小熊英二氏の『〈日本人〉の境界』(新曜社、2001年)の次の言葉を自戒として胸にとどめたい。 この世界を「神」と「悪魔」に分けてしまうことは、必ず神話をつくりだし、憎悪と蔑視の対象を生み出さずにはおかない。そのとき、抵抗の論理だったはずのナショナリズムは、いつしか「有色の帝国」への道を歩き出す。みな自分だけは過ちをしないと信じながら、業が業を生み、悲しみが悲しみをつくる輪から抜け出せない。だがいうまでもなく、現実の人間は神でもなければ、悪魔でもない。国民国家によって設定された境界に沿って神や悪魔の像をつくりだすのは、みずからのアイデンティティの揺らぎから逃れるために、帰依や排除の対象を生み出そうとする我々自身のはずである。 「神」と「悪魔」に二分し、一方のみからの視点で見る、ということをしてしまいがちだ。一方的に正義はなく、一方的に悪もない。皆がよかれと思ってする行動がとてつもない悲劇を招