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演劇に関するquasimoto_sanのブックマーク (4)

  • 遠藤麻衣 公演「ボクは神の子を妊娠した。」[ 12/23 (wed) – 12/27 (sun) ] | TAV GALLERY

    舞台俳優、美術家として活動するアーティスト・遠藤麻衣の公演「ボクは神の子を妊娠した。」を12月23日(水・祝)から27日(日)まで開催します。 舞台俳優としての遠藤麻衣は、岸井大輔による「ふるまいのアーキビスツ」(2014年)や「始末をかく」(2014年~)、西尾佳織 演出の朗読劇「8 -エイト-」(第24回 東京国際レズビアン&ゲイ映画祭)および「透明な隣人 ~ 8 -エイト- によせて」(フェスティバル/トーキョー14)に出演するなど、幅広い演技を見せています。 それと同時に、渡辺美帆子との演劇ユニット〈二十二会〉として、「これが100である」(HAGISO、2013年)や、「目に殴られた」(22:00画廊、2014年)など、オルタナティブ・スペースにおいて、演出家と俳優、あるいは鑑賞者との関係について問うような演劇作品の発表を行っています。 近年、美術家としての制作でも注目を集めてお

    遠藤麻衣 公演「ボクは神の子を妊娠した。」[ 12/23 (wed) – 12/27 (sun) ] | TAV GALLERY
    quasimoto_san
    quasimoto_san 2015/12/20
    “~「他者」を受け容れる理想的な媒質であるとして〈初音ミク〉を〈聖母マリア〉と重ね合わせました。”
  • ライブビューイングの先駆は日本?映画館の可能性|シネマトゥデイ

    ゲキ×シネ第1弾古田新太出演 「アカドクロ」【2004秋】 - (C) 2004 ヴィレッヂ・劇団☆新感線 昨今、急速に広がっている「ライブビューイング」と呼ばれる映画館での演劇、コンサートの上映。そのきっかけは何だったのか? 今後の可能性と共に検証した。 ゲキ×シネ「髑髏城の七人」写真ギャラリー 日でライブビューイングが始まったのは、2003年頃。「劇団☆新感線」を有するヴィレッヂがティ・ジョイと共に、2003年にプロジェクトを始動させ、「ゲキ×シネ」第1弾「髑髏城の七人~アカドクロ」を2004年に公開。時を同じくしてプロジェクトをスタートさせた松竹も、培ってきた映画と歌舞伎のノウハウを生かし、2005年に「シネマ歌舞伎」第1弾「野田版 鼠小僧」を公開した。 ADVERTISEMENT また、海外でいち早くライブビューイングを取り入れたのは、ニューヨークにある名門オペラハウス「メトロポ

    ライブビューイングの先駆は日本?映画館の可能性|シネマトゥデイ
  • 演劇から、「時代の裂け目」が見えてくる/演出家・蜷川幸雄氏インタビュー - SYNODOS

    主張するということ、何かをつくるということは、時代や社会と斬り結ぶことでもある。表現と権力は常に複雑に絡み合う。60年に届こうかという演劇のキャリアを持ちながら、古川日出男、前川知大らの戯曲や、カズオ・イシグロの舞台化、ライフワークとも言えるシェイクスピア劇の上演など、挑戦の姿勢を崩さない演出家・蜷川幸雄氏に、「演劇と力」をめぐって話を聞いた。(聞き手・構成/島﨑今日子) ―― 蜷川さんのお育ちになった環境には、ずっと芝居があります。子どもの頃から歌舞伎や文楽をご覧になっていて、高校では新劇。なのにまっすぐ演劇に進まれたわけではなくて、まずは絵をやろうと東京藝術大学を受験されて。 落ちました。 ―― 絵は、一浪してでも二浪してでも進みたい道ではなかったのでしょうか。 なかったですね。開成高校の時代から、友人たちと一緒に新劇はよく見てたんですね。演劇がおもしろくって。藝大を受けたのは、高校一

    演劇から、「時代の裂け目」が見えてくる/演出家・蜷川幸雄氏インタビュー - SYNODOS
  • 映像圏の射程――渡邉大輔『イメージの進行形』から東京デスロック『東京ノート』へ【評者:海老原豊】 - 限界研blog

    ●映像圏の射程 渡邉大輔が『イメージの進行形』で提示した概念・映像圏は、情報環境の変化によってイメージが社会に氾濫した状態をさす。主たる分析は映画である。それまで比喩的にも字義的にも固定されていた観客、監督(作者)という役割、それらを直線的に媒介すると考えられていた物語=映画が、イメージの例外状態によって輪郭を失い、絶えず自己参照しつつ増殖していく。作品はそれだけでは完結できず、観客の身体をコミュニケーションをフックにして作品の一部として取り込み、再提示する。それまで不・可視化されていた観客の身体は、過・可視化される。例えばYouTubeやニコニコ動画にあふれる「踊ってみた」動画といった形で。 渡邉は、現代の映像文化、映像的なものの全社会的な浸潤を共時的に切り取って提示しているが、それと同時に映画歴史をひもときながら通時的な視点も取り入れている。なかでも興味深いのが、初期映画時代の映画

    映像圏の射程――渡邉大輔『イメージの進行形』から東京デスロック『東京ノート』へ【評者:海老原豊】 - 限界研blog
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