格闘技 プロレス 中学1年生の女子プロレスラー誕生「リングでは“この野郎!”って気持ちが出ます」 新人・美蘭の闘いを同級生も応援中《特別グラビア》
「ラーメン屋だけは絶対にやるな!」 常に厳しさと激しさを前面に押し出したその試合っぷりから、現役時代のあだ名は「デンジャラスK」。 そして現在はラーメン屋「麺ジャラスK」を経営する、川田利明さんに今回はお話をうかがいました。 1982年にレスリング部の先輩である三沢光晴さんが既に入団していた全日本プロレスに入り、天龍源一郎さん率いる「レボリューション」に参加。 全国どこででも激しいハードな試合を見せ、選手としての評価を高めていきました。その後、三沢さんらと「超世代軍」を結成。さらに田上明さんと「聖鬼軍」を組み、それに小橋建太さんを加えた「四天王プロレス」の時代に突入します。 パワーボムやストレッチプラム、さまざまな蹴り技と強靭な肉体を武器に、90年代プロレスの炎を燃やし続けた川田さん。 1998年の全日本初の東京ドーム大会では、三沢さんが持つ三冠ベルトに挑戦。見事奪取して、三沢戦初勝利を奪
辮髪に長いひげの異様な風貌……酔っ払いの男から女児を救ったことで注目されたプロレスラー、グレート-O-カーン選手。新日本プロレスの侵略を目論む「偉大なる王」である一方で、VTuber由来の必殺技「大空スバル式羊殺し」を得意とし、警察に協力したのは「ハコヅメ」の影響と公言するオタクの顔も併せ持つ。 ツイッターでは次々と女体化イラストが投稿されるオーカーン選手に、そのオタクライフを聞いた。 ◆◆◆ ――オーカーンさんは「ハコヅメ」の話をアツくされていましたが、アニメはいつから好きなんですか? オーカーン 余は2018年にグレート-O-カーンとして誕生する以前の記憶を失っているから具体的なことはよく覚えていないのだが、「スクールランブル」(2004年放送開始)という作品はなぜだか心に沁みついている。余の王宮にはアニメDVDも、ゲームも、漫画も、漫画の限定版も全部揃っておる。当時はテレビのゴールデ
※当記事は、検温や殺菌消毒・換気など可能な限りの感染防止対策を行った上で取材しています。 「黒のカリスマ」蝶野正洋さんのめし話 nWo JAPANやTEAM2000などを筆頭に、レスラーとして新しいヒール像を生み出し、プロレス界を変えた蝶野正洋さん。 1984年に新日本プロレスに入門、同期は橋本真也・武藤敬司らのちの「闘魂三銃士」。 その名を一躍有名にしたのはルー・テーズ仕込みの必殺技STF、そして始まったばかりの夏の大一番、G1 CLIMAX第1回・第2回大会連覇という快挙。 さらに94年のG1 CLIMAXで3度目の優勝を果たすと、それまでの白ベースのコスチュームから黒を基調にしたものに一新。ファイトスタイルもこれまでのテクニックの上に、反則・流血も辞さないラフ殺法を加えた荒々しい武闘派ファイターに変貌。 そして97年に天山広吉・ヒロ斎藤とnWo JAPANを結成すると、これまでにない
元悪役レスラーのキラー・カーンさんが急死…本名・小沢正志さん、76歳、動脈破裂、経営する居酒屋で勤務中 元プロレスラーのキラー・カーンこと小沢正志さん(店主・歌手名義はキラーカン)が12月29日午後10時4分に動脈破裂で死去したことが30日、分かった。76歳だった。関係者によると東京・西新宿で経営する「カンちゃんの人情酒場」の営業中にカウンターで意識を失い、救急搬送されたという。 新潟県出身の小沢さんは大相撲の春日野部屋(幕下・越錦)から1971年にプロレスに転向し、1980年代に195センチ、140キロの“蒙古の殺し屋”として“大巨人”アンドレ・ザ・ジャイアント(故人)や“超人”ハルク・ホーガンと抗争し、日米でメインイベンターとして活躍した。1987年に引退し、新宿区で「居酒屋カンちゃん」を開店。歌手としては2005年に「ふるさと真っ赤か」(日本クラウン)で歌手デビューし、「新宿三百六十
プロレスラーのケンドー・ナガサキさん死去 “日本人ヒール”として全米で活躍 拡大 「ケンドー・ナガサキ」のリングネームで知られるプロレスラーの桜田一男氏が死去したことが13日未明分かった。米国のプロレスラー親睦団体「カリフラワー・アレイ・クラブ」が公表した。享年71。死因は不明だが、心臓のペースメーカーの故障によるという情報がある。 1948年、北海道網走市出身の桜田氏は64年に大相撲の立浪部屋から初土俵。71年に日本プロレスに入門し、プロレスに転身した。日本プロレス崩壊後には全日本に移籍し、米国に進出して日本人ヒールレスラーとして存在感を発揮。新日本プロレスにも参戦し、その後は大日本などインディー団体などでも活動した。またプロレス界ではけんか最強との呼び声もあり、総合格闘技に参戦した経験もある。 16年には心臓の手術を受けていた。今月11日には千葉県船橋市で開催されたパーティーに出席して
あれから5日が経とうとする現在でも、読み手が存在する文章としてまとまったものになる気がしない心境であるのをどうかご了承願いたい。本日の夜には「ニコプロ一週間」で木村花選手について番組進行として触れなければならず、多くのプロレス関係者同様にある種の葛藤を抱きつつも、その前に伝えたいことを綴らせていただく。 ここで書くのは、一連の報道や『テラスハウス』でしか花さんのことを知らない皆様に知ってほしい、あくまでも自分が見た範囲での彼女の素顔である。 ▲新日本プロレス1・4東京ドーム大会のダークマッチに出場した時の木村花さん 2015年5月、当時現役のプロレスラーだった母・木村響子さんが左腕を骨折し長期欠場を余儀なくされた。そこで彼女の取材を続けていたライターの須山浩継さんが呼びかけ、激励をこめたトークイベントを開催。出演者は全員自ら名乗りをあげる形で、無償で参加した。 響子さんは15歳の頃、FMW
福岡発のアイドルグループ“LinQ”のメンバーとしてデビューしたものの、人気が出ずにグループをクビになった伊藤麻希さん。プロレスラー転向後、アイドル活動とプロレスを両立しながら多くのファンの声援を浴びるようになりました。 昨年は海外での人気が爆発し、10月にはチャンピオンベルトを奪取。順調なキャリアを積んでいるように見えますが、実はプロレスをやめて他の道を探したいと思っていた時期もあるそうです。 伊藤さんのキャリアが好転したきっかけはなんだったのでしょうか。アイドル時代は望まない自虐ネタで苦しんだ彼女が「ネガティブな言葉は一切口にしない!」と言い切れるまで強くなった理由とは? 結果を出すには目の前のことに集中すべき 伊藤麻希(いとう・まき)。福岡発のアイドルLinQのメンバーとして活躍中の2016年12月にDDTでプロレスデビュー。その後、LinQを卒業して本格的にプロレスラーとしての活動
90年代の全日本プロレスに参戦していた米国人の覆面レスラー、パトリオット(本名デル・ウィルクス)さんが心臓発作で死去した。米プロレスWWEが1日(日本時間2日)、発表した。59歳だった。サウスカロライナ大でアメフト選手だったパトリオットさんは88年に米AWAでプロレスデビュー。90年にトルーパーのリングネームで全日本に初参戦した。92年から新リングネームのパトリオットとして再び全日本マットに登場し、米国の星条旗をベースにしたマスクやコスチュームでファイト。人気外国人選手となった。 93年にはジ・イーグルと組み、アジアタッグ王座も獲得。米WCWを経て95年から全日本を主戦場とすると、96年には小橋建太とのコンビで世界タッグ王座にも挑戦した。97年にはWWF(WWE)に移籍。ブレット・ハートとの抗争を繰り広げた。しかし故障続きでマットから離れ、米メディアによると自動車販売の仕事に携わっていたと
元プロレスラーで、現在、ステーキハウス『ミスターデンジャー』を経営している松永光弘さんの新刊『オープンから24年目を迎える人気ステーキ店が味わったデスマッチよりも危険な飲食店経営の真実』(ワニブックス・刊)が話題を呼んでいる。 狂牛病騒動をはじめとして、平成の時代に降りかかってきた数多の苦難を乗り越えてきた松永さんは、今回の著書で「いかにして危機的状況をクリアしてきたか」について赤裸々に告白。そして、そういった経験則が外食産業にとって「令和最大の危機」であるコロナ禍でも活かされる、ということを詳しく綴っている。 妻の指摘で判明した「脳の異常」 病院への道も分からなくなる 「この本を書いたのは、まさに新型コロナウイルス感染拡大の影響が広がってきてから。だから、店の経営にどういう影響があったのかも書くことができたし、締め切りギリギリまで粘って、緊急事態宣言が解除されたあとの様子まで反映させるこ
大相撲で元横綱の曙太郎さんが4月に入って亡くなったことが11日、分かった。死因は心不全。54歳だった。 近年は闘病生活を送っていた。今月に入り体調が急変。クリスティーン・麗子・カリーナ夫人、来日中だった長男コーディーさんら家族に見守られ、静かに息を引き取った。亡くなる直前には夫人へ「アイ・ラブ・ユー」と言葉を伝えたという。 葬儀は家族のみの密葬で行う予定。 曙さんはハワイ・オアフ島出身。本名はチャド・ローウェン。大相撲で88年春場所で初土俵を踏み、93年初場所後に外国人としては初となる第64代横綱に昇進。95年に日本国籍取得。引退後はプロレスラー、総合格闘家、タレントとしても活躍していた。 【関連記事】曙太郎さん死去 54歳心不全 闘病生活も今月に病状悪化、若貴としのぎ削る
長期入院中の“燃える闘魂”アントニオ猪木氏(78)が盲腸捻転で緊急手術を受けていたことが11日、分かった。腰のリハビリを続けていたものの、体調が悪化し、5月中旬に都内の病院で手術を受けた。現在は回復傾向にあり、この日、猪木氏は電話でコメントを寄せ、復活への意欲をにじませた。体重は激減しているが、「もうちょっとで俺も元気になる」と退院を目標に前を向いた。 長期入院中の“燃える闘魂”アントニオ猪木氏(78)が盲腸捻転で緊急手術を受けていたことが11日、分かった。腰のリハビリを続けていたものの、体調が悪化し、5月中旬に都内の病院で手術を受けた。現在は回復傾向にあり、この日、猪木氏は電話でコメントを寄せ、復活への意欲をにじませた。体重は激減しているが、「もうちょっとで俺も元気になる」と退院を目標に前を向いた。 かつて手術した腰の悪化で、1月から入院している猪木氏が、大きな試練を乗り越えていた。関係
■『最強レスラー数珠つなぎ』女子レスラー編 「闘魂Hカップグラドル」白川未奈 前編 ◆白川未奈 厳選フォトギャラリー>> 女子プロレス団体「スターダム」で活躍する白川未奈 photo by Hayashi Yuba 本を出版することだけを夢見て生きてきた。2019年にようやく出版した本が『最強レスラー数珠つなぎ』(イースト・プレス)だ。毎回インタビューの最後に、自分以外で最強だと思うレスラーを指名してもらい、次はそのレスラーにインタビューをする。テーマは「強さとはなにか?」。 夢が叶った。しかしその途端、筆が止まった。1年半ほど何も書けない状況が続き、見るに見かねた女性編集者が「note」での連載を提案してきた。しかしひと筋縄ではいかず、彼女と始めた往復書簡に「とっとと結婚して、"女の幸せ"とやらを掴んだほうがいいのかなあ」と書いた。(2021年1月14日/note『最強レスラー数珠つなぎ
東京女子プロレス初の大田区総合体育館。メインは山下実優vs伊藤麻希 10・9、東京女子プロレス初の大田区総合体育館大会が行われました。大会名は「WRESTLE PRINCESS Ⅱ」、東京女子プロレスの年に一回のメインイベント。去年は後楽園ホール隣のTDCホールで行われましたが今年は大田区総合体育館。2013年に旗揚げしてはや8年。私が見始めてからも6年経過してますが、時の流れは早いもの。私が初観戦したときはサプライズで大社長が後楽園ホール大会告知してましたから。 otokoman.hatenablog.com ちなみにそのときのエントリはこちら。中島翔子と坂崎ユカが前説してたり、赤井沙希が素顔でメインを努めてたり、清水愛がプロレスラーとして試合してたり。色々と隔世の感があります。伊藤麻希まだ出てなかったですし。 というわけで向かいました大田区総合体育館。前行った記憶がかなり遠い。ノアに鈴
新日本プロレスで活躍する本間朋晃(43)が、新型コロナウイルス禍による窮状を訴えた。 主戦場の新日本は3月以降の大会を全て中止している。これに悲鳴を上げているのがフリーランスとして参戦している本間で「フリーは試合してなんぼってところがあるので。収入? ほぼゼロですね。Tシャツの販売も(試合の)会場だけなので」と語る。 しかも2017年8月に結婚し、昨年9月に念願のマイホームを建てたばかり。 「頑張らなきゃいけない時に試合も給料もなくなるとは夢にも思わなかった。こういう職業なので、すごい短期のローンを組んだんです。おいおい、俺大丈夫かよって思っちゃいますけど…」と不安な日々が続く。唯一の救いは、妻の千恵さんが持ち前の明るさで励まし続けてくれていることだという。 レスラー間でも心配の声が上がっている。アニマル浜口ジムの後輩にあたる内藤哲也(37)は、本紙の取材時に「高橋ヒロムがいつでもお金を貸
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