アテネ五輪で所属する柔道の谷亮子選手が金メダルを獲得し、同じく金獲得の野村忠宏選手が所属するミキハウスの木村皓一社長(右)と握手するトヨタ自動車の豊田章一郎名誉会長=2004年8月、アテネ市(平尾孝撮影) 14日に死去した豊田章一郎氏は、トヨタ自動車グループの求心力の象徴だ。本格的な海外展開や、トヨタを世界ナンバーワンの自動車メーカーに押し上げるための土台づくりを担い、経団連会長としても卓越した指導力を発揮した。 昭和57年、トヨタ自動車工業とトヨタ自動車販売の合併によって誕生したトヨタ自動車の初代代表取締役社長に就任。59年には米ゼネラル・モーターズ(GM)との合弁で、米国での現地生産を進めた。トヨタの競争力の源泉ともなっている「かんばん方式」を海外に広げる世界戦略を展開することや、日米自動車摩擦に対応するために、対外・対内の調整の必要性を痛感していたとされ、財界活動にも力を入れるように