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石橋湛山の検索結果1 - 9 件 / 9件

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石橋湛山に関するエントリは9件あります。 政治研究歴史改竄主義 などが関連タグです。 人気エントリには 『時の在りか:石橋湛山は国葬に反対した=伊藤智永 | 毎日新聞』などがあります。
  • 時の在りか:石橋湛山は国葬に反対した=伊藤智永 | 毎日新聞

    明治の元勲、山県有朋が83歳で病没したのは1922(大正11)年2月。時に37歳の雑誌「東洋経済新報」記者、石橋湛山(後の首相)は「死もまた社会奉仕」とコラムに書いた。長州閥で陸軍と官界を支配し、政党と民主主義をとことん嫌い、首相指名権さえ握った絶対権力者の死は、「山公」の糸に引かれていた「操り人形」を解き放ち、政治を新陳代謝させる意義があるというのである。だから死んだ翌日、政友会が陸軍縮小案を議会に提出し、早くも人形が踊り出したではないかと説く。 山県の国葬予算に議員2人が反対したのも変化の表れだった。湛山は「山県が政治的罪人だから」との理由には反対する。だが、親の葬式さえ出せない貧民が多いのに、彼らも納めた間接税で山県の葬式を行うのかという批判には賛成する。反対演説中、衆院議長は「他人の身上を論議するな」と制した。湛山は問う。国葬にすることがすでに山県への評価である以上、議長の整理は自

      時の在りか:石橋湛山は国葬に反対した=伊藤智永 | 毎日新聞
    • 超党派「石橋湛山研究会」が発足した現代的意義

      この6月、永田町で、日本外交の道筋を考える超党派の議員連盟「超党派石橋湛山研究会」が立ち上がった。共同代表には岩屋毅元防衛相(自民党麻生派)、古川元久元国家戦略担当相(国民民主党)、篠原孝元農林水産副大臣(立憲民主党)の3人が就き、議連を切り盛りする幹事長には古川禎久前法務相(自民党茂木派)、事務局長に小山展弘衆議院議員(立憲民主党)がそれぞれ就任した。 今年3月に立憲民主党が立ち上げた「石橋湛山思想研究議員連盟」を発展的解消し、超党派に衣替えした。 今なぜ石橋湛山なのか。そこには、日本独自の外交を切り開こうとする国会議員らの模索がある。 岸田外交は2022年2月のロシアによるウクライナ侵攻後、G7とりわけアメリカとの結束を最重視し、ロシア包囲網を形成してきた。ウクライナ戦争は東アジアにおける安全保障リスクすなわち「台湾有事」を想起させる契機となり、「クアッド」(QUAD=日米豪印)や「ア

        超党派「石橋湛山研究会」が発足した現代的意義
      • 没後半世紀の「石橋湛山」がなぜ注目される? 思想を学び直す与野党の国会議員に理由を聞いてみた:東京新聞 TOKYO Web

        戦前はジャーナリストとして日本の植民地政策や日独伊軍事同盟に反対し、戦後は衆院議員として米国依存からの脱却を目指し、首相にもなった石橋湛山。世界平和に向け、日中米ソ平和同盟構想も提唱した。没後50年の今年、超党派の国会議員約40人が「石橋湛山研究会」を立ち上げ、その湛山の考えを学び直している。なぜ今、湛山なのか。世界の分断が進むこの時代に、湛山を学ぶと、何が必要なのかも見えてきそうだ。(大杉はるか) 石橋湛山(いしばし・たんざん) 1884〜1973年。東京市麻布区(現・港区)生まれ。父は日蓮宗僧侶。早稲田大哲学科を経て、11(明治44)年、東洋経済新報社に入社。植民地放棄や世界自由貿易を提起し、日独伊軍事同盟を批判(削除処分)。大東亜共栄圏構想も否定した。46年、戦後初の総選挙に自由党から出馬し落選。吉田内閣で蔵相に登用されるが、GHQと対立し47年、公職追放。51年の追放解除後、吉田茂

          没後半世紀の「石橋湛山」がなぜ注目される? 思想を学び直す与野党の国会議員に理由を聞いてみた:東京新聞 TOKYO Web
        • 石橋湛山 データ見抜く眼力、軍部にも占領軍にも屈せぬ胆力

          「植民地を放棄して世界を通商の舞台とすべし」。石橋湛山が唱えた小日本主義は、経済データに裏打ちされていた。明治末から第2次世界大戦中に、自由主義の論陣を張った湛山の胆力はすさまじい。藩閥勢力や軍部を批判し続け、戦後は蔵相として占領軍の政策に真っ向から異を唱えた。 終戦直後に「日本の前途は洋々」 「単に物質的の意味でない科学精神に徹底せよ。しからば即ちいかなる悪条件の下にも、更生日本の前途は洋々たるものあること必然だ」 1945年(昭和20年)8月25日号の『東洋経済新報』は「社論」にこんな一文を載せた。表題は、ずばり「更生日本の針路」。8月15日の玉音放送に日本中がぼうぜん自失となるなか、「前途は洋々たるもの」と言い切った人物こそ、石橋湛山(1884~1973年)その人である。 終戦の日の午後3時、彼は疎開先の秋田県横手で横手経済倶楽部の会員を前に講演した。連合国の対日方針を説明し、日本経

            石橋湛山 データ見抜く眼力、軍部にも占領軍にも屈せぬ胆力
          • 石橋湛山と下村治の慧眼に学ぶ「積極財政」論

            需要不足を深刻化させたコロナ危機 戦後最悪の不況となったコロナ危機に対しては、財政健全化を金科玉条としてきた日本政府ですら、巨額の財政支出でもって、これにあたるほかなかった。財務省は、2020年度の基礎的財政収支の赤字が56兆9000億円拡大して、66兆1000億円になるとの見通しを示している。 しかし、この数値の大きさに狼狽して、日本の財政危機を心配するのは、根本的に間違っている。 というのも、政府が自国通貨建て国債の返済が不可能になることはありえないのであり、そして、日本政府が発行する国債はすべて自国通貨建てだからだ。これは、近年、あたかもMMT(現代貨幣理論)という新理論による特異な主張であるかのように言われているが、実際には、財務省ですら認めている事実にすぎない。 財政赤字は、将来世代に増税というツケを残すという議論が広く信じられているが、これも間違っている。国債の償還は、新規国債

              石橋湛山と下村治の慧眼に学ぶ「積極財政」論
            • 第41回「石橋湛山賞」受賞 山本章子氏インタビュー|雑誌nyx&nyx叢書|note

              2020年9月25日に発表された第41回「石橋湛山賞」を『日米地位協定――在日米軍と「同盟」の70年』(中央公論新社、2019 年5月刊)で受賞された琉球大学人文社会学部准教授・山本章子さんにメールでのインタビューを行いました。(インタビュー収録:2020年9月30日) 石橋湛山賞の受賞、おめでとうございます。本書刊行後に、中公新書さんのウェブサイトでインタビューも公開されていますので(2019/11/07著者に聞く 『日米地位協定』/山本章子インタビュー)、ご執筆の経緯などはそちらにゆずるとして、もう少し細かい部分や、その後について、今回はお伺いさせてください。 2017年に博士論文を書籍化された『米国と日米安保条約改定――沖縄・基地・同盟』(吉田書店、2017年、日本防衛学会猪木正道賞奨励賞)と書き下ろしの『米国アウトサイダー大統領――世界を揺さぶる「異端」の政治家たち』(朝日選書、2

                第41回「石橋湛山賞」受賞 山本章子氏インタビュー|雑誌nyx&nyx叢書|note
              • 超党派で石橋湛山研究会 いま戦前リベラル派言論人から学ぶこと | 毎日新聞

                戦前を代表するリベラル派言論人で、後に首相を務めた石橋湛山(たんざん)(1884~1973年)。超党派の議員連盟「石橋湛山研究会」が6月に発足した。なぜ今、湛山に学ぶのか。議連の共同代表を務める岩屋毅元防衛相(自民党)に聞いた。【聞き手・安部志帆子】 ――湛山との出会いは。 ◆私は早稲田大に入学するまで湛山を知らなかった。雄弁会の門をたたき、先輩に「早稲田に来て政治家を目指すのであれば、石橋湛山は知ってるな?」と言われ「知りません」と答えたら、烈火のごとく怒られた。本屋に連れて行かれ、石橋湛山全集をまとめ買いした。 湛山が言論活動をした戦前・戦中は、日本の大きな転換期だ。あの時代にこんな率直な言論を展開した人がいたのかと衝撃を受けた。一生懸命読み、先輩が主導する勉強会に参加した。読めば読むほど、湛山が持つ先見性に目が開かれる思いがした。 1、2年前に湛山を読み直していたとき、湛山に傾倒して

                  超党派で石橋湛山研究会 いま戦前リベラル派言論人から学ぶこと | 毎日新聞
                • 石橋湛山の嘆息--自民党総裁選に想う-- | | 田中秀征 | 毎日新聞「政治プレミア」

                  自民党の総裁選挙がたけなわの中で、石橋湛山元首相のことがしきりに思い浮かぶ。 石橋湛山は自民党第2代の総裁で、昭和31(1956)年12月に首相に就任したが、突然病に倒れ、わずか2カ月で退陣のやむなきに至った。 私学出(早稲田)として初めて、言論人としても初めての首相。当時の三木武夫幹事長が「神武以来の人気」と言うほど国民的な歓迎を受けて登場した。 彼は55年体制と言われる保守・革新の全面対決の時代に、革新陣営からも温かく迎えられたのである。 言論人としての著作はもちろん歴代首相で随一。湛山の思想・業績に関する評伝も他の政治家を圧倒し、今年も保阪正康氏の「石橋湛山の65日」が出版されている。加えて、このところ「学界」ができるほど湛山研究者が増えてきている。 私に対して直接、「湛山先生を最も尊敬している」と明言した著名な政治家が少なくとも4人いる。 石橋内閣の石田博英官房長官、宮沢喜一元首相

                    石橋湛山の嘆息--自民党総裁選に想う-- | | 田中秀征 | 毎日新聞「政治プレミア」
                  • 没後50年、アメリカで再発見される「リベラリスト石橋湛山」

                    <エコノミスト、政治家、ジャーナリスト......。さまざまな顔を持った人物の著作集が現在英訳中で、今年アメリカで出版される。「世界史のなかの石橋湛山」とは?> 今年は石橋湛山(1884-1973)の没後50年にあたる。興味深い試みのひとつとして、企業人のリチャード・ダイク氏が『石橋湛山全集』の英訳に挑戦中で、厳選して一冊にまとめ今年中にアメリカで出版する予定だという。インタビューでダイク氏が語っている。 「私は石橋湛山が民主主義を重視していたことに関心があります。一般に、アメリカではGHQ(連合国最高司令官総司令部)が日本に民主主義を導入したと言われています。私がお世話になったエドウィン・ライシャワー先生もそう考えていました。日本では大正期にデモクラシー運動が盛んになりましたが、それは中途半端なもので、日本に民主主義が根づくことはなかったというのがアメリカの評価です。しかし、この見方は間

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