インターネットが普及する前、テキストでの通信手段といえばパソコン通信だった。 それはネットのようにすべてがつながった世界ではなく、原則一つのホストコンピュータに会員のみがアクセスしてコンピュータやスポーツ・音楽などの趣味に関しての情報交換を楽しむ、ちょっと秘密の世界だった。 パソコン通信は死んでいなかった! しかしインターネットが爆発的に広まると衰退。商用大手としては最後まで残っていた「ニフティサーブ」が2006年3月で全サービスを終了し、ここで世間的にはパソコン通信は終わった。
今では“ネット”といえば、ほとんどの人がインターネットを思い浮かべるでしょう。しかし、まだインターネットが一般的でなかったころ、“ネット”といえば「パソコン通信」が主流でした。 当時出版されていたパソコン通信関連書籍(コグレさん提供) 「パソコン通信」とは、主に1980年代半ば~1990年代ごろに流行していた、いわばインターネットの前身のようなサービス。今と比べると回線速度も遅く、あくまで文字によるやりとりが中心でしたが、それでもネットを通じて別の世界・別のユーザーと「つながる」体験は新鮮で、多くのユーザーがその虜になりました。 果たして“インターネット前夜”のネットとはどのような場所だったのか。パソコン通信を通じて「プログラミングの師匠」と出会ったという人、チャットがきっかけで遠距離恋愛に発展して結婚し、今では孫がいるという人――。当時リアルタイムで熱中していたユーザーに取材しつつ、懐か
2014-05-03 オウム真理教とパソコン通信とサブカルチャー 前回ははてなユーザー会に沢山の生温かい反響を頂きありがとうございます。いくつかユーザー会の企画を考えているのですが、それを巡って手斧を持った人々で揉める前に、せっかくGWに入ったので思い出話を書かせてください。オウム真理教とパソコン通信の思い出。 私は福島県相馬市に生まれて、人口4万人のド田舎だったので、コンテンツといえばテレビか本(オカルト)しかありませんでした。例外なく私はオカルト少年になって、小学5年生の頃から雑誌『月刊ムー』の愛読者になっていました。相馬の本屋さんでは『ニュートン』の隣に『ムー』が平積みされていたのです。 超古代文明は核戦争で一度滅んでいる。世界はフリーメーソンが影で支配している。アメリカ政府(マジスティック12)は宇宙人から軍事技術を入手してエリア51で極秘実験を行っている。ヨハネ黙示録に預言された
読者の中で、「商用BBS」と言って通じる人がどれぐらいいるのだろうか。だが40歳前後の人たちには、限りなく懐かしい響きなのである。今でもたまに集まって酒を飲む古くからのパソコン関係の仲間内では、寄ると触ると「やっぱりモデムはクーリエ」だの「bpsで言うな、ボーで言え」だのパソコン通信の話で盛り上がる。 ちなみにクーリエを作っていたU.S. Robotics社は3Comに買収されて今はないが、アイザック・アシモフの『われはロボット』に登場する社名であったことから、最近映画「アイロボット」で久々にその名前を聞くことになった。 話が脱線したが、正確には懐かしいという感情とも微妙に違うようだ。かつての不自由な通信インフラにかけた時間と労力と青春とお金を考えると、なんであんなに必死だったのか、己のバカさ加減に笑ってしまう、というのが率直なところかもしれない。 ニフティがパソコン通信サービス終了という
1990年代以降、急速に普及した「インターネット」は、今や私たちの生活において当たり前の存在になっています。今日はここ15年ほどのインターネットの歴史を振り返って、今ではなかなか見られなくなった“懐かしのネタ”を集めました。 ■電話中は使えない? 昔のインターネットを振り返る インターネットが普及し始めたころ、こんな経験はありませんでしたか? ▽ インターネットの懐かしいネタ - ねとねた ▽ http://news4vip.livedoor.biz/archives/50804328.html ▽ 20代女子が懐かしいと思うネット用語…「カキコ」「キリ番」「ネチケット」「MIDI」「2000年問題」 | ニュース2ちゃんねる これらのエントリーでは、「電話するから一回インターネット切って」「テレホ(テレホーダイ)タイムまで待つ」など当時の利用環境についての思い出や、「吉野家コピペ」「開国
ニフティ(古河建純代表取締役社長)は、3月31日の23時59分59秒をもって「ワープロ・パソコン通信」(パソコン通信)の全サービスを終了する。これで国内に唯一残っていたプロバイダーによるパソコン通信サービスが消えることになる。 パソコン通信とは、電話回線経由で直接ホストコンピュータに接続し、文字情報のやり取りを行うもの。同社は「NIFTY-Serve(ニフティー・サーブ)」の名称で87年4月15日にサービスを開始。86年にサービスを始めたNECの「PC-VAN(ピーシー・バン)」とともにパソコン通信の2大ホストとして多くの利用者を集め一時代を築いた。90年台後半以降、インターネットが普及するにした がって競合各社が次々とサービスを終了させていく中、唯一ニフティだけがパソコン通信サービスを継続し続けていた。 しかし多くの利用者がWeb上のサービス@niftyに移行し、ユーザーが2万人程 度に
やねうらお @yaneuraoh パソコン通信の時代、僕達は本名を相手に知られると陰陽師に呪い殺されるのかと言うほど本名を相手に知られることを恐れていた。ある日、オフ会で参加者が口論から乱闘騒ぎに発展し、警察が来た。しかし僕達は警官に本名を言うことを頑なに拒み、長い時間を経て警官はそれを渋々承服した。(続く) 2016-04-18 20:18:50 やねうらお @yaneuraoh (承前) 警察「ということは、名前のわりに太ってるなと言われて激昂したガリガリ君が、フルーツグラノーラさんに最初に手を出して…」 ぼく「ガリガリ君ではなくガリガリさんです!」 警官「ガリガリさん…が最初に手を出して…」 隣で聞いていたOLが新聞紙で顔を隠し肩で笑っていた。 2016-04-18 20:29:10 やねうらお @yaneuraoh (承前) 警官「それをあなた…」 男「さすらいの少年ボーイです」
日本で驚異的な盛り上がりを見せるオープンソースの分散型SNS「Mastodon(マストドン)」。 ドイツ在住のEugen Rochko氏によって開発されたサービスで、Twitterに似たUIを採用している。ユーザーは、自分の好みにあったサーバ(インスタンスと呼ばれる)を選択してアカウントを作成・ログインすることで、インスタンス内のほかのユーザーとコミュニケーションできる。インスタンス同士も連携しており、他のインスタンスのユーザーともコミュニケーションが取れるのが特徴だ。 日本では、世界最大のインスタンスでもある「mstdn.jp」と、ピクシブの「pawoo.net」を筆頭に、ドワンゴの「friends.nico」、家入一真氏の「kinugasa.me」、堀江貴文氏の「horiedon.com」など、個人・法人を問わずインスタンスが次々と立ち上がっている。また、ニッポン放送も「tuner.1
◆はじめに この文章は1994年に上梓した『パソコン通信で英語がわかった』という書き下ろし単行本の「まえがき」として書いたものです。同じ内容の文章は、1987年にダイヤモンド社から刊行されていた「BOX」という雑誌にも書いたことがあります。 私は小学生の頃、食中毒にかかった漁船員を救うため、アマチュア無線家が国境を越えた無線の連絡で血清を届ける手助けをする『空と海の間に』というフランス映画を見たのがきっかけで、アマチュア無線に興味を持つようになりました。その後、パソコン通信を始めて間もない1987年に、この映画と似たようなことを体験することになりました。1989年にTBSテレビで後藤久美子の主演による『空と海をこえて』という単発ドラマが放映されました。これも難病の人を救うためにパソコン通信で情報のリレーをしていく物語でしたが、映画『空と海の間に』をモチーフに作られたドラマだそうです。ここで
「公共圏」とは何なのかを明らかにし、今後の可能性を模索する対談、第3回。いよいよ話はオンライン上に立ち現れる新たな公共圏がテーマとなっていきます。これから目指すべきオンラインコミュニティのお手本は、じつは1980年代後半から1990年代にかけて隆盛を誇った「パソコン通信」にありました。自身もパソコン通信を運営していたという社会情報学者の吉田純先生が、当時を振り返りつつ現代の状況に焦点をあて解説します。 インターネット前夜、「パソコン通信」があった 吉田純(よしだ・じゅん) 京都大学大学院人間・環境学研究科教授。京都大学教育学部卒業。文学博士(京都大学)。専攻は、社会学、社会情報学。「情報化」「ネットワーク 化」を軸とする現代社会のマクロな構造変動と、ミクロな人間の行為/コミュニケーションの変容との関係について研究。現在とくに、インターネット 社会における「公共性」(コミュニケーション空間と
» 「もしもGoogleがパソコン通信の時代にあったら」というサイトがスゴい / ピーピーガーガー鳴りながらちゃんと動く! 特集 「もしもGoogleがパソコン通信の時代にあったら」というサイトがスゴい / ピーピーガーガー鳴りながらちゃんと動く! GO羽鳥 2013年11月20日 インターネットが普及する前の時代に、パソコンを使って世界のユーザーと交流を交わす手段といえば、電話回線を使う「パソコン通信」であった。電話回線にモデムをつなげ、世界に散らばる「掲示板(BBS)」にアクセスをし、文字だけで交流するのだ。 質素な画面に、夢があった。23時〜翌朝8時までのテレホタイムに生きていたあのころ。毎日聞いていたモデム音……。そんな甘酸っぱい思い出を思い出させてくれるサイトを、今回はご紹介してみたい。ずばり、「もしもGoogleがパソコン通信の時代にあったら」というサイトである。 サイトの名前
highland @highland_sh 本を作ったり絵を描いたりしてます。ボカロ/プロセカ/Key。Async Voice代表。ボカロ同人誌通販:asyncvoice.booth.pm/items/5230389 依頼:highland62479 (a) gmail Pixiv:bit.ly/3G13gn6 Skeb:skeb.jp/@highland_sh highland.hatenablog.com highland @highland_sh 30歳前後の人が自虐で「インターネット老人」と言っているのを見るけれど、本当に「インターネット老人」と呼ばれるに相応しいのはニフティサーブ(パソコン通信)とかをやっていた人だろうので、小中学生でおもしろフラッシュを見ていたくらいで「インターネット老人」を名乗るのは多分正しくない
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