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2歴史に関するエントリは19件あります。 歴史大阪 などが関連タグです。 人気エントリには 『【住吉大社 正印殿跡(2)】歴史的な史跡に残された古い信仰のこん跡!?【結の神社。陽石と陰石】 - ものづくりとことだまの国』などがあります。
  • 【住吉大社 正印殿跡(2)】歴史的な史跡に残された古い信仰のこん跡!?【結の神社。陽石と陰石】 - ものづくりとことだまの国

    住吉大社の歴代神主であった #津守氏 居館があったところ。今は史跡保存されている住吉行宮跡・正印殿跡(二回目)。域内には小祠がいくつか。そのうち #結の神社 のそばに #陽石(石棒)と #陰石(丸石)。#アラハバキ信仰 目次 住吉さんの南。古代「住吉の津」の名残り 津守氏について 古いアラハバキ信仰のこん跡!? 陽石と陰石 本文 住吉さんの南。古代「住吉の津」の名残り 前回。 www.zero-position.com 住吉大社の歴代神主家・津守(つもり)氏の居館(神主館)に隣接して創建されたのが正印殿で、 江戸期の摂州住吉宮地全図には、現在でも残る大社の南を東から西に流れる疎水(名称不詳)の右側(南)に描かれています。 摂州住吉宮地全図(江戸期)、住吉大社の南に描かれた正印殿。隣接して神主館。 現在でも残る大社の南を東から西に流れる疎水(名称不詳) ちなみにこの水の流れは、すぐ近くの浅澤

      【住吉大社 正印殿跡(2)】歴史的な史跡に残された古い信仰のこん跡!?【結の神社。陽石と陰石】 - ものづくりとことだまの国
    • 日本古代製鉄の謎(2)歴史秘話ヒストリア『ニッポン鉄物語 “奇跡の金属”が列島を変えた』を見て【番組批評・リライト】 - ものづくりとことだまの国

      *視聴して、同じ意見や印象を持たれた方が多かった(SNS(FB))ようですので、少しリライト(追記)しました。第三版になります(2020年2月18日。初稿2月15日)今後の視聴の参考になさってください。 NHKが相次いで古代の鉄をテーマにした番組を流している(NHKスペシャル・アイアンロードなど)。 先日は歴史秘話ヒストリアを見た(2月12日放送分『ニッポン鉄物語 “奇跡の金属”が列島を変えた』) 本記事は、その歴史秘話ヒストリアを見ての感想です。 ***** ヒストリアでは、あたかも弥生時代の鉄器到来が『ものづくり日本』をスタートさせたかのように命名し、編集されていたが、まずその前提が間違っている。 『ものづくり日本』は鉄器到来とは関係なく、はるか以前の縄文時代にすでに始まっている 当ブログ「ヒスイの古代史」をご覧いただいた方ならピンとくると思うが、熟練と伝承が必要で、精密なヒスイのもの

        日本古代製鉄の謎(2)歴史秘話ヒストリア『ニッポン鉄物語 “奇跡の金属”が列島を変えた』を見て【番組批評・リライト】 - ものづくりとことだまの国
      • 漢陽寺(2)歴史的建造物と伝説を巡る(山口県周南市鹿野上) - 何でも見てやろう!瀬戸内海の小さな旅!

        臨済宗・鹿苑山漢陽寺(1374年創建)。漢陽寺参道の正面には歴史的な山門が聳え、参道の左には伝説の鏡池、右には桃山時代様式の「曹源一滴の庭(そうげんいってきのにわ)」。歴史的建造物と伝説の名刹が、私達をあたたかく迎えてくれました。【他の写真】 鏡池。伝説の池には鯉が沢山泳いでいて、心が癒されました。【伝説】漢陽寺の開山(最初の住職)・用堂明機禅師(ようどうみんきぜんじ)が中国で修業後、1346年、帰国する船が大嵐に遭遇し難破しそうになりました。その時、観音様から「大切な2品を天空に放て。さすれば難を逃れる。いずれ、その2品が落下せし地に寺を建てることになる」とお告げがあり、出国のとき母から頂いたお守りの「八葉の鏡」と帰国前に恩師から頂戴した「カヤの木の実の念珠」を、お告げ通り、空高く投げました。すると海は鎮まり無事帰国できました。それから30年後、大内の殿様が祈願所を建立するため用堂明機禅

          漢陽寺(2)歴史的建造物と伝説を巡る(山口県周南市鹿野上) - 何でも見てやろう!瀬戸内海の小さな旅!
        • 未来への挑戦: 光栄のスーパー三国志2 #歴史シミュレーション - あきののんびりゲームブログ

          190年編 光栄三国志2は中国古代の三国時代を舞台にした歴史シミュレーションゲームでプレイヤーは知略と戦略で天下統一を目指します。 しかしこの目標は容易ではありません。 多岐にわたる戦略選択キャラクターの能力そして偶発的な出来事がプレイの毎回ごとに新たな挑戦を生み出します。 光栄のスーパー三国志2は1991年9月15日に光栄から発売されたスーパーファミコン用歴史シミュレーションゲームです。 劉備軍で統一を目指し1年単位でプレイしていきます。 のんびりプレイなので不定期アップになりますがよろしくお願いしますm(__)m 三国志好きですがシミュレーションゲームあまり得意ではないので温かい目で見てください笑 今回は190年編です。 それではどうぞ(^_^)/ www.youtube.com 前回の様子はこちらから↓↓↓ www.youtube.com おすすめ動画はこちらから↓↓↓ www.yo

            未来への挑戦: 光栄のスーパー三国志2 #歴史シミュレーション - あきののんびりゲームブログ
          • 知略と戦略の舞台: 光栄三国志2 #歴史シミュレーション - あきののんびりゲームブログ

            203年前編 光栄三国志2は中国古代の三国時代を舞台にした歴史シミュレーションゲームでプレイヤーは知略と戦略で天下統一を目指します。 しかしこの目標は容易ではありません。 多岐にわたる戦略選択キャラクターの能力そして偶発的な出来事がプレイの毎回ごとに新たな挑戦を生み出します。 光栄のスーパー三国志2は1991年9月15日に光栄から発売されたスーパーファミコン用歴史シミュレーションゲームです。 シナリオ3「劉備の雌伏」の劉璋軍で統一を目指し半年単位でプレイしていきます。 今回は三国志のゲームに少し慣れてきたので人材登用禁止縛りで挑戦します。 在野と捕虜の登用はありです。 のんびりプレイなので不定期アップになりますがよろしくお願いしますm(__)m 三国志好きですがシミュレーションゲームあまり得意ではないので温かい目で見てください笑 今回は203年前編です。 司馬懿と劉度に謀反をけしかけます(

              知略と戦略の舞台: 光栄三国志2 #歴史シミュレーション - あきののんびりゲームブログ
            • <天下分け目の関ヶ原5>いざ、決戦の地 関ケ原探訪(2/2) - 歴史ぶらり1人旅

              こんにちは~、rekikakkunです。 関ケ原シリーズも5回目となりました。 前回は関ヶ原盆地の史跡、 ①笹尾山の石田三成陣跡と ②島津義弘陣跡を探訪しました。 今回は前回の続きで ③北天満山の小西行長陣跡 ④南天満山の宇喜多秀家陣跡 ⑤岡山烽火場の黒田長政陣跡 ⑥桃配山の徳川家康陣跡(最初の陣) ⑦関ケ原古戦場記念館(家康最後の陣付近) を写真中心に、ご紹介致します。 上記の番号で地図を載せます。 ~③小西行長軍、北天満山~ 分岐点の案内より小西行長陣跡方向を見る この道進むと右手が小西行長陣跡になります 小西行長陣跡入口 手前の川がちょっと気になる梨木川 ちょっとした公園風、入っていきます 小西行長陣跡の碑 小西行長陣跡 説明板 小西行長陣跡から笹尾山を見る 手前の田んぼの所には、どの軍が居たのかな? ~④宇喜多秀家陣跡、南天満山~ 小西行長陣跡から南へ下り、 宇喜多秀家陣跡に向かい

                <天下分け目の関ヶ原5>いざ、決戦の地 関ケ原探訪(2/2) - 歴史ぶらり1人旅
              • 東海道 街道を歩く その2 歴史を訪ねる シニアの健康ウォーキング 品川→梅屋敷 シニアライフハック

                東海道 その2 品川→梅屋敷 東海道その2は、品川→梅屋敷を歩きます。 距離は13,9Km、所要時間は3:40時間 16,595歩、消費カロリー789kcal ※画像はクリックすると拡大でご覧いただけます。 ※スマホでも読みやすいように、改行が多くなっております。PCでは少々見づらくなっていることをご了承願います。 品川宿 日之出 品川→青物横丁 今回は品川宿から。最寄り駅は京浜急行の北品川駅。街道歩きは前回終了地点から歩くルールなので、JR品川駅からスタートとなります。 まずは朝食、品川は以前の勤務場所なので庭みたいなもの。二日酔いの朝、何度も助けて頂いた駅構内にある手延べうどん「水山」さんへ。 出汁がおいしくて疲れた胃にしみわたり、アルコールを緩和してくれるありがたいうどんです。 10:00まで限定の、朝うどんメニューから「かけうどん」にトッピングで揚げ玉を注文。 今日は二日酔いではあ

                  東海道 街道を歩く その2 歴史を訪ねる シニアの健康ウォーキング 品川→梅屋敷 シニアライフハック
                • <小田原北条氏の防衛戦(その14)>豊臣北方軍による北関東拠点の攻略(唐沢山城 1/2) - 歴史ぶらり1人旅

                  こんにちわ、rekikakkunです。 現在、小田原北条氏の防衛戦を綴っています。 今回14回目、まだ終わりませんφ(* ̄0 ̄) 豊臣主力軍は箱根を越え、小田原城を 包囲しました。 前田利家を主将とした豊臣北方軍は、 碓氷峠を越え、まず北関東の諸城を 攻略していきます。 前回、下の北関東のマップで①上田城から ⑦金山城までさらっとご紹介しました。 今回は、北関東最後の拠点として、 ⑧唐沢山城を探訪いたします。 (マップの番号を押すと案内が出てきます) 13.唐沢山城(続日本100名城) 1)唐沢山城の立地 唐沢山城は現在の栃木県佐野市にあります。 ここは栃木県の南部、関東平野の東端の要衝です。 そしてみなさんご存じ、佐野ラーメン屋さんが 沢山あります。こちらも重要拠点ですね(⌒∇⌒) 下の北条領全体探訪マップでは、⑥が唐沢山城です。 こう見ると、まだ関東平野の端ですね~。 唐沢山城から見た

                    <小田原北条氏の防衛戦(その14)>豊臣北方軍による北関東拠点の攻略(唐沢山城 1/2) - 歴史ぶらり1人旅
                  • <天下分け目の関ヶ原6>壮絶! 島津の退き口を追う(1/2) - 歴史ぶらり1人旅

                    こんにちは、rekikakkunです。 関ケ原シリーズ最後を飾るのは、 やはり、島津の退き口ですよね~。 いつか探訪したいと思っていたところ、 このはてなブログで、私が読者として登録 させていただいてる記事に、 桐野作人さん著の「関ケ原島津退き口」 の著書がご紹介されておりました。 (加筆版ですが、2022年10月の初版です) 早速購入して読んでみたところ、読み応え充分。😊 多くの興味深い情報を得ることが出来、 かつとても面白かったです。 ご紹介ありがとうございました。m(__)m 今回、この本を参考にしながら行ける所まで、 島津軍退き口の史跡をおおよその時系列で 追ってみたいと思います。 今回投稿場所の地図です。 ①島津義弘の関ケ原布陣(薩摩池) ②関ケ原合戦開始(開戦地) ③島津軍突破開始(島津陣所跡) ④家康本陣を迂回(徳川家康最後の陣跡) ⑤伊勢街道に入る(地図上でプールを代替借

                      <天下分け目の関ヶ原6>壮絶! 島津の退き口を追う(1/2) - 歴史ぶらり1人旅
                    • <小田原北条氏の防衛戦(その15)>豊臣北方軍による北関東拠点の攻略(唐沢山城 2/2) - 歴史ぶらり1人旅

                      こんにちわ、rekikakkunです。 現在、小田原北条氏の防衛戦を綴っています。 今回は唐沢山城の2回目(後半)です。 唐沢山城 縄張図 13.唐沢山城(続日本100名城) 4)唐沢山城探訪 前回は本丸から南へ山道を下って、 下の写真の土橋跡へ行きました。 ~土橋と堀~ 本丸から南へ下った所の土橋 土橋から堀跡へ戻ります。 堀跡1 堀跡2 新めて、堀と土塁の遺構が凄いです。 (上の縄張図ですと、一番下の「クランク状の堀切」 です) あ?堀じゃなくて堀切か~。 縄張図をしっかり見ると、確かに尾根を切ってますね。 土橋行くのに道迷ってたので、ここはあまり確認しておらず、 次機会ありましたら、この周辺をしっかり見たいですね~。 さて本丸に戻ります。 土橋から本丸へ戻る ~高石垣~ 土橋まで行くために、前編ではほぼ素通りでしたが、 帰りは唐沢山城一番の見所、本丸の高石垣を じっくり撮っていきます

                        <小田原北条氏の防衛戦(その15)>豊臣北方軍による北関東拠点の攻略(唐沢山城 2/2) - 歴史ぶらり1人旅
                      • 【2】歴史的現実から遊離した「推論」 - 加藤直樹|論座アーカイブ

                        関東大震災における朝鮮人虐殺否定論を主張するラムザイヤー教授の7つの問題点を1つずつ検証していこう。 その1「震災前も朝鮮人は犯罪をしていたから震災時もしたに違いない」という「推論」 さて、ラムザイヤーがこの論文で朝鮮人虐殺に関連して展開している議論は、次の2つである。 一つは、震災下の朝鮮人の重大犯罪やテロは、流言が伝えるほどの規模ではなくても実際にあったのであり、自警団の虐殺はこれに対する「報復殺人」であった――という主張であり、もう一つは、人口に関わる各種の数字を参考にすることで虐殺された朝鮮人の数を割り出そうとする試みである。 まずは前者、朝鮮人の重大犯罪やテロは実際にあった――という主張から検討したい。念のために、虐殺事件についてのごく常識的な説明を掲げておこう。 「関東大震災による極度の混乱の中で、この機会に乗じて朝鮮人が立ち上がり暴動を起こしたというデマがどこからともなく広が

                          【2】歴史的現実から遊離した「推論」 - 加藤直樹|論座アーカイブ
                        • <小田原北条氏の防衛戦(その11)>いよいよ 豊臣軍による小田原城包囲(2/2) - 歴史ぶらり1人旅

                          こんにちわ。rekikakkunです。 小田原北条氏の防衛戦を綴っていまして、 前回は、下記の9.4).⑦まで進んでいます。 9.小田原城の包囲 1)小田原城包囲までの流れ 2)小田原城包囲戦 布陣図 3)小田原城包囲戦の陣地探訪分類 4)小田原城包囲戦 陣地探訪 (★1)東海道方面 ①豊臣秀吉本陣 ②石垣山城 ③堀秀政陣所 ④富士山砦 ⑤小田原城 三の丸外郭新堀土塁 (★2)尾根筋、大堀切ルート ⑥水之尾口櫓台 ⑦水之尾櫓台の尾根筋と織田信包軍布陣 今回、4)小田原城包囲戦陣地探訪の 続きで⑧からとなります。 下の布陣図の〇番号と、記事の番号を同じにしてます。 小田原城包囲戦 布陣図(色別標高図) ⑧山内一豊、⑨羽柴秀次陣所 では、⑧、⑨を探していきます。 まず起点は小田原城の西端、水之尾口櫓台です。 (上の布陣図では⑥の所です。) ⑥水之尾口櫓台 上の写真水之尾口櫓台から西側の尾根筋を

                            <小田原北条氏の防衛戦(その11)>いよいよ 豊臣軍による小田原城包囲(2/2) - 歴史ぶらり1人旅
                          • 日光街道 街道を歩く その2 歴史を訪ねる シニアの健康ウォーキング 南千住→竹の塚 シニアライフハック

                            日光街道 その2 南千住→千住宿→竹の塚 日光街道その2は、南千住→千住宿→竹の塚を歩きます。 距離は16,5Km、所要時間は4:50時間 22,357歩、消費カロリー1211kcal ※画像はクリックすると拡大でご覧いただけます。 ※スマホでも読みやすいように、改行が多くなっております。PCでは少々見づらくなっていることをご了承願います。 南千住→千住宿 日光街道2回目は「JR南千住駅」からのスタート、駅前には矢立の句を詠む「芭蕉像」。1689年3月27日、ここ千住の地から奥の細道の旅へと出立したとの案内があります。 「行く春や 鳥啼き魚の 目は泪」是を矢立の初として・・・なかなか風流なスタートとなりました。 駅前の道を日光街道に向かって進みます。この通り、標識にはコツ通りと書かれています。カタカナの通り名は珍しいと思っていたのですが、小塚原のコツから来ているそうで山谷通りとも呼ばれてい

                              日光街道 街道を歩く その2 歴史を訪ねる シニアの健康ウォーキング 南千住→竹の塚 シニアライフハック
                            • <小田原北条氏の防衛戦(その18)>誰が城主なのか分からないのに凄い城 杉山城(2/2) - 歴史ぶらり1人旅

                              こんにちわ、rekikakkunです。 前回の続きで、杉山城をご紹介致します。 15.杉山城(国指定史跡、続日本百名城) 4)杉山城探訪 前回の投稿時、杉山城を大手口から順に探訪し、 凄いな~と感動しながらも、パシャパシャと 普通に撮影していました。 しかし杉山城の魅力をまだ把握できていない 感じがして、5日後の埼玉探訪最終日に 再訪しました。 その時、堀底と土塁上を歩いてみることに、 ふと気が付きました。 (それが出来るという事に///) 2度目なので最低限の全体像が分かってて、 心に余裕が出来たからだと思います。 そこで2箇所ほど、堀底と土塁をピックアップ して投稿してみます。 キーワードは3方向。。。😆 ~馬出し郭付近から堀底を歩く~ 馬出し郭付近からの堀底歩行ルート (赤線の方向に歩きます) 下図右下の堀1から、馬出し郭と外郭の間の堀底を歩きます。 ただし、ここは地獄の進入路だっ

                                <小田原北条氏の防衛戦(その18)>誰が城主なのか分からないのに凄い城 杉山城(2/2) - 歴史ぶらり1人旅
                              • <小田原北条氏の防衛戦(その7)> いよいよ開戦、壮絶!山中城攻防戦と箱根守備網の崩壊(2) - 歴史ぶらり1人旅

                                こんにちは。rekikakkunです。 あけましておめでとうございます。 今年もよろしくお願いいたします。 前回は山中城を探訪して、岱崎出丸、三の丸、 西櫓をご紹介致しました。 今回もその続きになります。 5.山中城攻防戦 1)山中城 縄張図 2)攻城戦の概要 3)山中城アクセス 4)山中城探訪 ①岱崎出丸 ②三の丸 ③西櫓 ④畝三昧 ⑤西の丸 ⇐ 今回はここからです。 山中城の西側は、西櫓を越えると西の丸になります。 西櫓は西の丸虎口の馬出しの役割として説明されてます。 西櫓と西の丸 角馬出の説明板 ただし西櫓は捨曲輪みたいな扱いで、木橋も無く、 西の丸への直接射撃を遠くする為のスペース として使ったのかも、という記事も見ました。 西櫓へ攻撃する敵に対し、西の丸はサポート し難そうなので、なるほどな~と思います。 (西櫓、西の丸は下の縄張図の右上です) 山中城 縄張図 西の丸全景 (奥に

                                  <小田原北条氏の防衛戦(その7)> いよいよ開戦、壮絶!山中城攻防戦と箱根守備網の崩壊(2) - 歴史ぶらり1人旅
                                • <お城へぶらり3>奥三河 山家三方衆 戦国生き残りへ苦闘 作手亀山城と古宮城(2) - 歴史ぶらり1人旅

                                  こんにちは、rekikakkunです。 先のブログの話を続けますね。 元亀3年(1572年)10月3日 武田信玄は生涯最後の決戦となる 西上作戦を開始し、甲府を出陣。 その少し前の9月29日、 別動隊の山県昌景は三河の北東部に侵攻し、 かねてより徳川から武田方に寝返った ・作手亀山城の奥平氏 ・長篠城の菅沼氏 ・田峰城の菅沼氏(一族の総領) 通称山家三方衆(やまがさんぽうしゅう)を 自軍に加えました。 前回のブログ地図を再掲載します。 地図上の番号は、①作手亀山城、②長篠城、③田峰城 今回は山家三方衆の一人、 奥平氏が当時本拠としていた 作手亀山城とそのすぐ近くの古宮城を 探訪したいと思います。 上の地図の①です。 最寄りは新東名の新城IC。 思いっきり長篠合戦のところで、 見所いっぱいの所です。 奥平氏というと天正3年(1575年)の 長篠の合戦で武田勝頼軍の猛攻をしのぎ、 武勲を建てた

                                    <お城へぶらり3>奥三河 山家三方衆 戦国生き残りへ苦闘 作手亀山城と古宮城(2) - 歴史ぶらり1人旅
                                  • <小田原北条氏の防衛戦(その17)>築城者が謎なのに凄い城 杉山城(1/2) - 歴史ぶらり1人旅

                                    こんにちわ、rekikakkunです。 現在、小田原北条氏の防衛戦を綴っています。 ・・・がもう17回目、 タイトルもなんかアバウトになってます。😂 しかしながら、今回の杉山城は是非とも 行きたかった所でして、気合入ってます。ψ(`∇´)ψ 15.杉山城(国指定史跡、続日本百名城) 1)杉山城の立地 杉山城は、下のグーグルマップで⑧の所、 比企郡嵐山町(ひきぐんらんざんまち)にあります。 前回の武蔵松山城からも近いです。 2)杉山城の歴史 杉山城は特に城好きではない方は、 聞いたことも無いかもしれません。 私は数年前にyou tubeで知りました。 というのも、今まで私が触れてきました 歴史書物等には全く出てこなかったです。 何故なら!、 この杉山城は、築城者、城主、築城年代が 文献等に残ってなくて、はっきりと分かって いないそうです。 つまりは城の攻防戦の記録、歴史が全く無い という事

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                                    • 結崎環濠散歩(2)歴史ある古社と惣村の町並み - 大和徒然草子

                                      皆さんこんにちは 奈良盆地の中央にある奈良県川西町。 その町役場を中心に広がる結崎地区は、井戸、辻、中村と3つの環濠集落が約500m四方のエリアに集中するエリアです。 3つの集落は一口に環濠集落と言っても、そのルーツは違っており、井戸と辻は中世武家の居館を取り囲んだ環濠が集落化したのに対し、中村は特定の武家居館を中心としたものではなく、惣村が自衛・もしくは治水対策のため周囲を環濠で取り囲んだものとされます。 井戸と辻の環濠については、下記記事でご紹介しました。 今回は結崎地域の鎮守であった糸井神社と、市場、中村両集落を紹介します。 糸井神社~市場 中村環濠 参考文献 糸井神社~市場 結崎南西部、江戸時代まで大和川水運が活発だった寺川の土手に最も近い集落が、市場になります。 糸井神社~市場概略図(国土地理院HPより作成) 市場の名は、糸井神社の祭礼のときに市が立っていたことに由来するのではな

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                                      • <小田原北条氏の防衛戦(その22)> 北関東最後の防衛拠点 鉢形城(1/2) - 歴史ぶらり1人旅

                                        こんにちは、rekikakkunです。 天正18年(1590年)3月29日の山中城の戦い から始まった、豊臣vs後北条氏の小田原防衛戦も、 6月に入り、いよいよ終盤戦となりました。 下の小田原防衛戦2のマップで見ますと、 ①から⑩までの城が豊臣軍に奪われ、 ⑪忍城は籠城中です。 開戦当初、豊臣秀吉本軍を迎え撃った①山中城と、 前田利家達北方軍を迎え撃った⑤松井田城での 攻防戦は激戦となりましたが、その後一部を除き、 主力を小田原城に参陣させていた北条氏の支城は 豊臣軍により、比較的安易に落城していきました。 そして4月、5月が過ぎて6月に入りますと、 いよいよ⑫鉢形城等、北条本家が直接籠城防衛 している主要防衛拠点中心の激戦必須の攻防戦 となり、最終局面に向かいます。 簡単にまとめますと下記になります。 6/14 ⑫鉢形城  北条氏邦本人(氏康五男) ⇒1カ月籠城後、降伏開城 6/23 ⑬

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