大塩平八郎の乱と飛田墓大塩平八郎の乱。学校の日本史の授業でも、必ず習うといって良い日本史のターニングポイントの事件です。大阪の与力だった大塩平八郎が庶民の困窮をうれいて幕府に対し謀反を…というぼんやりとした概要は知っているでしょう。 が、大塩本人の顛末はどうだったのか…そこまで知っている人はかなり少なくなります。 実は大塩、乱が失敗した後、40日ほど各地を逃亡、最後は隠れ家を追っ手に囲まれ、もはやこれまでと持っていた火薬に火を放って壮絶な爆死。まるで某戦国時代の武将のような最期でした。 その屍は当然バラバラになったものの、執念の縫合により乱に参加した同志とともに磔になったそうです。 九州は松浦藩の藩主、松浦静山が大塩平八郎の乱に興味を持ち、早馬で仕入れた情報をもとにして作った「甲子夜話」という詳細な記録があります。上の写真はその中に書かれた、鳶田での大塩平八郎以下の磔の図で、赤丸が大塩です