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ブックマーク / p-shirokuma.hatenadiary.com (9)

  • 「オタク差別」の過去と現在 - シロクマの屑籠

    先月~今月にかけて、にわかにネット上で「オタク差別」というフレーズを見かけて、昔のことを思い出したりした。 山弘のSF秘密基地BLOG:オタク差別は消滅しつつある 「オタク差別など今も昔も存在しない」といういつもの話 - Togetter オタクのキモさと差別について - novtanの日常 あのころ、僕達には「好きなものは好き」と言う自由すら存在せず、『隠れオタク』を余儀なくされていた。これが差別でなくてなんなん? - 自意識高い系男子 上記のようなディスカッションが続いた後に、 具体例も根拠もなしにいきなり「オタクアニメ演出多かった。生理的にムリ」と言い放つのはアリ?/「今、世界中が、これだけmetooとか女性社会進出とかで盛り上がってるのに、技術界隈だけ歪んだ欲望に応じたデフォルメつづく不思議」 - Togetterオタクアニメ演出は生理的に受け付けない」という発言から始まり、

    「オタク差別」の過去と現在 - シロクマの屑籠
  • twitterの被follow数は、車に喩えるなら排気量のようなもので - シロクマの屑籠

    今更かもしれないけれど、何度でも確認しておく値打ちがあるし、twitterに慣れ親しんでいるはずの人が無残な有様になっているのを未だ見かけるので、書き留めておく。 twitterで何人にfollowされているかは、自動車に喩えるなら排気量のようなもので、一般に、大きくなればなるほど、そのメディアとしてのアウトプット力は強くなる。より素早く、より遠く、より大きな声を届ける“メディアとしてのtwitter”が、肌で感じられるようにもなってくる。承認欲求を充たしたくて仕方ない人は、そのようなアカウントなら存分に欲求を充たせるだろう*1。 そのかわり、被follow数が増えたtwitterアカウントのコントロールは難しく、アカウント保有者には相応のリテラシーやテクニックやが求められる。大出力で玄人向きのスポーツカーが繊細なコントロールを必要としているのと同じで、たくさんの人にfollowされている

    twitterの被follow数は、車に喩えるなら排気量のようなもので - シロクマの屑籠
  • 私達はどのように承認欲求と向き合うべきか - シロクマの屑籠

    第一回:承認欲求そのものを叩いている人は「残念」 第二回:承認欲求の社会化レベルが問われている 第三回:承認欲求がバカにされる社会と、そこでつくられる精神性について 第四回:私達はどのように承認欲求と向き合うべきか(今回) ここまで、承認欲求について連載してきた。それらを踏まえ、どのように承認欲求と向き合うべきかについて私見をまとめ、結びとする。 最初に述べたように、認められたい・褒められたい・いっぱし扱いされたいといった社会的欲求は、ヒトに生得的に具わったものと思われ、ほとんどの人間に具わっているものと思われる。だから、承認欲求という言葉で表される心理的性向そのものを否定するのは色々な意味で筋が悪い。 承認欲求全般の否定は、おそらく自分自身の心理的性向の一部を否定することにも直結する。そうやって承認欲求に“臭いものに蓋”を続ければ、さしあたり承認欲求周辺の問題から自由になれるかもしれない

    私達はどのように承認欲求と向き合うべきか - シロクマの屑籠
  • 承認欲求の社会化レベルが問われている - シロクマの屑籠

    前回示したように、承認欲求そのものを叩くことに意義は無い。だが、承認欲求の充たし方、承認欲求にモチベートされて行う行動には、是非や可否が伴う。 承認欲求が充たしたいからといって劇場型犯罪を犯して良いわけがない。 承認欲求が充たすために通勤電車で楽器を弾く行為もまずいだろう。 承認欲求を充たしたい気持ちが嵩じて「ありのままの自分を全部受け止めて欲しい」と異性に望む人は、是非に関わらず、たぶんパートナーシップが長続きしない。 つまり、承認欲求をモチベーションにすること自体はオーケーとしても、社会的に妥当な充たし方かどうか、年齢相応の水準で充たしたがっているかどうかは常に問題になる。 承認欲求の社会化レベルが問われているのである。 幼児〜成人に求められる、承認欲求の社会化レベル 前回も述べたように、承認欲求は幼い時期から認められる、おそらく生得的な欲求だ。二歳〜三歳の頃から承認欲求は認められ、老

    承認欲求の社会化レベルが問われている - シロクマの屑籠
  • 地方オタクの歳の取り方と、首都圏の人脈について - シロクマの屑籠

    以下に書き散らす内容は、私自身が実際に観てきたものと、他の地方在住オタクな人達から聞いた話をもとにした、ひとつの推測とあらかじめ断っておく。 90年代のある時期、それこそウィンドウズやインターネットが地方の学生オタクにも手の届くものになった頃ぐらいから、地方でオタクをやるのは難しくなくなった、とされている。少なくとも、首都圏で“おたくエリート”が頑張っていた頃よりは、そうだろう。コンテンツに手が届きやすくなったし、マスボリュームが大きくなって友達も探しやすくなった。漫画やアニメやゲーム好きの多く集まる学校に進んだ高校生なら、同好の士をある程度は見つけられたに違いない。 問題はここから。 じゃあ、地方でアニメやゲームをいつまでも愛好し続けるのも同じぐらい簡単か、となると、これが結構難しいようにみえる。オタクオタクでい続けるための難易度・しんどさは、首都圏と地方県庁所在地、中小の地方都市や過

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  • 大好きな魔法少女にバッチリ再会できたよ!(まどかマギカ叛逆の物語) - シロクマの屑籠

    カラフル(期間生産限定アニメ盤) アーティスト: ClariS出版社/メーカー: SME発売日: 2013/10/30メディア: CDこの商品を含むブログ (26件) を見る 【注意!】この文章は『劇場版 魔法少女まどかマギカ 叛逆の物語』について書かれています。中盤以降、若干のネタバレが混じっています。きちんとネタバレ回避したい人は、映画館に行ってからお読みになってください。 1.『劇場版 まどかマギカ 叛逆の物語』には、そんなに期待していなかった。公式ウェブサイトの「やっと逢えたね」というフレーズからは、キャラクターのキャッキャウフフと幸福追求が想像されて、それほどエッジの利いた物語、含蓄の深い物語をぶつけてくるとは想定できなかったからだ。「とにかく、魔法少女のみんなに会えて、ハッピーエンドだったらもう十分です」――そんな気持ちで出かけた。 甘かった。 新作『まどかマギカ』に賭けられて

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  • 毒舌は危ない香辛料で、濫用すれば因果が回ってくる - シロクマの屑籠

    優等生が言ってることはつまらない - Hagex-day info インターネットじゅうのゲスい文章や悪徳ブロガーに目を光らせているネットウォッチャーのhagexさん。彼がリンク先でこんな事を言ってました。 「優等生の言ってることはつまらない。」 「毒舌は面白いし人の心を動かせる。PVを稼げるよ。」 「ネットの良いところは自由に音を書けることだ。」 「善の部分だけ見ていてもつまらないし、質が理解できない。」 「上手に毒舌を使いこなせるブロガーになろう」「嘘が無い、ホンネで語れるインターネットをやりましょう」みたいに読めますね。でも、その毒舌が祟って炎上し、ホンネで語ると称して業火に焼かれるネットユーザーが後を絶たないのですから、こういうメフィストフェレスめいた文章にそそのかされてはいけません。 そもそも、このid:hagexさんという御仁は、東に恥知らずのブロガーがいればweb魚拓を取

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  • エアリプライの危険性と対策 - シロクマの屑籠

    昨日、id:a-parkさんと「ネットリテラシーの怖い話をするオフ会」を開催した。こういう記事を書いている御仁だけあって、ネットリテラシーに対する鋭い意識、ネットアカウントの脈拍を感知しプロファイルする能力の高さは凄かった。機会があったら、また連絡会などやりたいと思う。 さて、その席上で、twitterでよく見かけるエアリプライの話が盛り上がった。エアリプライとは、【@相手のアカウント名】の通常リプライではなく、誰に言及しているのかを指定していないけれども、特定の誰か、または複数名と双方向的なコミュニケーションを意図したリアクションを打ち込むことだ。空中リプライとも呼ばれる。 このエアリプライ、かなりの頻度で見かけるのに、その功罪、リスクとベネフィットについてネット上でまとまった文章を見たことがない。そこで、エアリプライの危険性と対策について書き綴ってみることにした。 1.エアリプライはハ

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  • アニメ愛好家として「好き/嫌い」「凄い/凄くない」を区別できるか否か - シロクマの屑籠

    新作アニメ『惡の華』を巡って、アニメ界隈が「ひとこと言いたくて仕方がない雰囲気」になっていて、現時点では作品そのもの以上に興味深い。ともあれ、話題沸騰なのはいいことだと思った。 その騒々しい風景を眺めているうちに、昔、ある人から教わったフレーズを思い出した。 「愛好家たるもの、自分自身の「好き/嫌い」の次元と「こいつは凄い/凄くない」の次元をきちんと区別できなきゃいけない。」 アニメに限らず、料理音楽にしたってそうだ。 たとえば、自称料理愛好家が「俺はハンバーガーが好きだ。だからハンバーガーはどれも凄い」と言っていたら、そいつの舌はたいしたことがなさそうである。素人の出したハンバーガーを「凄い」と褒めちぎり、嫌いな材の入った料理とみるや問答無用で「こいつはダメだね」の一点張りでは、“ただのハンバーガー厨”と言わざるを得ない。グルメじゃなさすぎる。 おなじく、自称アニメ愛好家が「俺は萌え

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