吉田いらこ▶︎書籍発売中 @irakoir 漫画家 | イラストレーター |長女中学2年生、次女小学5年生の姉妹絵日記 | 書籍『夫がわたしを忘れる日まで』発売中▶︎amzn.asia/d/afL49gG | 吹奏楽(tuba担当)と美術館巡りが好き | ご連絡はこちらまで📩xiamushao@gmail.com pont.co/u/irakoir
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するめ @surusurumeme @irakoir はじめまして。私の父は交通事故による外部性蜘蛛膜下出血ですが、家族構成も含め吉田さんの漫画と重なる部分がありすぎて、夫にも読んでもらいました。10年ほど前の事ですが当時の記憶が鮮明に蘇りました。あの時いっそ…のくだりもとても共感できます。この漫画を書いてくれてありがとうございます。 2020-07-05 12:12:07 吉田いらこ▶︎書籍発売中 @irakoir @surusurumeme 読んで頂けて嬉しいです。ありがとうございます。お父様の事故で大変辛い思いをされたと思います… 大変なことがあると、頑張らなきゃ明るくなきゃと思って余計しんどくなりますよね。黒い気持ちを吐き出しても良いと今は思えます。 2020-07-06 09:26:05 さくら⭐音とノリを楽しみたい @191006Hitomi @irakoir 私の父も20年前
中学校が終わると毎日、自宅の電話を鳴らしました。 「もしもし」と電話に出る母親が、そのときだけは以前に戻ったように感じたからです。 40代で発症した母の認知症はかなり進行していました。 息子の私すら忘れてしまったことに腹が立ち、突き飛ばしたこともあります。 でもその罪悪感が私の生き方を変えたのです。 自慢の母親でした。 陸上の元国体選手で、誰にでも優しく、よく笑う明るい性格で。 そんな母に異変を感じたのは、小学5年生のときです。 一緒にショッピングセンターを訪れたとき、おもちゃを見ていたらはぐれてしまいました。 いくら捜しても見つからないので困って家に電話すると、母はすでに帰っていました。 「どうしてぼくを置いていったの」 尋ねても、状況がよくわかりません。 私を連れてきたことを忘れて帰ってしまったようでした。 鏡に向かって独り言を言うことも増えました。 のちに「若年性アルツハイマー病」と
元プロレスラーで、現在、ステーキハウス『ミスターデンジャー』を経営している松永光弘さんの新刊『オープンから24年目を迎える人気ステーキ店が味わったデスマッチよりも危険な飲食店経営の真実』(ワニブックス・刊)が話題を呼んでいる。 狂牛病騒動をはじめとして、平成の時代に降りかかってきた数多の苦難を乗り越えてきた松永さんは、今回の著書で「いかにして危機的状況をクリアしてきたか」について赤裸々に告白。そして、そういった経験則が外食産業にとって「令和最大の危機」であるコロナ禍でも活かされる、ということを詳しく綴っている。 妻の指摘で判明した「脳の異常」 病院への道も分からなくなる 「この本を書いたのは、まさに新型コロナウイルス感染拡大の影響が広がってきてから。だから、店の経営にどういう影響があったのかも書くことができたし、締め切りギリギリまで粘って、緊急事態宣言が解除されたあとの様子まで反映させるこ
認知症は記憶力や認知能力が低下して日常生活に支障を来す障害であり、65歳未満でありながら認知症の症状が現れるケースは若年性認知症と呼ばれています。世帯収入や学歴などで判断した人々の社会経済的地位と認知症の発症リスクを分析した研究では、社会経済的地位の低い人は若年性認知症を発症するリスクが3倍も高いことがわかりました。 Associations of socioeconomic status and healthy lifestyle with incident early-onset and late-onset dementia: a prospective cohort study - The Lancet Healthy Longevity https://www.thelancet.com/journals/lanhl/article/PIIS2666-7568(23)00211-
この連載では、「ダブルケア」の事例を紹介していく。「ダブルケア」とは、子育てと介護が同時期に発生する状態をいう。子育てはその両親、介護はその親族が行うのが一般的だが、両方の負担がたった1人に集中していることが少なくない。そのたった1人の生活は、肉体的にも精神的にも過酷だ。しかもそれは、誰にでも起こり得ることである。取材事例を通じて、ダブルケアに備える方法や、乗り越えるヒントを探っていきたい。 男手ひとつで育ててくれた父親が記憶障害に 関東地方に住む藤原佐美さん(仮名、既婚)は現在、32歳。2歳のときに、まだ28歳だった母親が乳がんで他界してからは父親(61)の男手ひとつで育てられた。当時30歳だった父親の仕事は、転勤や国内外の出張が多かったため、北陸にある父方の祖父母の家に預けられ、週末になると父親が会いに来るという生活を送っていた。 ところが、藤原さんが小学校に入ると、61歳の祖母が若年
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