Metamemory - 全曲解説 芸術としての音楽は歴史、技術、情報といった人類の資産的記憶を、個人の聴覚体験の記憶として扱う困難性を伴います。本作ではメタ記憶としての音楽をテーマにしており、音楽の伝統的な様式や技法、思想をメタ的なアルゴリズムとして捉え直し、積極的に生成規則として引用し様々な方法論で組み合わせながらプログラミングを通じて再構成することで、伝統的な音楽の歴史とは全く別の音楽体験を作り出すことに取り組んでいます。 http://plumus.tokyomax.jp/release/mus-012 [MUS-012] Metamemory Track List 1.BAKUSHUKU 2.Complexity 3.Hymn 4.Linearlity 5.Thanatos 6.Skeleton 7.Ramification Credit Label ... +MUS (http
最近、各所で話題になっているFKA Twigs『LP1』ですが、自分も例にもれず買ってみました。なるほど、これは確かに!皆が注目するのもわかる独特のサウンドスケープ。抽象的でダウナーな、ともすれば理解され難いトラックに、キャッチーなメロディが乗って、不可思議なのに聴きやすい絶妙なバランス。 LP1 アーティスト: FKAツイッグス 出版社/メーカー: ホステス 発売日: 2014/08/06 メディア: CD この商品を含むブログ (3件) を見る 調べてみるとこのFKA Twigs、メディアではその扱いに困っているようで、ポスト・ダブステップだとか、ポスト・チルウェイブであるとか、いやこれはアンビエントR&Bだとか、それらを全部ひっくるめてインディR&Bなんて呼ばれ方で紹介されていたりするようです。一聴してわかるとおり、その奇抜なサウンドに美麗な歌声が乗る所から、「新世代のBjork」な
ムーヴメントとはいっても東京の局所で流行っていた音楽という程度の緩いカテゴライズに過ぎず、にもかかわらずその音楽的なイメージと全体像が当時は何となく共有されていて、影響というか余波もいまだに尾を引いている——渋谷系というのはつくづく捉えどころがあるようなないような現象だった。 むろん個人的な印象に過ぎないが、ある世代以上には日本ポピュラー音楽史上看過できない変革として刻印されているのに、ある世代以下になると、大きく誤解していたり、そもそも知らない人すらいたりするという具合に、今日となっては受け止め方に極端な温度差が感じられる歴史上の出来事でもある。 本書『渋谷系』は、そんなヌエのような渋谷系の総体を描き出そうとした、初めての単行本である。そう、初めての、なのだ。 90年代を彩った大きなムーヴメントだったことは間違いないのに、雑誌やムックの特集みたいなものはあっても、歴史として正面から取り組
90年代バブル崩壊とともに突如誕生した「渋谷系」。その「渋谷系」はどのようにして生まれ、なぜ衰退していったのか? その背景を描き出した書籍「渋谷系」の発売記念トークイベントが、9月14日聖地「HMV record shop」にて、若杉 実(著者)と 山崎二郎(BARFOUT!編集長)によって行われた。 写真左より山崎二郎氏、若杉 実氏 若杉:僕自身、当時渋谷で遊んでイベントにも行ったりリアルタイムで体験していたので、「渋谷系」というものをあまり客観的には見られなかったんです。「渋谷系」というのは熱狂的に好きな人もいれば、その逆ですごく嫌がっている人もいる。そこまで極端に分かれる現象はなかった…というのを実感していました。でも、それ故に自分としてはやりがいもあるし、そのシーンに多少は関わっていただけに、20年経ってその当事者の一人として書ければいいかなと思いました。 山崎:若杉さんもおっ
『レディジュエルペット』。第二クール最後になってぶち込んできたのが、「ルビーがももなをレディ候補生として選んでいないということがバレる」という話な辺り、シリーズ構成がちゃんと組まれていて文句のつけどころがないなぁ。そもそも一話からしてももなは他のレディ候補生とは明らかに違う描き方がされていたわけで、そこを拾い上げる事については異論を挟む余地はないんだけど、その上でももなとルビーが喧嘩して仲直りする流れがあることで、他のレディ候補生とメンター達がジュエルパレスに来る前にしていただろう出来事を、ジュエルパレスに来た今やることでその出来事は二人の友情の証となるわけで。 またミウラ登場から引っ張られてきた、「ジュエルパレスに紛れ込んでいるイレギュラー=レディXの謎」も二人の友情が深まった後で「ももなではない」ということにしておくことで、「ももなをジュエルパレスに入れたのは誰か」と「レディXはももな
クラブと風営法の問題をテーマにした書籍『踊ってはいけない国』シリーズなどの著者としても知られる磯部涼氏と、細野晴臣が世界各地で出会った音楽について綴った『HOSONO百景』の編者である中矢俊一郎氏が、音楽シーンの“今”について独自の切り口で語らう新連載「時事オト通信」。第2回目のテーマは“日本の不良映画”について。今夏に公開されて話題を呼んだ『TOKYO TRIBE』と『ホットロード』の2作品と、それにまつわる音楽から、80年代半ば~現在までの不良文化について計3回にわたって語り尽くす。前編では『TOKYO TRIBE』を軸に、90年代のヒップホップ文化やチーマー文化について掘り下げた。(編集部) 中矢:最近、『TOKYO TRIBE』と『ホットロード』という不良映画が話題になっていますよね。今回は、その2作にまつわる文化や音楽について話していければと思います。まず、前者は、93年に始まっ
「僕」という一人称の歌詞を、女性歌手が歌うことがある。 特に、歌詞を専門の作詞家が書いた場合、本人の意向や方向性とは別にそのようになることも少なくない。 女性の歌で一番有名な「僕」は太田裕美の「木綿のハンカチーフ」であろう。 だが、これは男性と女性が代わりばんこで、なおかつ相手に宛てた手紙の文面という特殊性がある。 同じ太田裕美の曲であれば、「しあわせ未満」の方が純粋な「僕」であると思われる。 昔のアイドル歌手で言えば榊原郁恵の「夏のお嬢さん」も、典型的な「僕」が表現されている。 女性歌手に「僕」と歌わせることの最大の効能は、聴き手が曲に投影させやすくなるという点である。 特に、太田裕美のような柔らかな声での「僕」に投影させることは、自分自身も柔らかで安らかになれる利点がある。 来生たかおと薬師丸ひろ子の「夢の途中(セーラー服と機関銃)」を聴き比べても、投影したいと思わせるのは後者であろう
シカゴ発のJuke/Footworkと呼ばれるジャンルが台頭してきてから早数年が経ちましたが、昨今ではその特徴的なビートを、ジャンルの壁を飛び越えて様々な所で聴くようになりました。L.A.ビート・シーンの重鎮Flyng Lotusの『You're Dead!』やニュージーランドのクラブジャズ勢Electric Wire Hustleの『Love Can Prevail』等でも聴く事が出来ます。(Electric Wire Hustle - Bottom Lineは、まるでJames Blake - Limit To Your Loveのジューク版のよう!) 今後ますます勢力を拡大していきそうなこのビートですが、筆者の周りではリスナー側からもクリエイター側からも、難解で踊りにくい。作りにくい。という声をチラホラ耳にします。今回は、そんなジュークのビートについて、筆者なりの解釈を交えてお話して
タイトルに「教科書」と謳われているものの、いわゆる教科書のような体裁はしていない。むしろ「音楽」というものを考え直すことを目的とした本である。ここで「音楽」と呼ばれているものは「西洋近代音楽」のことだ。 「考え直す」といっても、著者の中には確固とした結論があらかじめ用意されている。いちおう音楽教育を問うた体の本ではあるので、音楽教育に対する見解としてもそれは披露される。著者は要するにこういいたいようである。 「音楽教育なんか全部無駄、むしろ害悪だからやめてしまえ」 もう少しひもといてみよう。結論にあたる第8章は、モーツァルトを例に早期音楽教育を論じた部分だ。 いうまでもなくモーツァルトは至上の天才として音楽史に刻まれており、早期教育の成果は申し分なく発揮されている。だが、親の想定を超えて「モンスター化」し、親と故郷を捨てて、非常に低い収入で暮らすうちに若くして死んでしまった。 そんなエピソ
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