『タイム』誌が1927年に初めて「マン・オブ・ザ・イヤー」を選出したのは、決まりの悪さからだった。タイムは、当時飛行家として名を馳せ、世界でもっとも著名だったチャールズ・リンドバーグを、1年間1度も表紙に載せることができなかったのだ。 マスコミが苦手なことで知られていたリンドバーグは、特集記事を組まれることを拒んだ。だが、彼を表紙に載せるいい方法があった。「マン・オブ・ザ・イヤー」に選ぶのだ。「リンドバーグ大佐は、セオドア・ルーズベルト以来もっとも人気がある市民だ」という短い解説がついた。 リンドバーグやそれに続いた、「マン・オブ・ザ・イヤー」に選ばれた多くの人たちが、その年もっとも素晴らしい、もっとも偉大な人物だったということではない。その人物が、その年のジャーナリズムの世界でもっとも話題をさらい、もっとも影響力があったということだ。そういうわけだから、その11年後に、アドルフ・ヒトラー