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高柳昌行の検索結果1 - 40 件 / 100件

  • アメリカのジャズ激動期に日本人女性として奮闘、秋吉敏子はなぜいま再評価されるのか? | Rolling Stone Japan(ローリングストーン ジャパン)

    日本人でただ一人、ジャズ界最高の栄誉とされる「ジャズマスター賞」を受賞した世界的ジャズピアニスト/作編曲家/ビッグバンドリーダー、秋吉敏子のアルバム12作品の配信が先日スタート。彼女が海外で大きく再評価されている理由とは? ジャズ評論家・柳樂光隆に解説してもらった。 近年、福井良や稲垣次郎、鈴木弘、森山威男などが海外でもその名を知られるようになった。レコードマニアが再発見したり、ストリーミングで発掘されたりしたことで、過去の日本のジャズがちょっとしたブームになっている。日本のフュージョンも人気で、高中正義や菊地ひみこなどが、これまでとは異なる文脈で聴かれているという話をたびたび見かける。シティポップやニューエイジと同様、日本のジャズはレコード市場でずっと人気を集め続けている。 とはいえ、再評価の文脈はレコード経由だけではない。現行世代のアーティストや歴史研究家などからじわじわ再評価されてい

      アメリカのジャズ激動期に日本人女性として奮闘、秋吉敏子はなぜいま再評価されるのか? | Rolling Stone Japan(ローリングストーン ジャパン)
    • 「10年後はないかもしれない」大友良英、60代半ばで到達したギター&ターンテーブルの自在境 -後編- TOKION

      投稿日 2023-12-27 Author 細田 成嗣 MUSIC 観察する 35年以上にわたって唯一無二のキャリアを築いてきた音楽家・大友良英インタヴュー後編。ほぼ前人未踏だったと言っていい実験的ターンテーブル奏者としての活動を中心に話を訊く。 大友良英 1959年生まれ。常に同時進行かつインディペンデントに即興演奏やノイズ的な作品からポップスに至るまで多種多様な音楽を作り続け、世界中で活動する。映画音楽家としても100作品以上の音楽を手掛ける。震災後は故郷の福島でプロジェクトFUKUSHIMA!を立ち上げ、現在に至るまで様々な活動を継続している。福島を代表する夏祭り「わらじまつり」改革のディレクターも務める。 https://otomoyoshihide.com ギターもターンテーブルも今まさに最高のプレイができる——前編のインタビューで大友良英はそのような手応えを語っていた。『Sol

        「10年後はないかもしれない」大友良英、60代半ばで到達したギター&ターンテーブルの自在境 -後編- TOKION
      • 「10年後はないかもしれない」大友良英、60代半ばで到達したギター&ターンテーブルの自在境 -前編- TOKION

        投稿日 2023-12-26 更新日 2023-12-27 Author 細田 成嗣 MUSIC 観察する 35年以上にわたって唯一無二のキャリアを築いてきた音楽家・大友良英インタヴュー前編。ギタリストとしての活動を中心に話を訊く。 大友良英 1959年生まれ。常に同時進行かつインディペンデントに即興演奏やノイズ的な作品からポップスに至るまで多種多様な音楽を作り続け、世界中で活動する。映画音楽家としても100作品以上の音楽を手掛ける。震災後は故郷の福島でプロジェクトFUKUSHIMA!を立ち上げ、現在に至るまで様々な活動を継続している。福島を代表する夏祭り「わらじまつり」改革のディレクターも務める。 https://otomoyoshihide.com 1980年代後半からライヴ活動を本格化させ、35年以上にわたって唯一無二のキャリアを築いてきた音楽家・大友良英。インディペンデントなノイズ

          「10年後はないかもしれない」大友良英、60代半ばで到達したギター&ターンテーブルの自在境 -前編- TOKION
        • 西城秀樹、大滝詠一ら支えたミュージシャン 稲垣次郎 90歳の視点で語る日本ジャズ史と海外からの評価

          あなたは稲垣次郎という名前を聞いたことがあるだろうか。 実は近年、彼の作品は海外を中心に注目を集めている。 稲垣次郎は1933年生まれのジャズ・ミュージシャンで、世代的には渡辺貞夫や高柳昌行や白木秀雄と同世代で、宮沢昭や穐吉敏子らの少し歳下。ハナ肇とクレイジーキャッツの前身のハナ肇とキューバン・キャッツや、クレイジーキャッツの原型ともいわれるフランキー堺とシティ・スリッカーズにも在籍し、そのあとも、ジョージ川口とビッグフォーや白木秀雄クインテットにも在籍。日本のジャズ史の生き字引のような人だ。 そんな稲垣が注目を集めるきっかけは、2000年代に起こった日本のジャズの掘り起こしと再評価だった。レコードショップ Universoundsの尾川雄介が監修した『Deep Jazz Reality』シリーズで鈴木弘、石川晶、猪俣猛、杉本喜代志らとともにCD化されたことで国内で広まったあと、レコードで

            西城秀樹、大滝詠一ら支えたミュージシャン 稲垣次郎 90歳の視点で語る日本ジャズ史と海外からの評価
          • interview with Yosuke Yamashita | ele-king

            ドラムの森山がとりあえず一番凶暴になりまして、ドーンと打ち込んでくる。それに対して僕は最初は指で応じていたんですが、森山のドーンは強烈ですから、こっちも負けずにやってやるというので、ダーンと打ち返した。それが肘打ちのはじまりですね(笑)。 山下洋輔トリオが結成から50周年を迎える。それに併せて12月23日(月)に新宿文化センターにて、「山下洋輔トリオ結成50周年記念コンサート 爆裂半世紀!」と題したイベントが開催される。歴代のトリオ参加者である中村誠一、森山威男、坂田明、小山彰太、林栄一らはもちろんのこと、三上寛、麿赤兒、そしてタモリさえもが参加する、めったにお目にかかることのできない集大成的な催しである。遡ること50年前、すなわち1969年に病気療養から復帰した山下は、ピアノ、サックス、ドラムスという特異な編成で、既存のジャズに囚われることのない「ドシャメシャ」なトリオを結成した。ときを

              interview with Yosuke Yamashita | ele-king
            • 高柳昌行ニュー・ディレクション・ユニット | ele-king

              芸術に完全はなく、完全なきが故に生命を賭け立ち向かい、挑んで行くのが音楽家の業である筈だ。(高柳昌行「フリー・フォーム組曲ライナーノーツ」) モダン・ジャズの俊英として音楽界に登場し、しかしアメリカのジャズの真似事やフォルムの新奇性に汲々とする人々に見切りをつけ、ジャズを求める根拠を掴み取るべくフリー・フォームの音楽を探求し、そしてもはやジャズとは似ても似つかないサウンドを創出し、結果的には出自を異にするはずのメルツバウや非常階段をはじめとしたノイズ・ミュージックと同列に語られることもある人物。そのように時代を画し続けた20世紀の日本のギタリストは高柳昌行を措いて他にいない。日本のフリー・ジャズ第一世代のミュージシャンであり、ギター・ミュージックとしてのフリー・ジャズを確立/発展させた異才。あるいはモダン・ジャズの傍流に位置づけられていたレニー・トリスターノに多大な評価を捧げることによって

                高柳昌行ニュー・ディレクション・ユニット | ele-king
              • 1954年、あの夜の『モカンボ』の真実【ヒップの誕生 ─ジャズ・横浜・1948─】Vol.5 | ARBAN

                戦後、占領の中心となった横浜は「アメリカに最も近い街」だった。1948年、その街に伝説のジャズ喫茶が復活した。それは、横浜が日本の戦後のジャズの中心地となる始まりでもあった──。そんな、日本のジャズが最も「ヒップ」だった時代をディグする! アメリカにおけるモダン・ジャズ=ビバップの最初の記録は、ニューヨークのミントンズ・プレイハウスでのライブ『The Harlem Jazz Scene──1941』であるとされている。『ミントンハウスのチャーリー・クリスチャン』としてよく知られている作品だ。では、わが国においてモダン・ジャズはいつ頃から始まったのだろうか。戦後日本におけるモダン・ジャズ黎明期の「真実」を探る。 夜を徹して続いた一大ジャム・セッション JR関内駅から歩いて10分ほど。伊勢佐木町通り、現在は「イセザキ・モール」という名で呼ばれる街路に面したビルの地下にその店はあった。4階建ての

                  1954年、あの夜の『モカンボ』の真実【ヒップの誕生 ─ジャズ・横浜・1948─】Vol.5 | ARBAN
                • ギター好きが選ぶ 歴史上最も偉大なギタリスト

                  ギター好きが選ぶ「歴史上最も偉大なギタリスト」ランキング発表! 皆様、投票アンケートにご協力いただき誠にありがとうございました。 今回Facebookでは、なるべくジャンルが偏らないように、ハードロック系のグループ(1.7万人)、ジャズ系グループ(7千人)、ブルース系グループ(4千人)、クラシック系グループ(2千人)、洋楽グループ(9千人)、ギター系グループ他(1.3万人)+(1.2万人)+(4500人)+(2600人)+(1400人)+(1000人)+(980人)等など…それぞれアンケート募集し、更に当店SNS+当店の購入者様に一年間通してのアンケート結果をプラスさせていただきました。そういう意味では、あらゆる角度からオールジャンルの総合的なランキング結果になったかと思います。 音楽の価値観は人それぞれであることは大前提であり、順位をつけるのはナンセンスという意見もあります。しかし今回ア

                    ギター好きが選ぶ 歴史上最も偉大なギタリスト
                  • 特殊音楽の世界34「磔磔のこと」 - SMASHWEST.COM

                    特殊音楽の世界34「磔磔のこと」 2020.09.01 KYOTO 先日、東京ローカルの深夜「磔磔というライヴハウスの話」というドキュメンタリーが放映されました。TVerでも8月末まで無料公開されていました。 磔磔に関して今更説明は不要だと思います。 そのドキュメンタリーはロックやロックンロール中心の磔磔の歴史が描かれていました。よくできたドキュメンタリーだと思いましたが、あの映像だけでは捉えきれてない磔磔の懐の深さがあるんです。磔磔がなければ関西において過去の特殊音楽の公演は殆どできなかったでしょう。 今回はそのことについて書こうと思います。 まず、個人的なことで申し訳ないですが初めて磔磔に行った時のことを。 初めて行ったのは75,6年の頃ですね。観に行ったのはライヴではなくて維新派(当時は日本維新派)の公演でした。 舞台にプールを作りそこに泥と水を入れ役者がその泥水にまみれ、観客に向か

                      特殊音楽の世界34「磔磔のこと」 - SMASHWEST.COM
                    • 御年91歳にして現役。ジャズの概念を広げ続けてきた、“渡辺貞夫”という人生 | ブルータス| BRUTUS.jp

                      渡辺貞夫さん、“ジャズ”は人生ですか? 「世界のナベサダ」こと渡辺貞夫は、日本のジャズのパイオニアであることは誰もが認めるところだろう。実際、渡辺は戦後間もなくジャズと出会い、その後のミュージシャンとしてのキャリアは、そのまま日本のジャズの歴史と重なる。 1933年に宇都宮市に生まれた渡辺は、12歳の時に終戦を迎える。 「日本が負けて1週間も経たないうちに進駐軍放送が始まりました。ジャズ、ハワイアン、ヒルビリー。アメリカの明るい音楽が一気に流れてきたんです。それに、音楽映画もいろいろ入ってきました。僕の1級上の山内さんという人のお父さんが、電気館という映画館の支配人で、そこで観た『ブルースの誕生』が決定的でした。ニューオーリンズの波止場で、黒人たちがディキシーランド・ジャズを演奏しているところに、少年が横から入ってクラリネットを吹くんですが、その少年に憧れたんですよね」 そのうち渡辺は、父

                        御年91歳にして現役。ジャズの概念を広げ続けてきた、“渡辺貞夫”という人生 | ブルータス| BRUTUS.jp
                      • 第9話 ひび割れた鏡と行進曲|ぼくはこんな音楽を聴いて育った・東京編|大友 良英|webちくま

                        いよいよ高柳さんが出てきました。正直、そのことをどう書いていいのか、今でも迷いまくっていますが、でも、高柳さんが出てきても、わたしがしょうもないのは相変わらずで……。 ―――――― ということで前回のつづき、1980年の代々木ミューズ音楽院。高柳昌行の特別教室の説明会に集まってきたミュージシャン志望の若者たちは、高柳さんのどんな話を聞いて、這々(ほうほう)の体(てい)で逃げて行ったのか。 1) 人生をかけてプロの音楽家になる気のある者のみに教える。 2) 音楽の研鑽を全てに優先すること。そのためには普通の人生は諦めること。 したがって、結婚も子どもを持つことも望まないこと。 3) コマーシャルな意味でのプロを目指すのであればここでなく他にいきなさい。 4) 女性に教えることはできないから、女性は他に行きなさい。 5) まったくお金にはならない世界であるから、生活の糧は音楽とは別に自分で考え

                          第9話 ひび割れた鏡と行進曲|ぼくはこんな音楽を聴いて育った・東京編|大友 良英|webちくま
                        • 成田空港問題の年表 - Wikipedia

                          成田空港問題の年表(なりたくうこうもんだいのねんぴょう)は、三里塚闘争をはじめとする、成田国際空港(旧・新東京国際空港)に係る諸問題に関連する出来事を時系列順に述べるものである。 なお、年表中の役職はいずれも当時のものである。 年表[編集] 1930年代まで[編集] 1871年[編集] 十余三地区で中沢彦吉と小野善助(小野組)の開墾会社による入植が始まる[1][2]。 1875年[編集] 宮内庁下総御料牧場の前身となる、下総牧羊場と取香種畜場を大久保利通内務卿が開場[3][4]。 1885年[編集] 下総牧羊場と取香種畜場が宮内省に移管、下総種畜場と改称[3]。 1923年[編集] 1月:東西定期航空会が陸上機による定期航空便を開設。 9月1日:関東大震災。長岡外史が羽田飛行場の建設を提唱。 1931年[編集] 8月:日本初の国営民間航空専用空港「東京飛行場」が開港(現在の東京国際空港、羽

                          • HHKB Life | PFU

                            豊富なアクセサリーを開発してHHKBを盛り立てる 「バード電子」ってどんなメーカー? 代表取締役の斉藤安則さんにインタビュー! HHKBを使いこなす喜びをいっそう高めるアクセサリーの主要アイテムを、数多く開発しているメーカーがあります。バード電子です。アイデア・品質ともにハイレベルな製品を生み出すバード電子とはどんな来歴のメーカーなのでしょうか。同社のアイデアの源泉、代表取締役でHHKBエバンジェリストの斉藤安則さんにお話を聞きました。 HHKBのオーナーになると、HHKBを自分好みにカスタマイズして独自の世界を構築する楽しみも手にすることになります。そのときに活躍するのが豊富なアクセサリー製品です。中でも今“旬”といえるのは、デスク上での使い心地を大きく向上させるパームレストや、ノートPCの上にHHKBを置く「尊師スタイル」に欠かせないキーボードブリッジでしょうか。これらはいずれも株式会

                            • ジャズ喫茶はいつからジャズ喫茶となったのか

                              「ジャズ喫茶」という呼び名がいつから始まったのか。どうやらいまだにこの問いに対する明確な答えはないようだ。しかし、いま手持ちの資料をもとに、できうる限りこの謎の解明に近づいてみたい。 ジャズ喫茶の始まりは、1929年(昭和4年)に東京・本郷赤門前に開業した「ブラックバード」からというのがほぼ定説となっている。 おそらく、その前にも蓄音機でジャズを聴かせる喫茶店はあったと思われるし、実際、大正時代末期の横須賀に「白樺」というこの町のジャズ喫茶第1号とでも呼ぶべき店があったと書き記したものもある(『ヨコスカ・ジャズ物語』太田稔著 神奈川新聞社刊)。 横須賀に限らず、海外のモノや文化がいちはやく入ってきた都市、たとえば神戸のようなジャズの生演奏の盛んだった港町にもそういう店があったとしても不思議ではない。 だがバンドによる生演奏よりも再生装置やレコードの品揃えにこだわり、ジャズ・レコード鑑賞を目

                                ジャズ喫茶はいつからジャズ喫茶となったのか
                              • デレク・ベイリーを論ず(3)

                                text by Yoshiaki Onnyk Kinno  金野 onnyk 吉晃 1.非時と音響 最近、複数の知人からAIによるフリージャズがネット上にアップされていると教えられたが、何も不思議は無いし、フリージャズがイディオムとクリシェを主としているなら、別にフリーに限る事無く可能だし、ノイズというジャンルならさらに向いているように思う。 問題はそこで音響として提起される以前、つまりモチベーションであり、またいかに終了すべきか、そこでそれが現象化した意味だろう。それは演奏者のみならず、聴衆や環境の問題、あるいはコンテクストにある。 そうなると、ジャンルを問わず、何故人は即興演奏をする事を欲するかと問い直してもよかろう。 それは非生理的、非生産的行動である。音楽の社会的機能の一面、生殖行動、宗教儀礼、社会紐帯、恍惚酩酊への演出にも通じない事は無い。同様の衝動である舞踏、舞踊とはまた異なる

                                  デレク・ベイリーを論ず(3) 
                                • 西城秀樹、ピンク・レディーら手掛けたレジェンド 稲垣次郎 90歳の今振り返る激動の時代と海外での再注目

                                  1933年生まれのレジェンド・ジャズ・ミュージシャンで、今や世界中のレコードマニアやDJのあいだで注目を集めている稲垣次郎の音源がフランスの新興レーベル 180gにより『WaJazz Legends: Jiro Inagaki - Selected by Yusuke Ogawa (Universounds)』として今年リリースされた。そのタイミングで行った稲垣次郎本人への取材の後編をお送りする。 『WaJazz Legends: Jiro Inagaki - Selected by Yusuke Ogawa (Universounds)』 1970年代のロックやファンクが台頭し、ジャズに影響を与え始めていた時期、ジャズに精通しながら、当時のロックやソウルやファンクの新譜をもチェックし、分析し、それを作品として発表していた稲垣次郎はその知識と経験を買われ、ハイブリッドなジャンルの寄稿者が不

                                    西城秀樹、ピンク・レディーら手掛けたレジェンド 稲垣次郎 90歳の今振り返る激動の時代と海外での再注目
                                  • Keiji Haino | Fundação Japão em São Paulo

                                    Publicado por ronni em 13/11/2019 Sem comentários 日本のノイズミュージシャンの元祖、即興音楽の革新者 灰野敬二、1971年にロスト・アローフにより活動を開始し、以来40年以上にも渡り、独自の音楽を探求してきたアーティスト。2018年12月、リオの音楽フェスティバルNovas Frequências出演の為、灰野氏は初めて南米の地を踏んだ。日本のノイズミュージシャンの元祖、即興音楽の革新者と言われる灰野氏であるが、本人はそういったレッテルを否定する。神格化されることを拒否した後に現れたのは、真摯に音と向かい合い、表現を探求し、世界の行く末を憂う一人の音楽家の姿であった。このインタビューでは活動当初のエピソードや音楽観、人生観そして他アーティストとの共演についてまで、幅広い内容を語ってもらった。 1) 演奏の前に Q. 南米は初めて、とのことで

                                      Keiji Haino | Fundação Japão em São Paulo
                                    • #21 阿部薫について

                                      text by Kazue Yokoi  横井一江 photo by Tatsuo Minami  南達雄 今年に入ってから、夭逝したサックス奏者阿部薫(1949年〜1978年)の未発表音源が次々とリリースされた。その4タイトルは下記のとおり。 『阿部薫/ 19770916@AYLER. SAPPORO』 1977年9月16日録音(doubtmusic) 『高柳昌行、阿部薫、山崎弘/ライヴ・アット・ジャズベッド』1970年9月27日録音(Jinya Disc) 『高柳昌行、阿部薫/ライヴ・アット・ステーション ’70』 1970年6月18日、 5月あるいは 6月録音(Jinya Disc) 『阿部薫/完全版 東北セッションズ 1971』1971年10月31日、12月4日、 12月6日録音(Nadja21/King International ) 『19770916@AYLER. SAPPO

                                        #21 阿部薫について
                                      • HHKB Life | PFU

                                        豊富なアクセサリーを開発してHHKBを盛り立てる 「バード電子」ってどんなメーカー? 代表取締役の斉藤安則さんにインタビュー! HHKBを使いこなす喜びをいっそう高めるアクセサリーの主要アイテムを、数多く開発しているメーカーがあります。バード電子です。アイデア・品質ともにハイレベルな製品を生み出すバード電子とはどんな来歴のメーカーなのでしょうか。同社のアイデアの源泉、代表取締役でHHKBエバンジェリストの斉藤安則さんにお話を聞きました。 HHKBのオーナーになると、HHKBを自分好みにカスタマイズして独自の世界を構築する楽しみも手にすることになります。そのときに活躍するのが豊富なアクセサリー製品です。中でも今“旬”といえるのは、デスク上での使い心地を大きく向上させるパームレストや、ノートPCの上にHHKBを置く「尊師スタイル」に欠かせないキーボードブリッジでしょうか。これらはいずれも株式会

                                        • 【NEWEST ECM Vol.28】 Mette Henriette『Drifting』

                                          COLUMN/INTERVIEW 【NEWEST ECM Vol.28】 Mette Henriette『Drifting』 2023 年 2 月 3 日 Mette Henriette『Drifting』 文:原 雅明 メット・アンリエットのソロ・デビュー作『Mette Henriette』(2015年)は、特別なアルバムだった。当時まだ20代半ばだった彼女は、ECMから2枚組でセルフ・タイトルのデビュー・アルバムをリリースした最初のアーティストとなった。アントン・コービンが撮影した、テナー・サックスを背中に巻きつけた彼女の写真も他のECMのジャケットとは異なり、一際目を惹いた。独学で取り組んできた作曲とインプロヴィゼーションによる音楽は、ピアノ、チェロとのトリオと、ドラムやストリング・カルテット、バンドネオンも交えた13人編成のアンサンブルの演奏から成り立っていた。 アンリエットはノル

                                            【NEWEST ECM Vol.28】 Mette Henriette『Drifting』
                                          • スリー・ブラインド・マイス - Wikipedia

                                            スリー・ブラインド・マイス (英語: Three Blind Mice、略称: TBM) は、藤井武、佐賀和光(建築家、故人)、魚津佳也の3人により、日本の新進気鋭の演奏者たちを世に出すことを目指して1970年6月に設立された日本のジャズ専門レーベルである。 概要[編集] 1970年のレーベル設立以降、およそ130枚のアルバムをリリースした。社長である藤井武がプロデューサーを務め、ジャケットデザインは西沢勉、録音は神成芳彦がほぼ担当し、オーディオ愛好家好みの高品質なサウンドでも知られた。TBMの作品群はスイングジャーナル社主催のジャズディスク大賞を5回受賞している。 新作のリリースは1970年代に集中しており、1974年、1975年、1976年には紀尾井町の都市センターホールで"5 Days In Jazz"を開催しており、その模様はいくつかの実況録音盤で聴ける。TBMの作品群は日本のジャ

                                            • 「それなら俺が殺してやる」田原総一朗が挑発 山下洋輔が学生運動絶頂の早大で行った乱入ライブを振り返る(Book Bang) - Yahoo!ニュース

                                              〈1969年〉という暑い季節、フリージャズを始めたばかりの青年ピアニストがバリケード封鎖中の早稲田大学へ「グガン!!」と殴り込んだ事件があった――。伝説のライブから半世紀以上が経った今年、同じ大学で「乱入ライブ」を再現させた山下洋輔さんが、現在の心境を綴ったエッセイを紹介する。 山下洋輔・エッセイ「記憶とは不思議なものだ」 『村上春樹presents 2022/7.12 山下洋輔トリオ 再乱入ライブ TOKYO FM/早稲田大学共催』 と書かれた大きな立て看板が、早稲田大学構内の大隈記念講堂の階段に出現した。昨年秋に早稲田大学4号館に「村上春樹ライブラリー」が開設されたのだが、同じ4号館で1969年に山下洋輔トリオがジャズ演奏の「乱入ライブ」を行なったことを、村上さんが思い出す。それを50年以上たった今、同じ大学の講堂で再現しようというものなのだ。 当時の教室乱入演奏も含めて、どういう経緯

                                                「それなら俺が殺してやる」田原総一朗が挑発 山下洋輔が学生運動絶頂の早大で行った乱入ライブを振り返る(Book Bang) - Yahoo!ニュース
                                              • #181 川島誠 インタビュー:みんなの「心」が集まって生まれる即興演奏

                                                Interviewed by 剛田武  Takeshi Goda Photos by 南達雄(メイン写真/山猫軒)、船木和倖、 turbo(それぞれクレジット有) ●BIOGRAPHY 川島誠 Makoto Kawashima  (alto sax) 1981年4月10日生まれ。2008年からアルトサックスの即興演奏をはじめ、2015年、P.S.F. Recordsからソロ・アルバム『HOMO SACER』を発表する。自己のレーベルHomosacer Records(ホモ・サケルレコード)主宰。 Homosacer Records公式サイト http://kanpanelra.wix.com/homosacerrecords ●DISCOGRAPHY <Solo & Duo> 『UNIFICATION』Makoto KAWASHIMA SOLO CD-R CD-R : HomoSacer

                                                  #181 川島誠 インタビュー:みんなの「心」が集まって生まれる即興演奏
                                                • デレク・ベイリーを論ず(4) 金野 Onnyk 吉晃

                                                  text by Yoshiaki Onnyk Konno 金野 Onnyk 吉晃 1.独奏からデュオへ ベイリーはヴェーベルンを研究し、自らの語法とサウンドを確立した頃、それを確認するかのように幾つかのソロを録音した。 それらは決して冗長なものではなく、曲ごとの意識の違う短い演奏を編集したものだった。インカスの2番はその印象が強い。 1975年、イタリアのCRAMPS/DIVersoでのソロは当時の彼の頂点を示していると思う。 またそれに至る過程として、希なディストリビュートの形態だが、73年録音のオープンリールのテープそのものでインカスから発売された4本のソロアルバムも存在する。後にこれらはまとめてCD『TAPS』となった。 少し長めなソロはインカスでの『LOT 74』(1974) のA面全体を占める演奏がある。 ベイリーの関わる演奏が長くなるのは、むしろアンサンブルにおいてだ。 カンパ

                                                    デレク・ベイリーを論ず(4) 金野 Onnyk 吉晃
                                                  • インプロヴァイザーの立脚地 vol.3 外山明

                                                    Text and photos by Akira Saito 齊藤聡 Interview:2022年12月18日(土) 新宿にて ドラマー・パーカッショニストの外山明は形式にまったくとらわれないプレイを行い、ポップスやジャズだけでなくフリー・インプロヴィゼーションのライヴも行っている。だが、外山自身の演奏に対する考えに照らすならば、この説明は本質的なものではない。仮に外部からフリー・インプロヴィゼーションを演っているように見えたとしても、外山にはそのつもりがないからだ。 自身の模索 外山は21歳のときに宮崎から上京した。幼少期にはエレクトーンやベースを弾いてはいたが、とくに正式な音楽教育を受けたわけではない。もとより物心が付いたころからリズムというものが好きだった。演奏活動をやってもいたが、それはジャズではなく、ロックに近いものだった。そんなことよりも、「ただ、演りたかった」。 上京して数

                                                      インプロヴァイザーの立脚地 vol.3 外山明
                                                    • 80代の「現代詩人」の詩が若者世代に響く意味

                                                      現代詩人の吉増剛造さん(83歳)の詩が、いま若者たちの心を掴んでいる。吉増さんはこれまで旭日小綬章受章や、文化功労者にも選出された。そんな吉増さんによる詩のドローイングとオルタナティブロックバンド空間現代によるライブパフォーマンスのセッションを記録した七里圭監督作品『背 吉増剛造×空間現代』が2022年10月8日(土)から新宿K’s cinemaほか全国順次公開中だ。吉増さんから大きな影響を受けたという若者の1人が、音楽家の君島大空さん(27歳)。君島さんの楽曲はNHKドキュメンタリー番組の主題曲に起用され、ギタリストとして吉澤嘉代子、adieu(上白石萌歌)などのアーティストの楽曲にも参加している。そんな君島さんに吉増さんの詩の魅力や創作活動に与えた影響などについて聞いた。 朗読することによって完成する ――君島さんは、吉増(剛造)さんから創作活動において大きな影響を受けているとのことで

                                                        80代の「現代詩人」の詩が若者世代に響く意味
                                                      • 和ジャズはなぜ世界的な注目を集める存在に? 須永辰緒、“日本のブルーノート”TBMの魅力を語る

                                                        近年、アメリカやヨーロッパ圏のリスナーから熱い視線を向けれている和ジャズの伝説的レーベル TBM(スリー・ブラインド・マイス)。DJ 須永辰緒が同レーベルから選曲/監修したコンピレーションアルバム『Rebirth of "TBM" The Japanese Deep Jazz Compiled by Tatsuo Sunaga』が発売中だ。 TBMは、1970年に設立され、鈴木 勲、日野元彦、中村照夫ら日本のジャズプレイヤーの作品を数多くリリースしたレーベル。長らくは一部のコアリスナーによって愛され続けてきたレーベルだったが、“和ジャズ”への関心の高まりと共に注目度を増している。 同作には、ビギナーからコアなジャズファンも楽しめるTBM楽曲を18曲コンパイル。タイトルに「The Japanese Deep Jazz」とある通り、レコードショップで宝物を発掘するような、新鮮な出会いとリスニン

                                                          和ジャズはなぜ世界的な注目を集める存在に? 須永辰緒、“日本のブルーノート”TBMの魅力を語る
                                                        • 日本幻野祭 - Wikipedia

                                                          日本幻野祭は、1971年8月14日から8月16日にかけて、日本の千葉県成田市天神峰で開催された野外音楽イベントである。 概要[編集] 三里塚芝山連合空港反対同盟の青年行動隊有志らが、「成田空港建設阻止の闘争に明け暮れ、みんな祭りを忘れている」「音楽によって解放されたい」として、第二次代執行を目前にした新東京国際空港(現・成田国際空港)建設予定地(天神峰現地闘争本部周辺)で開催した。ロックバンドや前衛劇団のステージが繰り広げられ、三里塚闘争と無縁の若者らが全国から集った[1]。 なお、クリスチャンである反対同盟委員長の戸村一作は「なぜ快楽主義に走るのか」と幻野祭の開催に反対し[2]、支援学生らも「地下壕でも掘っていた方がよっぽど反対闘争にとって有意義」と冷ややかだった[1]。一方、イベント開催準備の交流で青年行動隊はノンセクト・ラジカルと関係を深めたともいわれ[3]、後に発生した東峰十字路事

                                                          • 渋谷毅オーケストラ 「LIVE 1989」(1989) - telの日常三昧

                                                            渋オケはとても特異だ。個人の集合体な感じなのに、しっかり一体感がある。気まぐれ自由放題に見えて、しっかり渋谷毅のカラーが出ている。渋谷の作品を一曲も演奏しなくたって、っどっぷり渋オケのサウンドになる。 メンバーはじわじわ変更しているけれど、本質は変わらない。 渋オケは1986年10月に名古屋ヤマハジャズクラブが主催のイベント「高柳昌行の世界」がきっかけという。実際には当日、高柳が体調を崩して廣木光一が代役を務めた。このときはチューバ入りなど編成がいろいろ異なっていたらしい。もうすこし編成を整理して、翌月の11月に新宿ピットインでお披露目が今の渋オケという。 最初の渋オケはメンバー編成が分からない。古澤のWebでは87年に渋オケが始動とあり、メンバー編成は以下の記載あり。 松風紘一(reeds)林栄一(sax)臼庭潤(sax)峰厚介(sax)松本治(tb)石渡明廣(g)川端民生(b) 年月か

                                                            • ノイズミュージックはどこから来て,どこへ行くのか - 肝臓先生

                                                              ノイズミュージックに関心のある人々にとって,David Novak『ジャパノイズ サーキュレーション終焉の音楽』(以下,ジャパノイズ本と表記する)が出版されたことは記憶に新しいだろう。大友良英が音楽を担当したTVドラマ『あまちゃん』の大ヒットも重なり,世界中のアンダーグラウンドシーンを牽引し続けたノイズミュージックは,誕生から40年を経て再び脚光を浴びようとしている。 しかし,私はジャパノイズ本の存在を把握しているにも関わらず,読むには至っていない。なぜなら,ノイズミュージックはあらゆる事象に蔓延する権威主義的パーソナリティに対するアンチテーゼであり,民俗学,人類学,延いては学問全般から考察されるべきではないと感じるからである。つまり,学術領域(に潜む権威主義的理解)からノイズミュージックを考察することによって,ノイズミュージックの文脈にアイロニカルに回収されるという現象が起きると考えてい

                                                                ノイズミュージックはどこから来て,どこへ行くのか - 肝臓先生
                                                              • Interview | 大竹雅生(ミツメ)ギターでどこまでできるか、それを試したかったんです。 | ギター・マガジンWEB|Guitar magazine

                                                                Interview | 大竹雅生(ミツメ) ギターでどこまでできるか、それを試したかったんです。 2021-03-29 City Pop Rock “平熱のグルーヴ”で独自の音像を紡ぎ出すロック・バンド、ミツメがバンド6枚目となる最新作『VI』をリリースした。バンドのギタリスト大竹雅生は、自粛期間中に日本フリー・ジャズの巨匠=高柳昌行を聴き、初心にかえって基礎練に熱中。その結果どうなったか。“ギターをもっと使いたい”という気持ちが噴出し、多重録音による美しいギター・アンサンブルが新しいミツメの側面として花開いた。制作では大竹曰く、“メンバーとは言葉なくして進んだ”というが、その真意とは一体? 取材・文=辻昌志 写真=トヤマタクロウ 機材写真=本人提供 自粛期間はずっと基礎練の日々。 今作『VI』ですが「フィクション」など、ギターを何層も重ねた美しいアンサンブルが特に印象的でした。 テーマと

                                                                  Interview | 大竹雅生(ミツメ)ギターでどこまでできるか、それを試したかったんです。 | ギター・マガジンWEB|Guitar magazine
                                                                • 千川新(computer fight)インタビュー「成功神話みたいなのは好きじゃない」|小野島 大

                                                                  computer fightというバンドを初めて見たのは2023年1月。痛郎のヴォーカリストであり、日本のオルタナティヴ・ロックの最重要レーベルのひとつZKレコードのオーナーとして知られる井手宣裕(vo,b)がヤマジカズヒデ(g)、カンノ(ds)というメンバーと組んだ新バンドMOZUの2回目のライヴで、ハコは東京・高円寺HIGH、ゲストにWRENCH、そしてcomputer fightという3マン・ライヴだった。MOZUとWRENCH目当てでノコノコ出かけた私は、全く予備知識なく見たcomputer fightのライヴのあまりのかっこよさにやられてしまい、翌月のcomputer fight主催のライヴにも足を運び、その興奮のままに以下のような記事を書いた。 メンバーとは一面識もなく、もちろん誰かに頼まれたわけでもない。ただ、たまたま発見したかっこいいバンドのことをひとりでも多くの人に知って

                                                                    千川新(computer fight)インタビュー「成功神話みたいなのは好きじゃない」|小野島 大
                                                                  • 『高柳昌行とニューディレクション・ユニット / メルス・ニュー・ジャズ・フェスティバル '80』 - 心に残った音楽♪

                                                                    メールス・ジャズ・フェスティバルというのは、フリー系のジャズばかりをやっているドイツの音楽祭で有名(今は変わっちゃったらしい)。このレコードは、メールス・ジャズ・フェスティバルに高柳昌行ユニットが出演した時のライブ盤で、メンバーは高柳さん(g)、飯島晃(g)、森剣治(sax, flute, cla, bass-cla)、井野信義(cello)、山崎泰弘(perc)。4曲収録なんですが、ぜんぶやってることが違います。たいがいの音楽って、同じジャンルで違う曲をやるもんじゃないですか。しかし、そうじゃないところが、かなり色んなことを考えてたんだろうな~、という印象です。で、やってる事がめっちゃくちゃカッコいい!! 1曲目は、とにかく曲想が見事。パーカッションの音は綺麗だし、その上に重なるチェロの延々と続くバス音、それからギターで重なる鋭い和音。もうこれだけで独特の世界観、鳥肌立ちまくりです。普通

                                                                    • 【AIDA】魔術の時代から妖術の時代へ!!!!! 日常に溶け込む妖怪の処世術を学べ!!!!!【宇川直宏インタビュー全文掲載】 | 遊刊エディスト:松岡正剛、編集工学、イシス編集学校に関するニューメディア

                                                                      【AIDA】魔術の時代から妖術の時代へ!!!!! 日常に溶け込む妖怪の処世術を学べ!!!!!【宇川直宏インタビュー全文掲載】 Hyper-Editing Platform[AIDA]Season02「メディアと市場のAIDA」、第3講のステージはなんと渋谷パルコ9FのSUPER DOMMUNE!!!!! 2021年12月11日と12月12日の二日間、DOMMUNEの司祭・宇川直宏がビジネスの第一線で活躍する[AIDA]の座衆30名の一人ひとりの個人史クロニクルをグラフィカルに読み解き、かつインタビュー形式で個人と世界の「あいだ」に潜む「事件!!!!!」を白日のもとに晒す、15時間以上の番組が全世界に一挙生配信された。番組名はその名も「緊急!2日連続松岡正剛師匠登壇の白昼夢」だ。 松岡正剛座長を筆頭にAIDAボードの田中優子(江戸文化研究家)、武邑光裕(メディア美学者)、佐藤優(作家)も登壇

                                                                        【AIDA】魔術の時代から妖術の時代へ!!!!! 日常に溶け込む妖怪の処世術を学べ!!!!!【宇川直宏インタビュー全文掲載】 | 遊刊エディスト:松岡正剛、編集工学、イシス編集学校に関するニューメディア
                                                                      • ノイズ・ミュージックは最高 - Patchwork Dream

                                                                        ノイズに美的な価値を見出したのは、イタリア未来派のルイージ・ルッソロとされる。ルッソロは『騒音芸術』(『The Art of Noises』Futurist Manifesto、1913)の冒頭で「古代はまったく静寂だった。19世紀、機械の発明によって、ノイズが生まれた」と言い、産業革命は近代人に、より複雑な音への理解力を与えたことを指摘した。ルッソロはノイズを用いた表現と電子音楽の先駆者と考えられている。 bijutsutecho.com 爆笑した pic.twitter.com/djozlKXKov — すざっくん (@suZa9N) February 18, 2017 ノイズ・ミュージックはわかりやすく言うと、ロックやパンクのカッコいい部分の詰め合わせである。 というのは題名のない音楽会で大友良英が言ってた。音楽っていうより刺激。辛さが味覚ではなく刺激として受け取られるのと同じである

                                                                          ノイズ・ミュージックは最高 - Patchwork Dream
                                                                        • 音の見える風景 Chapter 52「井上敬三」

                                                                          photo&text by 望月由美 撮影:1983年夏、上野水上音楽堂にて ジャズは自転車に乗るのと同じで、こけても、こけても一度乗れるようになれば乗りこなせるのと同じで、ジャズも一度自分のものにすることが必要なんだ。 これはずっと以前、小山彰太(ds)さんが雑談の中で話してくれた言葉であるが、ある意味ジャズの神髄を語っているようでいつも頭の片隅にある。 ジャズをのりこなし懸命に漕ぎ続けたのが井上敬三(reeds)さんである。 井上敬三というと坂田明(reeds)のお師匠さんで高齢(53歳)でデビューした遅咲きの人というのが多くの方の印象だったと思う。 私も井上敬三のすべてを知っているわけではなくある一時期、SJ誌のコラムを担当しジャズのライヴにのめり込んだ頃から親しくさせていただいた。 井上敬三の音は楽器と体そして心がひとつになって噴き出してくる。 もの凄い速さでスタッカートを続けたか

                                                                            音の見える風景 Chapter 52「井上敬三」 
                                                                          • 『殿山泰司/JAMJAM日記 /白川書院/1977年初版・帯付・カバー付・絶版』

                                                                            1970年代の日本のフリージャズの動向を知りたければ、殿山泰司の本を読む事をお勧めします。特に本作を読むと登場するジャズミュージシャン、高柳昌行、吉沢元治らの音に対する想像が膨らみ、CDやレコードを買いたくなります。まさに天衣無縫な文章でジャズとミステリに溺れる日々を活写する名エッセイです。最後に単行本初版の著者あとがきの一部を抜粋します。 「JAMは、あの食べるジャムと同じでありますが、ジャズに関係した言葉でもあり、雑踏、混雑、ぎゅう詰め、という意味もありますので、ボクといたしましてはこの日記に、何もかもJAMJAMのぎゅうぎゅう詰めにして、と意図したのですが、それが成功したかどうかは自分ではわかりません。不思議なことですが自分のことは自分ではよくワカラナイものですね。」殿山泰司

                                                                              『殿山泰司/JAMJAM日記 /白川書院/1977年初版・帯付・カバー付・絶版』
                                                                            • Reflection of Music Vol. 67 齋藤徹

                                                                              齋藤徹 @東京・目黒「スタジオ ES」2003 Testu Saitoh @”Studio Es” Meguro-ku, Tokyo, April 15, 2003 齋藤徹&バール・フィリップス @ 横濱インプロ音楽祭 2005 Tetsu Saitoh & Barre Phillips @Yokohama Impro Musica, October 10, 2005 Photo & text by Kazue Yokoi 横井一江 ふと思い立って『Barre Phillips / End to End』(ECM)を聴き始めた。バール・フィリップス自身がジャーナル・ヴィオローネ最終章、最後のソロ・アルバムという作品である。ベース特有の倍音の響きに身を委ねているうちにそれがレクイエムに聞こえてきた。齋藤徹が他界したということを人づてに知った数日後のことである。私はFacebookにはあまりア

                                                                                Reflection of Music Vol. 67 齋藤徹
                                                                              • 『昭和ジャズ論集成』――令和のオーネット・コールマン|じんぶん堂

                                                                                記事:平凡社 毎年やっている気の置けない仲間が集まる忘年会で、ある大学で教鞭をとっている友人が、学生にレポートを書かせると、昭和のことに言及するときに、最近は「昭和時代には……」と書くんだと嘆息をもらした。令和元年の暮れのことだ。「で、どうするの?」と聞くと、「はじめは、『昭和時代』の『時代』には、赤で取り消し線を入れてたが、切りがないのでもうやめた」、と。 昭和時代。うすうす、いつかはこういう表現が登場するとは思っていたが、さすがに平成が終わってすぐに登場すると、不意を突かれたような感じだ。大雑把には、昭和に学生時代、平成にサラリーマン時代というライフステージを経てきた人間にとっては、自分の人生が、「生きられた時間」ではなく、もうすぐ記録された「過去」になっていくことに気づかされる瞬間だ。 なぜ、ジャズはアメリカ音楽なのに「昭和」なのか? 本書は、『昭和ジャズ論集成』というタイトル。ジャ

                                                                                  『昭和ジャズ論集成』――令和のオーネット・コールマン|じんぶん堂
                                                                                • 高柳昌行とニュー・ディレクションズ: Independence (1969) 音と沈黙が造る音響的な美 - K’s Jazz Days

                                                                                  本日届いたLPレコード。届いてから、表裏を2回聴いてしまった。よい。 高柳昌行は、1980年頃にトリオ・レコードから出たインスピレーション&パワーの再発盤ではじめて聴いた。ほんの数十秒でノイズのようにしか感じず、最近まで聴く対象としてこなかった。 その頃に新譜としてTBMから出たCool jojoが何となく気になっていて、つい最近聴いてみた。そのキレがよいギターに惹き込まれ、彼の多様な取り組みをようやく知った。 このアルバムは、高柳昌行, 吉沢元治, 豊住芳三郎のトリオ(佐藤敏夫の時間指揮って何だろう?)。魅力的な奏者達が空間を丁寧に構築してくような音が連なる。一音一音考えられ、打ち込まれたような音の連鎖。だから、音と音の間には思惟のような沈黙を感じることができ、音と沈黙が音響的な美を造り出している。 それにしても、彼のアコウスティック・ギターは美しい。特に3.での吉沢元治のチェロとの、弦

                                                                                    高柳昌行とニュー・ディレクションズ: Independence (1969) 音と沈黙が造る音響的な美 - K’s Jazz Days