先般亡くなられた本多会長の話をお聞きするため、筆者は秋葉原へ行った。改札を出るとそこには警察官の姿があった。6月8日のあんな事件のあとなので、しかたがないことだが、どうにもやりきれない感じがある。本多会長のことを書くとすれば、秋葉原について触れないわけにはいかない。秋葉原こそ、本多会長がいた場所だったからである。 筆者が、本多会長に出会ったのは1976~77年の頃である。当時、本多会長は、ラジオデパートの地下にある「本多通商」という店をやっていた。この頃の秋葉原は、大きく変わりつつある時期だった。それは、当時マイコンと呼ばれていたマイクロプロセッサやその関連の商品が秋葉原で大きく扱われはじめ、それまでと違った活気が出てきたからである。 マイコン登場以前、秋葉原は、オーディオと無線、そして自作派の街だった。もちろん一般的には、家電の街だったのだが、家電を買う一般客とは別に、いまでいう高級オー
