安倍晋三首相の通算在任日数が19日、戦前の桂太郎と並び憲政史上最長の2886日となった。首相の自民党総裁としての任期は2021年9月まで残っている。20年8月には大叔父である佐藤栄作の連続在任記録も上回ることになる。首相は06年に首相に就任した。第1次政権は1年で幕を閉じたが、12年12月に政権復帰してから7年近く続いている。第2次政権以降の連続在任日数は19日時点で2520日。佐藤栄作の最長
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安倍晋三首相の通算在職日数が20日、2887日となり、桂太郎を抜いて歴代単独1位となる。平成18~19年の1次政権は相次ぐ閣僚の辞任と自身の体調不良が重なり、約1年の短命に終わったが、その反省と教訓を踏まえた第2次政権は12月で丸7年になる。再登板後は自民党総裁選3連勝、国政選挙6連勝の勝負強さで求心力を保ち、超長期政権を築き上げた。 政権復帰後の安倍首相は国際社会で日本の存在感を押し上げた。良好な日米関係は、トランプ大統領との信頼関係に加え、安全保障関連の機密漏洩(ろうえい)を防ぐ特定秘密保護法や、集団的自衛権の行使を限定容認した安全保障関連法の成立を背景に両国の防衛協力が進んだことが大きい。昨年10月には首相として7年ぶりに訪中し、来春には習近平国家主席が国賓として来日するなど日中関係も改善した。 経済面でも大胆な金融緩和策をテコに円高株安を解消し、景気の回復基調は今も続く。少子高齢化
米中の間で「新冷戦」と呼ばれる覇権争いが続いている。今、アメリカは中国に対して何を考えているのか。またその逆はどうなのか。キーマンたちの主張から見えてくることとは? 『海洋戦略論』著者で2等海佐/海上自衛隊幹部学校 戦略研究室教官の後瀉桂太郎氏が分析する。 今の米中関係はWin-Winか? 2020年7月23日、ポンペオ米国務長官はカリフォルニアのニクソン元米大統領記念図書館において「共産主義中国と自由世界の未来」と題するスピーチを行いました。 わざわざニクソンゆかりの場所でスピーチを行ったことには理由があり、約半世紀前にニクソン大統領とキッシンジャー大統領補佐官(のちの国務長官)らが進めた対中関与政策を根本的に転換し、中国との対立と競争が米国の外交上の基調となっていることを強調するためです。 米国務省HPによれば、ポンペオ長官は「キッシンジャー博士の極秘ミッションとニクソン大統領訪中から
奄美沖の潜水艦は「中国と推定」 2020年6月18日から20日にかけて、奄美大島沖の接続水域を外国の潜水艦が潜没航行しました。 23日の閣議後記者会見において河野太郎防衛大臣が「中国のものであると推定している」と発表したとおり、これは中国海軍の潜水艦であると考えられています。 1990年代を境に近代化を進めた中国海軍は、2010年ころにかけて大量の通常動力潜水艦(ディーゼルエンジンとバッテリーによって推進する潜水艦)を就役させてきました。 こうした通常動力潜水艦の主任務は平時の監視と、有事に海峡などで敵の空母や大型水上艦艇を待ち伏せし、襲撃することにあります。広大な海域を制して他国を攻撃するのではなく、強力な敵の海軍力を迎え撃つ、つまり「拒否」することに主眼をおいています。 このように自身の領土や周辺海域に到来する敵を拒否することを「領域拒否」と呼び、潜水艦は巡航ミサイルや長距離攻撃機と並
2021年3月16日に英国政府が発表した「競合する時代のグローバルな英国」(“Global Britain in a Competitive Age”)は、ブレグジット後初めて英国が示す安全保障・防衛・外交政策文書です。 この文書ではインド太平洋地域におけるコミットメントの拡大を比較的大きく取り上げているので日本でも関心が高く、すでに多くの方に論じられています。 内容の前にまず原題にある‘competitive age’とは何と競合する時代なのか、ということになるのですが、それは米国の覇権による一極構造の時代から、ロシア、EU、中国、インド、そして日本などが並立する多極構造と「大国間競争の時代」で英国がどのように生き抜くのか、という問題認識を示しているのでしょう。 英国がEUから離れてどのような外交・安全保障のアプローチを取るのか、インド太平洋地域にコミットするというが実際にはどのような政
ドイツで学んだドイツ軍の強さの秘密 幼名は寿熊。弘化4(1848)年、長州藩の上級武士の子として生まれた。藩主毛利敬親に小姓として仕える。 幕末維新の動乱では、大きな活躍はしていない。吉田松陰や高杉晋作のような維新を見ることなく命を散らした世代はもちろん、木戸孝允・井上馨・伊藤博文・山県有朋らからみても世代は下である。長州藩は、佐幕か討幕かで派閥抗争が激しく、維新回天を志す正義派が、現状墨守の勢力を俗論派と呼んで激しく抗争した。まだ子供の桂は心情的には正義派であるが、藩内政局と関わることが無かった。 戊辰の役では東北地方を転戦している。桂は大きな武勲は立てていないが、目端が利く若者として目を懸けられた。木戸に頼み込み外国留学を志す。しかし、官費での留学が困難と悟るや、私費でヨーロッパに向かった。時は、普仏戦争の真っ最中。鉄血宰相ビスマルクの卓越した政治指導の下、モルトケ参謀総長によく訓練さ
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