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山内溥と歴史に関するraimon49のブックマーク (15)

  • ファミコン開発物語「3年独走しろ」伝説は本当か?

    40周年のお祭りムードのなか、先日、NHKがファミコンに関する記事を掲載した。ちなみに冒頭で紹介されている大阪府阪南市のレトロゲームの展示会には私オロチも展示側として参加させてもらっているのだが(※参照記事)、今回はそんなレトロゲームの展示会の喧伝ではなくて。笑。古川社長へのインタビュー部分にフォーカスを当ててみたい。 といっても注目すべきは内容ではない。インタビューに入る前のこの一文だ↓ 「3年は他社に追随されないものを、お客さまが求めやすい価格で実現する」こうテーマを掲げ、開発が推進されたというこのゲーム。 出たー!!。 ファミコン開発秘話が語られるときに必ずと言っていいほど出てくるエピソード。いわゆる「3年独走しろ」伝説だ。これは当時の山内社長がファミコンの開発を上村氏へ命じるさいに放った言葉とされている。この記事では古川社長の発言というよりも地の文として登場していたのだった。 それ

    ファミコン開発物語「3年独走しろ」伝説は本当か?
    raimon49
    raimon49 2023/08/14
    本文と関係無いけどこの発言にだけ着目して検証するとWBCのイチロー「30年発言」みたいだな(本当に関係無い)
  • 幻に終わった対任天堂共同戦線 セガ&SCE|初心カイ

    1990年代初頭、某所にて今後のゲーム業界を大きく左右する二社合同技術研究会が行われていた。 その研究会に参加していたのはセガの佐藤秀樹。後にセガ社社長にまで上り詰め、セガハードの父と呼ばれる男だった。セガ内のエース中のエース、アウトランとスペースハリアーを作った男、鈴木裕もいた。 そしてさらなる男がいた。ソニーの久夛良木健。プレイステーションの生みの親である。 彼らを中心にセガ、ソニー両社の技術者たちが机の上に並べられた資料を持って喧喧諤諤の大議論が行われた。その資料とは、開発途中だったセガサターンの資料だったのだ。隠しているものは何もなく、全スペックを久夛良木たちの前にさらけ出していた。 彼らの頭にあったのは「対任天堂共同戦線」である。当時のゲーム業界最大、最強の巨人に対抗しなければならない。それはセガ、ソニー両者の共通認識だった。そしてじきに「二社が共同で同じハード上で力を合わせるこ

    幻に終わった対任天堂共同戦線 セガ&SCE|初心カイ
    raimon49
    raimon49 2023/03/20
    実際サターンは日立製CPUチップにヤマハ製音源チップ積んだ上に変態設計ハードだったから値下げ合戦ではプレイステーション相手に不利だったんだよな。会食での久夛良木氏の見立ては、悔しいことだが正鵠を射ている。
  • 任天堂のクリエイター支援施策で動き出した『巨人のドシン』。報告会で目撃した山内溥と岩田聡の邂逅【飯田和敏連載:最終回】

    『巨人のドシン』は「創造」と「破壊」、そして『大魔神』への憧れを自分の中で整理した作品 「作る」と「遊ぶ」が渾然となったゲーム。これが『巨人のドシン』の最初の構想だ。 周囲の人たちには具体的なイメージが湧くように、『ポピュラス』の地形編集のダイナミズムを『スーパーマリオ64』のように直感的に行うことができるものを作りたい、と説明していた。 (画像は巨人のドシン|ドシンの生活を見てみよう1より) 同時に、「砂場遊び」も念頭にあった。砂場で人は山や城などのオブジェクトを作る。 そしてその後、作ったものを豪快に破壊することがある。 自分の体験を振り返ってみると、破壊のカタルシスを最大限のものにするために、より凝ったものを作るという倒錯があった。 「作る」と「遊ぶ」をひとつにするのと同様に、「創造」と「破壊」という背反するようにも思える要素を等しく価値づけするゲームにしようと思った。 また『大魔神

    任天堂のクリエイター支援施策で動き出した『巨人のドシン』。報告会で目撃した山内溥と岩田聡の邂逅【飯田和敏連載:最終回】
    raimon49
    raimon49 2018/03/31
    岩田さんは、この後に山内氏に請われて任天堂へ入社している事になるんだよな。当時を知る貴重なエピソード。電撃的な社長交代劇も、この人の視点なら「ありでしょ!」になる。
  • 「スーファミ」上村雅之氏×「プレステ」久夛良木健氏──“ゲーム機戦争”両雄の歴史的証言から識る90年代プラットフォームビジネスの真髄【セミナーレポート】

    上村雅之氏と久夛良木健氏。ゲーム歴史に詳しい人であれば、このふたりの名前にピンと来て、顔合わせにグッと来るものがあるはずだ。 上村雅之氏は、任天堂でファミリーコンピュータやスーパーファミコンの開発責任者を歴任した人物だ。 そして久夛良木健氏といえば、PlayStationの開発を最初期から主導し、成功へと導いた後にPS2やPS3を世に送り出した人物として知られている。つまりこのふたりは、ファミコンとPlayStationという、その後継機がいまなお世界を席巻しているゲームハードの“生みの親”なのだ。 上村雅之氏(写真左)と久夛良木健氏(写真右) このふたりが、2017年10月14日、京都・立命館大学の朱雀キャンパスにおいて行われた「温故知新−ファミコンとプレイステーションにみる“プラットフォーム”ビジネスの神髄」と題された特別セミナーに揃って登壇し、公の前で顔を合わせる初の機会となったの

    「スーファミ」上村雅之氏×「プレステ」久夛良木健氏──“ゲーム機戦争”両雄の歴史的証言から識る90年代プラットフォームビジネスの真髄【セミナーレポート】
    raimon49
    raimon49 2017/12/05
    >「任天堂さんやセガさんがビデオゲームという素晴らしいジャンルを育ててくれたので、それをさらに広げることをやってみたい」というのが、PlayStationを開発するモチベーションになっていた
  • 任天堂ゲーム史における「ニンテンドースイッチ」の立ち位置 | 文春オンライン

    任天堂は過去にも、たびたび、自社製品が「ゲームの概念を更新する」といった、大きな目標を掲げている。しかも、しばしば「他社メーカーとは、やろうとしていることが違うのだ」という点を強調する。 素っ気なくて、高踏的で、誇り高い たしかに任天堂は、他と違う。時価総額が3兆円を超えつつ9000億円ものネットキャッシュを持つ同社。この数字は日企業として有数の優良企業であることを意味するが、しかし独特の企業体質があることも示唆するものだろう。実際、潤沢な内部留保ゆえに社外からの経営介入などを阻み、抜的な事業改革を遅らせる傾向にあると指摘されることもある。 昨年『ポケモンGO』が社会現象となって、株価がすさまじい勢いで高騰した時にも、さして浮かれることはなかった。このブームが任天堂の業績に与えるインパクトは少ないと、自ら水を差すようなアナウンスを行った。 こうした素っ気ない、高踏的な態度が、鼻につくと

    任天堂ゲーム史における「ニンテンドースイッチ」の立ち位置 | 文春オンライン
  • Engadget | Technology News & Reviews

    Research indicates that carbon dioxide removal plans will not be enough to meet Paris treaty goals

    Engadget | Technology News & Reviews
    raimon49
    raimon49 2016/05/17
    「遊び方の説明書」が物語のキーワードなのだな、この連載は。
  • 任天堂、マリナーズ持ち分売却決定の舞台裏 スポーツライター 丹羽政善 - 日本経済新聞

    ちょうど、イチローが米大リーグのマリナーズからヤンキースにトレードされた時期と重なる。2012年7月、米国任天堂の最高経営責任者(CEO)だった君島達己氏(現任天堂社長)は、故山内溥相談役とマリナーズの将来について話し合った。米国任天堂出身で、マリナーズの会長兼CEOを任せてきたハワード・リンカーン氏も72歳となり、リタイアが近い。その後をどうするか。誰がCEOとなるのか。■山内氏、生前から売却意識

    任天堂、マリナーズ持ち分売却決定の舞台裏 スポーツライター 丹羽政善 - 日本経済新聞
    raimon49
    raimon49 2016/05/02
    シアトルという地域への仁義。
  • 信長から乙女ゲームまで… シブサワ・コウとその妻が語るコーエー立志伝 「世界初ばかりだとユーザーに怒られた(笑)」

    のコーエーテクモゲームス(当時 光栄)が初の歴史シミュレーションゲーム『川中島の合戦』を発売したのはいつか? ――正解は、1981年である。 そのときには、まだパソコンでゲームをする文化自体が相当にマイナーな楽しみに過ぎなかった。有名なパソコン版の『シヴィライゼーション』が発売されたのでさえ、ずっと後のことである。しかし、そのゲームは、紡績業を営んでいた光栄という会社が大きく業態を変えていく転換点になるほどの話題を日で獲得した。 その2年後、彼らは『信長の野望』という大人気歴史シミュレーションゲームを生み出した。コーエーテクモホールディングス社長・襟川陽一氏ことシブサワ・コウは、それをRPGや司馬遼太郎の小説をヒントに作り上げたという。我々の遊んできたこうした『信長の野望』などの歴史シミュレーションゲームは、実はコンピュータゲーム史にほとんど忽然と登場したゲームに近い。 『ファミコン

    信長から乙女ゲームまで… シブサワ・コウとその妻が語るコーエー立志伝 「世界初ばかりだとユーザーに怒られた(笑)」
    raimon49
    raimon49 2016/03/22
    ファミコンのROM先払い制度に関する逸話めっちゃ破天荒で面白い。『村上海賊の娘』も読んでて『ペルソナ4』も100時間以上遊んでるとか、感性が若いなぁ。
  • 宮本 茂 × 糸井重里 ひとりではつくれないもの。

    糸井 いま、任天堂から発表されている さまざまなことは、 きっと、岩田さんがいたころから ずっと話し合われていたことなんでしょうね。 宮 そうです。 糸井 つまり、きちんと準備してたことばかりだから、 岩田さんがいなくなったから 強引にやらなきゃ、みたいなことはなくて、 やりかけていたことをきちんと進めるだけで おもしろいニュースになるというか。 宮 そうなんです。 だから、岩田さんがいなくなって、 「この先、どうなるんですか?」って 心配してくださるファンの方も いらっしゃるんですけど、 開発的には、まぁ、だいたい3年くらいは、 もうやることはだいたい決まってるので。 糸井 そうか、そうか(笑)。 宮 大きくいえば5年くらいは まったく慌てなくてすむというか。 スタッフがごっそりいなくなった、 というようなことではないので、 予定していたことを進めながら、 3年とか5年とかのあいだ

    宮本 茂 × 糸井重里 ひとりではつくれないもの。
  • 任天堂・岩田さんが遺した本当の功績:日経ビジネスオンライン

    世間はお盆を迎え、それぞれが縁のある故人を偲んだが、筆者はゆっくりと任天堂4代目社長の岩田聡さんのことを思い出した。縁があった、と言うのはおこがましいが、2006年秋以降、取材を通じて随分とお世話になっただけに、偲ばずにはいられない。 岩田さんが急逝してからもう1カ月が経つ。週明け、7月13日の午前9時前、任天堂広報から「メールをご確認ください」という電話がかかってきた。慌てて確認すると、信じがたい内容のメールが届いていた。 「当社をご担当頂いている記者の皆様 当社代表取締役社長岩田聡が7月11日土曜日午前4時47分、胆管腫瘍のため京都大学附属病院において永眠いたしました」 直後、脳裏をよぎったのは、今年3月に任天堂の京都社でお会いした、岩田さんの意気軒昂とした姿だった。 その前日にディー・エヌ・エー(DeNA)との業務・資提携を東京のホテルで発表した岩田さんは、「してやったり」といっ

    任天堂・岩田さんが遺した本当の功績:日経ビジネスオンライン
    raimon49
    raimon49 2015/08/21
    >要は、ほかにこうやればビジネスができますよ、ということを示すことが、「道徳的にけしからん」と言うよりもずっと意義があると思うんですよ。 / スマホでもお母さんの敵にならないビジネスをやる姿が見たかった。
  • 早世された任天堂社長の岩田 聡氏を偲んで。西田宗千佳氏が語る「任天堂における岩田氏の功績と蹉跌」

    早世された任天堂社長の岩田 聡氏を偲んで。西田宗千佳氏が語る「任天堂における岩田氏の功績と蹉跌」 ライター:西田宗千佳 2015年7月11日,任天堂の岩田 聡氏が逝去した(関連記事)。その訃報を耳にして,驚かなかったゲーマーはまずいないだろう。2002年に同社社長に就任して以来,「ニンテンドーDS」や「Wii」といった大ヒット商品を世に送り出した立役者が亡くなったことに,国内外問わず多くのゲーマーやゲーム業界人が,哀悼の意を表していた。 その岩田氏を追悼するコラムを,フリーランスジャーナリストの西田宗千佳(にしだ むねちか)氏が,同じくフリーランスジャーナリストである小寺信良氏と共同で発行している有料メールマガジン「小寺・西田の『金曜ランチビュッフェ』」で発表している。そのコラムは,岩田氏が任天堂で成し遂げた成功といった輝かしい面だけでなく,近年におけるビジネスの苦戦とその理由まで分析した

    早世された任天堂社長の岩田 聡氏を偲んで。西田宗千佳氏が語る「任天堂における岩田氏の功績と蹉跌」
    raimon49
    raimon49 2015/07/25
    DS & Wii時代までとても良くまとまっているけど、後半にある任天堂の開発チームが力不足で岩田さんの構想を実現できなかった、みたいな分析には疑問。
  • 任天堂元社長 故山内溥氏 素晴らしい失敗だらけの経営者

    任天堂の元社長、山内溥氏が亡くなられました。山内社長というと、ファミコンやゲームボーイなどをヒットさせ、世界に名だたる大企業である今の任天堂を育てた立役者、カリスマ経営者という印象を持っている人も多いと思います。 もちろん、カリスマ経営者ということに僕は異論はないんですが、彼のその功績を、輝かしく彩られた成功だけを見て語るのは少し違うんじゃないかと思います。 山内社長は大きな成功を掴んだ経営者ではありますが、非常に沢山の失敗も経験しています。 ■たくさんの失敗と、復活 例えば、任天堂の主力商品がトランプだったころ、多角経営に乗り出しダイヤ交通株式会社というタクシー会社や、三近品という品会社を設立。しかし、どちらも上手くいかなく経営から撤退。多角経営に失敗した頃、任天堂体もトランプの売れ行きが落ちてきて経営が危うくなっていきます。 その危機を救ったとされるのが、かの有名なゲームボーイの

    任天堂元社長 故山内溥氏 素晴らしい失敗だらけの経営者
    raimon49
    raimon49 2013/09/20
    任天堂もファミコンの前には多くの失敗をしていた。これは良い記事。
  • Hisakazu Hirabayashi * Official Blog - FC2 BLOG パスワード認証

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    raimon49
    raimon49 2011/06/03
    ファミコンが栄える陰で、ゲームデザインの保守化を招いた流通現場の実績主義。長いけど面白い。
  • 社長が訊く『ニンテンドー3DS』 そういうわけで、ニンテンドー3DSはできた。

    まずは、糸井さんに ニンテンドー3DSのデモを見ていただこうと思います。 これは、2010年6月のE3(※1)に出展したもので、 ニンテンドー3DSが専用のメガネを使わずに 立体に見えることを体験していただくための映像です。

    社長が訊く『ニンテンドー3DS』 そういうわけで、ニンテンドー3DSはできた。
    raimon49
    raimon49 2011/01/07
    岩田 & 宮本の初タッグ作品から、バーチャルボーイの売り方失敗話や、過去のハードでも隠されていた3D機能などの裏話がたくさん。非常に面白い。3DSは、液晶のコストが枯れた技術になったから再チャレンジするのかな。
  • 社長が訊く「スーパーマリオ25周年」 ファミコンとマリオ篇

    今日は2人の大先輩からお話を訊かせていただきます。 今年の9月13日で『スーパーマリオブラザーズ』の発売から ちょうど25年になりますが、 多くのみなさんにご愛顧いただきつづけることができたおかげで、 登場から四半世紀が経ったいまも、『スーパーマリオ』は元気です。 今回、ご支持いただいたみなさんへの感謝を込めて 25周年を記念したキャンペーンを展開させていただくことになりました。 それと同時に、 任天堂がトランプ・花札の会社から、 ふとしたきっかけでおもちゃをつくるようになり、 電子機器技術に出会い、 そしてビデオゲームの会社として変貌していくときに、 会社の中心におられたお2人にとって、 『スーパーマリオ』が生まれていく過程がどう見えていたのか、 そういったお話をいまお訊きして 何らかのかたちで残しておくことは、 歴史上、とても意義があるのではないかと思いまして、 今回、「社長が訊く」へ

    raimon49
    raimon49 2010/09/23
    『スーパーマリオ』よりも後から生まれてきた人たちに『スーパーマリオ』を渡すと、一発で遊べる。
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