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爾雅の検索結果41 - 80 件 / 219件

  • 『十二国記』に登場した『山海経』の妖獣 - 三国与太噺 season3

    一年くらい前からずっと下書きに保存されていた記事です。(´・ω・`) そのうちちゃんと書ききろうと思っていたんですけど、面倒くさくなったのでぶっぱなしました。(´・ω・`) 【鹿蜀】 又東三百七十里,曰杻陽之山,…有獸焉,其狀如馬而白首,其文如虎而赤尾,其音如謠,其名曰鹿蜀,佩之宜子孫.(南山経第一) 馬に似ており、首は白く、虎のような文様があり尾は赤い。鳴き声は歌うようであり、佩びると子宝に恵まれる。 作中においては飛行する馬、あるいは鹿。縞がある。 目立った登場はなく、『図南』で一行の剛氏である近迫の騎獣*1と、恭に護送される祥瓊が乗っていた騎獣*2の二か所だけだったと思います。 『山海経』の挿絵はこちら。*3 【蠱雕】 又東五百里,曰鹿吳之山,…有獸焉,名曰蠱雕,其狀如雕而有角,其音如嬰兒之音,是食人.郭璞云:「蠱或作纂.」 (南山経第一) 雕はワシ。『月影』で幾度となく陽子らに襲い

      『十二国記』に登場した『山海経』の妖獣 - 三国与太噺 season3
    • 辞典 - Wikipedia

      グラーツ大学図書館のラテン語辞書 辞典 辞典(じてん)とは、言葉や物事、漢字などを集め、その品詞・意味・背景(語源等)・使用法(用例)・派生語・等を解説した書籍。辞書(じしょ)・字引(じびき)とも言う。 なお、「辞典」「辞書」という単語は、主に言葉について書かれたもの(国語辞典、英和辞典、漢和辞典など)について用いるもので、文字について書かれた辞典は「字典」、事物に就いて詳細に書かれた辞典(百科事典など)については「事典」という表記を用いて区別される。「辞典」「字典」「事典」はいずれも「じてん」で発話においては区別できないため、それぞれ「ことばてん」(言葉典)、「もじてん」(文字典)、「ことてん」(事典)と言い換えられることもある。 辞書に関する学問分野として辞書学がある。辞書の編纂者はレキシコグラファー(lexicographer)と呼ばれる[1]。 日本における現存最古の辞典は、平安時

        辞典 - Wikipedia
      • 電子辞書の情報

        このページでは主に UNIX 上で使える電子辞書を紹介しています。 電子辞書メーリングリストの有志が編纂してい ます。 最終更新日: 2001-07-12 目次 市販の辞典類 英和・和英辞典 国語辞典 百科事典 現代用語辞典 漢和辞典 統合辞書 UNIX で利用できない辞典類 (参考) ネットワーク上の電子辞書 携帯用の電子辞書 雑誌記事 辞書関連の書籍 市販の辞典類 英和・和英辞典 小学館ランダムハウス英語辞典 (小学館) 英和 34 万 5 千語 15,000 円 (独自形式) http://ebook.shogakukan.co.jp/index.html 英英辞典の Random House Dictionary を翻訳し、英和 辞典として利用できるようにしたもの。電子化された バージョンでは訳語からも検索できるので、和英辞典 としても利用できる。収録語数が多いだけでなく、訳 語も

        • 玄洋日誌

          食糧問題や国防問題を中心とした課題を取り上げ、これを定期的に日誌とする。 ちょっと考えてみましたが、ブログを持つもので連続投稿をされる場合、あるいは長期のコメントを搭載する場合、自分のブログにもそのコメント内容を搭載しない限りはこちらも無期限で公開を停止することにします。もし、搭載してほしくば、ご自信のブログで投稿内容を登載してトラックバックするなりしてくださいね。 不条理日記の鷹嘴さんが私にグリーンピースの鯨に関する知見、知識を披露してくれますが、これがギャグの域に達していてなかなか面白い。おかげでブログも以前と比べてたいへんに充実してきました。そんな不条理日記の鷹嘴さんとの友情を深めるためにも鷹嘴さんのコメントに答えようと思います。それではさっそく、引用してみましょう。これについて、グリーンピースの文書でも、http://www.greenpeace.or.jp/campaign/oc

          • 『論語』ブーム(番外篇) - 黌門客

            異常に世間を騒がせた(というか、マスコミが煽り立てた)例の問題について、つまるところはモラル向上が抑止力となるのだといった言説を聞いたりすると、その当否は別として、「子曰道之以政齊之以刑民免而無恥道之以徳齊之以禮有恥且格(子曰く、之を道くに政を以てし之を斉ふるに刑を以てすれば民免れて恥無し。之を道くに徳を以てし之を斉ふるに礼を以てすれば恥有りて且つ格し*1)」という一文をおもい出す。なぜか『SP』のドラマスペシャルでも岡田准一がその一部を諳んじたりしていた*2。 これは、『論語』爲政第二の一節で、その冒頭の「子曰爲政以徳譬如北辰居其所而衆星共之(子曰く、政を為すに徳を以てせば、譬へば北辰の其所に居て衆星の之に共ふが如し)」を受けたものである。ここでいう「北辰」は、日本の註釈書ではふつう「北極星」と解される。代表的な訳文、たとえば宮崎市定訳も金谷治訳も貝塚茂樹訳も吉川幸次郎訳も、みな同じであ

              『論語』ブーム(番外篇) - 黌門客
            • 森博達「井上亘『日本書紀の謎は解けたか』批判」(1)……森氏自身による反論コメント - 聖徳太子研究の最前線

              現在、このブログでは、新刊の大山誠一編『日本書紀の謎と聖徳太子』を取り上げ、個々の論文の内容を紹介する連載をやっています。これまで大山誠一論文・加藤謙吉論文・八重樫直比古論文について論じてきており、八重樫さんからはコメント欄にコメントを寄せて頂きました。 それに続いて、森博達さんが、森博達『日本書紀の謎を解く』(中公新書、1999年)を激しく批判した井上亘氏の論文「『日本書紀』の謎は解けたか」に対する批判をコメント欄に投稿してくださったのですが、長文すぎてコメント欄の字数制限ではじかれてしまったため、以下のように、本文の記事として2回に分けて掲載させていただきます。 (ブログ作者:石井公成) =================================== 井上亘「日本書紀の謎は解けたか」批判 森 博達 貴ブログ、いつも楽しみに拝読しています。先日は大山氏編『日本書紀の謎と聖徳太子』

                森博達「井上亘『日本書紀の謎は解けたか』批判」(1)……森氏自身による反論コメント - 聖徳太子研究の最前線
              • 平凡社 改訂新版 世界大百科事典 詳細|平凡の友

                この度は平凡の友「平凡社 改訂新版 世界大百科事典」へアクセス頂き、誠にありがとうございます。 お時間の許す限りごゆっくりご覧ください。 かいてい・しんぱん・せかい・だい・ひゃっか・じてん kaitei・shinpan・sekai・dai・hyakka・jiten 日本で唯一の総合大百科事典 改訂新版 世界大百科事典 全34巻 HEIBONSHA'S WORLD ENCYCLOPAEDIA 平凡社 改訂新版 世界大百科事典のご購入をご検討のお客様へ どこよりも最高のサービスを目標にしています。 どうぞお気軽にご連絡ください。 フリーダイヤル    おはなし 0120-38-0874 ※販売価格は税込価格です。 ※「平凡社 改訂新版 世界大百科事典」のセット購入には、「百科便覧 五訂版」が付きます。 ―平凡社 改訂新版 世界大百科事典の内容詳細― ●巻数/全34巻(本巻30巻・索引1巻・地図

                  平凡社 改訂新版 世界大百科事典 詳細|平凡の友
                • the view from nowhere : 2009-10-11 (Sun)

                  みやもと・とーる(宮本徹)/おーにし・かつや(大西克也)[編著];2009/3;アジアと漢字文化; 放送大学教材;放送大学教育振興会;(借覧);A5判;横組;並製;viii+291頁;;ISBN978-4-595-30906-9; これはおもしろいなあ(特に大西執筆部分。入手しやすい新書とか、また別にカラー図版おほめの、もつとくはしい本とか出さないかなあ)。目次をうつしておく。 まえがき / 大西克也 1 漢字の誕生 : 骨と甲羅に刻まれた文字 / 大西克也(おーにし・かつや) 1 1. はじめに 1 (1) 漢字とはいかなる文字か (2) 書体と字体 2. 甲骨文字概説 5 (1) 甲骨の発見と発掘 (2) 殷王朝と甲骨文字 (3) 甲骨の作製 (4) 甲骨文の内容 2 漢字の起源 : 甲骨文字のしくみと陶文 / 大西克也 23 1. 甲骨文字の解読方法 23 (1) 既知の文字との字形

                  • 「茹でる」のナゾ - なぶんけんブログ

                    2017年8月 人は食べられなければ生きていけません。博物館施設での展示においても昔の料理や郷土料理の紹介は来館者に人気の高いテーマの一つであり、平城宮跡資料館でも奈良時代の貴族の食膳を復原したコーナーは人気があります。「こんなものを食べていたのか」という驚きであったり、親近感であったりを感じられるのは、誰にとっても食事が日常の一コマだからでしょう。 さて、調理法の基本のキの一つは"ゆでる"です。魚やドングリをとっていた縄文時代でも、多彩なインスタント袋麺が並ぶ現代でも欠かせない調理法です。漢字では「茹でる」と書き、正倉院文書に残る写経所への食材配給の記録に「薪一荷 大豆茹料」や「薪十束 二束麦茹料」、市での買物記録に「羹茹料」などの表記が見られます。薪は燃料ですし羹は汁物料理なので「茹」も現代と同じ意味に見えますが、実はこれがなかなか曲者なのです。漢字発祥の国である中国ではこの字を"ゆで

                    • 全國漢籍データベース 四庫提要

                      經部總敍 經部一 易類 經部一 易類一 子夏易傳 十一卷 周易鄭康成註 一卷 新本鄭氏周易 三卷 陸氏易解 一卷 周易註 十卷 周易正義 十卷 周易集解 十七卷 周易口訣義 六卷 周易舉正 三卷 經部二 易類二 易數鉤隱圖 三卷 坿 遺論九事 一卷 周易口義 十二卷 温公易說 六卷 橫渠易說 三卷 東坡易傳 九卷 易傳 四卷 易學辨惑 一卷 了翁易說 一卷 吳園易解 九卷 周易新講義 十卷 紫巖易傳 十卷 讀易詳說 十卷 易小傳 六卷 漢上易集傳 十一卷 卦圖 三卷 叢說 一卷 經部三 易類三 周易窺餘 十五卷 易璇璣 三卷 易變體義 十二卷 周易經傳集解 三十六卷 易原 八卷 周易古占法 一卷 古周易章句外編 一卷 周易本義 十二卷 坿 重刻周易本義 四卷 郭氏傳家易說 十一卷 周易義海撮要 十二卷 南軒易說 三卷 復齋易說 六卷 楊氏易傳 二十卷 周易玩辭 十六卷 易說 四卷 誠齋易傳

                      • 安寧(アンネイ)とは? 意味や使い方 - コトバンク

                        〘 名詞 〙① ( 形動 ) 穏やかにおさまり、異変、不安などがないこと。また、そのさま。安泰。平穏。[初出の実例]「頼二祖宗之遺慶一、海内晏静、区夏安寧」(出典:続日本紀‐霊亀元年(715)九月庚辰)「仍年来の愁眉を開き、一期の安寧を得ん」(出典:平家物語(13C前)一一)[その他の文献]〔史記‐周本紀〕② 冬の別名。《 季語・冬 》[初出の実例]「安寧」(出典:俳諧・俳諧小筌‐冬(1794))[その他の文献]〔爾雅‐釈天〕

                          安寧(アンネイ)とは? 意味や使い方 - コトバンク
                        • 新釈漢文大系別巻 漢籍解題事典 - 明治書院

                          新釈漢文大系収録の五十余りの漢籍を含む七百作品以上の日本文化に影響を与えた漢籍を取り上げ解説。漢籍は古来、文学のみならず医学、数学、天文学、易学、史学、思想、政治、地理、芸術等様々な分野において日本文化に影響を与えてきたが、これら漢籍について、いつ、誰が書いたのか、どのような内容か、版本や注釈書にはどのようなものがあるか等、漢籍のテキストの特質を明らかにし、研学の手引となる書。 『漢籍解題』とは・・・ 漢籍(漢文で書かれた中国の書籍)は古来、文学のみならず医学、数学、天文学、易学、史学、思想、政治、地理、芸術等様々な分野において日本文化に影響を与えてきました。この漢籍について、いつ誰が書いたのか、どのような内容か、版本や注釈書にはどのようなものがあるか等を解説したものが「漢籍解題」です。 漢籍解題をまとめたものには、明治三十八年刊の桂胡邨著『漢籍解題』がありますが、それ以降刊行されておらず

                            新釈漢文大系別巻 漢籍解題事典 - 明治書院
                          • Project Gutenberg

                            Authors: A B C D E F G H I J K L M N O P Q R S T U V W X Y Z other Titles: A B C D E F G H I J K L M N O P Q R S T U V W X Y Z other Languages with more than 50 books: Chinese Danish Dutch English Esperanto Finnish French German Greek Hungarian Italian Latin Portuguese Spanish Swedish Tagalog Languages with up to 50 books: Afrikaans Aleut Arabic Arapaho Bodo Breton Bulgarian Caló Catalan Cebuano C

                              Project Gutenberg
                            • 諸子百家争鳴 - 中国古典思想の世界 - 論語/孔子/孟子/荀子/老子/荘子/韓非子/墨子/孫子/史記/春秋戦国時代

                              ..... ※上記表の人名について … 例:魯 国姓は姫 始祖は周公 姫旦(しゅうこう きたん) 廃公は頃公 姫讎(けいこう きしゅう) 王・公・侯は諡号 [周王朝の爵位] … 1.公爵 2.侯爵 3.伯爵 4.子爵 5.男爵 [春秋十二諸侯] - 『史記』十二諸侯年表より … 魯 斉 晋 秦 楚 宋 衛 陳 蔡 曹 鄭 燕 呉 [春秋五覇] - 春秋時代、五人の覇者 五伯(斉桓公・晋文公以外は文献によって異なる) … 斉桓公 晋文公 宋襄公 秦穆公 楚荘王 呉王闔閭(闔廬) 呉王夫差 越王勾践(句践)など ..... ・『孟子』告子下(趙岐注) - 斉桓公 晋文公 宋襄公 秦穆公 楚荘王 ・『荀子』王覇 - 斉桓公 晋文公 楚荘王 呉王闔閭 越王勾践 [戦国七雄] - 戦国時代、七つの大国(「七雄」から秦を除いたものが「六国」) … 秦 楚 斉 燕 趙 魏 韓(末期の勢力順) [『呂氏春

                              • 紀伝道 - Wikipedia

                                紀伝道(きでんどう)とは、大学寮において、歴史(主に中国史)を教えた学科。後に漢文学の学科である文章道(もんじょうどう)と統合して歴史・漢文学の両方を教える学科となり、学科は「紀伝道」・博士は「文章博士」と別々の正式名称を用いて、通称として「紀伝博士」「文章道」という呼び方も用いられた(ただし、統合当時には「紀伝道」「文章道」の呼称はまだ成立していなかったとする説もある)。 ただし、実際には通称に過ぎないとされている「文章道」という呼称が、明治以後には混同されて、文章道が紀伝道を吸収して「文章道」「文章博士」となったという誤った解釈がされていた時期もある。 本項目でも統合以後の記述については、本来の記述に従って学科は「紀伝道」・博士は「文章博士」と記述するものとする。 初期の大学寮においては儒学を教える明経道が中心とされ、律令を教える明法道と算術を教える算道が実務的な観点からこれを補う構造

                                • 漢文を始めて学ぶ人に向けて:「経書」とは? - 達而録

                                  中国において伝統的に重視されてきた古典のグループに、「経書」と呼ばれるものがあります。経書は、「聖人」と呼ばれる理想的な人格を持つ人によって編集されたとされる書籍群です。これらは儒教において聖典とされ、中国に限らず、儒教文化を取り入れた古典の中心に位置し続けてきました。 「経書」のうち、最も基本的なものは「五経」と呼ばれています。以下の五つの本です。 ・『易』:陰陽と六十四の卦によって世界の成り立ちを示す書。 ・『書』:尭、舜、禹ら伝説の聖人の発言を集めた書。 ・『詩』:各地の民謡や民楽、祭祀の音楽を集めた書。 ・『礼』:礼の制度(冠婚葬祭、外交、官職)などを記した本。 ・『春秋』:孔子が編纂したとされる春秋時代の歴史書。 これを細かく分けると十三種類あり、「十三経」と呼ばれています。上にあげたもののうち、『礼』が三種類に分かれて、 ・『周礼』:周の官職の仕組みとその役割を解説した書。 ・

                                    漢文を始めて学ぶ人に向けて:「経書」とは? - 達而録
                                  • 南方熊楠 十二支考 蛇に関する民俗と伝説

                                    『古今要覧稿』巻五三一に「およそ十二辰に生物を配当せしは王充の『論衡』に初めて見たれども、『淮南子(えなんじ)』に山中未(ひつじ)の日主人と称うるは羊なり、『荘子』に〈いまだかつて牧を為さず、而して(しょう)奥に生ず〉といえるを『釈文』に西南隅の未地(ひつじのち)といいしは羊を以て未(ひつじ)に配当せしもその由来古し」と論じた。果してその通りなら十二支に十二の動物を配る事戦国時既に支那に存したらしく、『淮南子』に〈巳の日山中に寡人と称せるは、社中の蛇なり〉とある、蛇を以て巳に当てたのも前漢以前から行われた事だろうか。すべて蛇類は好んで水に近づきまたこれに入る。沙漠無水の地に長じた蛇すら能く水を泳ぎ、インドで崇拝さるる帽蛇(コブラ)は井にも入れば遠く船を追うて海に出る事もあり。されば諸国でいわゆる水怪の多くは水中また水辺に棲(す)む蛇である(バルフォール『印度事彙』蛇の条、テンネント『錫蘭博

                                    • 島らっきょう

                                      島らっきょうは沖縄が産地で、殺菌効果、利尿、発汗、整腸作用があり、昔から薬用植物として 広く利用されてきました。 島らっきょうは栄養価にすぐれ、なかでも薬効成分のアリシンは殺菌効果だけでなく、 ビタミンB1の吸収を助け、疲労回復、スタミナアップの強い味方です。 島らっきょうについて 島らっきょうって? 島ラッキョウは殺菌効果、利尿、発汗、整腸作用があり、昔から薬用植物として 広く利用されてきました。 島らっきょうは栄養価にすぐれ、なかでも薬効成分のアリシンは殺菌効果だけでなく、 ビタミンB1の吸収を助け、疲労回復、スタミナアップの強い味方です。 島らっきょうは沖縄で島らっきょうと呼ばれ、他の日本国内ではらっきょうと呼ばれています。または、カタカナでラッキョウ、ラッキョまたは、らっきょとも呼ばれています。 沖縄の島ラッキョウとらっきょうは品種は一緒ですが、島らっきょうの場合は可食部分が大き

                                      • ARAI Hakuseki

                                        言語學者としての新井白石 今ではなくなられましたが、もと私の師匠でありました、伯林の大 學教授ガベレンツ先生は、其著スプラツハウィツセンシャフトの 中に、日本の語學に就き批評を下されまして、 日本人の獨りだちで爲した精神的作動の中では、此言語學 上に於ける程の名譽なる結果は、恐く他の學域上に見出し 難からう、 と書かれました。私には、今茲に所謂他の學域なる者が、果して 左様なみすぼらしき者であるか、たゞしはないかといふ事を論 辨する遑がありませぬ。さりながら此日本語學の價直を高く 見られました教授の御意見だけには、千里の異域にも亦かゝる 知己が居らぬでもないと、窃に喜んだのであります。 さりながら此名譽ある日本語學の研窮の歴史は、このほんもと の日本國では、だれが取調べて居りますか。もう一ツ云ひかへ て見れば、此語學のために力を盡し、此日本語のために涙をそゝ いだ、われくの祖先の事蹟は、こ

                                        • 中国人「寿司は中国起源」←フルボッコ : 熱湯浴

                                          中国人「寿司は中国起源」←フルボッコ 2012 ⁄ 12 ⁄ 30(15:49) カテゴリ 中国大手検索サイト百度の掲示板に「日本人は寿司(すし)の起源が中国であることを認めているのか?」というスレッドが立てられた。スレ主のこの質問について様々なコメントが寄せられている。 **********  スレ主は、紀元前3-4世紀に作成された中国最古の類語辞典・語釈辞典である「爾雅」の「釈器」に、寿司の記述があると主張。1800年前の中国ではすでに寿司が広く食べられており、西暦700年ごろになって日本に伝わり、寿司の起源は中国であると主張したところ、次のようなコメントが寄せられた。 ・「認めるかどうかに意味があるのか?日本料理と言えば最初に思いつくのが寿司だ。この問題で起源など何の意味もなさない」 ・「寿司と言えば最初に思いつくのが日本だ」 ・「スレ主は病気か?寿司といえば日本だろ。中国を連想す

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                                            • 正字を書いていない正字の提唱者: ほぼ文字についてだけのブログ

                                              「等慈寺碑」顔師古(581~645年) 顔師古は唐代の正字を定める元になった『顔氏字様』の著者なのだが、彼が書いた「等慈寺碑」には正字が書かれていない。 『顔氏字様』を参考にしてつくられた『干禄字書』は、顔師古の子孫の顔元孫(7~8世紀)がまとめたものだが、「等慈寺碑」にある「聡」は、『干禄字書』の最初に出ている通字だ。「目+月」の「明」も通字。 『干禄字書』顔元孫文 顔真卿書 顔元孫(7~8世紀)を子孫の顔真卿が紹興年間に書いたもの。 字体をはじめて「正・通・俗」に分けた。 「開成石経」開成2年(837) 「周易」「尚書」「毛詩」「周礼」「儀礼」「礼記」「左氏春秋」「公羊春秋」「穀梁春秋」「孝経」「論語」「爾雅」の十二経を正字で著したもの。

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                                                    狒々 - Wikipedia
                                                  • 寒泉をつかってみよう

                                                    寒泉について 寒泉の前身は、今日のようにWindowsが一般的になるMS-DOSの全盛だった時代に、電子テキストの定番として台湾でよく知られていたテキストデータベースソフト『龍泉二号』です(陳郁夫氏制作)。 寒泉は、『龍泉二号』のWeb版移植版とも言えます。いくつかのWebサイトで公開されていますが、一般的には台湾の故宮博物院のサーバーで公開されているものがよく知られています。 寒泉で検索可能は書籍は、以下の通りです。いずれも文字コードはBIG5になります。 十三經(經文のみ) 『周易』『尚書』『詩經』『周禮』『儀禮』『禮記』『左傳』『穀梁傳』『公羊傳』『論語』『爾雅』『孝經』『孟子』 先秦諸子 『荀子』『莊子』『老子』『列子』『墨子』『晏子』『管子』『商君書』『愼子』『韓非子』『孫子』『呉子』『尹文子』『呂氏春秋』 『全唐詩』 『宋元學案』 『明儒學案』 『四庫全書總目』 『朱子語類』

                                                    • 中国語の歴史 - 株式会社大修館書店

                                                      甲骨文字の時代から現代中国語まで 中国語を書き表すために、人びとは漢字という文字を創りだした。漢字が表す〈形〉〈音〉〈義〉そして〈文法〉は、時代とともにどのように姿を変えてきたのか。人びとは自らのことばをどのようなものとしてとらえてきたのか。古代から現代に至ることばの変遷と探究の歩みを、文化史的な視点から描きだす。 まえがき ◆第1章 漢字の <形> のはなし 1 はじめに――中国語と漢字 中国語の誕生と受難の旅/中国語とはどんな言葉か――その特質 漢字――中国語のために創られた文字/漢字の簡略化とローマ字表記[魯迅の主張/毛沢東と周恩来の指針/注音符号――仮名のような文字] [コラム] (1)パスパ文字――砂漠に消えた文字 (2)普通話――全国共通語 (3)★音(ピンイン)――ローマ字表記 (4)アクセントと声調 (5)中国語の音節の仕組み (6)漢字の創造者――蒼頡 (7)表音文字と表

                                                      • 2006年 学会展望 語学

                                                        二〇〇五年・二〇〇六年の学界展望語学部門は、北九州市立大学大学院外国語学研究科中国言語文化専攻研究室が担当する。電子メールでのデータ申告にご協力いただいた会員・非会員の方々、二〇〇三年・二〇〇四年語学部門担当の経験をご教示くださった京都大学大学院文学研究科中国語学中国文学研究室の平田昌司先生、文献調査にご協力いただいた各大学図書館に対して、深い感謝の意を表したい。目録作成にあたっては、現物の調査をおこなったほか、国立情報学研究所論文情報ナビゲータCiNiiおよび国立国会図書館NDL-OPACを利用させていただいた。採録する文献の選択・目録作成作業は佐藤昭があたり、編集・入力作業は、北九州市立大学外国語学部中国語専攻資料室補助員の橋本愛氏が分担してくれた。 目録作成の基準は以下のとおりとした。 一、採録範囲は、二〇〇五年一月から一二月までに日本国内で刊行された文献とする。昨年と同様、現代語の

                                                        • 福嶋亮大/日本と中国のあいだ・1 文献学の世紀

                                                          本居宣長(一七三〇~一八〇一年)と言えば、中国由来の「漢意」を批判し、日本固有の「古の道」を探り当てようとした国学者である。その企てにおいて、彼は「日本人の心」をあいまいな印象論によってではなく、『万葉集』や『古事記』等に残された言語的なデータによって再現しようとした。なぜなら、古代の日本人は心のさまを「歌」として表出し、歴史も「言」として書き記したからである(『うひ山ぶみ』)。「日本的なもの」は言語とカップリングされているという認識のもと、宣長は自らの思想を実証的な文献学として組み立てていった。 ところで、言語(書かれたテクスト)への関心は、実は宣長の敵視した中国の思想状況とも共振していた。十八世紀の中国が文献学の世紀であったことは、改めて注意しておいてよい。最近翻訳が出た碩学ベンジャミン・エルマンの『哲学から文献学へ』は、そのことを知るのにうってつけである。 十七世紀後半から十八世紀に

                                                          • 天下の俗説「サ神」信仰の矛盾とは?和風月名「皐月(さつき)」考(季節・暮らしの話題 2020年05月01日) - tenki.jp

                                                            今日から五月。新緑まぶしい爽やかな季節の到来です。旧暦(太陰太陽暦)の五月には他の月と同様さまざまな異名がありますが、もっともポピュラーな和風月名では皐月(さつき)。新暦の五月も「さつき」は転用されていますが、旧暦の五月は新暦の5月下旬~7月上旬ごろ(概ね新暦の6月前後)で変動し、そして必ず五月中に夏至を迎えることになります。「さつき」という月名の意味や語源については、民俗学が生んだある説が真実であると信じられ、困ったことになっています。 中国最古の語釈辞典『爾雅』では「五月為皋」つまり「五月を皋(こう)と為す」とあり、皐は皋の異字体で、皐月の皐はこの記述から来ています。 皋とは、「高い」「白く輝く」「平坦で広い水の岸辺」「大きく魂呼ばい(死者の名を呼んで魂をこの世に引き戻す信仰儀式)の声を上げる」などの意味があるとされます。 『字統』(白川静)によれば、皋または皐は「暴」と元は同じで、「

                                                              天下の俗説「サ神」信仰の矛盾とは?和風月名「皐月(さつき)」考(季節・暮らしの話題 2020年05月01日) - tenki.jp
                                                            •  近世儒家言語論と国学言語論における〈音義〉分析の位相 - はぐれ思想史学徒純情派

                                                              興味のある方はPDFファイルでダウンロードして下さい。 1. はじめに ◎ 皆川淇園・富士谷成章・富士谷御杖 →従来の研究を振り返ると、竹岡正夫(1963)・戸川芳郎(1980)・櫻井進(1982・1983)・野口武彦(1993)・浜田秀(2000・2002)・肱岡泰典(1996)などにより、皆川淇園の言語論(「開物学」)をめぐる方法へのアプローチがなされてきた。 →皆川淇園における「開物学」は難解ではあるが、荻生徂徠の「古文辞学」を批判的視座として見据えつつ、〈文〉・〈字〉・〈声〉への根源的解釈を切り拓く。 →皆川淇園の「開物学」は、富士谷成章・富士谷御杖父子も、多大な影響を受けていることを、多くの諸氏が述べている。 →もちろん、「影響」という観点からいえば、かかる指摘は間違いないであろう。しかし問題は、どのようなパースペクティヴで考察すればよいかということ。 →本報告では、間テクスト的

                                                                 近世儒家言語論と国学言語論における〈音義〉分析の位相 - はぐれ思想史学徒純情派
                                                              • 森博達「井上亘『日本書紀の謎は解けたか』批判」(2)……森氏自身による反論コメント - 聖徳太子研究の最前線

                                                                「四 『α群中国人表記説』」でも、事実誤認の妄想によって私見を批判している。「α群中国人表記説」の最大の音韻的根拠は、清濁異例の現象にある。α群には、日本語の濁音音節を表すのに清音字を使用した例が、七字種・延べ十一例もある。「水」を「瀰都(ミツ)」、「枝」を「曳多(エタ)」など、日本人なら清濁を間違えるはずがない。 書紀の古写本について声点(アクセント符号)を調べたところ、予想通り、これらの異例音節はすべて高平調のアクセントをもっていた。高平調の音節は発端高度が高く、喉頭の緊張が持続するので、声帯の振動が妨げられ、濁音要素が減殺される。その結果、高平調の濁音音節を中国人が清音と聞き誤ったのだろう。森(一九九一)で指摘したとおりである。井上氏はこれを次のように批判している。 「彼は間違えた箇所がみな上声であることを発見して喜んでいるが、ならば、上声の濁音だと必ず間違えるのかと尋ねたい。そうい

                                                                  森博達「井上亘『日本書紀の謎は解けたか』批判」(2)……森氏自身による反論コメント - 聖徳太子研究の最前線
                                                                • 古事記をそのまま読む《13》

                                                                  如此之白而 於出雲國之多藝志之小濱 造天之御舍【多藝志三字以音】而 水戸神之孫櫛八玉神 爲膳夫 獻天御饗之時 禱白而 櫛八玉神 化鵜入海底 咋出底之波邇【此二字以音】 作天八十毘良迦【此三字以音】而 鎌海布之柄作燧臼 以海蓴之柄作燧杵而 鑽出火 云 是我所燧火者 於高天原者 神產巢日御祖命之登陀流天之新巢之凝烟【訓凝姻云州須】之八拳垂摩弖燒擧【麻弖二字以音】 地下者 於底津石根燒凝 而 𣑥繩之千尋繩打延 爲釣海人之 口大之尾翼 鱸【訓鱸云須受岐】佐和佐和邇【此五字以音】控依騰而 打竹之登遠遠登遠遠邇【此七字以音】獻天之眞魚咋也 故建御雷神返參上 復奏言向和平葦原中國之狀 と、之(こ)を如此(かく)白(まを)して[而] 、出雲国(いづものくに)之(の)多芸志之小浜(たきしのをばま)に[於]天之御舎(あめのみあらか)を造り【「多芸志」の三字(みつのじ、みな)音(こゑ)を以ちゐる。】まつりて[

                                                                    古事記をそのまま読む《13》
                                                                  • 十三経 - Wikipedia

                                                                    十三経(じゅうさんけい、じゅうさんぎょう)は、儒家が重視する13の経書の総称。宋代に確定した。[1] 概要[編集] 従来、儒家の経書に六経があったが、このうち『楽経』は早くに亡んで漢代には五経となった。後漢になるとそれに『論語』と『孝経』を加えて七経とした。五経のうち『礼』に三礼、『春秋』に三伝あるので、分けて九経とすると十一経となる。唐代、それに『爾雅』が加えられ、宋代には『孟子』が加えられて十三経となった。またこれに『大戴礼記』を加えて十四経とすることがある。 その内訳は、下記の通り。 『易』 『書』 『詩』 『周礼』 『儀礼』 『礼記』 『春秋左氏伝』 『春秋公羊伝』 『春秋穀梁伝』 『論語』 『孝経』 『爾雅』 『孟子』 これらのうち 『周礼』『儀礼』『礼記』をあわせて「三礼」と呼ぶ。 『春秋左氏伝』『春秋公羊伝』『春秋穀梁伝』をあわせて「春秋三伝」と呼ぶ。 十三経注疏[編集] 十

                                                                    • 其の壱 藤間澪、刃を抜く。 - 怨霊怪異の不在証明 -「怪異殺し」探偵藤間澪の事件記録-(志波 煌汰) - カクヨム

                                                                      「『殺戮オランウータン』? それが今回討伐する怪異ですか?」 僕こと名張桃瀬(なばりももせ)は、僕に重たい荷物を預けて身軽そうに先を行く師匠に尋ねた。 大晦日を4日後に控えた、年の瀬のことである。学生は楽しい楽しい冬休みに入り、社会人でもぼちぼち仕事納めの人間も出ているであろうこの時期に、僕と師匠は現場に向かうべく少しばかり高級そうな住宅街を歩いていた。 自営業の悲しみを感じつつ師匠に今回の依頼について尋ねたところ、あまりに力の強すぎる単語についオウムのごとく言葉を返してしまった次第である。 「いかにも物騒な名前の怪異ですね。『怪異殺し』である師匠に依頼が来るのも納得できます」 すたすたと歩いていた僕の師匠──藤間澪(とうまみお)は、僕の言葉に足を止めると、心底嫌そうに首だけで振り返る。 「キミね、私の弟子を自称してなんやかんやと手伝いをしてくれることに関しては、まあ助かっているからいいと

                                                                        其の壱 藤間澪、刃を抜く。 - 怨霊怪異の不在証明 -「怪異殺し」探偵藤間澪の事件記録-(志波 煌汰) - カクヨム
                                                                      • 司書の出番 » 講演会「漢字ワンダーランド-受容と変容のヒストリー」を開催しました!

                                                                        恒例の「文字・活字文化の日記念講演」を、今年は「漢字」をテーマに、平成26年10月26日(日)に開催しました。昨年、一昨年にもご講演いただいた福田武史先生をお招きし、今年も盛況で、会場の青少年センターの広い研修室が狭く感じられるほどでした。10月末とは思えない陽気と受講者の方々の熱意とで会場内は汗ばむくらいになり、窓を開けていたところ、お隣の結婚式場の鐘の音が鳴り響くハプニングもありました。大安吉日だったのです。 ご講演は、古代の日本において漢字の読み書き(漢字の三要素=形・音・義)がどのように学ばれていたのかを追体験するというコンセプトで、受講者が自分で読んだり、探したり、考えたりする場面が準備されていて、ワクワク、びっくり、納得の連続でした。 テキストに用いられた『千字文』(センジモン)は、一字の重複もなく一千字を用いた、四字一句、全二百五十句(百二十五の対句)で構成される人間業とは思

                                                                          司書の出番 » 講演会「漢字ワンダーランド-受容と変容のヒストリー」を開催しました!
                                                                        • 本当は7月7日では無かった中国古代の「七夕」!織姫と彦星(牽牛星)が1年に1度だけ天の川を渡れるというのも中国中世の小説がつくり出したフィクションだった!?

                                                                          私たちが知ってる「七夕」の物語は、5~6世紀の中国(南北朝時代、中世)の小説で最高にロマンチックなものに創作されたものが元になっています。 この「新・七夕」を日本で流行させたのが7世紀末に即位した持統天皇と藤原不比等です。中国で流行していた「七夕」の漢詩を詠む会が作られたのが始まりで、これが現代まで続いてる日本の七夕の起源です。 ですが、それより以前の「古・七夕」が存在していて、それは中国の戦国時代(紀元前5~3世紀)や漢代(紀元前3世紀~紀元後3世紀)に存在していた「本来の七夕」です。 この七夕は「7日」ではあるけど、「7月7日」では無かったし、織姫と牽牛にあたる星も全く別の星でした。この漢代以前の「七夕」の星が弥生時代の日本列島に伝来していた可能性があって、静岡県に「女夫星」(ミョオトボシ)という名前で最近まで伝わっていたのでは?となりました。 ※追記 記事作成後に確認作業をしたところ

                                                                            本当は7月7日では無かった中国古代の「七夕」!織姫と彦星(牽牛星)が1年に1度だけ天の川を渡れるというのも中国中世の小説がつくり出したフィクションだった!?
                                                                          • 中国近代の翻訳論

                                                                            HOME(最初のページに戻る) 1996.1.24 「 信 達 雅 」 を め ぐ る 中 国 近 代 の 翻 訳 論 今世紀における中国の翻訳論は厳復の「信達雅」(偽りのないこと・意を尽くしてい ること・表現の優雅であること)に始まる。 その後欧米列強や日本の大陸進出にともない、国家存亡の危機に際し文を以て国を救 おうとした魯迅は、瞿秋白とともに「硬訳・寧信而不順」(「直訳・すらすら読めるこ とよりも寧ろ忠実であること」)を主張、中国語自体の持つ「欠陥」と翻訳における自 国文化中心主義を指摘した。これに対し、梁実秋、趙景深、胡適らは翻訳の普及のため には「寧錯而務順」(多少間違いがあってもすらすら読める訳が重要)と反駁し、翻訳 論争に発展した。この論争を踏まえて、林語堂は「忠実・通順・美」(忠実・読みやす い・美しい)を以て終止符を打とうとする。 その後1950年代に入って「信達雅」の三

                                                                            • 大根は大陸からやって来た - 食べてみたらおいしかった

                                                                              大根は地中海沿岸が原産地であるという説があります。 そうではなくて大根の野生種が中央アジアで生まれ、それがヨーロッパ方面と中国方面に伝播していったのだと考えている研究者もいるようです。 ○ 仮に大根が中央アジアで生まれたとしても、既に紀元前2200年という大昔に、エジプトでも大根が栽培されていました。 ピラミッド建設に従事していた労働者に、玉ねぎやにんにくと共に大根が配給されていたという記録が残されているのです。 古代ギリシャでも紀元前には大根が食べられていました。 この時代のギリシャでは、大根が金の器に盛られ神前に供えられていたようで、この野菜が珍重されていたことが伺えます。 ○ 紀元前1100年に編纂された中国最古の辞書『爾雅(ジガ)』にも大根についての記述があります。 中国で大根は「盧葩(ルパ)」や「莢菔(ラパ)」、「羅蔔(ロポ)」と呼ばれていたこともあったようです。 インドネシアで

                                                                                大根は大陸からやって来た - 食べてみたらおいしかった
                                                                              • 枳実:漢方(中医学)・中医学用語説明(生薬・中薬)

                                                                                枳実(きじつ) をクリック → 説明表示 中国における薬物の応用の歴史は非常に古く、独特の理論体系と応用形式をもつに至っており、現在では伝統的な使用薬物を「中薬」とよんでいます。 中薬では草根木皮といわれる植物薬が大多数を占めるところから、伝統的に薬物学のことを「本草学」と称しており、近年は「中薬学」と名づけています。 中薬学は、中薬の性味・帰経・効能・応用・炮製・基原などの知識と経験に関する一学科であり、中医学における治療の重要な手段のひとつとして不可分の構成部分をなしています。 TOP 知る(漢方) 生薬四方山話 枳実(きじつ)この頁 【大分類】理気薬(行気薬)…気の運行を調節する中薬です。 【学名】…Aurantii Fructus Immaturus 【別名】…枳穀 概要 枳実(キジツ)と枳殻(キコク) 枳実と枳殻は原植物が同じであって、ただ薬用とする果実の成熟度が異なります。枳実

                                                                                  枳実:漢方(中医学)・中医学用語説明(生薬・中薬)
                                                                                • 一太郎 2004/13/12/11/10/9/8 文書

                                                                                  立正安国論 [第一問] 旅客来りて嘆きて曰く、近年より近日に至るまで、天変・地夭・飢饉・疫癘、遍く天下に満ち、広く地 上に迸(はびこ)る。牛馬巷に斃(たお)れ、骸骨路(みち)に充てり。死を招くの輩(ともがら)、既 に大半に超え、之を悲しまざる族(やから)、敢へて一人も無し。然る間、或いは「利剣即是」の文を専 らにして、西土教主の名を唱へ、或いは「衆病悉除」の願を恃みて(持ちて)、東方如来の経を誦し、或 いは「病即消滅、不老不死」の詞を仰ぎて、法華真実の妙文を崇め、或いは「七難即滅、七福即生」の句 を信じて、百座百講の儀を調へ、有るいは秘密真言の教に因りて、五瓶の水を灑ぎ、有るいは坐禅入定の 儀を全うして、空感の月を澄まし、若しくは七鬼神の号を書して、千門に押し、若しくは五大力の形を図 して万戸(ばんこ)に懸け、若しくは天神地祇を拝して、四角四堺の祭祀を企て、若しくは万民百姓を哀 れみて、