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ブックマーク / readingmonkey.blog.fc2.com (8)

  • 未来をつくる索引-ガーフィールドとCitation Indexの挑戦

    1.爆発する科学 世界をまきこんだ戦争が終わって、堰を切ったようにあふれ出した学術情報、とくに科学文献の数は爆発的に増加した。 こうして、それまで科学文献のよき案内板であった、分野ごとのアブストラクト誌(論文の抄録を収載した定期刊行物)は次第にその役割を果たせなくなってきた。 論文の増加は当然アブストラクト誌のページ数を爆発的に増やし、金額的にはもちろん、物理的にも研究者個人が取り扱えるものではなくなっていった。 なお悪いことに、大量の論文を処理するための時間量もまた跳ね上がり、アブストラクト誌は読者が要求する速報性をますます果たせなくなっていた。 論文が発表されてからアブストラクト誌に載るまで1年以上かかるのがめずらしくなくなった(週刊ないし隔週刊で発行されていることを考えれば、異常かつ望むべからぬ事態だと言える)。 英語以外で書かれる論文は当時はまだ少なくなかったが、これらがアブストラ

    未来をつくる索引-ガーフィールドとCitation Indexの挑戦
    rajendra
    rajendra 2012/12/14
    学術の世界を一変させたガーフィールドの物語。
  • (図解)雑誌の危機(シリアルズ・クライシス)と学術情報流通の失われた10年

    「日国内図書館の外国雑誌購入費および受入れタイトル数」というグラフがある。 (出典:出典:安達,他(2003)、土屋(2004)./ネットで探すとカラー版のグラフがあちこちにある) 日図書館の外国雑誌受け入れタイトル数は、雑誌購入費は増加する一方で、1988年に最大の38,477タイトルに達した後、減少を続けている。 (日学術会議情報学研究連絡委員会学術文献情報専門委員会.“電子的学術定期出版物の収集体制の確立に関する緊急の提言”.日学術会議. 2000. http://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/17pdf/17_44p.pdf) 雑誌に対する支出が増え続けているのに、購入される雑誌の数が減っているのは、言うまでもなく雑誌価格の高騰が原因である。 海外学術誌の平均価格の推移(自然科学分野) (出典:Library Journal Periodical

    (図解)雑誌の危機(シリアルズ・クライシス)と学術情報流通の失われた10年
    rajendra
    rajendra 2011/01/18
    "利用の頻繁な雑誌は継続され、利用の稀な雑誌からキャンセルされ図書館間相互貸借(ILL)を利用するといった仕組みが、問題を見えにくいものにしていた。"
  • 書評を読むな、書誌を読め/存在すら知らぬ本を探すための本

    ほとんどすべての推薦書リストに、を探すためのは登場しない。 大抵の読書論は、書誌の存在にすら触れない。 あらゆる書物はつながり合っているというのに、多くの書評は一輪ざしのようにただ一つのだけを掲げる。 書誌を知らぬ読書家は、海図を持たない船乗りに等しい。 そうした船乗りもまた海に出ることはできよう。だが、彼の海路は、陸から離れぬ域にとどまる。 読書に置き換えて言うなら、宣伝や書評に「教えて」もらわなければ、何を読むかも決められない読みに相当する。 書誌は、あるテーマについて(ある分野や人物についてのこともある)、世の中に存在する文献の一切合切を集めようとしたリストだ。 人がなすことに元より完全なものはない。すべての文献を集めることは事実上、不可能だ。あらゆる書誌には、載せるべきであったいくつもの文献が欠けている。その意味でも、すべての書誌は未完成である。また、決して完成しないという

    書評を読むな、書誌を読め/存在すら知らぬ本を探すための本
    rajendra
    rajendra 2010/11/16
    書誌は、無数の知識の連なりが存在することを示す。ただし、使わなければ宝の持ち腐れ。ちゃんと活用しましょう。
  • Google v.s. 図書館 「調べる力」を競う

    Googleと、図書館に普通にある紙のレファレンス(参考図書)の両方で、同じ探しものをして、競わせようという目論みである。 勝負はホーム&アウェイ方式で行う。 今回は図書館側のホームということで、紙のレファレンス(参考図書)だけで解決できたレファレンス事例から出題する。 つまり図書館側は解けて当然の問題だが、解決事例を通じて図書館での調べもの入門(イントロダクション)と、Googleを使っての調べものの実例になることを期待している。 Googleに日常から親しんでいる人たちが、「紙のレファレンス(参考図書)も、なかなかやるじゃないか」と思うなら望外の喜びである。 では戦いの前に「模範演技」を見ておこう。紙のレファレンス(参考図書)の力を示す例として、ちょっと有名なやつを。 Q0-1.「廻転鳥」は何と読むか? 読みがなについては、漢和辞典の部首索引や画数索引をわざわざ使わなくても、コピペさえ

    Google v.s. 図書館 「調べる力」を競う
    rajendra
    rajendra 2010/10/29
    webで絞って紙で当てる。/図書館にとっては紙の資料もwebの資料も同じ道具だから、「Googleが強くなれば、図書館も強くなる」は当然なのだが、ユーザーの方は必ずしもそう感じてなかったり。
  • 図書館となら、できること/好奇心にのみ仕える

    少女:ねえ。 少年:授業中だろ。 少女:聞いてなんか無いくせに。 少年:それとは別の話。 少女:竪穴式住居って、江戸時代まであったの? 少年:聞いたことあるけど……建築家の間のフォークロアだと思ってた。 少女:フォークロアって何? 少年:フォーク(民間)+ロア(伝承)。 少女:……つまり信じてないのね。 少年:調べないと分からない。 少女:信じなかったから調べてないんでしょ。 少年:そうだよ。 少女:だったら、決まりね。 少年:決まりって何が? 少女:調べるのよ。放課後、付き合いなさい。 少年:教師に聞けよ。今、ちょうど歴史の時間なのに。 少女:自重しなさい。授業中、先生を泣かすのは1年に1回まで。 少年:うーん。……放課後まで待つことないよ。昼休み、図書室へ行こう。 少女:学校の図書室なんて、って言ってなかった? 少年:言った。でも、百科事典くらいならある。 少女:百科事典で解決するの?

    図書館となら、できること/好奇心にのみ仕える
    rajendra
    rajendra 2010/05/29
    "私たちが仕えるのは、「知りたい」という好奇心に対してだけです。なぜなら、私たちが保管している書物に収められた知識は、「知りたい」という好奇心と出会い触れる時にだけ、息を吹き返すからです。"
  • 図書館となら、できること(続々々)/全知の断念と無知への抗い

    「司書は『物知り』ではありません。何故だかわかりますか?」 少年はいぶかしむ。司書はその顔を見て、続きを話す。 「もし私たちが『物知り』なら、あなたは質問して、答えをもらい、そして満足しておしまいでしょう。 しかし司書は答えを言いません。 いくつかの『扉』を示し、あなたを送り出すだけです。捜索はあなたがやらなくてはなりません」 「先生に知らないことなんてないと思ってた」 と少年は言う。 「『先生』はやめてください」 と司書は応じる。いつものやりとり。 「何をやってるんですか?」 少年は尋ねる。司書は少年に応じながらも、手を止めていなかった。 「の修復です。専門の係もあるのですが、学んだ技はこうして時々使わないといけません」 「世界大百科事典の索引の巻!? ぼくが壊したやつ?」 「壊すほどたくさん引いた人を何人も知りませんが、百科事典は索引から引くのが鉄則です。特に平凡社の世界大百科事典は

    図書館となら、できること(続々々)/全知の断念と無知への抗い
    rajendra
    rajendra 2010/04/16
    "J.S.ミルはこう言っています。専門家はsomethingについてeverythingを知る者、アマチュアとはeverythingについてsomethingを知る者だと。"
  • 図書館となら、できること/文献のコンシエルジュと「書誌の書誌」

    今、あなたは探しものをしている。行き先は図書館だ。 図書館でまず向かうのはどこか? レファレンス・カウンター? それもある。 しかし、毎回、厄介な事案を持ちこんでくるあなたは、すっかり顔馴染みになったレファレンス係に軽く会釈をして、そのまま参考図書のコーナーへ向かう。 出来事を追って、新聞や雑誌の記事を、あるいは海外の論文を探すなら、データベースを使うために、館内のパソコンに向かっていただろう。 まったく未見の分野なら、ネットやCDROM版の百科事典(かならず複数)をチェックする。 共通する記述(これが調査の前提、そして到達度を計るベンチマークになる)と相違する記述(突き合せ、比較し「違い」を見つけることから調査は始まる)に印をつけ、キーワードになりそうなものにマーキングしたものをプリントアウトして図書館へ持参する。 必要なら、さらに『日語大事典』や『国史大事典』、関連分野の専門事典など

    図書館となら、できること/文献のコンシエルジュと「書誌の書誌」
    rajendra
    rajendra 2010/03/25
    利用者のみならずライブラリアンにとっても、このように使われることは幸せなことだ。しかし、その稀有な出会いのためにリソースをつぎ込むことを、もはやコミュニティは許してくれないかもしれない。
  • 1955年『鉄腕アトム』は小学校の校庭で見せしめ的に焚書された/橋本健午『有害図書と青少年問題』

    1955年、手塚治虫の『鉄腕アトム』は、複数の小学校の校庭で見せしめ的に焚書されたことがある。 Wikipediaの「悪書追放運動」の項や、2006年11月5日に放送されたNHKスペシャル『ラストメッセージ第1集「こどもたちへ 漫画家・手塚治虫」』の中でも取り上げられたので、ご存知の人も多いだろう。 「焚書」ばかりでなく、手塚が受けた批判の中には、「『赤胴鈴之助』は親孝行な主人公を描いているから悪書ではない。」というものがあったが、手塚が回顧する処によると、その様に主張した主婦は、実際には『赤胴鈴之助』を全く読んだり見たりしておらず、「ラジオでその様に聞いた」というだけの事であった。また、高速列車や高速道路、ロボットなどの高度な発展の描写を「できるはずがない」「荒唐無稽だ」と批判した上、手塚のことを「デタラメを描く、子どもたちの敵」とまで称した者もいたという(手塚治虫『ガラスの地球を救え』

    1955年『鉄腕アトム』は小学校の校庭で見せしめ的に焚書された/橋本健午『有害図書と青少年問題』
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