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  • 「漢字の成り立ち」を語る際は、最も初期の字形を根拠にしなければならない――「丁・正・以・亡・家・安」の字源を例として|nkay

    「漢字の成り立ち」を語る際は、最も初期の字形を根拠にしなければならない――「丁・正・以・亡・家・安」の字源を例として こんにちは、みなさん。 近年、多くの場所で「漢字の成り立ち」が語られる場面に遭遇します。テレビ番組や新聞雑誌、書籍や漫画、インターネット上のサイト・ブログ・SNSなどなど。しかしそこで見聞きする「漢字の成り立ち」説というのは、科学的根拠に欠けた信用できない説であることが少なくありません。 多くの場合、語り手が実際には文字学の知識に欠けた者であることが、その直接の原因となっています。こうした語り手達の間で、不可信で不正確な説明が伝播されていきます。 説得力の低いものと聞いて、テレビのバラエティ番組で芸能人が話す説や、あらさまな広告収入目的のインターネットサイトの説、書店に並ぶ泡沫雑学本に掲載されている説などが思い浮かぶかもしれません。しかし驚くべきことに、残念ながら、漢和辞典

      「漢字の成り立ち」を語る際は、最も初期の字形を根拠にしなければならない――「丁・正・以・亡・家・安」の字源を例として|nkay
    • 天下の俗説「サ神」信仰の矛盾とは?和風月名「皐月(さつき)」考(季節・暮らしの話題 2020年05月01日) - tenki.jp

      今日から五月。新緑まぶしい爽やかな季節の到来です。旧暦(太陰太陽暦)の五月には他の月と同様さまざまな異名がありますが、もっともポピュラーな和風月名では皐月(さつき)。新暦の五月も「さつき」は転用されていますが、旧暦の五月は新暦の5月下旬~7月上旬ごろ(概ね新暦の6月前後)で変動し、そして必ず五月中に夏至を迎えることになります。「さつき」という月名の意味や語源については、民俗学が生んだある説が真実であると信じられ、困ったことになっています。 中国最古の語釈辞典『爾雅』では「五月為皋」つまり「五月を皋(こう)と為す」とあり、皐は皋の異字体で、皐月の皐はこの記述から来ています。 皋とは、「高い」「白く輝く」「平坦で広い水の岸辺」「大きく魂呼ばい(死者の名を呼んで魂をこの世に引き戻す信仰儀式)の声を上げる」などの意味があるとされます。 『字統』(白川静)によれば、皋または皐は「暴」と元は同じで、「

        天下の俗説「サ神」信仰の矛盾とは?和風月名「皐月(さつき)」考(季節・暮らしの話題 2020年05月01日) - tenki.jp
      • 漢文を始めて学ぶ人に向けて:「経書」とは? - 達而録

        中国において伝統的に重視されてきた古典のグループに、「経書」と呼ばれるものがあります。経書は、「聖人」と呼ばれる理想的な人格を持つ人によって編集されたとされる書籍群です。これらは儒教において聖典とされ、中国に限らず、儒教文化を取り入れた古典の中心に位置し続けてきました。 「経書」のうち、最も基本的なものは「五経」と呼ばれています。以下の五つの本です。 ・『易』:陰陽と六十四の卦によって世界の成り立ちを示す書。 ・『書』:尭、舜、禹ら伝説の聖人の発言を集めた書。 ・『詩』:各地の民謡や民楽、祭祀の音楽を集めた書。 ・『礼』:礼の制度(冠婚葬祭、外交、官職)などを記した本。 ・『春秋』:孔子が編纂したとされる春秋時代の歴史書。 これを細かく分けると十三種類あり、「十三経」と呼ばれています。上にあげたもののうち、『礼』が三種類に分かれて、 ・『周礼』:周の官職の仕組みとその役割を解説した書。 ・

          漢文を始めて学ぶ人に向けて:「経書」とは? - 達而録
        • 其の壱 藤間澪、刃を抜く。 - 怨霊怪異の不在証明 -「怪異殺し」探偵藤間澪の事件記録-(破壊神1/4《シヴァ・クォーター》) - カクヨム

          「『殺戮オランウータン』? それが今回討伐する怪異ですか?」 僕こと名張桃瀬(なばりももせ)は、僕に重たい荷物を預けて身軽そうに先を行く師匠に尋ねた。 大晦日を4日後に控えた、年の瀬のことである。学生は楽しい楽しい冬休みに入り、社会人でもぼちぼち仕事納めの人間も出ているであろうこの時期に、僕と師匠は現場に向かうべく少しばかり高級そうな住宅街を歩いていた。 自営業の悲しみを感じつつ師匠に今回の依頼について尋ねたところ、あまりに力の強すぎる単語についオウムのごとく言葉を返してしまった次第である。 「いかにも物騒な名前の怪異ですね。『怪異殺し』である師匠に依頼が来るのも納得できます」 すたすたと歩いていた僕の師匠──藤間澪(とうまみお)は、僕の言葉に足を止めると、心底嫌そうに首だけで振り返る。 「キミね、私の弟子を自称してなんやかんやと手伝いをしてくれることに関しては、まあ助かっているからいいと

            其の壱 藤間澪、刃を抜く。 - 怨霊怪異の不在証明 -「怪異殺し」探偵藤間澪の事件記録-(破壊神1/4《シヴァ・クォーター》) - カクヨム
          • 本当は7月7日では無かった中国古代の「七夕」!織姫と彦星(牽牛星)が1年に1度だけ天の川を渡れるというのも中国中世の小説がつくり出したフィクションだった!?

            私たちが知ってる「七夕」の物語は、5~6世紀の中国(南北朝時代、中世)の小説で最高にロマンチックなものに創作されたものが元になっています。 この「新・七夕」を日本で流行させたのが7世紀末に即位した持統天皇と藤原不比等です。中国で流行していた「七夕」の漢詩を詠む会が作られたのが始まりで、これが現代まで続いてる日本の七夕の起源です。 ですが、それより以前の「古・七夕」が存在していて、それは中国の戦国時代(紀元前5~3世紀)や漢代(紀元前3世紀~紀元後3世紀)に存在していた「本来の七夕」です。 この七夕は「7日」ではあるけど、「7月7日」では無かったし、織姫と牽牛にあたる星も全く別の星でした。この漢代以前の「七夕」の星が弥生時代の日本列島に伝来していた可能性があって、静岡県に「女夫星」(ミョオトボシ)という名前で最近まで伝わっていたのでは?となりました。 ※追記 記事作成後に確認作業をしたところ

              本当は7月7日では無かった中国古代の「七夕」!織姫と彦星(牽牛星)が1年に1度だけ天の川を渡れるというのも中国中世の小説がつくり出したフィクションだった!?
            • 訂正新版 図説 書誌学 [978-4-585-30010-6] - 3,850円 : 株式会社勉誠社 : BENSEI.JP

              有史以来蓄積されてきた「書物」は、人間の英知・思想・思考・情感といった精神活動が、最も明瞭に集約・表出されたかたちで伝承されてきた、学術文芸の遺産である。この「書物」は、なぜここにこのように存在するのか―。「書物」との真摯な対話により、過去から現在、そして未来へと連なる人間の知的営みの一端に自らリンクすることが出来るのである。 昭和35年の開設以来、書誌学の専門研究所として学界をリードしてきた斯道文庫所蔵の豊富な古典籍の中から、特に書誌学的観点から重要なものを選出。豊富なカラー図版・解説を通覧することで、書誌学の理念・プロセス・技術を学ぶことが出来る。巻末には「書誌学用語索引」を附し、レファレンスツールとしても充実。古典籍を知る資料集として必備の一冊。 好評を博した『図説 書誌学』が、装いも新たにここに刊行! 掲載図版270点以上! ※本書は『図説 書誌学』(ISBN:978-4-585-

              • 蝶と蛾のはざま - 半知録

                ・蝶と蛾の違いって何だろう? 蝶は綺麗で、蛾は汚い。 蝶は昼間に活動するが、蛾は夜に活動する。 蝶は羽を立てて止まるが、蛾は羽を広げて止まる 。等々。 しかし、分類学上、蝶と蛾は同じ鱗翅目で区別されない。 蝶と蛾を区分けしない言語だってある(フランス・ドイツなど)。 蝶と蛾に分けなくてもよかったわけである。 でも、日本では分けている。 なぜ? 蝶と蛾の区別は、日本の問題というより、中国の文脈で考えなくてはならない。 中国にも蝶と蛾の区分けが存在しているからである。むしろそちらが本場である。 日本は、蝶と蛾の漢字を受容し、中国の分類をそのまま受け取ったに過ぎない。 ・蝶と蛾の区分けが生じた原因を求めるにはどうしたらよい? 「蝶」と「蛾」を表す漢字が、どのように認識されてきたから導き出せるのではない か。 中国・日本での「蛾」と「蝶」の用例を収集し、そこに通底する認識を探れば、 蝶と蛾の区分け

                  蝶と蛾のはざま - 半知録
                • 漢文訓読

                  《卷 之 上》         1、訓讀とは *白文 *句點文 *訓讀文 *書き(讀み)下し文 *音讀 *何故訓讀を學ぶのか 2、漢文の基本型について 3、熟語の基本型について 4、漢和辭書の引き方 *漢和辭書の特徴 *漢字の成り立ち *漢字の字體の變遷 *漢字の音の種類 *「國字」について 5、返り點の用法と種類 6、送り假名の決まり 7、書き(讀み)下し文の決まり 8、訓讀上に於ける特殊な讀み方の漢字 *再讀文字 *置き字・介詞(於・于・乎)の使われ方 *接續詞(而)の使われ方 *「すなはチ」と讀む接続詞の種類 *「有(あり)」と「在(あり)」との違い *「多・少・難・易」の使われ方 *「多少」の意味について *終尾詞の種類 *同字異訓 *同訓異字 *ほぼ決まった讀み方をするもの *特殊な讀み方をするもの 《閑話休題・1》・・十干十二支 《以下に提示する例文は、横書きの爲、便宜的に返り

                  • 哲学と世界を変えるには――石田英敬 × ユク・ホイ × 東浩紀イベントレポート - Research Network for Philosophy and Technology

                    哲学と世界を変えるには――石田英敬 × ユク・ホイ × 東浩紀イベントレポート 伊勢康平(ゲンロン編集部) @yisikp 東アジアの三人の哲学者が、通訳をまじえずに英語で議論をする。そんな日本ではかなり挑戦的と言えるイベントが、五反田のゲンロンカフェで開催された。二〇一九年八月二〇日、香港出身の哲学者であるユク・ホイ[☆1]を招き、石田英敬と東浩紀が彼を迎えるかたちで行なわれたトークショー “Is a Post-European Philosophy of/in Technology Possible?” である[★1]。 ぼくはゲンロン編集部に所属しており、中国近現代の思想や文学を研究するかたわら、ユク・ホイの『中国における技術への問い The Question Concerning Technology in China 』(二〇一六年)の全訳を仲山ひふみと進めている。また今回のイベ

                      哲学と世界を変えるには――石田英敬 × ユク・ホイ × 東浩紀イベントレポート - Research Network for Philosophy and Technology
                    • 野衾 - Wikipedia

                      この項目では、東京都の獣型の妖怪について説明しています。高知県の壁のような妖怪については「塗壁#類話」をご覧ください。 鳥山石燕『今昔画図続百鬼』より「野衾」 竜斎閑人正澄画『狂歌百物語』より「飛倉」 歌川国芳『美家本武蔵 丹波の国の山中にて年ふる野衾を斬図』 野衾(のぶすま)または飛倉(とびくら)は、江戸(現 東京都)に伝わる妖怪の一種[1]。ムササビのような姿をしていると言われ、実在のムササビやモモンガの異称として野衾の名が用いられることもある[2]。 伝承[編集] 木の実を食べるほか、火を食べる、人や動物の生き血を吸うともいう。江戸時代の奇談集『梅翁随筆』には、江戸でネコを襲ったり血を吸ったりする獣がおり、その獣を殺したところ、イタチのような姿で左右に羽のようで羽でないものを備えており、ある人が「深山に住む野ぶすまとはこれだ」と教えたとある[3]。空を飛んで来て、人の目や口を覆うとも

                        野衾 - Wikipedia
                      • 三すくみについて その2 - ネモンテミ日記

                        こんにちは この記事は前回の「三すくみについて」の続きです。 nemontemi.hatenablog.com 前回のおさらい 「ヘビ・カエル・ナメクジ」による三すくみに疑問をもっていろいろ調べたらいろいろわかり、それっぽい仮説を立てました。 中国での当初の三竦みは「ヘビ・カエル・ムカデ」でナメクジは本来入っていなかった 「蚰蜒」という熟語はゲジゲジを意味しているはずなのに、日本の昔の漢和辞典ではナメクジとして説明していた 三すくみは「ヘビ・カエル・ムカデ」→「ヘビ・カエル・ゲジ」→「ヘビ・カエル・ナメクジ」と変化したのではないか 考えたことが正しいという確証は全然ない。 という感じでした。 前回の記事を読んでいない人は先にそちらを読んでからのほうがいいと思います。 前回の記事で大きく間違っているところあることが発覚しました。前回の記事では古来ムカデだっただろうものとして螂蛆と書いていまし

                          三すくみについて その2 - ネモンテミ日記
                        • 小さな猛禽・モズも求愛期に入る二月。「如月」に込められた本来の意味とは?

                          二月になりました。寒中も終りを告げ、2月4日の立春から暦上では春となりますが、平地や暖地でも積雪が多くなるのはむしろこれから。とはいえ、樹木の花芽も少しずつ大きくなり、近づく春の気配が感じられます。二月は旧暦の和風月名では「如月(きさらぎ)」として知られますが、新暦と旧暦の二月では季節的に時期が異なるため、「きさらぎ」という名称の本来の意味が感じ取りづらくなっているようです。 かわいい姿ですが猛禽です 都市伝説にも登場?和風月名「きさらぎ」考異界に存在する「きさらぎ駅」という、インターネット発祥の怖い都市伝説でも使用された「きさらぎ」という月名。語源には諸説があり定まっておらず、「鬼」という当て字もあったりと、何だかちょっとミステリアスで不穏な雰囲気もあります。 「新暦(グレゴリオ暦)が採用されるまで、日本では十二の月を風情のある名前で呼んでいた」と、歳時記で説明される和風月名でいうと、二

                            小さな猛禽・モズも求愛期に入る二月。「如月」に込められた本来の意味とは?
                          • 安積澹泊・貝原益軒周辺に見える刊本字様「明朝流」という語彙の周辺事情――元禄8年刊『和漢名数大全』「聖堂品々献上目録」は大学頭林鳳岡の目録に依拠か - 日本語練習虫

                            現代の日本で「明朝体」と呼ばれ、中国で「宋体」と呼ばれるこの字様・書体の印刷文字は、日本で、いつごろから、どのようにして、「明朝」と呼ばれるようになったのでしょうか。 小宮山博史『明朝体活字 その起源と形成』(グラフィック社、2020)の「明朝体の定着 ―名称と書体」の項に「日本で明朝体という名称がいつ使われはじめ、また定着したのはいつであったのか。調べたいと思っていながらそのままにしています。」と記されているのですが(254-255頁)、仮の起点として、明治8年(1875)に書かれた『東京日日新聞』の本木昌造追悼記事に「漢字は明朝風も楷書も大小いろ〳〵あり」とあるものが嚆矢ではないかとされていました。 小宮山先生から勝手に受け取った「日本で明朝体という名称がいつ使われはじめ、また定着したのはいつであったのか」という宿題について調べ続けているシリーズの、今回は第3回になります。 まずは過去

                              安積澹泊・貝原益軒周辺に見える刊本字様「明朝流」という語彙の周辺事情――元禄8年刊『和漢名数大全』「聖堂品々献上目録」は大学頭林鳳岡の目録に依拠か - 日本語練習虫
                            • 漢字の来た道|漢字文化資料館

                              漢字の来た道 2019.12.25 ◇PartⅡ 文字としての甲骨文 ──文字を通して見る殷人の世界── 高久由美 今回は、「日・月・年」という時に関する身近な漢字を例にして、甲骨文字とはどのような文字なのか、占いの実例を見ながら解説する。いずれも甲骨文の時代から現代まで、字形的な連続性をもって使われ続けている、時を刻すのに欠かせない漢字である。 〈甲骨文の日と月──殷人にとっての昼と夜──〉 「日」と「月」という漢字の現存する最古の姿は、甲骨文ではと のような形を呈し、漢字の成り立ちを示す「六書」[りくしょ]【1】の分類では、象形(目に見える物をかたどった文字)とされる。字形も見ての通り、丸い太陽の形と欠けた月の形をかたどっている。これらの文字はもちろん天体としての太陽と月を意味しているが、それのみならず殷人にとって と は、昼と夜を意味する文字でもあった。このことは太陽が出ている昼間の

                                漢字の来た道|漢字文化資料館
                              • 龜とは (キとは) [単語記事] - ニコニコ大百科

                                龜単語 1件 キ 1.4千文字の記事 3 0pt ほめる 掲示板へ 記事編集 漢字として脚注掲示板龜とは、亀の旧字体である。動物については亀の記事を参照。ここでは漢字について説明する。 漢字として 常 亀 Unicode U+4E80 JIS X 0213 1-21-21 部首 亀部 画数 9画 音読み(常用) キ 訓読み(常用) かめ 龜 Unicode U+9F9C JIS X 0213 1-83-93 部首 龜部 画数 16画 意味 カメ、亀甲、久しい、寝取られた人を罵倒する語[1] 亀兹という語で使う (皸・釁と通じて)ひびわれ、あかぎれ 〔説文解字・巻十三下〕には「舊なり。外骨、内肉なる者なり」とある。旧なりとあるのは、古くから亀は長寿で知られていたことと、旧、亀の音が似ていることによる。 長寿とその形状から亀は神聖視されたようで、〔爾雅・釈魚〕に十亀として神亀、靈亀、攝亀、宝亀

                                  龜とは (キとは) [単語記事] - ニコニコ大百科
                                • マアジのあれこれ

                                  さかなのあれこれ 目次へ戻る このページの目次へ進む 三谷 勇・樋田史郎 (2003年7月) アジは、イワシやサバと同じく、最も庶民的な魚の一つです。スーパーや魚屋さんでは必ずといってもいいほどアジの干物があり、アジがとれ始めると刺身やたたきに使えるほどの鮮度のよいものが店頭に並びます。 最近では、当り前のように鮮度のよいアジが店頭に並んでいますが、昭和58年頃の本をみると、「この頃ではアジが少なく、高級魚並みの値段がしている」と紹介しています。昭和50年代後半の頃は、マイワシが全盛期にあった時代です。この魚の資源が多いときには、アジやカタクチイワシ、スルメイカが極端に少なくなることが統計的に確認されています。これらの魚とマイワシは、どちらか一方の魚が多くなると他方の魚が少なくなり、少なかった魚が増え始めると、多かった魚が少なくなります。まるで正反対の性格をもった魚たちのようにみえます。

                                  • 霊亀 - Wikipedia

                                    この項目では、日本の元号について説明しています。 架空の生物については「霊亀 (四霊)」をご覧ください。 大局将棋の霊亀については「大亀」をご覧ください。 その他の用法については「霊亀山 (曖昧さ回避)」をご覧ください。 霊亀(れいき、旧字体:靈龜)は、日本の元号のひとつ。和銅の後、養老の前。715年から717年までの期間を指す。この時代の天皇は元正天皇。 改元[編集] 和銅8年9月2日(ユリウス暦715年10月3日):瑞亀献上により霊亀に改元。 霊亀3年11月17日(ユリウス暦717年12月24日):養老に改元。 由来[編集] 元正天皇即位の際に左京職から瑞亀が献上されたことによる。 また、『爾雅』巻10・釈魚に「一曰神亀、二曰霊亀、…」とある。 霊亀年間の出来事[編集] 元年(715年) 9月2日 - 元明天皇が退位し元正天皇即位。 里を郷に改める。郷を2・3の里に分ける。 2年(71

                                    • アルタイルとは? 意味や使い方 - コトバンク

                                      わし座のα星。ベガ,デネブとともに〈夏の大三角形〉をつくる。この名は,アラビア名ナスル・アルターイルal-Nasr al-Ṭā'ir(飛ぶワシ)に由来する。α星をはさんで,γ,βの3星を翼を広げたワシの姿に見た。ギリシア神話では,ゼウスがトロイアの美少年ガニュメデスを略奪した際の化身とされている。和名は彦星。中国名牽牛(けんぎゆう)を当時の男子の敬称によって呼んだものである。また,犬飼星の別称もあり,七夕説話伝来以前の和名かと思われる。《史記》天官書,《爾雅(じが)》釈天などの文献によると,中国では後漢のころまでわし座のα,β,γ3星を大鼓の形に見て河鼓(かこ)(天の川のほとりの大鼓の意)と呼んでいたことが明白である。七夕説話の成立と流布に伴い,二十八宿中の〈牛宿〉を示す〈牽牛星〉が,その北に位置する〈河鼓〉に名称を譲り渡したと考えられる。概略位置は赤経19h51m,赤緯+8°52′。9月

                                        アルタイルとは? 意味や使い方 - コトバンク
                                      • 儗 後漢書抄訳

                                        序文 儗 後漢書抄訳 序文 本紀 光武帝紀上 光武帝紀下 顕宗孝明帝紀 粛宗孝章帝紀 孝和孝殤帝紀 孝安帝紀 孝順孝沖孝質帝紀 孝桓帝紀 孝霊帝紀 孝献帝紀 ①(建寧・熹平)/ ②(光和・中平) 皇后紀上 皇后紀下 安思閻皇后/ 順烈梁皇后/ 虞美人/ 陳夫人/ 孝崇匽皇后/ 桓帝懿献梁皇后/ 桓帝鄧皇后/ 桓思竇皇后/ 孝仁董皇后/ 霊帝宋皇后/ 霊思何皇后/ 献帝伏皇后/ 献穆曹皇后 列伝 劉玄劉盆子列伝 王劉張李彭盧列伝 隗囂公孫述列伝 宗室四王三侯列伝 李王鄧來列伝 鄧寇列伝 鄧禹 (鄧鴻/ 鄧震/ 鄧襲/ 鄧珍・鄧康)/ 鄧訓 (鄧騭)/ 寇恂/ 寇栄 馮岑賈列伝 馮異/ 岑彭/ 賈復 呉蓋陳臧列伝 呉漢/ 蓋延/ 陳俊/ 臧宮 耿弇列伝 耿弇/ 耿国 銚期王霸祭遵列伝 任李萬邳劉耿列伝 朱景王杜馬劉傅堅馬列伝 竇融列伝 馬援列伝 馬援 (馬客卿)/ 馬廖 (馬防・馬光/ 馬厳・

                                          儗 後漢書抄訳
                                        • 『爾雅』の話 - 黌門客

                                          國分功一郎『中動態の世界―意志と責任の考古学』(医学書院2017)には色々と触発されるところがあって、 かつて中動態は、中動態と能動態とを対立させるパースペクティヴのなかにあった。中動態は能動態との対立のなかで自らの位置を確定していた。ところが、そのパースペクティヴは受動態の台頭とともに変化していく。もともとは中動態から派生したものに過ぎなかった受動態が中動態に取って代わった。 いまわれわれは、そのような、能動態と受動態とを対立させるパースペクティヴのなかにいる。ならば、そのようなパースペクティヴのなかに中動態をうまく位置づけられないのは当然である。中動態はこの歴史的変化のなかで、かつて自らが有していた場所を失ったのだ。(pp.79-80) という記述などにも蒙を啓かれたものだった。これを援用すれば、例えば『干祿字書』が定義する漢字字体の「俗・通・正」というタームも、「俗:通:正」の三項対

                                            『爾雅』の話 - 黌門客
                                          • 【特別公開】哲学と世界を変えるには――石田英敬 × ユク・ホイ × 東浩紀 "Is a Post-European Philosophy of/in Technology possible?" イベン|ゲンロンの楽屋から

                                            【特別公開】哲学と世界を変えるには――石田英敬 × ユク・ホイ × 東浩紀 "Is a Post-European Philosophy of/in Technology possible?" イベントレポート 伊勢康平(ゲンロン編集部) 東アジアの三人の哲学者が、通訳をまじえずに英語で議論をする。そんな日本ではかなり挑戦的と言えるイベントが、五反田のゲンロンカフェで開催された。二〇一九年八月二〇日、香港出身の哲学者であるユク・ホイ(許煜)を招き、石田英敬と東浩紀が彼を迎えるかたちで行なわれたトークショー “Is a Post-European Philosophy of/in Technology Possible?” である[★1]。 ぼくはゲンロン編集部に所属しており、中国近現代の思想や文学を研究するかたわら、ユク・ホイの『中国における技術への問い The Question Conc

                                              【特別公開】哲学と世界を変えるには――石田英敬 × ユク・ホイ × 東浩紀 "Is a Post-European Philosophy of/in Technology possible?" イベン|ゲンロンの楽屋から
                                            • 清 : 東京倶樂部★CLUB TOKYO

                                              2023/08/1821:00 西安2019:榜眼の邸宅 高家大院②~内部見学 カテゴリtravel mangotokyo Comment(0) 最近、中国が日本への団体旅行をいよいよ解禁!というニュースが繰り返し報じられていたけれど、私が興味あるのはそんな事ではなく、中国が日本人個人旅行者に対し短期滞在のヴィザを免除に戻す時期。 まぁ、私が中国へ行き始めた頃は、たった一日の滞在でもヴィザの取得が必要だったのだから、その頃に逆戻りしたと思えば良いのだろうけれど、一度ヴィザ免除に慣れてしまうと、コロナ以降の中国は気軽にフラリと行き易い国ではない。 2023年も残り5か月を切っているので、「もう今年も無理…」と諦めております。 あゝ、私の十年パスポートはすっかり無駄に。 使っていない時期の分、有効期限を延長して欲しい気分ですよ…。 そんな事もあり、ただでさえグズグズ更新の2019年秋 西安旅行

                                                清 : 東京倶樂部★CLUB TOKYO
                                              • 野間文史『春秋左傳正義譯注』第五冊について(1) - 達而録

                                                野間文史『春秋左傳正義譯注』第五冊を、冒頭の「巻四十一」(昭公元年)から少しずつ見ています。折角ですので、気付いた点を適宜メモしておこうと思います。(事情は前回の記事を参照。)全部で三回の記事になりましたので、今日、明日、明後日で更新します。 むろん、一学生の身、私がかえって誤ってしまうかもしれませんが、議論が生まれてゆくことが大切だと思いますので、恥を恐れずにやっていきます。(既に指摘のあるところと被ってしまったらごめんなさい。) ご指摘は歓迎ですので、何でもコメントしてください。 第一条 〔經〕三月、取鄆。 〔杜注〕不稱將帥、將卑師少。書取、言易也。 〔疏〕(略)傳云「武子伐莒」者、武子為伐莒之主耳、別遣小將而行、故不書武子。猶如成二年傳言「楚子重侵衞」、經書「楚師」、杜云「子重不書、不親兵」之類是也。(略) 気になるのは以下の部分です。 傳云「武子伐莒」者、武子為伐莒之主耳、別遣小將

                                                  野間文史『春秋左傳正義譯注』第五冊について(1) - 達而録
                                                • 爾雅の新研究 (内藤 湖南)

                                                  この作品には、今日からみれば、不適切と受け取られる可能性のある表現がみられます。その旨をここに記載した上で、そのままの形で作品を公開します。(青空文庫)

                                                    爾雅の新研究 (内藤 湖南)
                                                  • 知ってるようで知らないことわざ「同じ穴の狢(むじな)」・むじなって何ぞや。 | としごと・しごとと

                                                    いまはネットで簡単にいろんなことが調べられますが、私が子供の頃は本や辞書をひいて調べていました。多分その頃からすでに今の片鱗があったと思います。 ことわざ「同じ穴の狢(むじな)」の「むじな」ってなんぞや? 中学生の頃、辞書で調べてみたんです。 辞書には「むじなは、アナグマのこと」とありました。 「そうか、むじなはアナグマなのか~」と思っていたのですが、もう一度ネットで調べたら「アナグマ・タヌキ・ハクビシンなどを区別することなくまとめて指したもの」でした。 ああ、そういうことだったのね!納得です。 当時調べたことでも情報が不十分で、改めて調べると新しい発見がありますね。とても気持ちが良いです(*^▽^*) むじな、知ってました? なんでこんなことを書くかというと… 「むじなへん」なんて、むじなを知らないとなんのこっちゃじゃないか~。 Wikipediaの「むじなへん」に詳しく書いてありました

                                                      知ってるようで知らないことわざ「同じ穴の狢(むじな)」・むじなって何ぞや。 | としごと・しごとと
                                                    • 白川静字説抄│立命館大学 白川静記念 東洋文字文化研究所

                                                      「白川静字説抄」は、『字通』や『常用字解』等から抜き出した白川先生の字説を紹介し、コメントを附したものです。漢字の成り立ちは、多くの日本人にとって関心の深いテーマですが、先生の字説を読んだときの、「こんな意味があったのか」という新鮮な驚きや、「なるほど、だからこんなかたちなのか」と納得したりした気持ちを書いてみました。でもそれはあくまでも執筆者個人の感想であり、読者の皆様それぞれにいろいろな思いを抱かれることと思います。ぜひお読み頂いて、白川先生の字説からさまざまな思いを広げてみて下さい。 目次 憧 詠 懐 窮 島 英 筆 察 論 露 再 永 妨 環 思 惜 疲 結 嵐 直 滑 進 蜃 傾 就 泥 芽 微 臣 員 球 長 松 年 終 善 先 黄 八 充 求 紙 選 変 秋 驚 不 理 忍 十 囲 誠 海 信 明 一 暇 需 涼 望 夢 森 働 失 尺 甘 運 武 前 気 忙 助 民 星 卒

                                                      • 「飛鳥」と書いてアスカと訓むのは - 古事記・日本書紀・万葉集を読む(論文集)

                                                        「飛鳥」=アスカについての新着眼 「飛鳥」と書いてアスカと訓む理由については、従来、枕詞「飛ぶ鳥の」が地名アスカにかかることから説明されてきた(注1)。足利1998.は、新しい地名解釈、地名論の例として取りあげた。そこでの主張は、アスカと呼ぶ土地・地域が先にあり、それに流入した漢字文化において漢字を当てようとして「安宿」とし、「安宿」と記すと飛ぶ鳥も休むであろうからというので「飛ぶ鳥の」という枕詞ができ、「飛鳥(とぶとり)の安宿(あすか)」という表現が普及していった。そして、言葉が短縮されてアスカの音を「飛鳥」の文字に結号させたとしている(注2)。 この地名解釈の新見解は、「あすか」という地名の発生源は難しいから考えず、「飛鳥」をアスカと読む不思議さに迫ろうとする点である。筆者もほぼ同じ立場に立つ。ただし、音に字を当てる際に頭を使ったことに関して、今の人が使うのとは違う頭の使い方をしたであ

                                                          「飛鳥」と書いてアスカと訓むのは - 古事記・日本書紀・万葉集を読む(論文集)
                                                        • 天下の俗説「サ神」信仰の矛盾とは?和風月名「皐月(さつき)」考

                                                          今日から五月。新緑まぶしい爽やかな季節の到来です。旧暦(太陰太陽暦)の五月には他の月と同様さまざまな異名がありますが、もっともポピュラーな和風月名では皐月(さつき)。新暦の五月も「さつき」は転用されていますが、旧暦の五月は新暦の5月下旬~7月上旬ごろ(概ね新暦の6月前後)で変動し、そして必ず五月中に夏至を迎えることになります。「さつき」という月名の意味や語源については、民俗学が生んだある説が真実であると信じられ、困ったことになっています。 「皐月」の意味は早乙女・早苗と関係がある、というのですが… 桜への愛が生み出した?由緒不明の「サ神」中国最古の語釈辞典『爾雅』では「五月為皋」つまり「五月を皋(こう)と為す」とあり、皐は皋の異字体で、皐月の皐はこの記述から来ています。 皋とは、「高い」「白く輝く」「平坦で広い水の岸辺」「大きく魂呼ばい(死者の名を呼んで魂をこの世に引き戻す信仰儀式)の声を

                                                            天下の俗説「サ神」信仰の矛盾とは?和風月名「皐月(さつき)」考
                                                          • 「支那各省別名表」「各省別名起源略解」 鶴峯生 (1912.3) - 蔵書目録

                                                            明治・大正・昭和:音楽、演劇、舞踊、軍事、医学、教習、中共、文化大革命、目録:蓄音器、風琴、煙火、音譜、絵葉書 支那各省別名表    鶴峯生 各省別名起源略解 各省別名、或は古名に因る者有り、或は略稱を用ふる者有り、或は名山大川に本づく者有り、就中省城の略稱又は古名に取る者、最も多しとす、本表擧ぐる所、〇符を附する者は、最近官報紙上に用ふる者に係り、其の他は、新聞紙、淸國行政法、宦郷要則等に因りて、之を補ひ、其の疑はしき者は、之を闕く、本文解説は、主として大淸一統志、讀史方輿紀要、廣輿記、皇朝政典類纂、日知錄等の諸書に據る。 直隸省 略して直省と云ふべからず、所謂直省とは、支那本部二十二行省の、直接淸朝に隸属する者を云ふ、蒙古西藏等の外藩の、間接に附属する者と、區別する所以なり、但し直豫東三省、或は直督等の如く、熟字的に用ふる例は、常に見る所なり、直隷、禹貢兗二州の域、陶唐氏に幽都有り、虞

                                                              「支那各省別名表」「各省別名起源略解」 鶴峯生 (1912.3) - 蔵書目録
                                                            • 知識人が徹底迫害されたあの時代 中国が正史には載せない悲劇、生々しく描いた本:朝日新聞GLOBE+

                                                              今回のランキングは、北京大学(北大)校内の書店から選んだ。購買者はほぼすべて北大関係者である。ここに掲げたランキングリストの著者や内容は、すべて北大に関わる。 中国共産党が建国当初の新民主主義路線から社会主義路線へと転換していくなかで、1951年末から官僚の腐敗を摘発しブルジョア思想を批判する「三反五反運動」が展開され、57年からの「反右派闘争」へ。大学教授を務めていたトップクラスの知識人には「民主教授」と呼ばれた非党員が多く、党の指導を下達することに不慣れなこともあって、党から彼らへのイデオロギー教化が混乱を招いた。 その思想改造運動は彼らの学業の権威を失墜させ、生活を破壊し、本人とその家族の心身に癒えない傷を残した。本書『故国人民有所思(故国人民に思いを寄せて)』(書名の出典は毛沢東の詩の一節)は、同時代資料を駆使して悲劇の顛末を生々しく記録する。 とりあげた学者11人のうち9人が北大

                                                                知識人が徹底迫害されたあの時代 中国が正史には載せない悲劇、生々しく描いた本:朝日新聞GLOBE+
                                                              • 蜘蛛(3) 蜘蛛占喜・蜘蛛喩悪 : 神話伝説その他

                                                                Mar1 蜘蛛(3) 蜘蛛占喜・蜘蛛喩悪 カテゴリ:中国の動物伝承 ☆☆☆☆☆ 蜘蛛が集まると吉兆であるという考え方がある。 例えば軍や家などに蜘蛛が集まると慶事がある。これを「喜蛛」という。 また「喜従天降」という図像もあり、これは蜘蛛が巣から糸を伸ばして下にぶら下がっている図案である。 また『爾雅翼』には「蜘蛛を朝見ると慶事があり、夜は普通である。また上方に見るときは慶事がある」ともいう。 また江南地方では足の長い蜘蛛が人の服についてやってくると、近々親しい客が来るともいう。このような蜘蛛を「喜母」「喜子」というが、その呼称は昔離れ離れになった母子が蜘蛛に関するこの俗信を信じて、それぞれに再開を期待して蜘蛛をそう呼んだ体という話もある。 民間には「蜘蛛の網が千層重なると、五穀豊穣になる」という諺もある。 ○○○○○ 蜘蛛が慶事の予兆であることについて『人文』は、「慶事があると掃除をする

                                                                  蜘蛛(3) 蜘蛛占喜・蜘蛛喩悪 : 神話伝説その他
                                                                • 狸(リ)は狸(たぬき)ではない

                                                                  以前、日経新聞の文化欄、「美術になった猫(十選)」というコラムに、宋代の画家、李迪の「狸奴小影図→」が紹介されていた。「題が面白い。猫と書かず狸(たぬき)なのである。漢字のルーツにかかわりがあるのか、それとも子猫のポーズが狸を連想させたからか。奴は家っ子のことで、愛らしいしもべと訳す…」と選者の画家は書いている。 しかし、中国の狸(り)はタヌキではない。野猫である。人家近くで生活していたらしく、非常に身近な獣だったようだ。だからペットとして飼われ、絵になったのがこの「狸奴小影図」なのであろう。家猫ではないから、ちょっと変わった首の長い猫図になっている。 下の絵を見ると猫に見えるから、猫の意味で使われているのかもしれない。しかし、原初はニワトリやアヒルを盗まれた百姓が「貍のやろう(狸奴)!」とののしる言葉だったのではないか。猫という言葉と文字があるのだから。 狸の成獣がどんな形か知りたいもの

                                                                  • 金柄憲 - Wikipedia

                                                                    金 柄憲(キム・ビョンホン、朝鮮語: 김병헌、1958年[1] - )は、韓国の作家・歴史評論家。韓国国史教科書研究所所長[2]、慰安婦法廃止国民運動代表、国史問題研究所理事を務めている[3]。 経歴[編集] 1958年、慶尚北道で生まれる[1]。幼少期は筆で字を書く芸術が好きだったことと、書道ができるようになり成均館大学校に入学するために漢文勉強を始めた[3]。 成均館大学校漢文学科を卒業後、成均館大学校漢文学科の修士および博士を修了した[1]。成均館大学校講師、京畿大学校講師、独立記念館(朝鮮語版)専門委員を務めていた[1]。その後は韓国国史教科書研究所所長を務めている[2]ほか、慰安婦法廃止国民運動代表および国史問題研究所理事もそれぞれ務めている[3]。 研究内容と行動[編集] 2014年から「国史編纂委員会」「韓国学中央研究院」「韓国教育課程評価院」「EBS韓国史講義」等の問題を提

                                                                    • 祡とは (サイとは) [単語記事] - ニコニコ大百科

                                                                      祡単語 サイ 1 0pt ほめる 掲示板へ 記事編集 漢字として脚注掲示板祡とは、柴を焼いて天を祭るという意味の漢字である。泰山に壇を設けて柴を焼き、天を祭った。 漢字として 祡 Unicode U+7961 部首 示部 画数 11画 𥚨 Unicode U+256A8 部首 礻部 画数 14画 意味 柴を焼いて天を祀る、という意味がある。〔説文解字(段注本)〕には「祡を燒きて尞し、天を祭るなり」とあり、〔虞書〕を引用して「岱宗に至りて祡す」を載せる。[1] 祡の意味で柴の字が用いられることもある。〔礼記・祭法〕に「泰壇に燔柴す、天を祭るなり」、〔爾雅・釈天〕には「天を祭るを燔柴と曰ふ」とある。 字形 形声で柴の省略が声符。 音訓 音読みはサイ、ゼ、訓読みは、ひまつり。 規格・区分 常用漢字ではない。 異体字 𥚨は、〔説文〕に「隋の省に從ふ」とある古文。 脚注*岱宗は泰山のこと。 【ス

                                                                        祡とは (サイとは) [単語記事] - ニコニコ大百科
                                                                      • 爾雅 - Wikipedia

                                                                        爾雅(じが、拼音: Ěryǎ)は、中国最古の類語辞典・語釈辞典・訓詁学書。 儒教では周公制作説があるが、春秋戦国時代以降に行われた古典の語義解釈を漢初の学者が整理補充したものと考えられている。『漢書』芸文志には3巻20篇と記載されているが、現行本は19篇である。 漢唐の古文学や清朝考証学において特に重視され、十三経の一つにも挙げられている。唐代には石経(開成石経)にも刻まれた。 構成[編集] 巻頭3篇は同義語を分類したもの。これらは例えば「初・哉・首・基・肇・祖・元・胎・俶・落・権輿は始という意味である」(釈詁)という形式をとる。「釈詁」篇は古人が用いた同義語を分類し、「釈言」篇は日常語を、「釈訓」篇はオノマトペを主とする連綿語(2音節語)などの同義語を分類している。 以後の「釈親」「釈宮」「釈器」「釈楽」「釈天」「釈地」「釈丘」「釈山」「釈水」「釈草」「釈木」「釈蟲」「釈魚」「釈鳥」「釈

                                                                        • 憩とは (ケイとは) [単語記事] - ニコニコ大百科

                                                                          憩単語 2件 ケイ 0 0pt ほめる 掲示板へ 記事編集 漢字として掲示板憩とは、以下のことを表す。 荒川憩(けい) - 漫画「咲-Saki-」の登場人物 憩 - 日本のタバコの銘柄。のちに「いこい」としてリニューアルされた 漢字として 常 憩 Unicode U+61A9 JIS X 0213 1-23-38 部首 心部 画数 16画 音読み(常用) ケイ 訓読み(常用) いこい、いこう 意味 やすむ、いこう、という意味がある。 〔爾雅・釈詁〕に「息ふなり」とある。 字形 諸説ある。徐鉉や段玉裁、〔集韻〕、〔康熙字典〕は愒を本字とし、憩はその俗字としている。 愒は〔説文解字・巻十〕に「息ふなり」とある字。〔康熙字典〕によれば愒が[⿱[⿰日匃]心]になり、さらに[⿱[⿰白甘]心]を経て𢠾、憇や憩などになったという。 音訓 音読みはケイ(漢音)、訓読みは、いこう。 規格・区分 常用漢字で

                                                                            憩とは (ケイとは) [単語記事] - ニコニコ大百科
                                                                          • 方言 (辞典) - Wikipedia

                                                                            『方言』(ほうげん)は、漢代中国の方言辞典。揚雄の著とされる。『揚子方言』(ようしほうげん)・『別国方言』(べっこくほうげん)とも呼ぶ。正式名称は『輶軒使者絶代語釈別国方言』(ゆうけんししゃ ぜつだいごしゃく べっこくほうげん)。 内容[編集] 現行の『方言』は全13巻で、東晋の郭璞が注をつけた本が行われている。本文の体裁は『爾雅』に似ており、同義語をひとつにまとめ、広い地域で行われている語を最後に置いている。その後にそれぞれの語がどこの方言であるかを説明している。たとえば巻一冒頭は 黨・暁・哲、知也。楚謂之「黨」、或曰「暁」。斉・宋之間謂之「哲」。 となっているが、これは知ることを「知」というのが一般的な語で、楚では「黨」または「暁」、斉と宋では「哲」という、という意味である。 各巻は『爾雅』のようにはっきりとは分類されていない。巻によっては異なる形式で説明をしている。どこの方言か書いて

                                                                            • QmQの日記

                                                                              地球は丸い。子供ですら知る常識です。しかるに高度な文明を誇った中国においては、ほとんどこの説は知られていませんでした。このことは、中国の数理天文学の水準を考えると驚愕すべき事実だと思います。 一寸千里法とその破綻 中国でも古来、場所によって太陽の高度が異なることは意識されていました。しかし、これを中国では「太陽までの距離が近いからだ」と説明していました。例えば大きな部屋の天井をみあげると、真上は高く遠くにいくほど低く見えます。これと全く同じ理屈です。『周髀算経』には「南に千里進むと八尺の棒(表)の影が一寸短くなる」とする「一寸千里法」が記されています。この距離と陰の長さの比例的な関係は、平らな大地の仮定の下では正しく、同じ原理の方法が遠くにある山の高さを計測するのに用いられました。 実際には地球は平面ではないのですが、それ以前に実測値としてこの数値はかなり問題があります。洛陽近辺で考えると

                                                                                QmQの日記
                                                                              • 騰蛇 - Wikipedia

                                                                                騰蛇(とうだ、とうじゃ、ちんじゃ。拼音: téng shé)または騰虵は、中国の伝説上の蛇または龍の一種。霧のなかを推進でき、足はなくとも飛行能力があるとされる。 『爾雅』注釈では龍の一種とする。『本草綱目』によれば、「飛ぶ蛇」の仲間(「翼ある蛇」の仲間でない)が、のちに龍と化するとされる。 語釈[編集] 騰蛇(正字は螣蛇)は、「とうだ」と読まれるが[1]、「とうじゃ」[2]、「ちんじゃ」[3]と読まれる例もみられる。 『爾雅』には上音が「朕」。下音が「騰」と記される[5]。 古典による描写[編集] 「螣蛇」に触れている古来の文献はいくつかあるが、近代の神話学者袁珂『中国神話伝説詞典』の「螣蛇」の項では、それらを列挙するにとどめ、螣蛇の解釈はしていない[6]。 荀子・韓非子の寓意[編集] 前漢の文献では[6]荀子「勧学篇」に「螣蛇(とうじゃ)は足無くして飛ぶ」[7][8]、韓非子「難勢篇」

                                                                                • 濱口富士雄「戴震と王引之の同条二義の訓詁」 - 達而録

                                                                                  論文読書会にて、濱口富士雄『清朝考拠学の思想史的研究』(国書刊行会、1994)の「戴震と王引之の同条二義の訓詁」を読みました。 テーマは『爾雅』の以下の一条。 『爾雅』釋詁 台、朕、賚、畀、卜、陽、予也。 「台」、「朕」、「賚」、「畀」、「卜」、「陽」は、「予」の意。 この条、正確に言えば、「台、朕、陽」は「予(わたし)」の意、「賚、畀、卜」は「予(あたえる)」の意。つまり、同じ条に二義の訓詁が混じってしまっているわけです。 これをきちんと分けるべきだとしたのが戴震です(もともと、南宋の鄭樵が同じ説を唱えています。)。 『戴東原集』卷三・荅江愼修先生論小學書 『説文』所載九千餘文、當小學廢失之後、固未能一一合於古、卽『爾雅』亦多不足據。姑以釋故言之如「台朕賚畀卜陽予也」、「台朕陽」當訓予我之予、「賚畀卜」訓賜予之予、不得錯見一句中。「孔魄哉延虛無之言閒也。」郭氏注云「孔穴延魄虛無、皆有閒隙

                                                                                    濱口富士雄「戴震と王引之の同条二義の訓詁」 - 達而録