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ブックマーク / ohnosakiko.hatenablog.com (27)

  • Loftの広告、炎上から取り下げまでで思ったこと - ohnosakiko’s blog

    ※この数日のツイートをそのまま並べた(横道にそれたもの、言及先のあるものは除く)。 ●広告に批判 Loftのバレンタイン特設ページが炎上気味と聞いて見てみたが、特別厭な感じは受けなかった。ただ、全体のセンスが何となく古臭い。女芸人が女子あるあるネタで散々やったような感じ。それにもう平成も終わりなのに、まだカレシ用のチョコ買うのかい自分用でなくてという。‥‥いや別にいいんですけど。 ポップな感じの絵にちょびっとダークな要素混ぜるのって凡庸だよね。どうせなら彼から彼へ、彼女から彼女へというパターンも作りゃいいのに。まあLGBTの商売利用として批判されるかもしれないけど、ヘテロ恋愛関係で散々商売してきてるんだし、そのくらい誰も思いつかんのかということが不思議。 あれは「サブカル」という指摘を見て、ああだから古臭いんだと思った。サブカル的な内輪受けっぽい「毒」入ってますよというスタンス。もう10年

    Loftの広告、炎上から取り下げまでで思ったこと - ohnosakiko’s blog
    rag_en
    rag_en 2019/02/06
    とりあえず、“嫌PC”なんて仰ってる時点で、御自身の視点に歪み(というか老い?衰え?)がある事を認識された方が賢明。往々にして“反発する側”なのは、ポリコレ信仰にどっぷりな「Social Justice」界隈の方。
  • 「性愛用の女」との同居で「生活用の女」にされた妻はその見返りを得たのか?(ラブドールを家庭に持ち込んだ夫についての感想) - ohnosakiko’s blog

    (※7/22追記あります) ラブドールを恋人代わりにする男性のことを初めて知ったのは、10年くらい前にあった某ブログ。彼女との「愛の生活」を綴った日記が面白いということで、一部で人気だった。私も一時期読んでいた。最初に、これ「ピグマリオン」だなと思った。古代ローマの詩人オウィディウスの『変身物語』に登場する、キプロスの王ピグマリオン(ピュグマリオン)の物語だ。 生身の女性たちに失望したピグマリオンは、完璧な女性を求めて彫像作品を作った。その出来映えがあまりに見事だったので、彼はすっかり彫像の女性に恋をしてしまい、毎日のように語りかけ、贈り物をし、ベッドを共にし、ついに彼女は自分の愛に応えてくれたのではないかと思うようになった。その狂おしい思いと彫像の素晴らしさに打たれたヴィーナスが、褒美として彼女に命を授けてくれた。 SF小説『未来のイヴ』から映画『空気人形』まで、さまざまな小説映画など

    「性愛用の女」との同居で「生活用の女」にされた妻はその見返りを得たのか?(ラブドールを家庭に持ち込んだ夫についての感想) - ohnosakiko’s blog
    rag_en
    rag_en 2017/07/22
    そもそも、「家計単位の再構築システム」が「恋愛」の延長上にある事のほうを疑問視したほうが賢明でしょ?っていう。/広義気味で見れば、「模型を捨てる妻」の類の話。
  • ジェンダー平等社会のエロの位相、あるいは欲望と配慮の関係 - ohnosakiko’s blog

    rag_en
    rag_en 2017/07/20
    こりゃまたhttp://b.hatena.ne.jp/entry/341962098/comment/rag_enで指摘したまんまの事をやらかしてらっしゃるなぁ…と。/そもそも、まともな思考してれば、ポリコレなんてのは「ちょっとおかしい信仰」くらいの扱いでしょうに。
  • 近代文学が終わった後の『文豪とアルケミスト』 - ohnosakiko’s blog

    文豪とアルケミストと小林多喜二と日共産党 - Togetterまとめ 『文豪とアルケミスト』というオンラインゲームで、近代文学の小説家(が現代に転生したもの)がキャラとして多数登場している中に小林多喜二も含まれており、それについて新聞『赤旗』が好意的に取り上げたところ、そのゲームのファンの一部が「政治利用だ」と憤慨しているという話。 それに対し、「小林多喜二はそもそも共産党で‥‥」などのツッコミが多数入っている。言い換えると、「元キャラの背後のコンテクストやコンセプト知ってるの?」。 一種の「断絶」である。 最初は「そういう文脈知らなくてゲームやってて面白いのかな」と思ったが、よく考えてみれば文脈込みで楽しむというのは、この「動物化するポストモダン」の時代には今や古典的態度だ。 「自分たちの好きなもの(蟹のハサミ持った「元反逆児」のキャラという虚構)が、嫌いなもの(左翼という現実)に紐付

    近代文学が終わった後の『文豪とアルケミスト』 - ohnosakiko’s blog
    rag_en
    rag_en 2017/03/21
    この手のは『「ネタ」が「マジ」を上書きする世界っていいですよね』という話でしかないし、それすら理解できないなら現実至上主義者なロートル扱いされても仕方がない。後はhttp://b.hatena.ne.jp/entry/327824400/comment/rag_en
  • 「理想」と「欲望」は切り分けできないし、「萌え絵」は「日本美術」ですよね(どっちかというと) - ohnosakiko’s blog

    「萌え絵」が批判されるのは歴史がないからじゃない - 最終防衛ライン3 結論が最初の方に書かれている。 「萌え絵」も「理想」のひとつであろう。「萌え絵」が批判されるのは、誇張表現だからだし、誰かにとっては「理想」ではなく「欲望」にしか見えないからだ。現在「芸術」として残っている「裸婦像」は多くの批判に耐えて残ってきたものである。果たして「萌え絵」はそれに耐えられるだけのバックグラウンドを形成できるだろうか。この点を無視して時間や歴史が解決すると結論付けるのは、いささか楽観的すぎるだろう。 「独りよがりの「理想」はしばし、欲望の発露として捉えられるだろう」ともあったが、「欲望」の発露と捉えられてはいけないというのは何故かなと思った。「理想」であり同時に「欲望」の発露でもある、ということではいけないのだろうか。ヌード絵画から少女マンガまで、ほとんどの絵がそうじゃないですか? ”「欲望」それ自体

    「理想」と「欲望」は切り分けできないし、「萌え絵」は「日本美術」ですよね(どっちかというと) - ohnosakiko’s blog
    rag_en
    rag_en 2016/10/27
    一応言っておきますけど、『「オタク」的文化・文脈・文法』を「アート(芸術)」として捉えろ!…なんて話はしていない。重要なのは、『「アート」無罪・「実用」有罪』みたいな残念な思考に陥るな、っていう話。
  • 「エロいかどうか」より「御しやすそうに見えるかどうか」では - ohnosakiko’s blog

    rag_en
    rag_en 2016/10/22
    いや、だからそれ『「オタク(消費)」っぽいから許さない』ってのと変わらないワケで。/↓「公共交通機関公認」と「下着の広告」で、「表現内容」の是非に峻別が付くとでも考えてるの?思考が粗末すぎでしょ。
  • ピンクのダサ/イケが男性にわからないのは当たり前 - ohnosakiko’s blog

    数日前、「ダサピンク現象」関連の某記事に以下のようなブコメをつけた。 ohnosakiko (「女性はピンクが好き」という統計結果とダサピンク批判は両立するのだが、そこが理解されないのは多分一般的な男性にはダサいピンクとイケてるピンクの違い(その重要性)がわからないからじゃないかと思えてきた。 http://b.hatena.ne.jp/ohnosakiko/20150106#bookmark-238237822 今更クドいがおさらいしておくと、ダサピンク現象とは、主に男性管理職が「女向けだからピンクでしょ」という考えで製品の色を決定した結果、女性消費者から「これじゃない」と思われがち、というケースを「象徴とした」現象。実際にそういうことが起こっているという声は、こちら(大の最初の記事に引用されている)にあるし、この後同じような発言を幾つかtwitterで見た。 色に限らず、「女/男向け

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    rag_en
    rag_en 2015/01/09
    いやだから、その語の定義自体が「二項対立構造脳」を前提にしてる時点で、根本からダメダメですしー。/“#わたしのイケピンク”でTwitter検索かけたけど、スクロールしてっても半ばネタ画像しか出ないんですがそれは。
  • 芸術への「信仰」 - ohnosakiko’s blog

    「「芸術」否定の書」と背表紙に銘打たれた『芸術崇拝の思想  政教分離とヨーロッパの新しい神』(松宮秀治、2008、白水社)は、「芸術はいかにして<神>となったのか」を近代ヨーロッパの思想、文化などと絡めて論じた。 国家権力から分離した宗教の穴を埋めるものとして、芸術が科学と同様に「市民宗教」の位置を占めていった経緯を明らかにし、近代以降の芸術崇拝がどのように定着していったかについて解き明かしている。 ‥‥と紹介するとかなり学術的な内容に思えるが、文章は平明で読みやすい。終わりの方は「肥大化した「芸術」という観念」を批判する余りやや筆が走っている印象もあったけれども、西欧で不当なまでに高い価値を与えられた近代以降の芸術(美術、アートに置き換え可)のあり方を見直そうとする筆者の主張は明快。「芸術は良いものだ」という「信仰」から自由な観点で芸術について考えたい人におすすめ。 芸術崇拝の思想―政

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  • 好きなアーティスト、嫌いなアーティスト - ohnosakiko’s blog

    前の記事のUst発言起こしの部分で持ち出されている「美大生の好きなアーティスト、嫌いなアーティスト」というのを、自分の講義(名古屋芸術大学での「ジェンダー入門」)を受けている学生対象でやってみた。 講義題に入る前に、出席票の裏に書いてもらう。1. 書くのは強制ではない、2. 美術周辺のアーティスト限定、3. 集計してブログで紹介するかもしれない、ということを伝えてある。 133人のうち7割方がデザイン科の学生で、また1年生が7割くらいを占める。*1回答したのは70人。 集計したが「得票数1票」が非常に多いので、見た目にわかりやすくするため、日人(戦後生まれのアーティスト(画家、美術家として紹介されている人)/戦前生まれのアーティスト/イラストレーター/マンガ家、アニメ作家/デザイナー)、外国人(同じ)の順に並べた。※はそれらに分類できない人。 なかなかカオスです。 ●好きなアーティスト

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  • なぜ誰も「かわいい女の子」ではなく「かわいい子猫」になりたいと言わないのか - ohnosakiko’s blog

    「かわいい女の子になりたいオタク」話が少し前に盛り上がっていた。その話の肝は(こちらのブコメにも書いたが)おそらく「女の子になりたい」ではなく、「かわいい(者)になりたい」。 「かわいい女の子になりたい」が時々「女の子になりたい」という言い方に短縮されているのを見かけるのは、「性別を超越」云々ではなく、そこで”「女の子」=「かわいい」の最たるもの”という図式が前提とされているからに過ぎない。 かわいい男の子をよく「女の子みたいにかわいい」と言ったりする(逆はない)ことからも、「かわいい」を一番効果的に体現している/させられているのは「女の子」である。 だから、「女の子になりたいオタク」の人のほとんどは、「かわいくなくてもいいから女の子になりたい」とは思っていないと思う。「かわいくない女の子」のリアルでの冷遇され具合は、彼女たちを冷遇しがちな立場の者が一番よく知っている(そこでは「かわいくな

    なぜ誰も「かわいい女の子」ではなく「かわいい子猫」になりたいと言わないのか - ohnosakiko’s blog
    rag_en
    rag_en 2013/03/11
    「チーズ蒸しパンになりたい」
  • 退屈で倒錯した話 - 「森美術館・会田誠展への抗議」問題についての雑感 - ohnosakiko’s blog

    (↓多数のブクマの内容も興味深いので、関連記事のエントリーページを貼っておきます) はてなブックマーク - 森美術館問題|ポルノ被害と性暴力を考える会 はてなブックマーク - 森美術館への団体抗議文|ポルノ被害と性暴力を考える会 はてなブックマーク - PAPSが森美術館「会田誠 天才でごめんなさい」展に抗議 - Togetter はてなブックマーク - 会田誠さんと「ポルノ被害と性暴力を考える会」について はてなブックマーク - 『会田誠 天才でごめんなさい』展への抗議関連の議論 - Togetter 上記以外でもいろいろな論点が出てきているので、ここではなるべくそれらと違うことを書きたいと思うが、重なるかもしれない(この記事はどちらかの立場を支持することを表明するものではありません *1 )。 会田誠個展にはまだ行っていないけれども、「問題」となっている一連の作品は10年以上前にアート

    退屈で倒錯した話 - 「森美術館・会田誠展への抗議」問題についての雑感 - ohnosakiko’s blog
    rag_en
    rag_en 2013/01/30
    「アート=よいもの」の図式にこだわってるのは他ならぬ大野さんじゃないんですか?http://d.hatena.ne.jp/ohnosakiko/20100620/1277042458http://b.hatena.ne.jp/entry/22491725)んで、そのへん既にがっつりツッコミ入れられまくってる訳で。
  • 「はてサ」で盛り上がる人々 - ohnosakiko’s blog

    先週は、はてなブックマークのお気に入りを見るに、「はてサ」の話題が目についた。そこで言われていた「はてサ」とは、はてなブックマークを中心に左翼的な立ち位置を表明している人の中で、言動に一貫性がなく党派的且つ攻撃的で人の批判を受けつけない代わりこちらが言ってもいないことで怒り出す困った人々‥‥のことを指しているらしかった。 はてなでの政治的な話題には首を突っ込まないようにしている私でも、「はてサと思われる人のIDを上げよ」と言われれば10個くらいは思いつくが、その人々のうちのどのくらいが上記のような困った振る舞いを見せる人なのかは、よく観察していないのでわからない。 「はてサ」(の一部の人)批判について、右翼でもそういう人はいる、左翼に限らないという意見もブクマコメで見た。ただ、はてなのサービスではどちらかというと右翼より左翼的な人の方が言説が目立つ(or多い?)ので、「はてウ」(そういうの

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  • どうしてメイクやおしゃれがやめられないのか - ohnosakiko’s blog

    ミスコンは画一的な美の序列化だとして批判される。美とは多様であるはずだと。ナンバーワンよりオンリーワン。 たしかにミスコンを見ていると、決まりきった女性美を産出しているようにも思える。顔(ヘアメイク込み)もわりとそうだが、スタイルに関してははっきりと方向性が決まっている。 もっとも常に/既に、女はそうした美の元に序列化されている。ミスコンは公にやってお墨付きを与えているから目立ち易いというだけで、日々あらゆる場面で人はオンリーワンよりナンバーワンの結果を目にしている。 個々のもつ美人のイメージが、そうした一般に流通する女性美とぴったり合うとは限らない。だがまったく影響を受けてないわけではない。そして、時代や流行によって多少異なるとは言え、外見が一定の条件の中にある人を「美人」と呼ぶのだから、それが画一的な傾向になるのは避けられない。*1 序列の上の方にいる美人は消費を生み出すから経済効果も

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  • 彼女の顔には細部がない・・・アニメの中の描写の落差について - ohnosakiko’s blog

    (※長めの追記をしました) 『借りぐらしのアリエッティ』のDVDを借りてきて見ていた時のこと。 室内の描写が凝っている。その部屋の中に登場人物が入ってきたところで、覚えのある違和感が。写実的な背景と、非写実的な人物が、不釣り合いに感じる。まるできっちり作られた三次元の舞台に、二次元の人間がいるみたい。 背景と人物の描写のレベルが明らかに違う点については、前から多少気になっていた。 背景の描写が陰影も含めて細かくリアルに描き込まれているのに、そこに登場する人物はベタ塗りでペラッとしていて所謂アニメ絵。ジブリに限らず日のアニメの「美術」は、背景画だけで展覧会が開催されるほどのレベルに至っていたりするので、結果、人物とのギャップが生まれ易くなる。*1 ヨーロッパのアニメは例えばチェコ・アニメにしても、背景と人物とのテイストや描写レベルの落差がなく、概ね全体的な統一が図られているという印象がある

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    rag_en
    rag_en 2011/08/16
    アリエッティは見てないんで分からん。/例えば同じ京アニ聖地持ちアニメでも、ハルヒとらき☆すたとけいおん!を比べると、背景のデフォルメ度はそれぞれに合わせて結構違ってると思うんですけども。
  • 「正しさ」の限界と「幸せ」と困惑‥‥先日の記事について - ohnosakiko’s blog

    「ヘドがでるけどナ」と書いた学生 情報が記事内で不足していたためかもわかりませんが、あちこちで誤読や誤解が見られる気がするので、前記事の補足がてら「授業のやり方について」「学生への対応と、ブログに書くことについて」「ジェンダー及び性教育について」の三項目で、事実と今自分の感じていることを書いておきたいと思います。できれば前記事のコメントも参照して下さい。 授業のやり方について 講義は半期(15講)。2クラス(2コマ)もっています。選択授業です。年によってまちまちですが1クラスは80〜100人前後。学部や科や学年はバラバラ。ドラマや映画を見て学生に感想や意見などのコメント(ミニレポートと呼ぶ)を書かせ、その中からいろいろなタイプの意見を幅広くピックアップし、翌週読み上げながら私のコメントをつけていく、という形式を採っています。クラスごとではなく2クラス分は最初から混ぜて選びます。 学生の名は

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  • 女の子の欲しいもの - ohnosakiko’s blog

    夫が職場の人から聞いてきた話。 最近、高校3年や大学4年で妊娠する女の子が増えているそうだ。その人の近所にも数人そういう娘がいて、他でもそんな話をポツポツ聞くという。 高校や大学の最終学年というと就活まっただ中の人が多い。しかしその女の子たちは、社会に出て僅かな報酬のために苦労しながら働くのはまっぴらだと思っている。そこまでやりがいのある仕事なんかないし。 しゃかりきに働きながら一生独身を通すのも、仕事+家事育児分担という共稼ぎスタイルも、どっちもしんどそう。専業もセレブでない限りつまんなそう。でも子供はほしい。 そこで、つきあってる男の子供を計画的に妊娠する。親バレし、就活どころではなくなり、男も外堀を埋められ逃げられなくなってでき婚。 しかし娘はその男と結婚したいのではなく子供がほしかっただけだから、数年経つと夫婦仲はうまくいかなくなって離婚。 子供を抱えて生活能力もない若い娘の生活は

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  • 高橋氏とのブコメ議論まとめ - ohnosakiko’s blog

    例の首都大の学生のやった件で、この数日、id:NaokiTakahashi氏(以下、高橋氏と表記)とのブコメ議論があちこちで長引いた。 個人的には、被害者の受けた苦痛と屈辱の前には、こんなアート論議などどうでもいいものだと思っているし、この事件についてアートや芸術方面から語ること自体が(アートや芸術に対してではなく)被害者の女性達に対して失礼なものになりかねないと思っている。このことはブコメに書けなかったのでここではっきり言っておきたい。 私の基的態度は「これをアートとして語る意味はない」。高橋氏の態度は「アートの俎上に上げてその質を論じよ」。バカ長いばかりで読む人も少ないだろうが、なにがしかあぶり出されている面もあると思うのでここにまとめておく。 それぞれの元記事。私が最初のブコメを書き込んだ順。議論の日時はかなり重なっていて同時進行的にやっていた。 Togetter - まとめ「ドブ

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    rag_en 2010/06/21
    ウルトラマンは無理だけど仮面ライダーならば、高橋さんは「敵役ライダーだって仮面ライダーだ」とし、大野さんは「世間では仮面ライダー=良い者、なのにわざわざ敵役も仮面ライダーと称する態度は何?」としてる。
  • 女をモノ扱いするのは男の仕様、あるいは男の性の脆弱性と所有欲について - ohnosakiko’s blog

    今週は、女をモノ扱いし女の人格を尊重しない男が世の中には多いので、女性にとって性的に欲望されることは単純に歓迎できないという話のブクマタワーがどんどん高くなっていくのを、あっけにとられて見ていた。 おそらくここでも、内容の是非というよりは話法を巡って(もちろん話法は立ち位置に深く関係する)対立や齟齬が生じていると思われるが、それに深入り言及するのは避ける。 一つだけ、ブコメやハイクでid:simplemindさんが、何の得にもならないのに焼け石に水的な介入と議論整理の努力をされているのに少し感動した。特に感心したのは(別の記事のメタブだが)これ。 自分の事を「殴るどころか怒った事もない優しい性格」だと長年思ってたけど単に人と距離を置いてただけだと結構最近気が付いた/自分の暴力衝動とどう付き合うかは強さとか優しさだけじゃなく経験とか技術も要るよね http://b.hatena.ne.jp/

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  • 「不道徳」な星の下に生まれついた私たちへ - ohnosakiko’s blog

    ※タイトルはこっちのコメントのやりとりからヒントを得ました(レタ田さん、ども!) はじめに、前回のエントリで「悪」という言葉を使ったら「何故ポルノが悪なんだ」「善悪で考えること自体がおかしい」といった意見がブコメなどで結構見られたので、再度(再々度)説明する。 引用元記事コメ欄で、ブログ主は「良心」という言葉を使っている。これは彼女の一連の主張の中核にある重要な言葉だ。「良心」を問うからには「善」と「悪」が想定されているはずなので、記事を書くにあたってその論法に乗った。フム、こう考えれば「悪」になるな、あえて「悪」としておくことが次で効いてくるんだな‥‥と読んで下さった人、ありがとう。エントリでなんとか回収を試みます。 この話の行き着く先は、性欲とは何か? 理性ある社会的人間と性欲や性愛との関係はどうなっているのか?という一点に集約されると私は考えている。 ここでは表現規制に賛成か反対か

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  • 「内心」は不自由だし、ポルノを楽しむのは「悪」だ - ohnosakiko’s blog

    アンドロイドの人権と神さまとセカンド・レイプ - はてこはだいたい家にいる 「内心の自由」を巡ってのコメント欄の混乱が、ブコメにも波及している。 「内心の自由」とはもともと、憲法19条の「思想及び良心の自由」を下支えする概念だ。戦前の国家の思想統制に対して出てきたもので、他者の人権に抵触しない限りにおいて最大限保障されるべきことになっている。 従って「内心の自由は保障されている」と言わねばならない局面とは主として、思想及び良心の自由が国家あるいはそれに準じる権力装置によって侵害されそうになった時だろうと思う。 冒頭で引いた記事及び一連の記事の内容は、ポルノの人権侵害と「良心」を巡る議論の一つである。レイプものなど被害者が見たら傷つくであろう性的ファンタジーを、語るだけでなく、楽しんでいることへの疑義が示されている。 一連の議論を追いかけている人ならわかるはずだが、最後の一文はAntiSep

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    rag_en
    rag_en 2010/04/23
    なんか脱線してるなーという感想しか。大野さんがという意味ではなくて、この話題自体がという意味で。