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  • 三経義疏の「義疏」は「注」とどう違うのか:王孫涵之「義疏概念の形成と確立」 - 聖徳太子研究の最前線

    『法華義疏』『勝鬘経義疏』『維摩経義疏』から成る三経義疏については、熱烈な太子信奉者であった花山信勝、金治勇、望月一憲などの研究者が亡くなって以後は、論文が少なくなってしまいました。理解を深めるためには、中国や韓国の『法華経』『勝鬘経』『維摩経』の注釈、特に活字化が進んでいない敦煌写本中の古い注釈との詳細な比較が必要であるため、若手がそうした研究に取り組んでくれることを期待しています。 さて、三経義疏はそれぞれ「~義疏」という題名が付けられているわけですが、実は、経典の注釈を「義疏」と称することは、六朝時代の初期から始まっていますが、仏教経典の注釈で現存するのは、数少ない例外である唐代の慧沼の『十一面観音経義疏』や宋代の元照(1048-1116)の『阿弥陀経義疏』などを除けば、六朝後半から初唐あたりの時期に限られており、それほど多くはありません そこで、今回は「義疏」という注釈の形がいかに

      三経義疏の「義疏」は「注」とどう違うのか:王孫涵之「義疏概念の形成と確立」 - 聖徳太子研究の最前線
    • なぜ、中国の歴史は同じことの繰り返しに見えるのか : 歴史的速報

      2021年04月29日19:00 なぜ、中国の歴史は同じことの繰り返しに見えるのか カテゴリ中国史 waruneko00326 Comment(94) 3: 世界@名無史さん 2019/02/17(日) 16:22:06.59 0 春秋戦国時代から、秦漢帝国の統一へ 魏晋南北朝時代から、隋唐帝国の統一へ 千年史レベルでの同一パターンの繰り返しに見える しかし、その間の民族大移動により、登場人物は入れ替わっていた 隋唐の時代の中国人は、黄河文明の民を追い出して乗っ取った移民の子孫 5: 世界@名無史さん 2019/02/17(日) 16:45:12.23 0 >>3 >>春秋戦国時代から、秦漢帝国の統一へ これは新石器時代以来の華北都市国家社会の統合 >>魏晋南北朝時代から、隋唐帝国の統一へ これは胡族漢族混在社会の政治的統合と江南穀倉地帯の華北による本格的包摂 全然似とらん。 これで似てい

        なぜ、中国の歴史は同じことの繰り返しに見えるのか : 歴史的速報
      • 【読書感想】物語 江南の歴史-もうひとつの中国史 ☆☆☆☆ - 琥珀色の戯言

        物語 江南の歴史-もうひとつの中国史 (中公新書 2780) 作者:岡本 隆司中央公論新社Amazon Kindle版もあります。 物語 江南の歴史 もうひとつの中国史 (中公新書) 作者:岡本隆司中央公論新社Amazon 「中国」は古来、大陸に君臨した北方「中原」と経済文化を担った南方「江南」が分立、対峙してきた。湿潤温暖な長江流域で稲作が広がり、楚・呉・越の争覇から、蜀の開発、六朝の繁華、唐・宋の発展、明の興亡、革命の有為転変へと、江南は多彩な中国史を形成する。北から蔑まれた辺境は、いかにして東ユーラシア全域に冠絶した経済文化圏を築いたのか。中国五千年の歴史を江南の視座から描きなおす。 僕はNHKで『人形劇・三国志』を観て中国史にハマってしまい、中国の歴史に関する本もかなり読んできました。 専門家レベル、というわけにはいきませんし、『三国志』や項羽と劉邦の『楚漢戦争』、漫画『キングダム

          【読書感想】物語 江南の歴史-もうひとつの中国史 ☆☆☆☆ - 琥珀色の戯言
        • 『河東碧梧桐―表現の永続革命』(文藝春秋) - 著者:石川 九楊 - 張 競による書評 | 好きな書評家、読ませる書評。ALL REVIEWS

          著者:石川 九楊出版社:文藝春秋装丁:単行本(405ページ)発売日:2019-09-19 ISBN-10:4163911006 ISBN-13:978-4163911007 西洋の発想から生まれない批評眼伝記を思わせるような書名だが、作家の生涯を幼少時から時系列に記述したものではない。本来、河東碧梧桐論として意図されたものだが、その射程は作家論を遥かに超え、日本文学の表象形式と内容の相関性を根底から問い直すものになっている。 日本語は漢字語とひらがな語とカタカナ語という三文字語の混合体、多重言語である。日本文学は三文字語の混合体である日本語とともに生き永らえてきたが、そのせめぎ合いはとくに和歌や俳句などに顕著に現れている。そのような言語・文学観を踏まえ、著者は日本の韻文を理解するために、詩句の内容だけでなく、書き記されている筆跡つまり書にも注目する必要があると説いている。 このまったく新し

            『河東碧梧桐―表現の永続革命』(文藝春秋) - 著者:石川 九楊 - 張 競による書評 | 好きな書評家、読ませる書評。ALL REVIEWS
          • 母国語が異なれば思考も異なる。日米中韓4ヶ国語の比較にみる「言語と思考の脳科学」 | 脳科学メディア

            言語は、ヒトが思考を行うために不可欠な要素となっている。ヒトの判断や認識は、多くの場合に言語に基づく。ここでは、言語がどのような形で思考に用いられ、どのような形で判断や認識に影響を与えるのかについてみる。 【目次】 1-1.言語に基づく「数の認識」 1-2.言語の違いによる「数の認識」の違い 2-1.言語の違いによる「思考」の違い ■英語の場合 ■中国語の場合 ■韓国語の場合 3.日本語の特殊性 1-1.言語に基づく「数の認識」 ヒトが「数」を数える場合、言語を用いて数える。たとえば、日本語であれば「いち、に、さん、し」、英語であれば「one two three four」などの数え方がある。言語を持たない生物でも、数の“大小”を判断できる場合があることが実験によって確認されている。カラスであれば、2個~8個の範囲で数の大小の判断が可能となっている。これを確認するために行われた実験では、カ

            • 多胡碑・多胡碑記念館(上野三碑) 群馬県高崎市吉井町池 - 墳丘からの眺め

              多胡碑は吉井石碑の里公園内にあり、多胡碑記念館を擁する。 20台ほど停められる駐車場の脇の林が見事に紅葉していた。 その林の中に、多胡碑を納めた覆い屋がある。 ここも窓から覗いて見学。 山上碑や金井沢碑と比べて一字一字が大きく、石碑の高さも20㎝近く上回る。 記念館内にあった拓本(の複製) 現地の説明板。多胡碑は日本三碑にも数えられる。 特別史跡 多胡碑 多胡碑は、栃木県にある那須国造碑、宮城県にある多賀城碑とともに日本三碑と呼ばれている古代の石碑である。また高崎市の山ノ上碑、金井沢碑とともに上野(こうずけ)三碑とも呼ばれる。 碑の高さは129㎝で、吉井町南部に産出する硬質の牛伏砂岩(通称多胡石)で造られている。 その書体は楷書体で中国の六朝風を遺すいわれており、古くより多くの書家に愛好され、6行80字の文字の彫りも味わいあるものとして評価されている。 土地の人は多胡碑を「ひつじさま」と呼

                多胡碑・多胡碑記念館(上野三碑) 群馬県高崎市吉井町池 - 墳丘からの眺め
              • 司馬遼太郎『この国のかたち』の中の、ピンときたセンテンス(不完全版) - コバろぐ

                司馬遼太郎さんのエッセイに、『この国のかたち』というのがあります。有名なのでみなさん知ってるでしょうけども。 昔、ぼくはかなり司馬遼太郎という作家に傾倒していて、日本史が好きになったのもそのおかげなのですが、例にもれずこのエッセイが大好きでした。何度も何度も読み返してましたね。 で、Twitterを始めたころちょうど読み返していて、その中からハッとしたりウーンと唸ったりしていたセンテンスをツイートしていたのです。 最近それを読み返す機会があり、せっかくなのでそれをまとめておきます。 『この国のかたち』とは まず、軽く『この国のかたち』をおさらいしときます。 『この国のかたち』は司馬遼太郎による歴史エッセイです。1986年より『文藝春秋』の巻頭随筆として連載され、1996年に司馬さんが亡くなるまで続きました。 司馬さんの歴史に対する態度、いわゆる「司馬史観」がどのようなエッセンスで出来ている

                  司馬遼太郎『この国のかたち』の中の、ピンときたセンテンス(不完全版) - コバろぐ
                • 漢文訓読

                  《卷 之 上》         1、訓讀とは *白文 *句點文 *訓讀文 *書き(讀み)下し文 *音讀 *何故訓讀を學ぶのか 2、漢文の基本型について 3、熟語の基本型について 4、漢和辭書の引き方 *漢和辭書の特徴 *漢字の成り立ち *漢字の字體の變遷 *漢字の音の種類 *「國字」について 5、返り點の用法と種類 6、送り假名の決まり 7、書き(讀み)下し文の決まり 8、訓讀上に於ける特殊な讀み方の漢字 *再讀文字 *置き字・介詞(於・于・乎)の使われ方 *接續詞(而)の使われ方 *「すなはチ」と讀む接続詞の種類 *「有(あり)」と「在(あり)」との違い *「多・少・難・易」の使われ方 *「多少」の意味について *終尾詞の種類 *同字異訓 *同訓異字 *ほぼ決まった讀み方をするもの *特殊な讀み方をするもの 《閑話休題・1》・・十干十二支 《以下に提示する例文は、横書きの爲、便宜的に返り

                  • 『日本漢籍受容史: 日本文化の基層』(八木書店出版部) - 著者:髙田 宗平 - 髙田 宗平による自著解説 | 好きな書評家、読ませる書評。ALL REVIEWS

                    著者:髙田 宗平出版社:八木書店出版部装丁:単行本(698ページ)発売日:2022-12-01 ISBN-10:4840622604 ISBN-13:978-4840622608 清朝以前に中国人が漢文(漢語)で撰した書物=漢籍。日本は前近代において、多くの漢籍が舶載・将来され、漢籍の書写・校合・講読・引用・印刷などの学問営為が行われた。あらゆる知識・情報の根源となった漢籍は、どのように受容され、日本文化に根付いたのか。 漢籍の伝来古来、日本人にとって、漢籍は中国文化を知り、これを学ぶ上で重要な道具であり手段であったことは周知の事実である。前近代において日本人は、漢籍を読むことによって知識を取得できたのであり、あらゆる文化は漢籍から読み解く知識がベースとなって生み出された、といっても過言ではない。漢籍はいかにして日本にもたらされたのか。古代から近世に至るまで、日本が漢籍を受容した歴史を概観

                      『日本漢籍受容史: 日本文化の基層』(八木書店出版部) - 著者:髙田 宗平 - 髙田 宗平による自著解説 | 好きな書評家、読ませる書評。ALL REVIEWS
                    • 後漢から六朝時代の崖墓219基を発見 中国・成都市

                      【5月3日 Xinhua News】中国・四川省(Sichuan)成都市(Chengdu)の成都文物考古研究院は4月27日、昨年から今年にかけて、同市金堂県で後漢時代後期から六朝時代(2~6世紀)にかけての崖墓(がいぼ)219基を発見し、発掘調査を実施したと発表した。崖墓は断崖に掘られた横穴式の墓を指す。これらの墓からはガラス製の「耳璫(じとう、耳飾り)」などの貴重な器物600点余りが出土した。 崖墓群は同県趙鎮中興村7組にあり、低い丘の東斜面に上下4層に分布していた。同時期に複数の家族が使用した共同墓地と思われる。規格の違いから大・中・小の三つに分類できる。 大型墓は狭くて長い露天の墓道を持ち、前後二つの墓室からなる双室墓となっている。主室の両側には多くの棺室が設けられており、一部の墓室には壁と天井に精巧で美しい彫刻が施されていた。葬具の多くは陶棺で、主に後漢時代後期から蜀漢時代(2~3

                        後漢から六朝時代の崖墓219基を発見 中国・成都市
                      • 音楽に感情はあるのか?―嵆康「声無哀楽論」(2) - 達而録

                        「声無哀楽論」は、当時の音楽論としてのみならず、当時の玄学や儒教批判の文脈、また文学としての評価など、さまざまな観点から読むことのできる文献ですから、研究も数多くあります。今回記事を書くに当たって読んでみた論文は以下です。 福永光司「嵆康における自我の問題―嵇康の生活と思想」(『東方学報』32、1962) 宍戶友紀「嵆康の「聲無哀樂論」について」(『中國文學報』76、2008) 玉木尚之「音楽と感情 : 「声無哀楽論」の嵆康の論の問題」(『高知大学教育学部研究報告』73、2013) 福永氏は、他にも「嵆康と佛教 : 六朝思想史と嵆康」(『東洋史研究』20-4、1962)など、嵆康に関する研究をさまざまな角度から試みています。 今日は、福永光司「嵆康における自我の問題―嵇康の生活と思想」の整理に沿って、嵆康「声無哀楽論」の論理を簡単に整理しておきましょう。 前回読んだ通り、嵆康の狙いは、「音

                          音楽に感情はあるのか?―嵆康「声無哀楽論」(2) - 達而録
                        • 『日本書紀』同様に作為のある『隋書』、意外に史実を伝えた面もある『日本書紀』:石井正敏「『日本書紀』隋使裴世清の朝見記事について」 - 聖徳太子研究の最前線

                          私が長らくやめていた聖徳太子研究に復帰し、大山説批判に乗り出してまだ数年の頃、2011年に藝林会の第5回学術研究大会としておこなわれたシンポジウム「聖徳太子をめぐる諸問題」に参加しました。 このシンポジウムでは、所功氏の司会のもとで、武田佐知子、石井正敏、北康宏の諸氏と私が発表して相互討議をおこない、翌年、他の研究者が書いた聖徳太子関連論文とともに『藝林』第61巻2号に掲載されました(諸氏の論文の一覧は、こちら。私の論文は、こちら)。 その石井正敏氏は、温和な様子で文献を着実に検討しておられましたが、残念なことに2015年に亡くなってしまっため、知友が編纂して著作集を出しており、その中にこの時の発表に基づく論文が収録されています。 石井正敏『石井正敏著作集第一巻 古代の日本列島と東アジア』「『日本書紀』隋使裴世清の朝見記事について」 (勉誠出版、2017年) です。 『日本書紀』は編纂時の

                            『日本書紀』同様に作為のある『隋書』、意外に史実を伝えた面もある『日本書紀』:石井正敏「『日本書紀』隋使裴世清の朝見記事について」 - 聖徳太子研究の最前線
                          • 45歳未満の若手研究者の業績を称える日本学術振興会賞、25名受賞

                            日本学術振興会は、45歳未満の創造性に富んだ若手研究者の業績をたたえ、支援する2019年度(令和元年度)日本学術振興会賞に、慶應義塾大学理工学部の安藤和也准教授(34)、京都大学人文科学研究所の倉本尚徳准教授(43)、九州大学大学院理学研究院の佐竹暁子教授(44)ら25人を選んだ。授賞式は2020年2月18日、東京都台東区上野公園の日本学士院で開かれる。 受賞者のひとり、慶應義塾大学の安藤准教授は、従来観測不可能とされていたシリコン中のスピンホール効果の観測や、金属の酸化により電流とスピン流の変換効率が数桁も増大する現象を発見するなど多くの成果を挙げた。また、京都大学の倉本准教授は、仏教史研究において、石窟寺院の壁画や石碑、仏像等に刻まれた銘文を網羅的に調査することによって新しい知見を得、中国六朝隋唐仏教史の定説を大きく刷新する見解を導出した。九州大学の佐竹教授は、これまで未解明であった植

                              45歳未満の若手研究者の業績を称える日本学術振興会賞、25名受賞
                            • 日本漢字音の歴史的研究 - 株式会社汲古書院      古典・学術図書出版

                              ―体系と表記をめぐって― 膨大な蓄積と緻密な考察をもとに日本漢字音の実態を歴史的に明らかにした画期的な労作。 呉音は六朝期の方言が母胎であること、 漢音と新漢音を区別し、 濁音や梵語音など表記論は従来の諸説を一新するなど創見にみちている。

                              • 第7回 旅する「唐草模様」|歌舞伎美人

                                唐草というと緑色に白抜きといった「泥棒の風呂敷」を連想してしまいます。そのため日本独特の文様ではないかとイメージしてしまいますが、起源は古代エジプトに遡ります。 正確な起源には諸説あると言われていますが、古代エジプトの植物文様や帯状の渦文様が唐草の母体になったと考えられています。 紀元前2000年〜1400年頃のエジプトの石碑や食器には、睡蓮の花をモチーフにした文様が多く発見されています。睡蓮はナイル川流域に生息し、古来、エジプト人にとってはナイルの豊かさをあらわす宗教的なモチーフでした。人々は、その特別重要な意味を持つ花で身の回りを埋め尽くし幸福を願ったそうです。そして円や波、渦巻きといった原始的文様と植物のモチーフが融合し、やがて唐草へと発展したのです。 エジプトで生まれた睡蓮の文様は古代オリエントからアジアへと伝わり、無数の花や実をつけ次の生命を生み出してゆく「生命の樹」に形を変えて

                                • 【総目次】 世界史の教科書を最初から最後まで|みんなの世界史

                                  世界史の教科書って、わかりにくいですよね。 複数の「エリア」が組み合わせられる構成は、難解な“取扱説明書”のようでもあり、時代によって揺れ動く落ち着きのない “パズルのピース” のようでもあります。 とっても合理的に設計されている反面、そのつくりがきわめてややこしいことはたしかです。 しかしながらそうは言っても、どうしても教科書を使って勉強をしなければいけない方もいるでしょうし、機会さえあれば小手先ではなく真正面からガッチリと通史(時間の流れに沿った歴史)を学んでみたいという人も少なくないのではないでしょうか(*1)。 そこで、世界史教科書全体の“骨格”を踏まえた上で、世界史の教科書を最初から最後まで、 「カンタンすぎず、難しすぎず」をモットーに解説してみることにしました。 できるだけ細かな点は禁欲し、“グローバル”なスケールで「世界史のエッセンス」に触れることができるような仕掛けを用意し

                                    【総目次】 世界史の教科書を最初から最後まで|みんなの世界史
                                  • 中国の信仰世界と道教 - 株式会社 吉川弘文館 歴史学を中心とする、人文図書の出版

                                    道教・仏教・民間信仰が混ざりあい、地域による違いを保ったまま複雑に展開する中華圏の宗教。六朝時代から現代に至るまで信仰される、関帝・媽(ま)祖(そ)・八仙などの神々を時代やテーマ毎に紹介する。『西遊記』『封神演義』などの文芸にも影響を受けて変容する姿と特徴を解明。中国および日本の文化に影響を与えてきた実態をわかりやすく解説する。 現代も生きる宗教文化―プロローグ 民間信仰と三教の関係 三教と民間信仰 難しい資料の扱い 民間信仰の神世界 『三教捜神大全』とは 上位神仙と自然の神 武勇の神々と神僧 道教の神仙世界 古い時期の神々と仙人 道教伝授の系譜 変容する仙人 通俗文芸と中華の神々 『西遊記』と『封神演義』 雑劇にみえる信仰 地域で異なる神々の世界 地域と信仰 南方の習俗 北方の習俗 華人信仰の伝播と変容 東南アジアの信仰 日本に伝わる民間信仰 複雑な中華の信仰世界―エピローグ あとがき

                                    • 上代漢字文化の受容と変容 瀬間 正之 著

                                      日本語を、歌を、神話を表現するために、漢字をどのように用いたのか。 古代朝鮮の状況も踏まえつつ、中国発祥の漢字が、音節構造も語順も異なる日本の文字表現として精錬されていく過程を、具体的な資料に即して解き明かす。 「我が国において、どのように文学が発祥し、どのように定着・発展していったのか? ノル・カタル・ウタフといった口誦伝承の世界、文字による文学の誕生、そして文字表現として精錬されていく過程を具体的な資料に即して解き明かしていきたい。この作業によって、当時の人々の労苦と腐心を多少なりとも追体験できれば幸いである。」 (「序に代えて」より) 瀬間 正之(せま まさゆき) 上智大学文学部教授。博士(文学)。 主要編著書 『古事記音訓索引』(おうふう、1993年)[編]、『記紀の文字表現と漢訳仏典』(おうふう、1994年)、『電脳国文学』(好文出版社、2000年)[共著・著者代表]、『風土記の

                                        上代漢字文化の受容と変容 瀬間 正之 著
                                      • レファレンス事例紹介コーナー - 群馬県立文書館 - 群馬県ホームページ(文書館)

                                        「文書館だより」バックナンバーより 問1 江戸時代の古文書に書かれている書体は、字がくずされていて読みづらいのですが、何とよばれる書法なのですか? ​  はい、これは「御家流(おいえりゅう)」とよばれる書法です。この書法を普及させたのは、鎌倉末から南北朝期にかけての書家、尊円法親王(1298~1356)で、当初は、青蓮院流(しょうれんいんりゅう)といわれました。江戸時代のはじめこの流儀の名うての書き手であった松花堂昭乗は、幕府の祐筆(筆吏)にこの書法を伝えたため、幕府の公文書は御家流が用いられ、諸藩もこれに追従しました。そして、寺子屋でも御家流を教えたので、大いに普及しました。現代の私どもは楷書も慣れ、字がくずされている御家流の文字を読みづらいと感じますが、御家流の文字は、他の書流に比べるとくずし方は平易で、書風もおだやかということです。 問2 離縁状の中に出てくる「我等勝手につき離縁…」

                                        • 仏像造営は宇宙開発のような大事業だった

                                          いにしえの大寺院や仏像は、それぞれの時代や国の最高の美意識と財力を結集して造られました。現代でいえば、国家の威信を賭けた公共建造物や宇宙開発のような位置づけであったといえます。わが国でも、6世紀半ばの仏教公伝以来、時の為政者たちは力を尽くして仏像を造り続けました。それは仏教が国家から庶民へと拡散して、もはや巨大な仏像を必要としなくなる15世紀頃まで続きました。 本講座では、わが国において仏像が造られてきた時代背景を踏まえ、その節目節目で仏像の様式や制作技法が変遷した理由を解き明かしながら、仏像の発注者と制作者の葛藤などを、現代のビジネスシーンにも通じる物語としてお話ししていきたいと思います。初回である今回は、飛鳥時代から鎌倉時代までの大きな流れを概観いたします。 飛鳥時代 仏像黎明期 3世紀から6世紀までに、中国の江南地方を中心に六つ王朝が勃興した時代を六朝時代と呼び、釈迦や観音が熱心に信

                                            仏像造営は宇宙開発のような大事業だった
                                          • ❥クロックマダム(グルテンフリー)~Teaカップ~ - 食❤楽しまにゃ~

                                            ♥ Teaカップ ♥ 紅茶は中国発祥といわれ、 オリエンタルな風物として、ヨーロッパに 持ち込まれたとされています 未だに、中国ではあまり紅茶は消費されて おりませんが、、(^^;) 水質の違いもあり、ヨーロッパで入れた 紅茶は赤くなく、黒く、渋くもならず、 本当に美味しいと思って飲んでいたのか 謎です、、 緑茶を持ち込むはずが、紅茶に変化して しまったという説もあるので、 一風変わったものに対する憧れ、、が ヨーロッパの人の心を虜にしたのか~ ❥同時に、器も中国から持ち込まれたのです 世界的に有名な陶磁器の名産地、 中国の「景徳鎮」古くは昌江の南岸にあり 「昌南窯」といわれていた 漢時代には存在したという説、 また六朝時代の宮殿の陶礎を焼いたという 説もある 景徳年間に良品が生産されたことから、 1004年、北宋の皇帝真宗が「景徳」という 名を授け、「景徳鎮窯」となったという 景徳鎮が世

                                              ❥クロックマダム(グルテンフリー)~Teaカップ~ - 食❤楽しまにゃ~
                                            • 呉音と漢音の見分け方

                                              呉音と漢音の見分け方 日本の漢字音には呉音と漢音がある。「正」という字を「ショウ」と読むと呉音となり、「セイ」と読むと漢音になる。ここでは両者の見分け方について考えてみたい。 呉音は一言で言って「抹香くさい」。つまり、仏教語という感じがするものが多い。「経文」「成就」「殺生」「勤行」などがその例である。しかし、仏教が日本語に与えた影響は深い。たとえば「人間」という言葉は仏教語である。仏教的な考えではあらゆる生き物(衆生)は死ぬと業に応じて6つのステージ(六道)に生まれ変わるが、そのうちの一つが「人間道」であり、他に「天上道」「修羅道」「畜生道」「餓鬼道」「地獄道」がある。「チクショー、このガキ!」と罵倒するときには、知らず知らずのうちに二つも仏教語を用いていることになる。常に殺し合いをしていなければならない「修羅道」からは「修羅場」という言葉も生まれた。「人間いたるところ青山あり」という句

                                              • 有為自然 167    美人イメージの基礎は 『白蛇伝』のパイニャン(白娘) - 人生百年 有為自然

                                                美人イメージの基礎は 『白蛇伝』のパイニャン(白娘) 小学校時代、児童全員が先生に引率されて、 町の映画館で、たびたび映画鑑賞が行われました。 私の美人イメージの基礎をつくったのは、 アニメ映画『白蛇伝』ではないかと思っています。 主人公のパイニャン(白娘)です。 パイニャンは、もっとほっそりした「六朝(りくちょう)美人」だと思っていました。 アニメを見直すと、それほどでもありません。 楊貴妃も、ずっと「六朝美人」だと思っていました。 高校時代に、唐代の美人は豊満だと知って、がっかりしたのを思い出します。 現在は、やせぎすはダメで、 ふっくらしているぐらいが健康的だと思っていますが … 。 ヘビ嫌いなのに、小さな白蛇はまだ許せます。 『白蛇伝』の影響でしょう。 宮崎駿氏がアニメ界に入るきっかけになったのも、 『白蛇伝』だと知って嬉しくなりました。 昭和の時代の子どもたちの、憧れの一つだった

                                                  有為自然 167    美人イメージの基礎は 『白蛇伝』のパイニャン(白娘) - 人生百年 有為自然
                                                • 岡益の石堂 鳥取県鳥取市国分町岡益 - 墳丘からの眺め

                                                  梶山古墳で「お魚」を見た後は、県道の向かい側にある、岡益の石堂を訪ねてみました。 駐車場脇にあった”岡益石堂の森”案内図。石仏の森も気になりますね。 その横に石堂(いしんどう)の解説。壇ノ浦で入水した安徳天皇(1178~1185)の御陵参考地ではありますが、築造年代は7世紀頃なので500年ほど差が… 岡益の石堂(おかますのいしんどう:安徳天皇御陵参考地) 6m四方の基壇の上に厚さ40㎝前後の壁石でかこった石室が造られ、石室の中央に柱礎があり、その上にエンタシス(胴張り)のある円柱が建っている。この上にマス形をした中台が2個のっている。 中台の下の方には忍冬唐草文(にんどうからくさもん)が浮彫されている。この文様は中国の雲崗石窟寺院などのものによく似ており、このことが大陸的色彩が強いとされるゆえんである。一般に7世紀ごろと考えられている、明治29年に安徳天皇御陵参考地に指定され、現在は宮内庁

                                                    岡益の石堂 鳥取県鳥取市国分町岡益 - 墳丘からの眺め
                                                  • (講義録)古代の日本建築はどう変わったか | 新・筑紫潟乃風

                                                    小 澤 太 郎 平城宮跡復元朱雀門の柱組み物と垂木(奈良市佐紀町) 講義日 2015.11.16 場 所 久留米大学 御井学舎241 教室 1. 日本の建築 日本列島の建築は、後期旧石器時代から明治時代初期にいたるまで、頑固なまでに木造一筋でした (ただし、近世の石造蔵など例外有り)。これは、ヒノキをはじめとする良質な木材が豊富であったことが理由として考えられます。また、西洋の諸都市に比べて高温多湿な気候であることから、吸湿性の高い木材を利用することによって環境に適応したものといえるでしょう。 その間、中国大陸や朝鮮半島の人々と度重なる交流があり、建築においても多大な影響を受けました。大きな波としては、縄文時代と弥生文化の伝来、仏教伝来と飛鳥・奈良時代の六朝・唐の影響、鎌倉時代の宋様式の伝来などがあり、幕末から明治初期以降は、西洋建築様式が輸入されました。中でも古代における最も重要な出来事

                                                    • 読書漫筆 吉川 忠夫(著/文) - 法藏館

                                                      初版年月日 2023年2月10日 書店発売日 2023年2月10日 登録日 2022年12月8日 最終更新日 2023年1月24日 紹介 長年世に問うてきた解説解題や書評の類のものを、新旧、長短、硬軟とりまぜて選び、「解説解題」「書評」「学界動向」「編著序文」「三余余録―『中外日報』社説から」の5章仕立てに。 中国学を牽引してきた著者の読書の世界。 令和4年度、文化勲章受章者。 【目次】 はじめに Ⅰ 解説解題 内藤湖南『支那史学史 1・2』解説(平凡社東洋文庫)/附 『史記』びいきの内藤湖南と『漢書』びいきの狩野君山/附 湖南と『真誥』/宮崎市定『史記を語る』解説(岩波文庫)/附 『史記』の魅力/『漢書』五行志 解説(平凡社東洋文庫) など Ⅱ 書  評 小倉芳彦訳『春秋左氏伝 上・中・下』(岩波文庫)/村上嘉實『六朝思想史研究』(平楽寺書店)/小林正美『六朝道教史研究』(創文社)/大淵

                                                        読書漫筆 吉川 忠夫(著/文) - 法藏館
                                                      • UTokyo BiblioPlaza

                                                        『万葉集』は、日本最古の歌集として、誰もが名は知っているけれども、実際に読まれることは少ない。中高の教科書などに有名な歌は載っているけれども、平安時代の和文を標準とする古典教育の中では、文法も語彙も特殊で扱いの難しい作品として敬遠されているのが実情であろう。本書は、そうした実情に鑑み、少しでも『万葉集』を親しみやすいものにしたいという願いから生まれた。 平安時代以降の和歌と比較して、『万葉集』歌の最大の特徴は、「言葉の外部」との繋がりの強さである。つまり平安時代以降、和歌は言葉の上で完結し、実際の出来事や場所の知識は無くても理解できるものになる。それ以前の和歌である『万葉集』歌は、詠われた場や、その時の政治や社会に関する知識抜きでは理解できないのである。そのために、本書は、大きく『万葉集』の「うちがわ」と「そとがわ」という二本の柱を建てた。 「うちがわ」は、『万葉集』の概要を説明する部分で

                                                          UTokyo BiblioPlaza
                                                        • 唱導(ショウドウ)とは? 意味や使い方 - コトバンク

                                                          [名](スル) 1 ある思想・主張を唱えて人を導くこと。「平和運動を唱導する」 2 経文を唱えて教えを説き、人を仏道に導き入れること。 3 「唱導師」の略。 [類語]補導・善導・教導・指導 仏教の教理を説いて信仰に導くことで,唱道とも書き,演説ともいわれた。中国においても盛んであって,廬山(ろざん)の慧遠(えおん)はその達人であったという。日本古代の教化(きようげ)僧は唱導を事としたが,おなじく教理を説く説教ははじめ経典の内容を解説した。これに対して唱導は音韻抑揚で譬喩談を語った。《元亨釈書》巻二十九は〈本朝音韻を以て吾道(仏教)を鼓吹する者,四家あり。経師と曰(い)ひ,梵唄(ぼんばい)と曰ひ,唱導と曰ひ,念仏と曰ふ〉と述べ,経師はすなわち説経師である。唱導の名手とつたえられる慶意は〈先泣の誉〉があったというので,唱導の名手はみずからも泣き聴衆も泣かせたことをあらわしている。唱導が注目をあ

                                                            唱導(ショウドウ)とは? 意味や使い方 - コトバンク
                                                          • 日中文化のトランスナショナルコミュニケーション - 株式会社ナカニシヤ出版

                                                            人・モノ・資本・情報のトランスナショナルな移動が加速し新たな局面を迎えた日本と中国との文化交流を両国の研究者たちが論じる。 「コンテンツ」と「メディア」,あるいは「歴史」と「社会」という視座に立脚しながら,両国の大衆文化をめぐる越境的流通に焦点を当てる。 監修者 江藤 茂博(えとう しげひろ) 二松学舎大学文学部教授・学長。最近の業績に,『読む流儀――小説・映画・アニメーション』(言視舎,2020),『講座 近代日本と漢学 第二巻 漢学と漢学塾』共編(戎光祥出版,2020),『講座 近代日本と漢学 第八巻 漢学と東アジア』編(戎光祥出版,2020)などがある。 牧角 悦子(まきずみ えつこ) 二松学舎大学文学部長,文学部中国文学科教授,三国志学会副会長,儒教学会理事,六朝学術学会評議員・理事。おもな業績に『経國と文章――漢魏六朝文学論』(汲古書院,2018),『詩経・楚辞』(角川文庫,20

                                                              日中文化のトランスナショナルコミュニケーション - 株式会社ナカニシヤ出版
                                                            • ●鬼道が古墳時代をもたらした - 邪馬台国・奇跡の解法

                                                              ●二種の神器から三種の神器へ 卑弥呼の位置づけと評価は、ひとえに鬼道の解釈にかかっている。それはとりもなおさず、彼女の評価と時代の評価とも関連するし、『倭人伝』解読の行方を大きく左右する。時代の成熟度を無視した形で、卑弥呼を怪しげな個人レベルのシャーマンに見立てる意見もあるが、彼女が国家の政の根幹をなす存在だった事実は揺るがない。女王となった彼女は、あくまでも国家規模の祭祀を施行したというのが私の見方である。その祭祀様式を市井の庶民が習得できる環境にはなかったのだから、必然的に彼女の出自にもある程度の推察が巡るはずである。 福永光司によると、張魯の天師道は鏡と剣を二種の神器としていたという。 これが4世紀末ごろに儒教を取り込んで、道教として体制内宗教に昇華したとき、儒教の神器の玉(勾玉ではない)を加えてはじめて三種の神器が揃う。ということは、三種の神器が登場する以前の3世紀を生きた卑弥呼も

                                                                ●鬼道が古墳時代をもたらした - 邪馬台国・奇跡の解法
                                                              • 寿福千年録 - 寿福千年録

                                                                『千夜一夜物語』は、一夜のうちに遠くアラビアの国へと、連れて行ってくれた。学生時代の夏休みに徹夜を重ね、この長い長い物語を読み終えた記憶がある。空が白々と明るみはじめるころ、カナカナと蜩が鳴いた。もう遥か昔のことだ。 残酷な王、空飛ぶ絨毯、盗賊たちが暗躍する不可思議な世界。たぶん、それ以来、「千」という文字に、幾分支配されているのかもしれない。 先の土曜日のこと、古書街を散策中にある店で何気なく手にとったのが、伏見沖敬著『千字文詳解』であった。「千字文」に興味はあったが、山のような書物の中から目に飛び込んできたのは、「千」の文字故であったろう。「千字文」は四言古詩体二五〇句からなり一字の重複もない、中国六朝時代の詩である。習字の手本として重用され、かつ世界に類例のない言葉遊びの書でもある。編者は時の秀才、周興嗣と伝えられる。 さて、今や至る所で展覧会が開催されている、美の巨人北大路魯山人。

                                                                  寿福千年録 - 寿福千年録
                                                                • 『味な旅 舌の旅』所引の『懐風藻』 - 黌門客

                                                                  宇能鴻一郎『味な旅 舌の旅』(中公文庫1980)が、エセー「男の中の男は料理が上手」と、著者と近藤サト氏との対談(「酒と女と歌を愛さぬ者は、生涯馬鹿で終わる」)とを附して、2月に新装復刊された。昨夏に出た宇能氏のオリジナル短篇集『姫君を喰う話』(新潮文庫)が話題となったことを受けてのものらしい。 『味な旅 舌の旅』の単行本は日本交通社から刊行されており(1968年)、KK・ロングセラーズで『美味めぐり』と改題のうえ一部改編されて復刊(1977年*1)、その三年後に中公文庫に収まっており、わたしはこの旧版の文庫を持っていた。 いわゆる食味エセーではあるが、それだけに止まらない魅力がある。新版の帯に「日本美食紀行」とあるように、あるいはその表紙裏の内容紹介に「日本各地の美味・珍味を堪能しつつ列島を縦断。(略)貪婪な食欲と精緻な舌で味わいつくす、滋味豊かな味覚風土記」とあるように、北は小樽から南

                                                                    『味な旅 舌の旅』所引の『懐風藻』 - 黌門客
                                                                  • 【三国志】呉について語りましょう : 歴史的速報

                                                                    2020年05月21日19:00 【三国志】呉について語りましょう カテゴリ三国志 waruneko00326 Comment(17) 1: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/02/09(金) 19:30:47 ID:yfkLrjgU0 三国志の呉について語りましょう 246: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/10/09(火) 11:18:33 ID:DHA2KADT0 山越狩りの負担が無くなれば魏ともっといい勝負ができると呉の誰かが言ってたな 247: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/10/09(火) 12:45:40 ID:pFecfrrh0 「呉越同舟」の諺通り 呉と山越は共存は無理だったのかな? 248: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/10/09(火) 13:06:02 ID:2XTPmmO20 呉にとって山越との関係は戦国の呉越みたいなライバル関係じゃなか

                                                                      【三国志】呉について語りましょう : 歴史的速報
                                                                    • 『江南の発展: 南宋まで』(岩波書店) - 著者:丸橋 充拓 - 出口 治明による書評 | 好きな書評家、読ませる書評。ALL REVIEWS

                                                                      著者:丸橋 充拓出版社:岩波書店装丁:新書(210ページ)発売日:2020-01-23 ISBN-10:400431805X ISBN-13:978-4004318057 海上帝国までのダイナミックな道本書は「シリーズ中国の歴史」(全5巻)の第2巻である。このシリーズは中国を、草原、中原(華北)、江南、海域の四つの区域に分けて論じる。中国は「東南アジア(海域世界)の北部」と「内陸アジア(草原世界)の東部」が出会う場所なのだ。この広い中国が統一されたのは、わずか4回。中華帝国の模範となる諸制度「古典国制」ができた秦漢、唐、大元ウルス、清朝である。このような大きな見取り図のもとに、従来の「時代輪切りの編成」から離れて各巻が置かれている。とてもよく考え練られた構成だ。本書は、1万年ほど前の長江中下流域の稲作の起源から筆を起こし、モンゴル帝国前夜までの「海の中国」を俯瞰する。第1巻「中華の成立」で

                                                                        『江南の発展: 南宋まで』(岩波書店) - 著者:丸橋 充拓 - 出口 治明による書評 | 好きな書評家、読ませる書評。ALL REVIEWS
                                                                      • 【道教とは】思想的特徴・多神教的な教え・歴史をわかりやすく解説|リベラルアーツガイド

                                                                        道教(Taoism)とは中国三大宗教 (儒教・仏教・道教) の一つです。中国古代に流行した神仙思想を母体として、陰陽五行思想や道家思想と融合し、これに仏教の影響も受けて組織化された中国独自の宗教です。 その原型は後漢王朝の末期 (2世紀頃)、張陵の五斗米道や張角の太平道に見受けられ、呪術的な治病を中心として民衆に信仰されていました。 のちに六朝時代になると、仏教教団との激しい論争や闘争を通じ、各種思想をその体系的に組み込みながら教義を確立しました。 この記事では、 道教の思想と中国での位置づけ 他の思想との関わり 道教の歴史 について解説をしていきます。 興味のある方は、途中からでも読み進めてみてください。

                                                                          【道教とは】思想的特徴・多神教的な教え・歴史をわかりやすく解説|リベラルアーツガイド
                                                                        • 水口幹記編『東アジア的世界分析の方法 〈術数文化〉の可能性』(文学通信)

                                                                          文学通信|多様な情報をつなげ、多くの「問い」を世に生み出す出版社 日本語・日本文学の研究書を中心に、人文学書全般を刊行する出版社、文学通信のブログ。 文学だけにこだわらず周辺領域も含め、意欲的に刊行していきます。 出版活動と同様に、webでも積極的に活動することで、多様な情報をつなげ、多くの「問い」を世に生み出していきたいと思います。 〒113-0022 東京都文京区千駄木2-31-3 サンウッド文京千駄木フラッツ1階101 電話03-5939-9027 FAX03-5939-9094 info@bungaku-report.com インボイス登録番号:T4011501023591 Tweet Share on Tumblr 2024年2月下旬刊行予定です。 水口幹記編『東アジア的世界分析の方法 〈術数文化〉の可能性』(文学通信) ISBN978-4-86766-029-4 C0020 A

                                                                            水口幹記編『東アジア的世界分析の方法 〈術数文化〉の可能性』(文学通信)
                                                                          • 陶弘景 - Wikipedia

                                                                            陶 弘景(とう こうけい、孝建3年4月30日(456年6月18日)- 大同2年3月12日(536年4月18日))は、中国六朝時代の医学者・科学者であり、道教の茅山派の開祖。字は通明。隠居後は名を捨て華陽隠居と名乗り、晩年には華陽真逸と称した。 眉目秀麗にして博学多才で詩や琴棋書画を嗜み、医薬・卜占・暦算・経学・地理学・博物学・文芸に精通した。山林に隠棲しフィールドワークを中心に本草学を研究し今日の漢方医学の骨子を築いた。また、書の名手としても知られ、後世の書家に影響を与えた。 生涯[編集] 丹陽郡秣陵県(現在の江蘇省南京市江寧区)の人で、南朝の士大夫の出身。祖父の陶隆は王府参軍、父の陶貞宝は孝昌県令を務めた。幼少より極めて聡明でたちまち書法を得、万巻の書を読破した。10歳のときに葛洪の『神仙伝』に感化され道教に傾倒し、15歳にして『尋山志』を著したという。20歳の頃、南斉の高帝に招聘され左

                                                                              陶弘景 - Wikipedia
                                                                            • 丞相(じょうしょう)とは? 意味や使い方 - コトバンク

                                                                              旧中国において天子を補佐する最高の大臣を宰相と言うが,歴代その名称を異にする。丞相(〈じょうしょう〉とも読む)はその一つで,秦・漢に始まり,六朝を通じて,おおむね丞相が宰相の名であった。もし2人なる時は,左丞相が上で右丞相を下とする。唐になって三省の長官,中書令,門下侍中,尚書左右僕射を宰相とし,丞相を置かない。のち三省を合わせて同平章事を設けて,宰相の事をつかさどらせ,これが北宋の中期に及んだ。神宗の時,改めて左右僕射をもって宰相とし,南宋に入ってこれを左右丞相と改めた。元も丞相を置いたが,北方の風俗に従い,右丞相を左丞相の上に置いた。明も初めは丞相を置いたが,太祖が1380年(洪武13)左丞相胡惟庸(こいよう)を謀反の嫌疑で殺してから丞相を置かず,みずから直接六部を指揮した。以後丞相の名が消え,代わって天子の秘書官なる内閣大学士,あるいは清代の軍機処大臣が実質上の宰相の職を行った。史上

                                                                                丞相(じょうしょう)とは? 意味や使い方 - コトバンク
                                                                              • 「令和」の出典は漢文!?――『万葉集』と中国古典作品との深い関係 三宅香帆 | web春秋 はるとあき

                                                                                「新元号、出典は『萬葉集』! だけどその元ネタは漢詩!」 ……という噂がインターネットを騒がせていたことを、ご存知だろうか。 新元号が決まったのを機に、なんと『萬葉集』が脚光を浴びている。私は大学院で『萬葉集』を研究していたのだけど、まさか自分の生きてるうちに『萬葉集』がアマゾンで売り切れになる日が来ることになるとは思わず、驚きっぱなしである。ちなみに社会へ出たのはつい先日、こないだまで一日一首は奈良時代の歌を読む生活をしていた(念のため注をつけておくと、読む、であって、詠む、ではない)。 元号が発表される以前は、『萬葉集』を研究すればするほど、大学院の外で「『萬葉集』を研究していてね……」と言った時の、みんなの反応に戸惑った。みなさん、『萬葉集』と聞けば「ああ、古典は苦手でね……」と苦虫を噛み潰したよーなお顔をされ、「和歌、むつかしかった……」と苦笑するのである。そのたび私は歯がゆかった

                                                                                  「令和」の出典は漢文!?――『万葉集』と中国古典作品との深い関係 三宅香帆 | web春秋 はるとあき
                                                                                • 六朝の良・賤をめぐって

                                                                                  This paper is an attempt to clarify the following points : 1.Liang in the Han (漢) period are the people and their families upon whom the government imposed basic taxes and public service, i.e., tien tsu (田租) and keng yao (更〓). In the early Six Dynasties the emperor had private citizens (not nu pei (奴婢)) upon whom he based his power, and allowed the government officials, according to their rank, to