メニューコスト(?)と政策の難しさ 2008年1月23日 コメント: トラックバック (1) 私たちの多くはほとんどの問題について「しっかり考えて」判断してなんかいません。たいていは「なんとなく」、時には「みんながそういっているから」という理由で判断しているのではないでしょう。その軽忽さを批判するのは……それこそ軽忽なことです。思考すること、調査することにも有形無形のコストがかかる。たいしたリターンが期待できないことについて一生懸命考えないというのはある意味合理的なのです。本連載の第12回にも書いたように一見愚かな行動が合理的だという例は少なくないのです。 ■政策は誰が決めるのか 思考にさえコストが伴うのです。いわんや行動をや。思考や行動にコストが要される時、社会全体の意思決定は深刻な問題を抱えることがあります。この種の意思決定問題について経済学者が好んで用いる例が農業保護政策への賛否の問