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ブックマーク / hyoshiok.hatenablog.com (14)

  • 社内が英語化してよかったこと - 未来のいつか/hyoshiokの日記

    なんだか、ネガティブなことばかり世間では書かれているので、個人的によかったことなど感想を一つ二つ書く。 どーでもいいことから 英語への抵抗感がなくなる。どっかで英語で話しかけられても怖くない。へらへら対応できる。切符を買えなくて困っている外国人とお友達になれる自信ある。 30分くらいの英語の会議だったら集中力が持続する。 外国籍の友達が増えた。会社に外国籍の人がいっぱいいるので、顔見知りがいっぱい増えた。英語で雑談するのが好きだ。仕事で絡みがなくても気さくに話しても大丈夫である。 海外情報がいろいろ回ってくるような気がする。翻訳される前の情報がいろいろ出回っているような気がする。(まあ、気がするだけかもしれないけど) インターネットで流通している技術情報のほとんどは英語であるということを確信した。日語の情報は遅い、古い、不正確で、量も少ない。ググるときに日語じゃなくて英語のページを見た

    社内が英語化してよかったこと - 未来のいつか/hyoshiokの日記
    raitu
    raitu 2014/03/21
    長年外資系に勤務して海外出向経験もある方からすると、社内英語化は悪いものではないとのこと
  • 昔fjというインターネットの掲示板みたいなものがあった(今でもあるけど) - 未来のいつか/hyoshiokの日記

    1990年代のインターネットというのは利用者も少なく閉じた世界観があって、自由というもののある種の見えない掟みたいなものがあった。あったのかもしれない。当時ネットニュースという掲示板みたいなものがあって、今で言うところの中二病をこじらせたいい歳をした大人たちが日夜あーでもないこーでもないと言い合っていた。 fjというネットニュースがあって、日々いろいろな話題が議論されていた。あなたの会社のエラい人も若い頃、そのネットニュースに書き込んでいたかもしれない。若き日の(15年前)まつもとゆきひろさんとかがいるよ。 たまたま、そのころのニュースを発見して、あまりの懐かしさにここに再掲することにする。若き日の、あの人やこの人の中二病時代の書き込みである。 編集解説はわたし。それ以外は、当時の誰か。 https://groups.google.com/forum/?hl=ja#!topic/fj.co

    昔fjというインターネットの掲示板みたいなものがあった(今でもあるけど) - 未来のいつか/hyoshiokの日記
    raitu
    raitu 2014/01/17
    おっさんホイホイ
  • 我が青春の東急東横線渋谷駅改札。 - 未来のいつか/hyoshiokの日記

    若い人には想像もつかないことだとは思う。おじさんの昔話だ。興味のない人はこんなどーでもいい話なんで飛ばしちゃってほしい。 あなたのお父さん、お母さんが青春だったころの話だ。 30年前(1983年ごろ)、わたしは大学院の学生だった。その年の春に東京ディズニーランドがオープンした。 当時は携帯もなかった。携帯がないころの待ち合わせと言うのをあなたは想像できるだろうか。そんなころの話だ。 飲み会を企画したとする。お店のあたりをつけ、参加者を確認し、予約をする。午後七時に店を予約したとする。現地集合でもいいのだけど、多くの場合は、最寄りの駅で集合していそいそとみんなでお店に行くというのがよくあるパターンであった。 例えば7時開始だとすると、6時45分くらいに駅で集合して、お店に行く。携帯を持っていないので、当日遅刻すると大変なことになる。時間厳守である。 7時頃渋谷に集合で店は予約していないんだけ

    我が青春の東急東横線渋谷駅改札。 - 未来のいつか/hyoshiokの日記
    raitu
    raitu 2013/03/16
    吉岡さん慶應高校から矢上行った人だったのか。XYZ
  • 昔DECという会社があった。エンジニアとして必要な事はDECで学んだ。 - 未来のいつか/hyoshiokの日記

    大学を1984年に出て、新卒で入社した会社がDECという会社だった。その当時日デジタルイクイップメント研究開発センター株式会社というのが日にあってそこに新卒バリバリで入社した。その会社は米国のDigital Equipment Corporation (以下DECと称す)の日子会社であった。当時はDECの販売子会社日ディジタルイクイップメント株式会社と別会社で、後に合併して日ディジタルイクイップメントになる。 エンジニアリング部門の子会社なので、トップはPhD(博士号)を持っているし、米国社からの出向者もいて、技術系の外資という感じだった。一方で、新卒入社ということもあり、同期も少ないながら(6名)いて、日DECの同期と合わせれば、200名近くいて、日企業的な感じもあった。 DECをコンピュータ産業史的な観点から眺めると、当時コンピュータ産業を支配していたメインフレーム、す

    昔DECという会社があった。エンジニアとして必要な事はDECで学んだ。 - 未来のいつか/hyoshiokの日記
    raitu
    raitu 2011/02/12
    「一人一人アカウントを持ち、メールアドレスを持っていた」「今日当たり前のことを1980年代に経験した。それはまさに、未来の当たり前のことが日常的にある会社であった」
  • 許可を求めるな謝罪せよ

    インターネットなんつーものはね、許可なんか求めていないクレージーな人たちによって作られてきたんだよ。それによって社会はすごくよくなったんだ。もし彼らが許可を求めていたら何も起こらなかった。そんな社会を我々は求めているのか。そーゆーことだと思う。許可を求めるな。謝罪せよ。 http://twitter.com/#!/hyoshiok/status/33183999060873216 この「許可を求めるな。謝罪せよ」というフレーズは@kawagutiに教えてもらったのだが、彼は@hiranabeから3Mの社是として聞いていて、その心はというと、ともかく試してみてうまくいかなかったら、その時また考えるというような趣旨の行動規範ということらしい。*1 関係各位の許可を求めていたら絶対物事は進まないし、何も始まらない。何かをやってうまくいくこともあれば失敗することもあって、その試行錯誤によって人は学

    許可を求めるな謝罪せよ
    raitu
    raitu 2011/02/06
    3Mの社是「許可を求めるな、寛容性を期待して行動しろ」とも訳せるらしい
  • 第100回カーネル読書会にLinusが来た件 - 未来のいつか/hyoshiokの日記

    後で書く書いた。 第100回カーネル読書会にLinusをはじめとするLinux Kernel Hackersにいっぱいいっぱい来てもらった。 時系列に言うと、こんな感じだ。2008年の春頃(調べてみたら、夏ではなくて春頃に2009年のKernel Summitは日でやるとアナウンスされていたようだ)から、2009年のKernel Summitが開催されるので、そこでカーネル読書会BoFを開催して、そこにLinusを呼ぼうというようなことを言っていた。id:publichtmlに指摘されて気がついたのだけど、1000speakersでそんなことを言っている。*1 カーネル読書会の作り方 1000 speakers conference, 2/23/'08View more documents from Hiro Yoshioka. それ以来、カーネル読書会の前説で、Kernel Summi

    第100回カーネル読書会にLinusが来た件 - 未来のいつか/hyoshiokの日記
  • TOMOYO Linuxに学ぶ説得術 - 未来のいつか/hyoshiokの日記

    昨日、TOMOYO Linuxメインライン化記念合同勉強会(カーネル読書会、セキュアOSユーザ会、まっちゃ445)に行ってきて、小崎さんが匿名掲示板でガチでレビューしていたお話を聞いたので、早速過去ログを読んでみた。http://tomoyo.sourceforge.jp/2ch/thread-2.txt (追記:2009/7/4 21:03 なぜか後半部分、アスキーアートの後が切れてしまったので、前半部分を若干カットして(略)の部分、その2を追加しました。) LKML (Linux Kernel Mailing List)というのはLinuxカーネルの技術的なことを議論するもっとも権威(?)あるメーリングリストで、ここで議論され合意されたものがLinux体に取り込まれることになる。このLinux元の体(くどいな)のことをメインラインと呼ぶ。Linuxを創ったLinusさんに

    TOMOYO Linuxに学ぶ説得術 - 未来のいつか/hyoshiokの日記
    raitu
    raitu 2009/07/07
    //Linuxコミュニティ特有のことといううよりも対人関係において、相手と妥協点を見つけるということに関する普遍的な方法論をTOMOYO Linuxという事案を例に懇切丁寧に説明している。//
  • イノベーションはどっかで起こっている(東京で) - 未来のいつか/hyoshiokの日記

    昔DECという会社があった。米国のハードウェアベンダーだ。それでもIBMの次に大きいコンピュータベンダーだった。80年代前半飛ぶ鳥を落とす勢いでVAXというコンピュータを引っさげてIBMを追撃していた。年率二桁成長を何年も続けていた。コンピュータ産業は垂直統合の会社に支配されていた。ハードウェア(VAX)、OS(VMS)、コンパイラ、RDBMS、各種ミドルウェア、開発ツール(エディタ、リンカ、デバッガなどなど)、アプリケーションすべて上から下まで自社製品だった。 何か問題があれば、それがプロセッサの問題でもOSの問題でもRDBMSの問題でも、何から何まで自社で完結していたのでどーにかなった。どーにかした。それが垂直統合というわけだ。あこがれのエンジニアは社内にいた。VAXのアーキテクトもVMSのアーキテクトもVAX FORTRANのプロジェクトリーダもVAX Rdb/VMSのプロジェクト

    イノベーションはどっかで起こっている(東京で) - 未来のいつか/hyoshiokの日記
    raitu
    raitu 2009/05/24
    ミラクルリナックスの吉岡さんが振り返るイノベーションの歴史。興味深い。
  • 基盤系プログラマの実践的教育が必要だ - 未来のいつか/hyoshiokの日記

    ここで言う基盤系というのは、OSとかRDBMSとかプログラミング言語処理系とか、そーゆー奴ね。アプリケーションプログラムとかWebサービスとかを支える縁の下の力持ち。その基盤を作るプログラマをどのように育てるかというお話。 まあ、ハッカー予備軍をどのように育成するか。ハッカーって、育てるとか教育するとか、そーゆーものではなく勝手になるものだから、そもそも、そんなものはありえないという議論もある。確かに天才というのは、天才なので、教育がどうだこうだということはないのだけど、一般的なプログラマというのは、一般的な教育プログラムである程度底上げ的なことは出きると思う。 例えば、PostgreSQLの開発者を考えてみる。ちょっとRDBMSに興味がある、だけどどこからとっかりをつけていいのかよく分からないという初心者がいたとする。今ある、OSS利用者教育プログラムをいくらやったところで開発者にはなれ

    基盤系プログラマの実践的教育が必要だ - 未来のいつか/hyoshiokの日記
    raitu
    raitu 2009/04/29
    基盤プログラムは、秋月とかでH8買ってきてバイナリデータ設計とかアセンブルとかやると、すぐ動いて楽しいのではないでしょうか。
  • そろそろUnicodeについて一言いっておくか - 未来のいつか/hyoshiokの日記

    文字コードの標準化について日記を書いたのだが、内容がいまいちだったのでボツにして気を取り直してUnicodeについて一言いっておくことにする。先日、といっても昨年(2008年)の10月なんだけど、その中でちょと文字コードの標準化について話をしている。*1 もう1つ自分の経験としてあるのが、漢字の文字コードがあるんですけど、番号で言うとJIS X 0208とか0212とか規格の番号で皆言うわけなんですけど、実は1988年にその日語の文字コードの改正の委員会にいたんですね。 その当時、私は 30歳ぐらいなんですけど、「富士通」とか「日立」とか「NEC」の部長さんぐらいの偉い人たちが来てて、私なんか外資系で且つ30前後のぺーぺーだから、全然格下なんですよ。 そういうところで議論の主軸を担ってるのは、「富士通」「日立」「NEC」「日IBM」「東芝」「沖」、外資でいえば「ユニシス」とかの錚々たる

    そろそろUnicodeについて一言いっておくか - 未来のいつか/hyoshiokの日記
    raitu
    raitu 2009/04/20
    //時代は垂直統合と言って、メインフレーマーがハードウェア(メインフレーム)からOSからコンパイラからRDBMSからミドルウェアからアプリケーションのインテグレーションから運用まで一切合切握っていたというころ//
  • 自分の人生は自分で決める。 2008-09-23 - 未来のいつか/hyoshiokの日記

    先日のエンジニアの未来サミットで、「自分の人生は自分で決めよう」ということを言ったら、よしおかさん、自己責任論言いすぎと揶揄された。自分は、一言も「自己責任」という言葉を使っていないつもりだったのだけど、世間ではそうとらえるのねと非常に勉強になった。 自己責任って何だ? わたしが繰り替えし主張していたのは、あくまで「自分の人生は自分で決めよう」ということである。その主張がマッチョだと言われると、もう何も言えないのだが、まあ、そーゆーことである。 別に努力しろとか頑張れとか言っているのではない。自分の人生は自分で決めようということである。 子供のころ、日が暮れるまで野球をやっていた少年が、いつの日かどうがんばっても自分はプロ野球の選手になれないのだなということを知り、すこしづつ大人になっていく。小さい決断を積み重ね、それが今の自分になる。 家庭の環境や、育った地域、自分ではどうしようもない、

    自分の人生は自分で決める。 2008-09-23 - 未来のいつか/hyoshiokの日記
    raitu
    raitu 2008/09/25
    救世主待ちの人生はもうやめようというお話。
  • ひがやすお飲み会 2008-09-15 - 未来のいつか/hyoshiokの日記

    エンジニアの未来サミット(このタイトルも相当はづかしいなあ)での議論で、一番建設的な提言は、ひょっとしたら「ひがやすお(id:higayasuo)飲み会」なんではないかと思ったりする。その場所にいなかった人むけに解説すると、最後に一言みたいなのがあって、ひがさんが、月に一度くらい「ひがやすお飲み会」するから若い人は来るといいよみたいな事をいっていた。そうだよなあ、直に会ってお話をするというのが一番話が早いよなあ。スケーラビリエィティないけど。 神は宴会に宿ると言うし。(言わない言わない) よしおかひろたか飲み会(という名前もそーとー恥ずかしいが)なんていうのも面白いかもしれないが、ごめん、割り勘でいい?おとーさん小遣い少ないし←ちっちゃいなあ。 ちょびっと大目に払う位で大目に見てください。(お願い) なんだか、パネルディスカッションでは弾さんなみに超マッチョ的な受けとられかたをしていたかも

    ひがやすお飲み会 2008-09-15 - 未来のいつか/hyoshiokの日記
    raitu
    raitu 2008/09/17
    ひがやすを飲み会/よしおかひろたか飲み会/は大変興味深いなあ。風通しをよくする一環になると思う。
  • エンジニアの未来サミットに行ってきた - 未来のいつか/hyoshiokの日記

    エンジニアの未来サミット、第一部はアルファーギーク(って何だ?)と学生の対談パネルディスカッション。司会はわれらが弾さん。出演者はnipotanこと谷口さん、id:naoya 伊藤直也さん、id:higayasuo ひがやすおさんとわたし。学生さんは4人(益子さん、新井さん、田村さん、源馬さん)。 11時〜11時半ころおあつまりください事前打ち合わせをしましょう、みたいなメールがながれていたのだが、11時過ぎに到着してみると、学生さんは皆さんちゃんと到着しているのに、社会人がわたししか来ていないというのは、どーよ。時間どおり来たのはnipotanくらいで、しばし歓談。弾さん登場したので、ひがさんが来ていないけど、簡単に打ち合わせ。ぐづぐづ感満載。どーにか仕切る意味でIT産業っていろいろあるよね的な軸を提示するのだけど、後に、そんなものは何の役にもたたないということが分る。 みなフリーダムす

    エンジニアの未来サミットに行ってきた - 未来のいつか/hyoshiokの日記
    raitu
    raitu 2008/09/15
    エンジニアの未来サミット感想。おつかれさまでした。//それよりも問題は20代後半から30代前半の皆様で、会場に来ていた人達も、そのゾーンが大半だったわけで、その人達へのメッセージは間違いなく「自分の人生は自分
  • 機械語ではマシンの挙動は理解できない - 未来のいつか/hyoshiokの日記

    実のところ機械語はマシンに対する高レベルな挙動を示す命令であって実行を厳密に写像したものではない。(何を言っているんだわたしは?) 「マシン語ってどんな感じか知りたくなった方へ」という大人気のエントリと、ニコニコ動画を見て、昨今の最新マイクロプロセッサでは機械語がもはや機械の挙動と一対一に対応しなくなっちゃったのである、というツッコミをしたくなった。http://d.hatena.ne.jp/shi3z/20070913 「水野拓宏のTK-80講座」これが素敵すぎる。http://www.nicovideo.jp/watch/sm1048903 最近のプロセッサ(Pentium 4とかXeonとか)は機械語を機械が直接実行するのではなく(じゃあ、なんで機械語というだよというツッコミは諸般の事情で却下(w))、機械語をμOPという機械語と一対Nに対応する命令に変換し実行するのである。Java

    機械語ではマシンの挙動は理解できない - 未来のいつか/hyoshiokの日記
    raitu
    raitu 2007/09/19
    //昨今のプロセッサは、機械語をμOPというのに変換してそれを「並列」に実行しちゃうのである。//
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