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徳川綱吉の検索結果1 - 25 件 / 25件

  • 「再評価のオーバーラン」問題~田沼意次、徳川綱吉、松平定信、日野富子、徳川秀忠などを例に

    「賄賂まみれの悪徳政治家・田沼意次/それを改めた名君・松平定信」「生類憐みの令などの愚策で庶民を苦しめた暗君・徳川綱吉」などの人物像が一面に過ぎるとして、評価の見直しが行われているのは、歴史好きの間ではすでに周知の事実に近い話。その一方で「そんな再評価が、ちょっと行き過ぎなのでは?」という議論も出ています。…歴史に興味のない界隈ではオーバーランどことか、古い視点の常識がまだ残っていたりするのでややこしいんですけど! そんな視点のまとめ。 ツイートを使わせていただいたアカウントはこちら(※追加は除く) @gryphonjapan @nariyama @KYuriel @ut_ken @Kojirou5Kojirou @hayohater @yuiha080128 @funassyi_trivia @aoren119 @harusui_12 @ashibetaku @ikaton__bot @

      「再評価のオーバーラン」問題~田沼意次、徳川綱吉、松平定信、日野富子、徳川秀忠などを例に
    • 徳川綱吉の再評価について - tukinoha’s blog

      世の中のほとんどの人間は、馬鹿でもない代わりにさほど賢くもなく、独創的なこともしない代わりに独りよがりなこともしない、ということは我々が日々実感するところですが、こと歴史に関しては「名君/暗君」「文明/野蛮」「進歩/退嬰」の二分論で切り分けたくなるのもまた然り。専門の歴史学者もこうした二分論から完全に自由にはなっていないのですが、しかし、これはちょっと如何なものかと。 いま使われている歴史の教科書では聖徳太子の事績や実在に疑問がつけられたり、鎌倉幕府の成立が1192年ではなくなっている。「いいくに作ろう鎌倉幕府」は今や「いいはこ(1185年)作ろう鎌倉幕府」になっているのだ。 そして、教科書の変化で目に付くのは、人物評価の「上がった人」「下がった人」の明暗である (中略) 劇的に評価が上がったのが、江戸幕府第5代将軍・徳川綱吉である。1988年版にはこうある。 〈生類憐みの令をだして犬や鳥

        徳川綱吉の再評価について - tukinoha’s blog
      • 痛いニュース(ノ∀`) : 日本史の教科書記述一変で、徳川綱吉が暴君から名君に 「生類憐みの令は慈愛の政治」 - ライブドアブログ

        日本史の教科書記述一変で、徳川綱吉が暴君から名君に 「生類憐みの令は慈愛の政治」 1 名前:しいたけφ ★:2013/04/14(日) 12:40:31.24 ID:???0 いま使われている歴史の教科書では聖徳太子の事績や実在に疑問がつけられたり、鎌倉幕府の成立が1192年ではなくなっている。「いいくに作ろう鎌倉幕府」は今や「いいはこ(1185年)作ろう鎌倉幕府」になっているのだ。 そして、教科書の変化で目に付くのは、人物評価の「上がった人」「下がった人」の明暗である。実在そのものにも疑問がついた聖徳太子が「下がった人」の典型だが、 聖徳太子から親書を託され、最初に隋に渡ったとされた遣隋使の小野妹子も、そのひとり。 (中略) 一方、歴史研究の成果で、逆に評価が上がった人物もいる。関ヶ原の戦いで西軍を組織した石田三成 について、1988年版では〈五奉行の一人石田三成は、小西行長ら

        • 徳川綱吉 教科書記述一変、生類憐みの令は慈愛の政治と評価

          いま使われている歴史の教科書では聖徳太子の事績や実在に疑問がつけられたり、鎌倉幕府の成立が1192年ではなくなっている。「いいくに作ろう鎌倉幕府」は今や「いいはこ(1185年)作ろう鎌倉幕府」になっているのだ。 そして、教科書の変化で目に付くのは、人物評価の「上がった人」「下がった人」の明暗である。 実在そのものにも疑問がついた聖徳太子が「下がった人」の典型だが、聖徳太子から親書を託され、最初に隋に渡ったとされた遣隋使の小野妹子も、そのひとり。 「無礼な(607年)遣隋使・小野妹子」なんて語呂合わせを覚えている読者は多いかもしれないが、山川出版社の教科書(以下、引用は同社のものより)では、現在では〈600年の派遣に続けて607年には小野妹子が遣隋使として中国に渡った〉と初の遣隋使ではなかったことが明記され、かつては太文字だったのも細字に格下げされた。親書を託した聖徳太子も存在が疑われている

            徳川綱吉 教科書記述一変、生類憐みの令は慈愛の政治と評価
          • 日本史上、一番ひどい悪人だと思う 1位明智光秀 2位織田信長 3位徳川綱吉 : 哲学ニュースnwk

            2014年08月09日08:00 日本史上、一番ひどい悪人だと思う 1位明智光秀 2位織田信長 3位徳川綱吉 Tweet 1: キチンシンク(東日本)@\(^o^)/:2014/08/07(木) 15:44:29.01 ID:7uFwHhbA0.net 歴史に名を残した人は、英雄だけではありません。中には極悪非道といわれる「悪人」たちもいますよね。 日本史に登場する人物の中で、一番ひどい悪人は誰だと思いますか? 読者452名に聞きました。 調査期間:2014/7/15~2014/7/22 有効回答数:男性145名、女性307名(ウェブログイン式) マイナビウーマン調べ Q.日本史上、一番ひどいと思う悪人を教えてください(単一回答) 1位 明智光秀 24.8% 2位 織田信長 14.6% 3位 徳川綱吉 13.9% 4位 平将門 8.4% 5位 田沼意次 6.2% 5位 蘇我入鹿 6.2%

              日本史上、一番ひどい悪人だと思う 1位明智光秀 2位織田信長 3位徳川綱吉 : 哲学ニュースnwk
            • 【生類憐みの令】実は悪法ではなかった!?5代将軍徳川綱吉の政策 - 日本史はストーリーで覚える!

              こんにちは。実は味覚オンチの本宮 貴大です。 この度は、記事を閲覧してくださって本当にありがとうございます。 今回のテーマは「【生類憐みの令】実は悪法ではなかった!?5代将軍徳川綱吉の政策」というお話です。 是非、最後までお読みくださいますようよろしくお願いします。 江戸時代は里子、捨て子、間引きが横行しており、動物達も当たり前のように捨てられていました。生類憐みの令とは命を粗末にする民衆への戒めと正しい倫理感を植え付ける目的の法律だったのです。 テレビなどのマスメディアで親がまだ幼い自分の子供を虐待したという報道を目にすると、心が痛みます。ニュースのコメンテーターは近年の社会問題だとか、核家族化が崩れたためとか、死角の多いマンションが増えたからとか・・・いろいろな意見を述べています。 大人の児童虐待は本当に最近の話なのでしょうか。 いいえ。江戸時代では現在では、考えられないような子供の虐

                【生類憐みの令】実は悪法ではなかった!?5代将軍徳川綱吉の政策 - 日本史はストーリーで覚える!
              • 専制君主としての徳川綱吉と生類憐みの令 | Kousyoublog

                公開日: 2013/07/09 : 最終更新日:2014/01/29 カテゴリー:歴史・宗教 タグ:思想, 日本史, 江戸時代, 生活, 社会, 近世 徳川綱吉というと「生類憐みの令」によって人々を苦しめ、牧野成貞・柳沢吉保ら側用人の専横を許した暗君というのが一般的なイメージで、そのイメージへのカウンターとして動物愛護の慈愛に満ちた明君という説と、マザーコンプレックス・動物への偏愛による異常人格者という説などいずれにしても極端な人間像が近代以降の綱吉観であった。これらの通説に対してその政策や生い立ちから、将軍権力の強化の過程で専制君主として君臨し当時の社会情勢を踏まえた総合的な施策として「生類憐みの令」を位置づけたのが塚本学氏の「生類をめぐる政治」である。83年に出版されて、多くの研究者によって綱吉の諸政策の研究は補強され、現在ではほぼ主流となっている。2013年に講談社学術文庫から改訂

                • 徳川綱吉 - Wikipedia

                  3代将軍・徳川家光の四男として正保3年(1646年)1月8日、江戸城に生まれる。幼名は徳松(とくまつ)。 慶安4年(1651年)4月、三兄の長松(のちの徳川綱重)とともに賄領として近江、美濃、信濃、駿河、上野から15万石を拝領し家臣団を付けられる。同月には家光が死去し、8月に長兄の徳川家綱が将軍宣下を受ける。承応2年(1653年)8月に家綱の右大臣昇進にあわせて2人の弟は元服し、偏諱(「綱」の字)を受けて長松は綱重、徳松は「綱吉」とそれぞれ名乗った(「松平右馬頭綱吉」と松平姓を称したとされる[1])。同時に従四位下・左近衛権中将・右馬頭に叙任し、同年正三位叙位[2]。 明暦3年(1657年)、明暦の大火で竹橋の自邸が焼失したため9月に神田へ移る。寛文元年(1661年)閏8月、25万石を与えられ上野館林藩主となる[2]。12月には参議に叙任され、この頃「館林宰相」と通称され、徳川姓を名乗った

                    徳川綱吉 - Wikipedia
                  • 生類憐れみの令って結果的に民衆にとってはどのような影響を及ぼしたのでしょうか? - 「犬公方」こと徳川綱吉が行った「生類憐れみの令」で... - Yahoo!知恵袋

                    結果をいうなら 「関が原から80年たっても戦国から引きずっていた日本人の暴力的性向が是正されて、治安がよくなった」 現在でも、科学的統計で「健康に明らかな害がある」と明確なタバコの規制ですら、「喫煙ファシズムだ!喫煙者弾圧だ!」とヒステリーを起こしたり、「タバコに害は無い」と科学的統計を曲解して強弁する人が大勢います。 綱吉時代の生類憐れみの令への不満とは、本質的にそういうものです。 現在は歴史の再検証でほぼ否定されていますが、一昔前の「生類憐れみの令の多大な害悪」というのは、現在で言えばタバコ規制にヒステリーを起こす愛煙家の言動のようなことを、後世の人が事実と勘違いして真に受けてしまったことによります。 あるいは、狂信的な鯨保護活動家の作った宣伝映画を見て、「日本人は鯨を虐殺する残虐な民族だ」と誤解するようなもの。 また、綱吉の後に政権を握った新井白石が、自分の政権を自画自賛するために、

                      生類憐れみの令って結果的に民衆にとってはどのような影響を及ぼしたのでしょうか? - 「犬公方」こと徳川綱吉が行った「生類憐れみの令」で... - Yahoo!知恵袋
                    • 徳川綱吉(仲里依紗)が右衛門佐を笑った理由!ドラマ『大奥(2023年) 第5話』 - AKIRAの映画・ドラマブログ

                      引用:https://www.nhk.jp/p/ts/PKYJ66Q8JP/ ドラマ『大奥(2023年) 第5話』では、徳川綱吉(仲里依紗)が右衛門佐を笑ってしまうので、その理由について解説します。 ドラマ『大奥(2023年) 第5話』のキャスト 脚本&演出&原作 登場人物&俳優 ドラマ『大奥(2023年) 第5話』のストーリー 『徳川綱吉(仲里依紗)が右衛門佐を笑った理由』 ドラマ『大奥(2023年) 第5話』の見所とまとめ ドラマ『大奥(2023年) 第5話』のキャスト 大奥(2023年)は、2023年1月10日から放送開始されました。 脚本&演出&原作 脚本:森下佳子 演出:大原拓&田島彰洋&川野秀昭 原作:よしながふみ 登場人物&俳優 徳川吉宗(演:冨永愛)紀州藩から将軍にまで上り詰めた人物 徳川家光-千恵(演:堀田真由)徳川家光になった女将軍 徳川綱吉(演:仲里依紗)徳川5代将軍

                        徳川綱吉(仲里依紗)が右衛門佐を笑った理由!ドラマ『大奥(2023年) 第5話』 - AKIRAの映画・ドラマブログ
                      • 【2ch】歴史的大敗 : 【徳川綱吉】生類憐みの令ってどのくらいヤバイ悪法だったの?

                        2012年01月22日23:00 【徳川綱吉】生類憐みの令ってどのくらいヤバイ悪法だったの? カテゴリ江戸時代技法・道具・制度 3: 元気マン(埼玉県):2011/01/13(木) 16:49:05.00 ID:AAeUfuVVP リンクの最初を全角で書いちゃうくらいヤバい悪法だった 4: クロスキッドくん(広島県):2011/01/13(木) 16:49:39.64 ID:Eodz5A8J0 この法の悪口はほとんどがねつ造されたデマらしいな 6: ↓この人痴漢です:2011/01/13(木) 16:57:04.65 ID:EjMu9s4J0 英雄語録 私は人が死んでも悲しくはないが、動物が死ぬのは悲しい。           ───アドルフ・ヒトラー─── 114: ミルミル坊や(福岡県):2011/01/14(金) 04:06:50.33 ID:WL3UhB7o0 >>6 そりゃ、他人

                        • 評価が低い徳川綱吉だが… 近年の研究で新たな説〈dot.〉 (dot.) - Yahoo!ニュース

                          1月28日は旧暦のお正月。日本ではほとんど意識されることがなくなった旧暦だが、日本に太陽暦(現在の暦)が導入されたのはわずか145年前のこと。飛鳥時代から明治時代までは一貫して太陰暦と呼ばれる旧暦が使用されていた。しかも江戸時代に至るまで、中国で編さんされた暦しか日本にはなかったのだ。 ●「犬公方」の実母・桂昌院 江戸時代には、平安時代に伝えられた暦を800年以上にもわたり使い続けていたため、すでにあちこちに不便が生じていた。古い暦の改正に取り組み、初めて日本人の手で編さんされた新しい暦が誕生したのが1685年。編さん者は渋川春海という天文学者で、これを命じたのは五代将軍・徳川綱吉だった。 徳川綱吉は、徳川幕府の体制を盤石にしたと言われる三代将軍・家光の四男である。ほとんどの日本人はこの将軍について、生類憐みの令や、犬を過度に大切にさせたことからつけられた「犬公方」というあだ名しか知

                            評価が低い徳川綱吉だが… 近年の研究で新たな説〈dot.〉 (dot.) - Yahoo!ニュース
                          • 始まりは1693年江戸時代!生類憐みの令で有名な犬将軍の第5代将軍徳川綱吉が創建に関わりが? 蔵前神社 - いろはめぐり

                            やっはろー! 皆さんどうもこんにちは、メッシンタです! 今回は東京のブルックリンと呼ばれ、カフェの町として有名な「蔵前」にある「蔵前神社」を紹介したいと思います。 蔵前神社は東京、江戸にあるということで、徳川家との関わりが非常に大きな神社となっています。 それでは本編へ! 蔵前神社の始まり(徳川家との関わり、徳川綱吉とは) 引用:jinjamemo.com 蔵前神社は1693年(元禄6年)の江戸時代に、京都にある石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)より勧請(かんじょう:神仏の分霊を他の場所に移し、祀ること)し、創建されます。 石清水八幡宮は、鎌倉にある鶴岡八幡宮(つるおかはちまんぐう)と一緒に日本三大八幡宮の1つとされています。 そのような経緯もあり、蔵前神社は当初、正式な神社名は「石清水八幡宮」でした。 しかし一般には、地名にちなんだ「蔵前八幡(くらまえはちまん)」や「東石清水宮(ひが

                              始まりは1693年江戸時代!生類憐みの令で有名な犬将軍の第5代将軍徳川綱吉が創建に関わりが? 蔵前神社 - いろはめぐり
                            • 徳川綱吉に好印象がない人に教えたい新解釈

                              江戸幕府5代将軍の徳川綱吉といえば、「犬公方」。生類憐みの令を出して犬をはじめ動物の愛護を人々に強要したことで知られる。愛護だけでなく、それに違反した者には厳しく罰したことから、江戸の庶民は陰で「犬公方」と軽んじたと伝えられる(さすがに「犬公方」とは公には言えなかったはず)。このため中高年以上の世代には、綱吉=暗愚の将軍というイメージが染みついている。 戦国の野蛮な価値観・風習を否定したという側面に言及 実際に現在の50代が高校で日本史を学習した1980年代の教科書には、「綱吉の生活はぜいたくで、さらに大寺院を造営し、幕府の財政難に拍車をかけた」「生類憐みの令を出して犬や鳥獣の保護を命じ、その励行を厳しくしたことは、庶民の不信をいっそう募らせることになった」と記されている。綱吉の治世は、決してよくなかったことが強調されている。

                                徳川綱吉に好印象がない人に教えたい新解釈
                              • 徳川綱吉はただの“犬バカ”ではなかった。「生類憐みの令」が発布された本当の理由 | 日刊SPA!

                                近年、歴史が見直されてきており、「学校で習った歴史と事実は違うのでは」ということがある。例えば、聖徳太子の実在に疑問符がつけられたり、鎌倉幕府の成立した年が1192年ではなく1185年と改められてきている。もしかすると、将来そうなるかもしれない例を1つ紹介しよう。徳川5代将軍・綱吉である。 多くの読者が綱吉と聞けば、真っ先に犬公方(お犬様)を連想し、生類憐みの令を思い浮かべるのではないだろうか。この法令は殺生を禁止するために1687年に発布されたのだが、それは「行き過ぎた動物保護法であり、そのために庶民は大変に苦労した」という認識が一般的だろう。綱吉は“犬バカ”将軍のイメージが広まっている。 実際、映画『大奥 ~永遠~[右衛門佐・綱吉篇]』(男女逆転の時代劇。菅野美穂が綱吉を演じ、共演した堺雅人と結婚するきっかけとなった作品)の公式サイトで徳川綱吉についての説明を確認すると、『悪法・生類憐

                                  徳川綱吉はただの“犬バカ”ではなかった。「生類憐みの令」が発布された本当の理由 | 日刊SPA!
                                • asahi.com(朝日新聞社):徳川綱吉らの茶壺に6千万円 NYの美術館が落札  - 社会

                                  落札された大名物唐物茶壺「千種」=クリスティーズ提供  【ニューヨーク=田中光】安土桃山時代から伝わる大名物(おおめいぶつ)唐物茶壺(ちゃつぼ)が、ニューヨーク・クリスティーズで17日、66万2500ドル(約6千万円)でワシントンのフリア美術館に落札された。クリスティーズによると、「これだけ保存状態がいいものが市場に出るのは珍しい」という。  落札された茶壺の銘は「千種」で、高さ約42センチ。南宋―元時代に中国から伝わったとみられ、徳川綱吉ら代々の持ち主が判明している。  戦国時代の茶人・千利休が持ち主にあてた手紙がついているうえ、織田信長に重用された堺の茶人の今井宗久や、豊臣秀吉の側近として知られる茶人の神屋宗湛たちの茶会記にも登場する品だという。  クリスティーズの日本・韓国美術部門長の山口桂さんは「最近、米国では茶道に対する関心が、どんどん高まっている。日本で競売するより、3倍近い値

                                  • 徳川綱吉の出した「生類憐みの令」は本当に天下の悪法だったのか?|逆転した日本史|河合敦|cakes(ケイクス)

                                    cakesは2022年8月31日に終了いたしました。 10年間の長きにわたり、ご愛読ありがとうございました。 2022年9月1日

                                      徳川綱吉の出した「生類憐みの令」は本当に天下の悪法だったのか?|逆転した日本史|河合敦|cakes(ケイクス)
                                    • 「儒学殺人事件 堀田正俊と徳川綱吉」書評 学説めぐる闘争、大胆に描く|好書好日

                                      儒学殺人事件 堀田正俊と徳川綱吉 [著]小川和也 NHKで放映された韓国の歴史ドラマ「トンイ」では、臣下の官僚が朝鮮国王の粛宗(スクチョン)を諫(いさ)める場面が出てきた。時は17世紀の後半。朝鮮半島では、中国にならって朱子学を支配イデオロギーとする朝鮮王朝のもとで、国王と臣下がともに儒教を学ぶ体制が確立されていたが、学説の違いから官僚の間に党派が生まれ、党派間の権力闘争が激化しつつあった。 翻って同時代の日本はどうだったか。戦国時代の最終的な勝利者として樹立された江戸の武家政権は、朝鮮とは根本的に体制が異なっていた。朱子学は支配イデオロギーにはならず、将軍に仕える臣下も科挙によって選抜されたわけではなかった。 だが本書は、粛宗の時代に日本でも朝鮮と一見よく似た光景が、将軍の徳川綱吉と大老の堀田正俊の間に繰り広げられていたという、驚くべき説を唱えている。貞享元(1684)年に正俊が江戸城で

                                        「儒学殺人事件 堀田正俊と徳川綱吉」書評 学説めぐる闘争、大胆に描く|好書好日
                                      • 徳川綱吉の似顔絵イラスト

                                        あいまい検索(英語検索) あいまいな日本語で(英語でも)検索できます。上手く動くか分からないのでお試しです。 検索の仕方については「検索のコツ」をご覧ください。 AIを使っていらすとや風の画像が生成できるサービスです。 Eテレのショートアニメです。 いらすとやが更新されたらお知らせするX(ツイッター)アカウントです。 いらすとやのLINEスタンプに関する情報をお知らせするLINEアカウントです。 ► 2024 (46) ► 7月 (2) ► 6月 (14) ► 5月 (6) ► 4月 (11) ► 3月 (12) ► 1月 (1) ► 2023 (24) ► 12月 (1) ► 10月 (11) ► 7月 (1) ► 6月 (3) ► 4月 (4) ► 1月 (4) ► 2022 (65) ► 10月 (9) ► 7月 (5) ► 6月 (7) ► 5月 (6) ► 4月 (13) ► 3

                                          徳川綱吉の似顔絵イラスト
                                        • 五代将軍 徳川綱吉 - 歴史研究所

                                          五代将軍 徳川綱吉 ●徳川綱吉 基本データ 生没年 1646(正保3)年~1709(宝永68)年 64歳 将軍在位 1680(延宝8)年~1709(宝永6)年 父:徳川家光 母:お玉の方(桂昌院) 兄:徳川家綱 徳川綱重 息子:徳松(早世) ●業績 ・弛緩し始めた幕府綱紀の粛正 ・不良代官の処罰と交代 ・治政不良の大名を次々と処罰 お家騒動もってのほか ・勘定吟味役の創設など、天和の治と呼ばれる政治を展開。 ●考察・エピソード 綱吉は学問好きで、自ら学ぶだけでなく、家臣にも講義するほどの打ち込みよう。興味のない家臣にとっては、さぞかし地獄であっただろう。 そんな綱吉といえば、生類哀れみの令や側用人柳沢吉保の重用などで評判の悪い将軍である。しかし、初期には天和の治と呼ばれる立派な改革を行い、後の徳川吉宗にも影響を与えている。 その綱吉の改革の中心的役割を担ったのが大老の堀田正俊。春日局の養子

                                          • 徳川綱吉と土壌肥料学 (情報:農業と環境 No.101 2008.9)

                                            1.江戸幕府は関東ロームの上に 世界史における文明の勃興 (ぼっこう) と衰亡が、水 (河川) や土壌と密接な関係にあることはよく知られた事実である。このことはまた、日本においても当てはまる概念であるが、詳しい考察はほとんど見たことがない。日本列島全体が、豊富な水と肥沃な土壌に恵まれているため、注意を喚起するに至らなかったのだろうか。 しかし、たとえば近世に発達した日本の大都市 「江戸」 をみると、やはり水や土壌と深い関係にあることが分かる。関東平野は、戦国時代まではほとんどが原野で人口も少なかったようだ。いくつかの大名が小さな領地を構えていたにすぎない。この地の土壌は、いわゆる 「関東ローム」 が大部分を占め、当時は農業に適さない土地だったのである。そしてこのことが、関東平野の発展を妨げていたと考えられる。 関東ロームは、箱根、古富士、赤城、榛名、浅間などの各火山から噴出した火山灰が厚く

                                            • 徳川綱吉 教科書記述一変、生類憐みの令は慈愛の政治と評価|ニュース&エンタメ情報『読めるモ』

                                              いま使われている歴史の教科書では聖徳太子の事績や実在に疑問がつけられたり、鎌倉幕府の成立が1192年ではなくなっている。「いいくに作ろう鎌倉幕府」は今や「いいはこ(1185年)作ろう鎌倉幕府」になっているのだ。 そして、教科書の変化で目に付くのは、人物評価の「上がった人」「下がった人」の明暗である。 実在そのものにも疑問がついた聖徳太子が「下がった人」の典型だが、聖徳太子から親書を託され、最初に隋に渡ったとされた遣隋使の小野妹子も、そのひとり。 「無礼な(607年)遣隋使・小野妹子」なんて語呂合わせを覚えている読者は多いかもしれないが、山川出版社の教科書(以下、引用は同社のものより)では、現在では〈600年の派遣に続けて607年には小野妹子が遣隋使として中国に渡った〉と初の遣隋使ではなかったことが明記され、かつては太文字だったのも細字に格下げされた。親書を託した聖徳太子も存在が疑われ

                                              • “犬将軍”徳川綱吉の身長124センチしかなかったってホント?  | AERA dot. (アエラドット)

                                                聖徳太子、空海、藤原道長、源頼朝、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、伊達政宗、勝海舟、西郷隆盛......といった、日本史上にあらわれた偉人たち。その偉業の数々は広く知られるところですが、それぞれの身長や体重がどの程度だったか、想像がつかないのではないでしょうか。 医師・歴史小説家である篠田達明さんは『日本史有名人の身体測定』において、遺体の計測、古文書の記述、肖像画、人相書、本人の縁故者の証言など、肖像写真(幕末・明治以降)、本人の遺品、身体計測の記録、外務省発行のパスポートなどを手がかりとし、古代から昭和にいたるまでの偉人たち132名もの身長・体重を分析。寿命や持病、死因なども含め、身体計測を試みています。 歴史に名を残した偉人たちの身体、健康状態。本書で紹介される132名のなかから、ここでは徳川歴代将軍たちのうち、初代から十代目までのそれらを少し見てみましょう。 まず、江戸幕府初代将軍の

                                                  “犬将軍”徳川綱吉の身長124センチしかなかったってホント?  | AERA dot. (アエラドット)
                                                • 織田信長や徳川綱吉には多くの「誤解」が! 教科書には載らない歴史の真実 | ダ・ヴィンチWeb

                                                  『井沢元彦の教科書には載らない日本史』(井沢元彦/宝島社) 選挙となると、与野党の間でさまざまなことが争点となる。今は経済政策のほか、安全保障法制や憲法改正といったあたりだろうか。で、改憲論が議題に上れば、その成立がどうこうという歴史的な話にもなる。しかし我々は、憲法の成立を含めた日本の歴史というものを、本当に正しく理解しているのか。教科書で教えられたことをなんとなく覚えて、理解した気になっているのではないだろうか。 『井沢元彦の教科書には載らない日本史』(井沢元彦/宝島社)の著者である井沢元彦氏は教科書にはさまざまな欠陥があり、教科書が教えないところにこそ本質があるという。例えば現在の教科書では「神話」の部分をほとんど取り上げていない。しかし神話の部分にこそ、その時代の真実が隠されていると述べている。 本書で取り上げられているのは、いわゆる「国譲り」の部分。天皇家の祖先神である「天照大神

                                                    織田信長や徳川綱吉には多くの「誤解」が! 教科書には載らない歴史の真実 | ダ・ヴィンチWeb
                                                  • 「生類憐みの令」の将軍・徳川綱吉、カラスを島流しにする - コバろぐ

                                                    江戸幕府の5代将軍、徳川綱吉といえば「生類憐みの令」でお馴染みですね。 「みんな生き物を大事にするように」と打ち出した綱吉さんですが、この「生類憐みの令」によりカラスを島流しにしたことがあるんです。 (画像掲載元:徳川綱吉 - Wikipedia) 生類憐みの令とは そもそも、その「生類憐みの令」って何なんでしょうか。 この「生類憐みの令」は特に成分法として成立しているわけでなく、綱吉時代に行われた生類を憐れむことを趣旨とした諸法令の総称です。しかし、庶民への影響も大きく、綱吉の評価を著しく下げた「天下の悪法」との評判がありますね。 犬が大好きで「犬公方」とまで呼ばれた綱吉ですが、この法令の及ぶ範囲は犬だけでなく、猫も鳥ももちろん入ってますし、魚や貝や海老なんかも保護されています。 まぁ、なんというかちょっとやりすぎってカンジで、儒教に基づく文治政治の一環として再評価しようという動きもあり

                                                      「生類憐みの令」の将軍・徳川綱吉、カラスを島流しにする - コバろぐ
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