今回は、日本陸軍の軍人、山沢静吾中将の話題からです。 山沢中将は江戸時代・弘化2年生まれの元薩摩藩士で、 戊辰戦争にも参戦し、1869年に御親兵として上京。 一度牧畜研究のためにアメリカに派遣されたのち、 1874年(明治7年)の帰国後は陸軍中佐に任官し、 陸軍生徒取締などとして今度はフランスに派遣されます。 そして1877年(明治10年)には、 観戦武官としてロシアに派遣されるのですが、 そこで山沢中将は、当時オスマン帝国領であった、 ブルガリアのプレヴェン包囲戦に自ら進んで参加。 ロシアの兵士たちを率いて戦う事になります。 戦闘時に山沢中将が通訳を介して兵士たちに伝えた、 以下の言葉が今に伝えられています。 「私はロシア語もブルガリア語も話せない。 諸君も日本語が分からないから、戦闘中命令はしない。 私の行動を見て同じ事をしてほしい。 要件はただ1つ。稲妻のように素早く動くんだ。 銃弾