毎日の欠席連絡が地獄のようだった・・・ (こちらの写真はイメージ画像です) 毎朝、毎朝の欠席連絡はだんだん憂鬱なものとなっていった。 この時期、最悪だったのは「遅刻でもいいので来られるなら・・・」というような提案があり、遅刻と欠席と両方の電話連絡をしないといけない時期があったことだ。 一哉(仮名)が学校で普通の生活を送れるような体調でないことをわかっていたのに、不登校の母・初心者の夏菜子は「学校に行かせなければならない」という考えに支配されていた。 本当に大切なことを、当時の夏菜子はわかっていなかった。 この欠席連絡は、その後「起立性調節障害」の本にあった方法を参考にして、行く時に連絡する形に変更する。 この「起立性調節障害」の本に書いてあったのは、まわりに子供の状況が理解されないことで、保護者が鬱になってしまう場合があるということだ。 確かに、夏菜子も鬱になるんじゃないかと思った時期が、