド活動を始める[1]。 1989年、当時加入していたバンド「NORMA JEAN」で、TBS『三宅裕司のいかすバンド天国』に出場[3]。バンドは勝ち抜いたものの、当人は一週限りで脱退する。 1993年、単身ニューヨークへ渡